50代無職、エルフに転生で異世界ざわつく

かわさきはっく

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第九章 光と闇を抱いて

第166話 閉ざされた森の理

 夜が明けても、俺の心に差し込む光はなかった。

 一睡もできず、ただ部屋の椅子に座り、夜の闇が白んでいくのを無感情に眺めていた。
 ノクスに宣告された絶望的な契約が思考のすべてを支配していた。
 仲間を殺すか、自分が魂ごと消滅するか。どちらの道も、行き着く先は地獄だ。

「カイン、顔色がすぐれないわよ」

「眠れなかったの?」

 朝、部屋を訪れたエルンとルナが俺の姿を見て息を呑んだ。その瞳に浮かぶ心配の色が、かえって胸を締め付ける。

「……長老会に話をしに行く」

 俺は立ち上がり、乾いた唇でそう告げた。

「この森の長老たちなら……何百年、何千年と生きてきた彼らなら、何か知っているかもしれない。古の契約、闇の精霊……それを覆す、あるいは交渉するための、忘れられた方法があるかもしれない」

 それはほとんど祈りに近い、か細い希望だった。だが、今の俺にはそれしかすがるものがなかった。

 議事堂は朝の静寂に包まれていた。
 俺の緊急の要請を受け、エルドレアをはじめとする長老たちが円卓に集まっている。
 俺の後ろには、エルン、ルナ、そして話を聞いて駆けつけたレオナルドが固い表情で控えていた。

 場の空気は俺が賢者として迎え入れられたあの日とは比べ物にならないほど重く、冷え切っていた。

 俺は昨夜のノクスとの対話、そしてネフィラによって強制された『魂縛の闇契約こんばくのやみけいやく』のすべてを包み隠さず話した。同族の魂を生贄にしなければ、次の新月、俺の魂が消滅すること。履行りこうすれば光の力を失うこと。その全てを。

 長い、重い沈黙が議事堂を支配した。

 やがて、保守派の長老の一人、ラゼルが静かに口を開いた。その声は氷のように冷たかった。

「……つまり、異界の者は、またしてもこの森に厄災を持ち込んだ、ということですな」

「ラゼル殿!」

 レオナルドが咎めるように声を上げるが、ラゼルは意に介さず、俺を真っ直ぐに見据える。

「契約は契約。ましてや、大精霊との契約は絶対だ。その成立の経緯がどうであれ、世界のことわりそのものに刻まれた約定やくじょうを我々が覆すことなどできぬ」

「ですが、それはネフィラの悪意によって強制されたものです! なんとか交渉の余地はないのですか!?」

 エルンが必死に食い下がる。だが、他の長老たちもまた、厳しい顔で首を横に振るだけだった。

「精霊との契約を破ることは森のことわりを自ら破壊するに等しい。禁忌きんきだ」

「賢者といえど世界の法則をねじ曲げることは許されぬ」

 彼らの言葉は壁のように俺の希望を打ち砕いていく。俺は最後の望みを託し、エルドレアに視線を向けた。

「エルドレア……あなたも同じ考えか?」

 エルドレアは深く刻まれたしわに覆われた顔を苦悩に歪め、ゆっくりと目を閉じた。

「……賢者カインよ。そなたの苦境、痛いほどわかる。この森を二度も救ったそなたに、このような運命が降りかかるとは……なんという理不尽か」

 彼の声は悔しさに満ちていた。だが、続く言葉は非情な現実を突きつけるものだった。

「しかし……ラゼル殿の言う通り、我らにはすべがない。古の契約の重さは一個人の命の重さを時に凌駕りょうがする。それが、我らエルフが守り続けてきた揺るがぬことわりなのだ。……申し訳ない」

 その言葉が俺の心の最後の砦を崩壊させた。

 味方だと思っていた。賢者として、この森の一員として、ようやく認められたのだと。だが違った。揺るがぬことわりの前では俺という個人の存在など、あまりにも軽く、脆いものだった。

 俺たちはもはや何も言うことができず、議事堂を後にした。

 外の空気はあの日と何も変わらないはずなのに、ひどく冷たく感じた。

「……そんな……」

 ルナが涙を浮かべて俺のローブを握りしめる。エルンも唇を噛みしめ、悔しさに肩を震わせていた。
 俺はそんな仲間たちの顔を見ることができなかった。
 そして、はっきりと悟った。もう道は一つしかないのだ、と。

 俺が消えるしかない。

 俺一人の魂が消えれば、仲間を生贄に選ぶという最もおぞましい罪を犯さずに済む。森にこれ以上の厄災を招かずに済む。
 それが賢者として、俺がこの森のためにできる最後の仕事なのだろう。

 絶望が静かに俺の心を支配し始めていた。

 俺は仲間たちに一言も告げず、ただ一人、森の奥へと続く小道を力なく歩き始めた。
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