50代無職、エルフに転生で異世界ざわつく

かわさきはっく

文字の大きさ
230 / 330
第十三章 英雄の喧騒と誓いの言葉

第230話 魂の救済

 再び足を踏み入れた『嘆きの谷』は、完全な沈黙に支配されていた。
 前回訪れた時にあった、争いの後の虚脱した空気とも違う。まるで、この谷から生命そのものが根こそぎ消え去ってしまったかのような、空虚で、底なしの静けさだった。
 風が岩肌を撫でる音だけが、ヒュウ、ヒュウと、亡霊のむせび泣きのように響いている。

「……誰も、いない」

 先頭を歩いていたレオナルドが、双剣の柄を握りしめたまま、低い声でつぶやいた。
 道中、俺たちは一体の魔族ともすれ違わなかった。住居だったはずの洞穴は、どれも人の気配がなく、ただ冷たい闇が口を開けているだけだ。

「おかしいよ、カイン……」

 ルナが俺のローブをギュッと掴み、怯えたようにささやく。

「前回は悲しい気持ちがいっぱいだったけど……今は、何も、ない。本当に空っぽ……。匂いすらしないの」

 俺たちの足は自然と、かつて谷の老師がいた洞窟へと向かっていた。
 彼に預けた二人の魔族の安否を確認するために。そして、アーカイメリアで手に入れた希望を彼らに届けるために。
 俺の後ろではリナとセリシアが青ざめた顔で、カズエルの背中に隠れるようにして震えていた。彼女たちも本能で悟っているのだ。ここが異常な場所であると。

 だが、たどり着いた洞窟の中に老師の姿はなかった。
 使いかけの食器、消えた焚き火の跡。生活の痕跡はそのまま残っている。
 しかし、そこは無人で――床の中央に、わずかに黒く変色したタールのような染みがこびりついているだけだった。

「……老師?」

 エルンが、か細い声で呼びかけるが、返ってくるのは虚しい反響音だけだ。
 あの二人の魔族も、もちろんいない。俺の背筋を言いようのない悪寒が走り抜けた。

「……手遅れ、だったとでも言うのか……」

 俺が呆然ぼうぜんとつぶやいた、その時だった。
 洞窟の入り口の影が、ゆらり、と不自然に揺らめいた。

「――手遅れではない。むしろ、ようやく静かになったところだ」

 その声に、俺たちは一斉に振り返った。
 いつの間にか、入り口には一人の男が立っていた。闇夜よりも深い漆黒の礼服をまとい、白磁はくじのような肌を持つ貴人。その真紅の瞳はまるで面白い芝居でも観劇するかのように薄く細められていた。

「マルヴェス……! この谷で何があった? 老師は、俺たちが預けた二人は、どこだ!」

 俺は一歩踏み出し、怒りを込めて問い詰めた。

「俺たちは、『解呪の理式』を手に入れて戻ってきたんだ。心を壊された者たちを、救うために!」

 その言葉にマルヴェスは、心底意外だというように、わずかに目を見開いた。

「ほう……『解呪の理式』、か。あの悪趣味な術を解く方法を、お前たちが? ……それは実に興味深い」

 彼は感心したようにうなずくと、残酷なほどに穏やかな声で続けた。

「だが、残念だったな。お前たちが探している者たちなら、私がすでに『救済』した」

「……なんだと?」

「心を喰われ、もはや元に戻ることのない哀れな魂たちを、苦しみから解放してやったのだ。……これは、慈悲だ」

 マルヴェスの言葉に俺の頭が真っ白になる。救済。解放。慈悲。美しい言葉で飾られているが、その意味するところは一つしかない。

「だが、問題はその後だ。彼らと同じように狂気に陥る者が後を絶たなかった。この『熱病』は、あるいは感染するのかもしれん。……だから、決めたのだ」

 彼は庭の雑草を抜いた話でもするかのように、軽く肩をすくめた。

「これ以上の醜い喧騒が生まれぬよう、この谷の全ての者に、等しく静寂を与えることにした」

「……全員?」

 エルンの声が絶望に震える。

「そうだ。全員だ」

 マルヴェスは、こともなげに断言した。

「常に静寂であれとは言わん。だが、私が静かにしろと言ったなら、その時は静かにするべきなのだ」

 その神の如き傲慢さ。あまりにも異質で絶対的な論理。
 俺たちは言葉を失った。この男にとって他者の命など、騒音を出すか出さないか、それだけの価値しかないのだ。

「な……なんて、ことを……」

「それは救済などではない! ただの虐殺だ!」

 レオナルドとセリスが、怒りに震えながら抗議する。
 だが、マルヴェスは彼らの怒りなど意に介さない。ただ、袖についた見えない埃を払う仕草を見せただけだ。

「君たちの正義は君たちのものだ。好きに吠えればいい。だが……私の美学を乱すことは許さん」

 彼の道理には俺たちの言葉など何一つ届かなかった。
 希望を携えて戻ってきたこの場所は、たった一人の男の歪んだ美学によって、巨大な墓標へと変わっていた。
 俺たちは、そのあまりにも残酷な現実を前に、ただ、立ち尽くすことしかできなかった。
感想 0

あなたにおすすめの小説

最弱スキルも9999個集まれば最強だよね(完結)

排他的経済水域
ファンタジー
12歳の誕生日 冒険者になる事が憧れのケインは、教会にて スキル適性値とオリジナルスキルが告げられる 強いスキルを望むケインであったが、 スキル適性値はG オリジナルスキルも『スキル重複』というよくわからない物 友人からも家族からも馬鹿にされ、 尚最強の冒険者になる事をあきらめないケイン そんなある日、 『スキル重複』の本来の効果を知る事となる。 その効果とは、 同じスキルを2つ以上持つ事ができ、 同系統の効果のスキルは効果が重複するという 恐ろしい物であった。 このスキルをもって、ケインの下剋上は今始まる。      HOTランキング 1位!(2023年2月21日) ファンタジー24hポイントランキング 3位!(2023年2月21日)

少し冷めた村人少年の冒険記

mizuno sei
ファンタジー
 辺境の村に生まれた少年トーマ。実は日本でシステムエンジニアとして働き、過労死した三十前の男の生まれ変わりだった。  トーマの家は貧しい農家で、神から授かった能力も、村の人たちからは「はずれギフト」とさげすまれるわけの分からないものだった。  優しい家族のために、自分の食い扶持を減らそうと家を出る決心をしたトーマは、唯一無二の相棒、「心の声」である〈ナビ〉とともに、未知の世界へと旅立つのであった。

異世界転移からふざけた事情により転生へ。日本の常識は意外と非常識。

久遠 れんり
ファンタジー
普段の、何気ない日常。 事故は、予想外に起こる。 そして、異世界転移? 転生も。 気がつけば、見たことのない森。 「おーい」 と呼べば、「グギャ」とゴブリンが答える。 その時どう行動するのか。 また、その先は……。 初期は、サバイバル。 その後人里発見と、自身の立ち位置。生活基盤を確保。 有名になって、王都へ。 日本人の常識で突き進む。 そんな感じで、進みます。 ただ主人公は、ちょっと凝り性で、行きすぎる感じの日本人。そんな傾向が少しある。 異世界側では、少し非常識かもしれない。 面白がってつけた能力、超振動が意外と無敵だったりする。

異世界転生したらたくさんスキルもらったけど今まで選ばれなかったものだった~魔王討伐は無理な気がする~

宝者来価
ファンタジー
俺は異世界転生者カドマツ。 転生理由は幼い少女を交通事故からかばったこと。 良いとこなしの日々を送っていたが女神様から異世界に転生すると説明された時にはアニメやゲームのような展開を期待したりもした。 例えばモンスターを倒して国を救いヒロインと結ばれるなど。 けれど与えられた【今まで選ばれなかったスキルが使える】 戦闘はおろか日常の役にも立つ気がしない余りものばかり。 同じ転生者でイケメン王子のレイニーに出迎えられ歓迎される。 彼は【スキル:水】を使う最強で理想的な異世界転生者に思えたのだが―――!? ※小説家になろう様にも掲載しています。

無能と呼ばれたレベル0の転生者は、効果がチートだったスキル限界突破の力で最強を目指す

紅月シン
ファンタジー
 七歳の誕生日を迎えたその日に、レオン・ハーヴェイの全ては一変することになった。  才能限界0。  それが、その日レオンという少年に下されたその身の価値であった。  レベルが存在するその世界で、才能限界とはレベルの成長限界を意味する。  つまりは、レベルが0のまま一生変わらない――未来永劫一般人であることが確定してしまったのだ。  だがそんなことは、レオンにはどうでもいいことでもあった。  その結果として実家の公爵家を追放されたことも。  同日に前世の記憶を思い出したことも。  一つの出会いに比べれば、全ては些事に過ぎなかったからだ。  その出会いの果てに誓いを立てた少年は、その世界で役立たずとされているものに目を付ける。  スキル。  そして、自らのスキルである限界突破。  やがてそのスキルの意味を理解した時、少年は誓いを果たすため、世界最強を目指すことを決意するのであった。 ※小説家になろう様にも投稿しています

異世界転生したおっさんが普通に生きる

カジキカジキ
ファンタジー
 第18回 ファンタジー小説大賞 読者投票93位 応援頂きありがとうございました!  異世界転生したおっさんが唯一のチートだけで生き抜く世界  主人公のゴウは異世界転生した元冒険者  引退して狩をして過ごしていたが、ある日、ギルドで雇った子どもに出会い思い出す。  知識チートで町の食と環境を改善します!! ユルくのんびり過ごしたいのに、何故にこんなに忙しい!?

侯爵家三男からはじまる異世界チート冒険録 〜元プログラマー、スキルと現代知識で理想の異世界ライフ満喫中!〜【奨励賞】

のびすけ。
ファンタジー
気づけば侯爵家の三男として異世界に転生していた元プログラマー。 そこはどこか懐かしく、けれど想像以上に自由で――ちょっとだけ危険な世界。 幼い頃、命の危機をきっかけに前世の記憶が蘇り、 “とっておき”のチートで人生を再起動。 剣も魔法も、知識も商才も、全てを武器に少年は静かに準備を進めていく。 そして12歳。ついに彼は“新たなステージ”へと歩み出す。 これは、理想を形にするために動き出した少年の、 少し不思議で、ちょっとだけチートな異世界物語――その始まり。 【なろう掲載】

称号チートで異世界ハッピーライフ!~お願いしたスキルよりも女神様からもらった称号がチートすぎて無双状態です~

しらかめこう
ファンタジー
「これ、スキルよりも称号の方がチートじゃね?」 病により急死した主人公、突然現れた女神によって異世界へと転生することに?! 女神から様々なスキルを授かったが、それよりも想像以上の効果があったチート称号によって超ハイスピードで強くなっていく。 そして気づいた時にはすでに世界最強になっていた!? そんな主人公の新しい人生が平穏であるはずもなく、行く先々で様々な面倒ごとに巻き込まれてしまう...?! しかし、この世界で出会った友や愛するヒロインたちとの幸せで平穏な生活を手に入れるためにどんな無理難題がやってこようと最強の力で無双する!主人公たちが平穏なハッピーエンドに辿り着くまでの壮大な物語。 異世界転生の王道を行く最強無双劇!!! ときにのんびり!そしてシリアス。楽しい異世界ライフのスタートだ!! 小説家になろう、カクヨム等、各種投稿サイトにて連載中。毎週金・土・日の18時ごろに最新話を投稿予定!!