50代無職、エルフに転生で異世界ざわつく

かわさきはっく

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第九章 光と闇を抱いて

第171話 カイランの選択

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 カイランの宣言に部屋の空気が張り詰めた。

 闇の大精霊ノクスは、その無感情な瞳を興味深げに揺らがせ、エルドレアは信じられないというように、目の前のカイン――いや、カイランの姿を見つめていた。

「カイラン様……あなた様が自ら契約を……?」

「そうだ、エルドレア」

 カイランは静かにうなずくと、その視線を老いたる賢者に向けた。

「エルドレア、その取引では我らの『負け』だ。カインは生きるやもしれんが、光の力を失う。それはネフィラの術中に、ただまるだけの結末にすぎん。……賢者であるそなたが、そのような愚かな取引を看過かんかするのか?」

 カイランの言葉は単に死を止めようとするものではなかった。その声には、より高次の解決策を見据えた冷静な響きがあった。

「だが、そなたのその気高い魂を『対価』ではなく、ことわりを書き換える『力』として使えば我らは契約を覆し、さらに新たな力を得ることさえできる。その道をひらく手伝いを私にさせてはくれぬか」

 エルドレアはカイランの真意を悟り、深く、深くうなずいた。彼の瞳から悲壮な覚悟は消え、森の未来を見届けんとする賢者としての穏やかな光が宿っていた。

「……いかにも。我が命が賢者二人の未来を切り開くいしずえとなるのなら本望ほんもう。カイラン様、お使いください。この魂の最後の輝きのすべてを」

 二人の賢者の意志が一つになったことを確認し、カイランは再びノクスへと向き直った。

「闇の御霊みたまよ。まず、そこの賢者の覚悟を認め、その魂を契約履行りこうの『生贄』として受け入れるがいい」

 その言葉にエルドレアだけでなくノクスさえもが、わずかに反応を示す。カイランはエルドレアの犠牲を止める気はなかった。むしろ、それを取引の最初のカードとして提示したのだ。

「……だが」とカイランは続ける。

「その生贄によって成立する契約の『当事者』は、この器に宿る異界の魂ではない。この身体の本来の主である――この私、カイラン・フェルシスが引き受ける」

 それは、あまりにも大胆な提案だった。エルドレアの魂を生贄として捧げ、闇の大精霊との契約はカイランが負う。カインを完全に守り抜くための完璧な論理の盾だった。

 ノクスは、しばし沈黙していたが、やがてその幻影の口元がわずかに弧を描いたように見えた。

『一つの魂を生贄とし、別の魂と契約を結ぶか。古のことわりにもとるが、代償と契約、それぞれの帳尻ちょうじりは合う。我にとって、より古く、より強い魂との契約は望ましいものですらある。ことわりにかなう。その取引、認めよう』

 取引は成立した。

 カイランは覚悟を決めたエルドレアへと視線を戻した。

「エルドレア。この道を選べば、そなたの魂は闇に喰われ、二度と森へは還れぬ。だが、そなたの死はカインを救い、彼に森の未来を託すためのいしずえとなる。それで悔いはないか」

「……悔いなど、あろうはずもない」

 エルドレアは穏やかに微笑んだ。その顔には森の未来を託した安堵と、長い人生を締めくくるにふさわしい役目を得た満足感が浮かんでいた。

「我が魂の全てを森の未来のために捧げよう。カイラン様、そして、若き賢者カイン殿に、この森を託す……!」

 その言葉を合図に、ノクスの幻影が再びエルドレアへと手を差し伸べる。影でできた指先が彼の胸にそっと触れた。抵抗は、ない。

 エルドレアの身体から、淡い黄金の光――彼の魂そのものが、ゆっくりと引き抜かれていく。その光がノクスの手に完全に吸収された瞬間、エルドレアの身体は糸が切れたように力を失い、静かに床へと崩れ落ちた。その亡骸の顔は苦痛もなく、ただ安らかだった。

「さらばだ、古き友よ」

 カイランはカインの身体のまま、その亡き骸と、友の気高い最期を静かに見届けた。

 そして、エルドレアの魂を対価として成立した新たな契約に従い、ノクスから放たれた闇の魔力がカイランの魂へと結びついていく。
 カインの身体が一度だけ大きく痙攣けいれんした。
 彼の内側で、光とは全く異質の、冷たく、しかし強大な『闇』の力がカイランの魂を器として根付いたのだ。

 契約を終えたノクスの幻影は満足げに一度うなずくと、音もなく影の中へと消えていった。

 部屋には静寂が戻る。床には安らかな顔で横たわるエルドレアの亡骸と、彼が手にしていた賢者の杖が残されていた。
 カイランはカインの身体のままゆっくりと立ち上がり、眠るエルンと、そして動かなくなった友の姿を見つめた。

 その蒼い瞳には、友を失った哀しみと、重い宿命を受け入れた覚悟が静かに宿っていた。
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