171 / 280
第九章 光と闇を抱いて
第171話 カイランの選択
しおりを挟む
カイランの宣言に部屋の空気が張り詰めた。
闇の大精霊ノクスは、その無感情な瞳を興味深げに揺らがせ、エルドレアは信じられないというように、目の前のカイン――いや、カイランの姿を見つめていた。
「カイラン様……あなた様が自ら契約を……?」
「そうだ、エルドレア」
カイランは静かにうなずくと、その視線を老いたる賢者に向けた。
「エルドレア、その取引では我らの『負け』だ。カインは生きるやもしれんが、光の力を失う。それはネフィラの術中に、ただ嵌まるだけの結末にすぎん。……賢者であるそなたが、そのような愚かな取引を看過するのか?」
カイランの言葉は単に死を止めようとするものではなかった。その声には、より高次の解決策を見据えた冷静な響きがあった。
「だが、そなたのその気高い魂を『対価』ではなく、理を書き換える『力』として使えば我らは契約を覆し、さらに新たな力を得ることさえできる。その道を拓く手伝いを私にさせてはくれぬか」
エルドレアはカイランの真意を悟り、深く、深くうなずいた。彼の瞳から悲壮な覚悟は消え、森の未来を見届けんとする賢者としての穏やかな光が宿っていた。
「……いかにも。我が命が賢者二人の未来を切り開く礎となるのなら本望。カイラン様、お使いください。この魂の最後の輝きのすべてを」
二人の賢者の意志が一つになったことを確認し、カイランは再びノクスへと向き直った。
「闇の御霊よ。まず、そこの賢者の覚悟を認め、その魂を契約履行の『生贄』として受け入れるがいい」
その言葉にエルドレアだけでなくノクスさえもが、わずかに反応を示す。カイランはエルドレアの犠牲を止める気はなかった。むしろ、それを取引の最初のカードとして提示したのだ。
「……だが」とカイランは続ける。
「その生贄によって成立する契約の『当事者』は、この器に宿る異界の魂ではない。この身体の本来の主である――この私、カイラン・フェルシスが引き受ける」
それは、あまりにも大胆な提案だった。エルドレアの魂を生贄として捧げ、闇の大精霊との契約はカイランが負う。カインを完全に守り抜くための完璧な論理の盾だった。
ノクスは、しばし沈黙していたが、やがてその幻影の口元がわずかに弧を描いたように見えた。
『一つの魂を生贄とし、別の魂と契約を結ぶか。古の理にもとるが、代償と契約、それぞれの帳尻は合う。我にとって、より古く、より強い魂との契約は望ましいものですらある。理にかなう。その取引、認めよう』
取引は成立した。
カイランは覚悟を決めたエルドレアへと視線を戻した。
「エルドレア。この道を選べば、そなたの魂は闇に喰われ、二度と森へは還れぬ。だが、そなたの死はカインを救い、彼に森の未来を託すための礎となる。それで悔いはないか」
「……悔いなど、あろうはずもない」
エルドレアは穏やかに微笑んだ。その顔には森の未来を託した安堵と、長い人生を締めくくるにふさわしい役目を得た満足感が浮かんでいた。
「我が魂の全てを森の未来のために捧げよう。カイラン様、そして、若き賢者カイン殿に、この森を託す……!」
その言葉を合図に、ノクスの幻影が再びエルドレアへと手を差し伸べる。影でできた指先が彼の胸にそっと触れた。抵抗は、ない。
エルドレアの身体から、淡い黄金の光――彼の魂そのものが、ゆっくりと引き抜かれていく。その光がノクスの手に完全に吸収された瞬間、エルドレアの身体は糸が切れたように力を失い、静かに床へと崩れ落ちた。その亡骸の顔は苦痛もなく、ただ安らかだった。
「さらばだ、古き友よ」
カイランはカインの身体のまま、その亡き骸と、友の気高い最期を静かに見届けた。
そして、エルドレアの魂を対価として成立した新たな契約に従い、ノクスから放たれた闇の魔力がカイランの魂へと結びついていく。
カインの身体が一度だけ大きく痙攣した。
彼の内側で、光とは全く異質の、冷たく、しかし強大な『闇』の力がカイランの魂を器として根付いたのだ。
契約を終えたノクスの幻影は満足げに一度うなずくと、音もなく影の中へと消えていった。
部屋には静寂が戻る。床には安らかな顔で横たわるエルドレアの亡骸と、彼が手にしていた賢者の杖が残されていた。
カイランはカインの身体のままゆっくりと立ち上がり、眠るエルンと、そして動かなくなった友の姿を見つめた。
その蒼い瞳には、友を失った哀しみと、重い宿命を受け入れた覚悟が静かに宿っていた。
闇の大精霊ノクスは、その無感情な瞳を興味深げに揺らがせ、エルドレアは信じられないというように、目の前のカイン――いや、カイランの姿を見つめていた。
「カイラン様……あなた様が自ら契約を……?」
「そうだ、エルドレア」
カイランは静かにうなずくと、その視線を老いたる賢者に向けた。
「エルドレア、その取引では我らの『負け』だ。カインは生きるやもしれんが、光の力を失う。それはネフィラの術中に、ただ嵌まるだけの結末にすぎん。……賢者であるそなたが、そのような愚かな取引を看過するのか?」
カイランの言葉は単に死を止めようとするものではなかった。その声には、より高次の解決策を見据えた冷静な響きがあった。
「だが、そなたのその気高い魂を『対価』ではなく、理を書き換える『力』として使えば我らは契約を覆し、さらに新たな力を得ることさえできる。その道を拓く手伝いを私にさせてはくれぬか」
エルドレアはカイランの真意を悟り、深く、深くうなずいた。彼の瞳から悲壮な覚悟は消え、森の未来を見届けんとする賢者としての穏やかな光が宿っていた。
「……いかにも。我が命が賢者二人の未来を切り開く礎となるのなら本望。カイラン様、お使いください。この魂の最後の輝きのすべてを」
二人の賢者の意志が一つになったことを確認し、カイランは再びノクスへと向き直った。
「闇の御霊よ。まず、そこの賢者の覚悟を認め、その魂を契約履行の『生贄』として受け入れるがいい」
その言葉にエルドレアだけでなくノクスさえもが、わずかに反応を示す。カイランはエルドレアの犠牲を止める気はなかった。むしろ、それを取引の最初のカードとして提示したのだ。
「……だが」とカイランは続ける。
「その生贄によって成立する契約の『当事者』は、この器に宿る異界の魂ではない。この身体の本来の主である――この私、カイラン・フェルシスが引き受ける」
それは、あまりにも大胆な提案だった。エルドレアの魂を生贄として捧げ、闇の大精霊との契約はカイランが負う。カインを完全に守り抜くための完璧な論理の盾だった。
ノクスは、しばし沈黙していたが、やがてその幻影の口元がわずかに弧を描いたように見えた。
『一つの魂を生贄とし、別の魂と契約を結ぶか。古の理にもとるが、代償と契約、それぞれの帳尻は合う。我にとって、より古く、より強い魂との契約は望ましいものですらある。理にかなう。その取引、認めよう』
取引は成立した。
カイランは覚悟を決めたエルドレアへと視線を戻した。
「エルドレア。この道を選べば、そなたの魂は闇に喰われ、二度と森へは還れぬ。だが、そなたの死はカインを救い、彼に森の未来を託すための礎となる。それで悔いはないか」
「……悔いなど、あろうはずもない」
エルドレアは穏やかに微笑んだ。その顔には森の未来を託した安堵と、長い人生を締めくくるにふさわしい役目を得た満足感が浮かんでいた。
「我が魂の全てを森の未来のために捧げよう。カイラン様、そして、若き賢者カイン殿に、この森を託す……!」
その言葉を合図に、ノクスの幻影が再びエルドレアへと手を差し伸べる。影でできた指先が彼の胸にそっと触れた。抵抗は、ない。
エルドレアの身体から、淡い黄金の光――彼の魂そのものが、ゆっくりと引き抜かれていく。その光がノクスの手に完全に吸収された瞬間、エルドレアの身体は糸が切れたように力を失い、静かに床へと崩れ落ちた。その亡骸の顔は苦痛もなく、ただ安らかだった。
「さらばだ、古き友よ」
カイランはカインの身体のまま、その亡き骸と、友の気高い最期を静かに見届けた。
そして、エルドレアの魂を対価として成立した新たな契約に従い、ノクスから放たれた闇の魔力がカイランの魂へと結びついていく。
カインの身体が一度だけ大きく痙攣した。
彼の内側で、光とは全く異質の、冷たく、しかし強大な『闇』の力がカイランの魂を器として根付いたのだ。
契約を終えたノクスの幻影は満足げに一度うなずくと、音もなく影の中へと消えていった。
部屋には静寂が戻る。床には安らかな顔で横たわるエルドレアの亡骸と、彼が手にしていた賢者の杖が残されていた。
カイランはカインの身体のままゆっくりと立ち上がり、眠るエルンと、そして動かなくなった友の姿を見つめた。
その蒼い瞳には、友を失った哀しみと、重い宿命を受け入れた覚悟が静かに宿っていた。
0
あなたにおすすめの小説
三歳で婚約破棄された貧乏伯爵家の三男坊そのショックで現世の記憶が蘇る
マメシバ
ファンタジー
貧乏伯爵家の三男坊のアラン令息
三歳で婚約破棄され
そのショックで前世の記憶が蘇る
前世でも貧乏だったのなんの問題なし
なによりも魔法の世界
ワクワクが止まらない三歳児の
波瀾万丈
【完結】物置小屋の魔法使いの娘~父の再婚相手と義妹に家を追い出され、婚約者には捨てられた。でも、私は……
buchi
恋愛
大公爵家の父が再婚して新しくやって来たのは、義母と義妹。当たり前のようにダーナの部屋を取り上げ、義妹のマチルダのものに。そして社交界への出入りを禁止し、館の隣の物置小屋に移動するよう命じた。ダーナは亡くなった母の血を受け継いで魔法が使えた。これまでは使う必要がなかった。だけど、汚い小屋に閉じ込められた時は、使用人がいるので自粛していた魔法力を存分に使った。魔法力のことは、母と母と同じ国から嫁いできた王妃様だけが知る秘密だった。
みすぼらしい物置小屋はパラダイスに。だけど、ある晩、王太子殿下のフィルがダーナを心配になってやって来て……
侯爵家三男からはじまる異世界チート冒険録 〜元プログラマー、スキルと現代知識で理想の異世界ライフ満喫中!〜【奨励賞】
のびすけ。
ファンタジー
気づけば侯爵家の三男として異世界に転生していた元プログラマー。
そこはどこか懐かしく、けれど想像以上に自由で――ちょっとだけ危険な世界。
幼い頃、命の危機をきっかけに前世の記憶が蘇り、
“とっておき”のチートで人生を再起動。
剣も魔法も、知識も商才も、全てを武器に少年は静かに準備を進めていく。
そして12歳。ついに彼は“新たなステージ”へと歩み出す。
これは、理想を形にするために動き出した少年の、
少し不思議で、ちょっとだけチートな異世界物語――その始まり。
【なろう掲載】
バーンズ伯爵家の内政改革 ~10歳で目覚めた長男、前世知識で領地を最適化します
namisan
ファンタジー
バーンズ伯爵家の長男マイルズは、完璧な容姿と神童と噂される知性を持っていた。だが彼には、誰にも言えない秘密があった。――前世が日本の「医師」だったという記憶だ。
マイルズが10歳となった「洗礼式」の日。
その儀式の最中、領地で謎の疫病が発生したとの凶報が届く。
「呪いだ」「悪霊の仕業だ」と混乱する大人たち。
しかしマイルズだけは、元医師の知識から即座に「病」の正体と、放置すれば領地を崩壊させる「災害」であることを看破していた。
「父上、お待ちください。それは呪いではありませぬ。……対処法がわかります」
公衆衛生の確立を皮切りに、マイルズは領地に潜む様々な「病巣」――非効率な農業、停滞する経済、旧態依然としたインフラ――に気づいていく。
前世の知識を総動員し、10歳の少年が領地を豊かに変えていく。
これは、一人の転生貴族が挑む、本格・異世界領地改革(内政)ファンタジー。
鬼の兵法伝承者、異世界に転世せしむる
書仙凡人
ファンタジー
俺の名は桜木小次郎。
鬼一法眼を祖とする鬼一兵法の令和の伝承者。
だがある時、なぜか突然死してしまったのだ。
その時、自称神様の変なペンギンが現れて、ファンタジー世界の転生を持ちかけられた。
俺はヤケになって転生受け入れたら、とんでもない素性の奴にログインする事になったのである。
ログイン先は滅亡した国の王子で、従者に毒盛られて殺されたばかり。
なにこれ? クーリングオフねぇのかよ!
英雄の孫は今日も最強
まーびん
ファンタジー
前世では社会人だったが、死んで異世界に転生し、貧乏貴族ターセル男爵家の3男となった主人公ロイ。
前世のギスギスした家庭と違い、家族の皆から愛され、ロイはすくすくと3歳まで育った。
中でも、毎日一緒に遊んでくれるじいじは爺馬鹿全開で、ロイもそんなじいじが大好き。
元将軍で「英雄」と呼ばれる最強のじいじの血を引いたロイは、じいじ達に見守られながら、今日も楽しく最強な日々を過ごす。
疲れきった退職前女教師がある日突然、異世界のどうしようもない貴族令嬢に転生。こっちの世界でも子供たちの幸せは第一優先です!
ミミリン
恋愛
小学校教師として長年勤めた独身の皐月(さつき)。
退職間近で突然異世界に転生してしまった。転生先では醜いどうしようもない貴族令嬢リリア・アルバになっていた!
私を陥れようとする兄から逃れ、
不器用な大人たちに助けられ、少しずつ現世とのギャップを埋め合わせる。
逃れた先で出会った訳ありの美青年は何かとからかってくるけど、気がついたら成長して私を支えてくれる大切な男性になっていた。こ、これは恋?
異世界で繰り広げられるそれぞれの奮闘ストーリー。
この世界で新たに自分の人生を切り開けるか!?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる