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第十一章 混沌の使徒
第200話 矛盾の霧
「――精神攻撃が来るぞ! 全員、意識をしっかり持て!」
カズエルの警告が終わる前に乳白色の『矛盾の霧』は俺たちの姿を完全に飲み込んでいった。
「みんな、離れるな!」
俺は叫んだが、その声は霧に吸い込まれ、誰にも届かない。
仲間たちの気配が急速に遠ざかっていく――。視界が白一色に染まり、方向感覚も、時間の感覚さえも曖昧になっていく。
***
俺は一人、無限に続くかのような白い空間に立っていた。足元には何も無く、ただ虚無だけが広がっている。
『お前のせいだ』
不意に背後から声がした。振り返ると、そこにいたのは安らかな顔で血を流す、エルドレアだった。
『わしの命は無駄になった。お前はわしの犠牲と引き換えに得た闇の力すら使いこなすこともできずにいる。……やはり、お前は賢者の器ではなかった』
「違う……俺は……!」
『何が違うんだ?』
今度は別の声がした。それは俺自身の声。だが、もっと年老いて覇気のない、あの頃の声。みすぼらしいシャツを着た、50代の俺――竹内悟志が嘲るように俺を見ていた。
『結局、何も変わってないじゃないか。お前は今も、誰かに与えられた力と立場の上で、英雄ごっこをしているだけ。中身は空っぽのままなんだよ』
二つの幻影が俺の心を深い場所から抉っていく。
そうだ、俺は何も成し遂げていない。全てはカイランの力、仲間たちの力、そしてエルドレアの犠牲の上に成り立っているだけ……。自分自身の価値など、どこにもないのではないか。
意識が白い霧の中へと、泥のように沈みそうになる。
その頃、仲間たちもまた、それぞれの心の迷宮に囚われていた。
***
レオナルドは見覚えのある森の議事堂にいた。彼の前にはヴァルディス一族の歴代の長たちが、巨大な石像のような威圧感を持って並んでいる。
『得体の知れぬ異界の者に付き従うとは。ヴァルディス家の名をこれ以上汚すでないわ!』
『森の伝統こそが我らの誇り。お前の剣はその誇りを傷つけている』
彼らはレオナルドが最も恐れる「一族の名誉」という名の鎖で、彼の手足を縛りつけようとしていた。切っ先が鈍る。足がすくむ。自分が信じてきた道は、ただの裏切りだったのか。
***
セリスが見ていたのは穏やかな陽光に満ちた平和なエルフェンリートの森だった。そこではヴィンドールが民に囲まれ、賢帝として慕われている。争いもなく、誰も傷つかない、完璧な世界。
『セリスよ。そなたが間違っておったのだ。見よ、私が築いた、この揺るぎない秩序と平和を。そなたがカインと共に歩む道は、ただ無益な争いと痛みを産むだけだ』
ヴィンドールの幻影が、優しく、しかし有無を言わさぬ力で彼女の信念を揺さぶる。剣を置けと、甘い毒のように囁く。
***
エルンは大書庫の、あの日の書斎にいた。目の前には尊敬してやまなかった、本来の賢者カイランがいる。その目は冷たく、失望の色を浮かべていた。
『なぜ私の器を信じる? あれはただの異邦人。お前が本当に尽くすべきだったのは私だったはずだ。お前の祈りは、偽りの偶像に向けられたものに過ぎない』
カイランの幻影が彼女を見下ろす。憧れと罪悪感が彼女の心を蝕んでいく。自分はカインを通して、カイランを見ていただけなのか?
***
ルナは独りぼっちだった。暗く、冷たい森の中。かつて仲間とはぐれ、死の恐怖に震えた、あの場所に。
『……ルナ、もう行くね』
『ごめん、足手まといだから』
遠くから、カインやエルンの声が聞こえる。彼らが自分を見捨てて去っていく幻聴。どんなに手を伸ばしても届かない。孤独という、彼女が最も恐れる悪夢が、その小さな心を覆い尽くそうとしていた。
***
絶望が六人の心を飲み込もうとした、その瞬間。
「――ふざけるな!」
俺は叫んでいた。恐怖に震える自分の足を無理やり踏みしめる。
「確かに俺の中身は空っぽだったかもしれない! 英雄の器じゃないかもしれない! ……だが!」
脳裏に浮かぶのは、セリスの剣、レオナルドの背中、エルンの祈り、ルナの笑顔、カズエルの知恵。
彼らが俺に向けてくれた信頼だけは嘘じゃない。
「その空っぽの器を仲間たちが支えてくれた! エルドレアが命を賭して守ってくれた! ならば、俺はその想いを背負って生きる! 過去の俺がどうだろうと関係ない! 俺は今の仲間たちと共に先へ進む!」
俺がそう叫んだ瞬間、目の前の幻影に光の亀裂が走っていった。
***
レオナルドは、縛り付けようとする見えない鎖をその剛腕で引きちぎった。
「黙れ、亡霊ども! 俺が守るべき誇りは、過去の栄光ではない! 今、隣で戦う友との絆だ!」
彼の双剣が一閃。歴代の長たちの像を一刀両断にする。
***
セリスは、差し出されたヴィンドールの手を払いのけた。
「傷つかないだけの世界になど意味はありません! 痛みを知り、それでも誰かを守りたいと願う……カイン殿が見せてくれた、その優しさこそが私の正義です!」
彼女は愛剣『風哭』を抜き放ち、偽りの平和な風景を切り裂いた。
***
エルンは、冷たい目をしたカイランを真っ直ぐに見返した。
「いいえ。私はカイラン様の代わりとして彼を見ているのではありません。私は……カイン、彼自身の優しさと強さを信じているのです!」
彼女の杖から放たれた温かな光が、冷たい幻影を浄化していく。
***
ルナは、耳を塞いでうずくまるのをやめた。
「うそだ! カインの手はあったかいもん! みんなの匂いはもっと優しいもん! ルナを独りになんかしない!」
彼女の体から溢れ出した野性の魔力が、暗い森を吹き飛ばす。
***
そして、カズエルは。彼は自分を取り囲む、論理的に構成された絶望のシナリオを前に鼻で笑っていた。
「……面白い。この程度のパラドックスで俺を壊せると思ったか? こんなバグだらけの理式、俺が書き換えてやる」
彼が指先を振るうと、空間に浮かぶ文字が書き換わり、牢獄は音を立てて崩壊した。
***
六人、それぞれの心が幻影を打ち破った。白い霧がガラスのように砕け散り、急速に晴れていく。気づけば、俺たちは元の広間に立っていた。
互いの姿が見える。誰も欠けてはいない。皆、肩で息をし、疲弊しきっている。だが、その瞳には自らの心の闇と向き合い、それをねじ伏せた者だけが持つ、以前よりも遥かに強く、そして澄んだ光が宿っていた。
「……どうやら、全員無事みたいだな」
俺が言うと、仲間たちは互いの顔を見合わせ、静かに、しかし力強くうなずいた。
俺たちはこの封印書庫の最大の罠を、己の意志の力で乗り越えたのだ。
カズエルの警告が終わる前に乳白色の『矛盾の霧』は俺たちの姿を完全に飲み込んでいった。
「みんな、離れるな!」
俺は叫んだが、その声は霧に吸い込まれ、誰にも届かない。
仲間たちの気配が急速に遠ざかっていく――。視界が白一色に染まり、方向感覚も、時間の感覚さえも曖昧になっていく。
***
俺は一人、無限に続くかのような白い空間に立っていた。足元には何も無く、ただ虚無だけが広がっている。
『お前のせいだ』
不意に背後から声がした。振り返ると、そこにいたのは安らかな顔で血を流す、エルドレアだった。
『わしの命は無駄になった。お前はわしの犠牲と引き換えに得た闇の力すら使いこなすこともできずにいる。……やはり、お前は賢者の器ではなかった』
「違う……俺は……!」
『何が違うんだ?』
今度は別の声がした。それは俺自身の声。だが、もっと年老いて覇気のない、あの頃の声。みすぼらしいシャツを着た、50代の俺――竹内悟志が嘲るように俺を見ていた。
『結局、何も変わってないじゃないか。お前は今も、誰かに与えられた力と立場の上で、英雄ごっこをしているだけ。中身は空っぽのままなんだよ』
二つの幻影が俺の心を深い場所から抉っていく。
そうだ、俺は何も成し遂げていない。全てはカイランの力、仲間たちの力、そしてエルドレアの犠牲の上に成り立っているだけ……。自分自身の価値など、どこにもないのではないか。
意識が白い霧の中へと、泥のように沈みそうになる。
その頃、仲間たちもまた、それぞれの心の迷宮に囚われていた。
***
レオナルドは見覚えのある森の議事堂にいた。彼の前にはヴァルディス一族の歴代の長たちが、巨大な石像のような威圧感を持って並んでいる。
『得体の知れぬ異界の者に付き従うとは。ヴァルディス家の名をこれ以上汚すでないわ!』
『森の伝統こそが我らの誇り。お前の剣はその誇りを傷つけている』
彼らはレオナルドが最も恐れる「一族の名誉」という名の鎖で、彼の手足を縛りつけようとしていた。切っ先が鈍る。足がすくむ。自分が信じてきた道は、ただの裏切りだったのか。
***
セリスが見ていたのは穏やかな陽光に満ちた平和なエルフェンリートの森だった。そこではヴィンドールが民に囲まれ、賢帝として慕われている。争いもなく、誰も傷つかない、完璧な世界。
『セリスよ。そなたが間違っておったのだ。見よ、私が築いた、この揺るぎない秩序と平和を。そなたがカインと共に歩む道は、ただ無益な争いと痛みを産むだけだ』
ヴィンドールの幻影が、優しく、しかし有無を言わさぬ力で彼女の信念を揺さぶる。剣を置けと、甘い毒のように囁く。
***
エルンは大書庫の、あの日の書斎にいた。目の前には尊敬してやまなかった、本来の賢者カイランがいる。その目は冷たく、失望の色を浮かべていた。
『なぜ私の器を信じる? あれはただの異邦人。お前が本当に尽くすべきだったのは私だったはずだ。お前の祈りは、偽りの偶像に向けられたものに過ぎない』
カイランの幻影が彼女を見下ろす。憧れと罪悪感が彼女の心を蝕んでいく。自分はカインを通して、カイランを見ていただけなのか?
***
ルナは独りぼっちだった。暗く、冷たい森の中。かつて仲間とはぐれ、死の恐怖に震えた、あの場所に。
『……ルナ、もう行くね』
『ごめん、足手まといだから』
遠くから、カインやエルンの声が聞こえる。彼らが自分を見捨てて去っていく幻聴。どんなに手を伸ばしても届かない。孤独という、彼女が最も恐れる悪夢が、その小さな心を覆い尽くそうとしていた。
***
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「――ふざけるな!」
俺は叫んでいた。恐怖に震える自分の足を無理やり踏みしめる。
「確かに俺の中身は空っぽだったかもしれない! 英雄の器じゃないかもしれない! ……だが!」
脳裏に浮かぶのは、セリスの剣、レオナルドの背中、エルンの祈り、ルナの笑顔、カズエルの知恵。
彼らが俺に向けてくれた信頼だけは嘘じゃない。
「その空っぽの器を仲間たちが支えてくれた! エルドレアが命を賭して守ってくれた! ならば、俺はその想いを背負って生きる! 過去の俺がどうだろうと関係ない! 俺は今の仲間たちと共に先へ進む!」
俺がそう叫んだ瞬間、目の前の幻影に光の亀裂が走っていった。
***
レオナルドは、縛り付けようとする見えない鎖をその剛腕で引きちぎった。
「黙れ、亡霊ども! 俺が守るべき誇りは、過去の栄光ではない! 今、隣で戦う友との絆だ!」
彼の双剣が一閃。歴代の長たちの像を一刀両断にする。
***
セリスは、差し出されたヴィンドールの手を払いのけた。
「傷つかないだけの世界になど意味はありません! 痛みを知り、それでも誰かを守りたいと願う……カイン殿が見せてくれた、その優しさこそが私の正義です!」
彼女は愛剣『風哭』を抜き放ち、偽りの平和な風景を切り裂いた。
***
エルンは、冷たい目をしたカイランを真っ直ぐに見返した。
「いいえ。私はカイラン様の代わりとして彼を見ているのではありません。私は……カイン、彼自身の優しさと強さを信じているのです!」
彼女の杖から放たれた温かな光が、冷たい幻影を浄化していく。
***
ルナは、耳を塞いでうずくまるのをやめた。
「うそだ! カインの手はあったかいもん! みんなの匂いはもっと優しいもん! ルナを独りになんかしない!」
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***
そして、カズエルは。彼は自分を取り囲む、論理的に構成された絶望のシナリオを前に鼻で笑っていた。
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***
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互いの姿が見える。誰も欠けてはいない。皆、肩で息をし、疲弊しきっている。だが、その瞳には自らの心の闇と向き合い、それをねじ伏せた者だけが持つ、以前よりも遥かに強く、そして澄んだ光が宿っていた。
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