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第十二章 偽りの叡智と王の涙
第220話 託された想い
「……レオンハルト。この私を、断罪してくれ」
アーレストの魂からの懇願。
王宮の一室は呼吸音さえ憚られるほどの痛い静寂に包まれた。誰もが若き王の次の一言を固唾をのんで待っていた。
レオンハルト王は床に額をこすりつける兄の姿をしばらくの間、ただ静かに見つめていた。その表情には王としての威厳と、一人の弟としての深い哀しみが混在している。
やがて、彼はゆっくりとアーレストの前まで歩み寄り、膝をつくと、自らの手で兄の震える肩を支えて立ち上がらせた。
「……顔を上げてください、兄上」
その声は王としてではなく、一人の弟としての温かい響きを持っていた。
「兄上が自ら罰を望むというのなら、その決意を受け止めます。……兄上には今後、この王宮の離宮にて、自らの罪と向き合い続けてもらうことになる」
それは事実上の終身刑の宣告だった。二度と表舞台には立てず、自由を奪われたまま生きていく。
だが、レオンハルト王の言葉はそこで終わらなかった。彼は兄の痩せた肩をさらに強く握りしめた。
「……ですが、兄上。一つだけ、私からの願いを聞いてはいただけませんか」
彼は兄の潤んだ目を真っ直ぐに見据えた。
「もし、この私に万が一のことがあれば……。病や戦で、私が倒れるようなことがあれば、その時は、隠してきた全ての真実を民に明かし……あなたが、この国を継いでほしいのです」
その言葉にアーレストは息を呑み、はっとしたように顔を上げた。
その瞳には、信じられないという驚愕と、そして、どうしようもないほどの感謝の色が浮かんでいた。
罰を与えるだけではない。弟は、罪人となった兄に国の未来という最上の信頼を託したのだ。たとえ、それが万が一の可能性であったとしても、「あなたはまだ、私の兄であり、王族なのだ」と伝えたに等しい。
アーレストは何も答えなかった。いや、喉が詰まって声にならなかったのだろう。
ただ、その瞳から、再び大粒の涙が静かに溢れ出した。それは、先ほどの後悔の涙とは違う、赦しと救いの涙だった。
やがて、アーレストは衛兵に付き添われ、静かに部屋を後にした。
去りゆくその背中は小さかったが、罪を背負う者の重さと、それでも前を向こうとする者の、小さな誇りを漂わせていた。
残された執務室で、レオンハルト王は俺たちに向き直り、深く頭を下げた。
「……感謝する。君たちのおかげで、私は兄を取り戻すことができた」
王冠の重圧に耐える一人の青年の、偽らざる感謝の言葉。俺たちは黙ってそれを受け止め、王宮を後にした。
屋敷に戻った俺たちは談話室の重い扉を閉め、ようやく安堵の息をついた。
外からは復興作業の槌音が聞こえてくるが、室内は嘘のように静まり返っている。誰もが先ほどの兄弟の光景を胸に刻みつけ、言葉を失っていた。
最初に沈黙を破ったのはカズエルだった。彼は冷めた紅茶を一口飲み、忌々しげにつぶやいた。
「……これが、奴らの言う『世界の進化』の、一つの結果というわけか。実に非効率的で無駄が多い。たった一つの悪意ある術式が、一国の歴史と一つの家族を、ここまで歪めてしまうとはな」
彼は今回の事件を、まるで失敗した巨大プロジェクトを分析するかのように淡々と、しかし強い侮蔑を込めて語った。
その言葉にレオナルドが反論するように口を開く。
「いや、見事だったと思う。アーレスト殿は自らの罪と向き合い、罰を受け入れた。レオンハルト陛下もまた、私情を殺し、王としての裁きと、弟としての信頼を示された。……これこそが真の王族の在り方、人の強さなのだろう」
彼の声には過酷な運命を受け入れた兄弟への、戦士としての敬意が込められていた。
「ですが、その気高い決断の裏で、どれほどの血と涙が流れたことか……」
セリスが悲痛な表情で続ける。
「操られていたとはいえ、アーレスト殿が背負う罪は消えません。彼もまた、混沌の使徒による最大の被害者の一人なのです」
彼女の言葉が、この悲劇の本質を突く。
「ええ……」
エルンもまた、自身の胸元をギュッと握りしめ、静かにうなずいた。
「解呪の理式で、魂に寄生したウイルスは消せました。ですが、魂に刻まれた記憶と深い傷跡までは癒すことはできません。……あの兄弟の心が、本当の意味で安寧を取り戻す日は来るのでしょうか」
彼女の癒やし手としての優しさが、その声ににじんでいた。病は治せても、傷跡は残る。その残酷な事実が部屋の空気を重くする。
「……なんだか悲しいね」
それまで黙って話を聞いていたルナが、膝を抱えたまま、ポツリとつぶやいた。
「せっかく悪い魔法が解けたのに、誰も笑ってないもん。王様もお兄ちゃんも泣いてた。……ルナ、ああいうの嫌だな」
子供の、あまりにも純粋で、核心を突いた言葉。
そうだ。誰も幸せになっていない。
俺たちは確かにアーレスト王子を救った。だが、そこに手放しの喜びはなかった。
あるのは、一つの家族が背負うことになった、あまりにも重い現実だけだ。
俺は窓の外に広がる、復興へ向かう王都の景色を見つめた。
ルナの言葉が、この戦いの本質を突きつけてくる。俺たちが向き合っているのは、ただ倒せば終わるような単純な悪ではない。人の心に癒えない傷を残し、救いの中にさえ悲劇を織り込む、陰湿な『理不尽』そのものだ。
ならば、俺たちが為すべきことは一つ。この連鎖を断ち切る。
胸に宿ったやりきれない思いを、次なる戦いへの揺るぎない決意へと変えながら、俺は強く、そう誓った。
アーレストの魂からの懇願。
王宮の一室は呼吸音さえ憚られるほどの痛い静寂に包まれた。誰もが若き王の次の一言を固唾をのんで待っていた。
レオンハルト王は床に額をこすりつける兄の姿をしばらくの間、ただ静かに見つめていた。その表情には王としての威厳と、一人の弟としての深い哀しみが混在している。
やがて、彼はゆっくりとアーレストの前まで歩み寄り、膝をつくと、自らの手で兄の震える肩を支えて立ち上がらせた。
「……顔を上げてください、兄上」
その声は王としてではなく、一人の弟としての温かい響きを持っていた。
「兄上が自ら罰を望むというのなら、その決意を受け止めます。……兄上には今後、この王宮の離宮にて、自らの罪と向き合い続けてもらうことになる」
それは事実上の終身刑の宣告だった。二度と表舞台には立てず、自由を奪われたまま生きていく。
だが、レオンハルト王の言葉はそこで終わらなかった。彼は兄の痩せた肩をさらに強く握りしめた。
「……ですが、兄上。一つだけ、私からの願いを聞いてはいただけませんか」
彼は兄の潤んだ目を真っ直ぐに見据えた。
「もし、この私に万が一のことがあれば……。病や戦で、私が倒れるようなことがあれば、その時は、隠してきた全ての真実を民に明かし……あなたが、この国を継いでほしいのです」
その言葉にアーレストは息を呑み、はっとしたように顔を上げた。
その瞳には、信じられないという驚愕と、そして、どうしようもないほどの感謝の色が浮かんでいた。
罰を与えるだけではない。弟は、罪人となった兄に国の未来という最上の信頼を託したのだ。たとえ、それが万が一の可能性であったとしても、「あなたはまだ、私の兄であり、王族なのだ」と伝えたに等しい。
アーレストは何も答えなかった。いや、喉が詰まって声にならなかったのだろう。
ただ、その瞳から、再び大粒の涙が静かに溢れ出した。それは、先ほどの後悔の涙とは違う、赦しと救いの涙だった。
やがて、アーレストは衛兵に付き添われ、静かに部屋を後にした。
去りゆくその背中は小さかったが、罪を背負う者の重さと、それでも前を向こうとする者の、小さな誇りを漂わせていた。
残された執務室で、レオンハルト王は俺たちに向き直り、深く頭を下げた。
「……感謝する。君たちのおかげで、私は兄を取り戻すことができた」
王冠の重圧に耐える一人の青年の、偽らざる感謝の言葉。俺たちは黙ってそれを受け止め、王宮を後にした。
屋敷に戻った俺たちは談話室の重い扉を閉め、ようやく安堵の息をついた。
外からは復興作業の槌音が聞こえてくるが、室内は嘘のように静まり返っている。誰もが先ほどの兄弟の光景を胸に刻みつけ、言葉を失っていた。
最初に沈黙を破ったのはカズエルだった。彼は冷めた紅茶を一口飲み、忌々しげにつぶやいた。
「……これが、奴らの言う『世界の進化』の、一つの結果というわけか。実に非効率的で無駄が多い。たった一つの悪意ある術式が、一国の歴史と一つの家族を、ここまで歪めてしまうとはな」
彼は今回の事件を、まるで失敗した巨大プロジェクトを分析するかのように淡々と、しかし強い侮蔑を込めて語った。
その言葉にレオナルドが反論するように口を開く。
「いや、見事だったと思う。アーレスト殿は自らの罪と向き合い、罰を受け入れた。レオンハルト陛下もまた、私情を殺し、王としての裁きと、弟としての信頼を示された。……これこそが真の王族の在り方、人の強さなのだろう」
彼の声には過酷な運命を受け入れた兄弟への、戦士としての敬意が込められていた。
「ですが、その気高い決断の裏で、どれほどの血と涙が流れたことか……」
セリスが悲痛な表情で続ける。
「操られていたとはいえ、アーレスト殿が背負う罪は消えません。彼もまた、混沌の使徒による最大の被害者の一人なのです」
彼女の言葉が、この悲劇の本質を突く。
「ええ……」
エルンもまた、自身の胸元をギュッと握りしめ、静かにうなずいた。
「解呪の理式で、魂に寄生したウイルスは消せました。ですが、魂に刻まれた記憶と深い傷跡までは癒すことはできません。……あの兄弟の心が、本当の意味で安寧を取り戻す日は来るのでしょうか」
彼女の癒やし手としての優しさが、その声ににじんでいた。病は治せても、傷跡は残る。その残酷な事実が部屋の空気を重くする。
「……なんだか悲しいね」
それまで黙って話を聞いていたルナが、膝を抱えたまま、ポツリとつぶやいた。
「せっかく悪い魔法が解けたのに、誰も笑ってないもん。王様もお兄ちゃんも泣いてた。……ルナ、ああいうの嫌だな」
子供の、あまりにも純粋で、核心を突いた言葉。
そうだ。誰も幸せになっていない。
俺たちは確かにアーレスト王子を救った。だが、そこに手放しの喜びはなかった。
あるのは、一つの家族が背負うことになった、あまりにも重い現実だけだ。
俺は窓の外に広がる、復興へ向かう王都の景色を見つめた。
ルナの言葉が、この戦いの本質を突きつけてくる。俺たちが向き合っているのは、ただ倒せば終わるような単純な悪ではない。人の心に癒えない傷を残し、救いの中にさえ悲劇を織り込む、陰湿な『理不尽』そのものだ。
ならば、俺たちが為すべきことは一つ。この連鎖を断ち切る。
胸に宿ったやりきれない思いを、次なる戦いへの揺るぎない決意へと変えながら、俺は強く、そう誓った。
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