214 / 330
第十二章 偽りの叡智と王の涙
第214話 禁書庫の沈黙
俺たちは再び『学術都市』の『大書庫』に足を踏み入れた。
以前訪れた時と変わらぬ、壮大で静謐な空間。だが、今の俺たちには、その静けさそのものが、敵の息遣いのように重苦しく感じられた。
行き交う神官たちの無関心な視線ですら、俺たちを監視し、あざ笑う『目』のように思えてしまう。
カズエルに導かれ、俺たちは一直線に『禁書庫』を管理するヴァレリウスの書斎へと向かった。
重厚な扉の前に立つ。
俺は一度深く息を吸い込み、震えそうになる手を抑えて扉をたたいた。
「……入れ」
中から聞こえてきたのは以前と変わらぬ、しかし、どこか疲れをにじませた穏やかな声だった。
その声を聞いた瞬間、張り詰めていた緊張の糸がふっと緩むのを全員が感じた。少なくとも、彼は無事だったのだ。
俺が扉を開けると、書斎の空気は以前よりもさらに澱んでいるように感じられた。
山と積まれた古文書の奥で、ヴァレリウスが顔を上げる。その顔色は蝋のように白く、目元には深い隈が刻まれていた。
だが、俺たちの姿を認めた瞬間、その死んだような瞳に生気が戻り、驚きと安堵の色が爆発した。
「おお……! カイン殿、カズエル……! それに皆も……!」
老神官は杖にすがりつくようにして立ち上がり、よろめきながら俺たちの元へと歩み寄ってきた。
「無事であったか……! 王都での死闘、この都市にまで響いておったぞ。わしはもう、お前たちが戻らぬのではないかと……」
その声は震えていた。俺は思わず駆け寄り、倒れそうになる彼の身体を支えた。
「ヴァレリウス様。……戻りました。約束通り、生きて」
「うむ、うむ……! よくぞ、よくぞ無事で……」
彼は俺の手を骨ばった両手で強く握りしめた。その手の温もりが、ここが敵地における唯一の安息所であることを実感させる。
「ヴァレリウス様こそ、ご無事で何よりです」
俺がそう言うと、彼はふと表情を曇らせ、力なく首を振った。
「いや……わしは無力じゃった。生き恥をさらしておるに過ぎん。……敵は我々のはるか上を行っておったよ」
その言葉に含まれた深い悔恨の響きに、俺たちの間に再び緊張が走る。
ヴァレリウスは俺たちに椅子を勧めると、王都へ向かった後の出来事を、絞り出すように語り始めた。
「お前たちがあの魔獣と戦っているであろう、まさにその頃じゃ。セイオンの手の者が、この禁書庫に現れた」
「……!」
「奴らは封印書庫で、お前たちが突破した罠や、破壊したゴーレムの残骸を、実に興味深げに調べておった。まるで、実験動物の行動データを収集するようにな。わしには何も手出しができなんだ。ただ、奴らが嘲笑しながら作業するのを、指をくわえて見ていることしか……」
彼は悔しそうに唇を噛みしめ、拳を膝に叩きつけた。
「奴らは、わしが『黒い石板』を隠した最奥部には、指一本触れなかった。ただ、封印書庫全体に新たな防衛理式を上書きして、去っていったのじゃ」
「新たな防衛理式……」
カズエルが険しい表情で身を乗り出す。
「どのようなものです?」
「……わしにも完全には解析できん。だが、分かることは一つ。封印庫全体が都市の中枢魔力炉と直結する、巨大な『因果律の罠』と化した。一度足を踏み入れれば二度と出ることはできん。時間と空間の概念そのものが侵入者を捕らえ、永遠にさまよわせる悪夢の迷宮じゃ」
その説明を聞いた瞬間、カズエルの顔からさっと血の気が引いていった。
プログラマーであった彼にとって、その術式がどれほど恐ろしく、そして突破が絶望的なものであるか、誰よりも理解できてしまったのだ。
「……無限ループ、それもシステムの中核(カーネル)に直結した強制的な……」
カズエルは呻くように言い、ガクリと椅子に沈み込んだ。
「無理だ。その理式は都市そのものを破壊でもしない限り、外部から解除することは不可能だ。完全に道を閉ざされた……」
その言葉は俺たちに冷たい絶望を突きつけた。
王都での勝利も、王からの勅命も、全てが無に帰した。俺たちは敵の掌の上で踊らされ、その間に目的であった『解呪の理式』への道は、物理的にも論理的にも、完全に断たれてしまったのだ。
「そんな……嘘、ですよね……?」
カラン、と乾いた音が響く。エルンが手にしていた杖を取り落とし、その場に崩れ落ちた。
「では、心を壊された者たちは……カイラン様は、もう……救えないのですか……?」
彼女の悲痛な問いかけに、誰も答えることができなかった。
重い沈黙が部屋を支配する。
俺たちが味わったのは戦いにおける敗北ではない。知略と戦略における完全な敗北だった。
どうすることもできない、という事実が、鉛のように俺たちの肩にのしかかる。
その絶望に満ちた静寂を破ったのは、ヴァレリウスの意外なほどに落ち着いた、そして底知れぬ怒りを秘めた声だった。
「……諦めるのはまだ早いぞ、賢者よ」
彼は顔を上げ、俺の目を真っ直ぐに見据えた。その瞳には老いてなお衰えぬ、反骨の炎が宿っていた。
「セイオンは一つだけ大きな過ちを犯した。奴はお前たちを、そして、わしのような老いぼれを侮りすぎたのじゃ。……奴はお前たちに、あまりにも挑発的な『置き土産』を残していきおった」
以前訪れた時と変わらぬ、壮大で静謐な空間。だが、今の俺たちには、その静けさそのものが、敵の息遣いのように重苦しく感じられた。
行き交う神官たちの無関心な視線ですら、俺たちを監視し、あざ笑う『目』のように思えてしまう。
カズエルに導かれ、俺たちは一直線に『禁書庫』を管理するヴァレリウスの書斎へと向かった。
重厚な扉の前に立つ。
俺は一度深く息を吸い込み、震えそうになる手を抑えて扉をたたいた。
「……入れ」
中から聞こえてきたのは以前と変わらぬ、しかし、どこか疲れをにじませた穏やかな声だった。
その声を聞いた瞬間、張り詰めていた緊張の糸がふっと緩むのを全員が感じた。少なくとも、彼は無事だったのだ。
俺が扉を開けると、書斎の空気は以前よりもさらに澱んでいるように感じられた。
山と積まれた古文書の奥で、ヴァレリウスが顔を上げる。その顔色は蝋のように白く、目元には深い隈が刻まれていた。
だが、俺たちの姿を認めた瞬間、その死んだような瞳に生気が戻り、驚きと安堵の色が爆発した。
「おお……! カイン殿、カズエル……! それに皆も……!」
老神官は杖にすがりつくようにして立ち上がり、よろめきながら俺たちの元へと歩み寄ってきた。
「無事であったか……! 王都での死闘、この都市にまで響いておったぞ。わしはもう、お前たちが戻らぬのではないかと……」
その声は震えていた。俺は思わず駆け寄り、倒れそうになる彼の身体を支えた。
「ヴァレリウス様。……戻りました。約束通り、生きて」
「うむ、うむ……! よくぞ、よくぞ無事で……」
彼は俺の手を骨ばった両手で強く握りしめた。その手の温もりが、ここが敵地における唯一の安息所であることを実感させる。
「ヴァレリウス様こそ、ご無事で何よりです」
俺がそう言うと、彼はふと表情を曇らせ、力なく首を振った。
「いや……わしは無力じゃった。生き恥をさらしておるに過ぎん。……敵は我々のはるか上を行っておったよ」
その言葉に含まれた深い悔恨の響きに、俺たちの間に再び緊張が走る。
ヴァレリウスは俺たちに椅子を勧めると、王都へ向かった後の出来事を、絞り出すように語り始めた。
「お前たちがあの魔獣と戦っているであろう、まさにその頃じゃ。セイオンの手の者が、この禁書庫に現れた」
「……!」
「奴らは封印書庫で、お前たちが突破した罠や、破壊したゴーレムの残骸を、実に興味深げに調べておった。まるで、実験動物の行動データを収集するようにな。わしには何も手出しができなんだ。ただ、奴らが嘲笑しながら作業するのを、指をくわえて見ていることしか……」
彼は悔しそうに唇を噛みしめ、拳を膝に叩きつけた。
「奴らは、わしが『黒い石板』を隠した最奥部には、指一本触れなかった。ただ、封印書庫全体に新たな防衛理式を上書きして、去っていったのじゃ」
「新たな防衛理式……」
カズエルが険しい表情で身を乗り出す。
「どのようなものです?」
「……わしにも完全には解析できん。だが、分かることは一つ。封印庫全体が都市の中枢魔力炉と直結する、巨大な『因果律の罠』と化した。一度足を踏み入れれば二度と出ることはできん。時間と空間の概念そのものが侵入者を捕らえ、永遠にさまよわせる悪夢の迷宮じゃ」
その説明を聞いた瞬間、カズエルの顔からさっと血の気が引いていった。
プログラマーであった彼にとって、その術式がどれほど恐ろしく、そして突破が絶望的なものであるか、誰よりも理解できてしまったのだ。
「……無限ループ、それもシステムの中核(カーネル)に直結した強制的な……」
カズエルは呻くように言い、ガクリと椅子に沈み込んだ。
「無理だ。その理式は都市そのものを破壊でもしない限り、外部から解除することは不可能だ。完全に道を閉ざされた……」
その言葉は俺たちに冷たい絶望を突きつけた。
王都での勝利も、王からの勅命も、全てが無に帰した。俺たちは敵の掌の上で踊らされ、その間に目的であった『解呪の理式』への道は、物理的にも論理的にも、完全に断たれてしまったのだ。
「そんな……嘘、ですよね……?」
カラン、と乾いた音が響く。エルンが手にしていた杖を取り落とし、その場に崩れ落ちた。
「では、心を壊された者たちは……カイラン様は、もう……救えないのですか……?」
彼女の悲痛な問いかけに、誰も答えることができなかった。
重い沈黙が部屋を支配する。
俺たちが味わったのは戦いにおける敗北ではない。知略と戦略における完全な敗北だった。
どうすることもできない、という事実が、鉛のように俺たちの肩にのしかかる。
その絶望に満ちた静寂を破ったのは、ヴァレリウスの意外なほどに落ち着いた、そして底知れぬ怒りを秘めた声だった。
「……諦めるのはまだ早いぞ、賢者よ」
彼は顔を上げ、俺の目を真っ直ぐに見据えた。その瞳には老いてなお衰えぬ、反骨の炎が宿っていた。
「セイオンは一つだけ大きな過ちを犯した。奴はお前たちを、そして、わしのような老いぼれを侮りすぎたのじゃ。……奴はお前たちに、あまりにも挑発的な『置き土産』を残していきおった」
あなたにおすすめの小説
最弱スキルも9999個集まれば最強だよね(完結)
排他的経済水域
ファンタジー
12歳の誕生日
冒険者になる事が憧れのケインは、教会にて
スキル適性値とオリジナルスキルが告げられる
強いスキルを望むケインであったが、
スキル適性値はG
オリジナルスキルも『スキル重複』というよくわからない物
友人からも家族からも馬鹿にされ、
尚最強の冒険者になる事をあきらめないケイン
そんなある日、
『スキル重複』の本来の効果を知る事となる。
その効果とは、
同じスキルを2つ以上持つ事ができ、
同系統の効果のスキルは効果が重複するという
恐ろしい物であった。
このスキルをもって、ケインの下剋上は今始まる。
HOTランキング 1位!(2023年2月21日)
ファンタジー24hポイントランキング 3位!(2023年2月21日)
少し冷めた村人少年の冒険記
mizuno sei
ファンタジー
辺境の村に生まれた少年トーマ。実は日本でシステムエンジニアとして働き、過労死した三十前の男の生まれ変わりだった。
トーマの家は貧しい農家で、神から授かった能力も、村の人たちからは「はずれギフト」とさげすまれるわけの分からないものだった。
優しい家族のために、自分の食い扶持を減らそうと家を出る決心をしたトーマは、唯一無二の相棒、「心の声」である〈ナビ〉とともに、未知の世界へと旅立つのであった。
異世界転移からふざけた事情により転生へ。日本の常識は意外と非常識。
久遠 れんり
ファンタジー
普段の、何気ない日常。
事故は、予想外に起こる。
そして、異世界転移? 転生も。
気がつけば、見たことのない森。
「おーい」
と呼べば、「グギャ」とゴブリンが答える。
その時どう行動するのか。
また、その先は……。
初期は、サバイバル。
その後人里発見と、自身の立ち位置。生活基盤を確保。
有名になって、王都へ。
日本人の常識で突き進む。
そんな感じで、進みます。
ただ主人公は、ちょっと凝り性で、行きすぎる感じの日本人。そんな傾向が少しある。
異世界側では、少し非常識かもしれない。
面白がってつけた能力、超振動が意外と無敵だったりする。
異世界転生したらたくさんスキルもらったけど今まで選ばれなかったものだった~魔王討伐は無理な気がする~
宝者来価
ファンタジー
俺は異世界転生者カドマツ。
転生理由は幼い少女を交通事故からかばったこと。
良いとこなしの日々を送っていたが女神様から異世界に転生すると説明された時にはアニメやゲームのような展開を期待したりもした。
例えばモンスターを倒して国を救いヒロインと結ばれるなど。
けれど与えられた【今まで選ばれなかったスキルが使える】 戦闘はおろか日常の役にも立つ気がしない余りものばかり。
同じ転生者でイケメン王子のレイニーに出迎えられ歓迎される。
彼は【スキル:水】を使う最強で理想的な異世界転生者に思えたのだが―――!?
※小説家になろう様にも掲載しています。
無能と呼ばれたレベル0の転生者は、効果がチートだったスキル限界突破の力で最強を目指す
紅月シン
ファンタジー
七歳の誕生日を迎えたその日に、レオン・ハーヴェイの全ては一変することになった。
才能限界0。
それが、その日レオンという少年に下されたその身の価値であった。
レベルが存在するその世界で、才能限界とはレベルの成長限界を意味する。
つまりは、レベルが0のまま一生変わらない――未来永劫一般人であることが確定してしまったのだ。
だがそんなことは、レオンにはどうでもいいことでもあった。
その結果として実家の公爵家を追放されたことも。
同日に前世の記憶を思い出したことも。
一つの出会いに比べれば、全ては些事に過ぎなかったからだ。
その出会いの果てに誓いを立てた少年は、その世界で役立たずとされているものに目を付ける。
スキル。
そして、自らのスキルである限界突破。
やがてそのスキルの意味を理解した時、少年は誓いを果たすため、世界最強を目指すことを決意するのであった。
※小説家になろう様にも投稿しています
異世界転生したおっさんが普通に生きる
カジキカジキ
ファンタジー
第18回 ファンタジー小説大賞 読者投票93位
応援頂きありがとうございました!
異世界転生したおっさんが唯一のチートだけで生き抜く世界
主人公のゴウは異世界転生した元冒険者
引退して狩をして過ごしていたが、ある日、ギルドで雇った子どもに出会い思い出す。
知識チートで町の食と環境を改善します!! ユルくのんびり過ごしたいのに、何故にこんなに忙しい!?
侯爵家三男からはじまる異世界チート冒険録 〜元プログラマー、スキルと現代知識で理想の異世界ライフ満喫中!〜【奨励賞】
のびすけ。
ファンタジー
気づけば侯爵家の三男として異世界に転生していた元プログラマー。
そこはどこか懐かしく、けれど想像以上に自由で――ちょっとだけ危険な世界。
幼い頃、命の危機をきっかけに前世の記憶が蘇り、
“とっておき”のチートで人生を再起動。
剣も魔法も、知識も商才も、全てを武器に少年は静かに準備を進めていく。
そして12歳。ついに彼は“新たなステージ”へと歩み出す。
これは、理想を形にするために動き出した少年の、
少し不思議で、ちょっとだけチートな異世界物語――その始まり。
【なろう掲載】
称号チートで異世界ハッピーライフ!~お願いしたスキルよりも女神様からもらった称号がチートすぎて無双状態です~
しらかめこう
ファンタジー
「これ、スキルよりも称号の方がチートじゃね?」
病により急死した主人公、突然現れた女神によって異世界へと転生することに?!
女神から様々なスキルを授かったが、それよりも想像以上の効果があったチート称号によって超ハイスピードで強くなっていく。
そして気づいた時にはすでに世界最強になっていた!?
そんな主人公の新しい人生が平穏であるはずもなく、行く先々で様々な面倒ごとに巻き込まれてしまう...?!
しかし、この世界で出会った友や愛するヒロインたちとの幸せで平穏な生活を手に入れるためにどんな無理難題がやってこようと最強の力で無双する!主人公たちが平穏なハッピーエンドに辿り着くまでの壮大な物語。
異世界転生の王道を行く最強無双劇!!!
ときにのんびり!そしてシリアス。楽しい異世界ライフのスタートだ!!
小説家になろう、カクヨム等、各種投稿サイトにて連載中。毎週金・土・日の18時ごろに最新話を投稿予定!!