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第十三章 英雄の喧騒と誓いの言葉
第234話 熱病の正体
屋敷の中へと、どうにか逃げ込むことはできた。
執事たちが総出で重厚な両開きの扉を閉ざし、さらに閂を下ろす。
だが、分厚い扉の向こうからは今もなお、俺たちの名を呼ぶ声や、使者たちの言い争う怒号が、地響きのように途切れることなく聞こえてくる。
俺たちは広間の暖炉の前に集まり、その異常なまでの喧騒に、ただ言葉を失っていた。
「……マルヴェスの言っていた『新たな病巣』。……まさか、これのことだったのか?」
俺が絞り出すようにつぶやくと、カズエルが眼鏡の奥の目で冷徹に状況を分析し始めた。
「目的はなんだ? 縁談を利用して特定の国が俺たちを自陣営に取り込もうとしている? いや、それだけじゃない。三国が同時に動いている。これは、俺たちの行動を縛り、外交問題に発展させ、孤立させるための極めて巧妙な一手か?」
「剣も魔法も通用しない、最も厄介な戦場、か。……人の欲望とは、かくも醜いものか」
レオナルドが吐き捨てるように言った。
その時、これまで黙っていたセリスが鋭く問題の核心を突いた。
「ですが、解せません。私たちが王都に戻ってきた、まさにこのタイミングで、なぜ、三国が示し合わせたように同時に? まるで、私たちの帰還を事前に知っていたかのように……。情報がどこかから漏れているとしか思えません」
その言葉に全員の視線が、部屋の隅で、ただおろおろと身を寄せ合っている二人の少女へと突き刺さった。
リナとセリシア。このパーティに加わった、唯一の「不確定要素」。
「……ち、違います! 私たちは何も……! 信じてください!」
リナが涙ながらに首を横に振る。セリシアもまた、青ざめた顔で、ただ震えている。
「カズエル、エルン」
俺は二人に目配せした。ここまできて、情けをかけるわけにはいかない。
「調べてくれ。彼女たちの魂に何者かの手が加えられていないか。精神操作、あるいは隷属の魔法……そういったものを」
カズエルとエルンは静かにうなずくと、二人の前に進み出た。
「少し、失礼する」
カズエルは、リナの瞳を覗き込みながら、指先で空中に複雑な理式を編んでいく。思考を探るための診断術式だ。
エルンもまた、セリシアの額にそっと手を当て、その魂の状態を精霊の力を通して静かに読み取っていく。
数分間の、息が詰まるような沈黙。
やがて、二人は、ほぼ同時に顔を上げた。
そして、互いの顔を見合わせ、信じられないといったように首を横に振った。
「……嘘だろ」
カズエルが初めてその冷静な仮面の下の動揺を露わにした。
「論理的な矛盾も、外部から強制された命令も、何一つない。……彼女の思考は完全に彼女自身のものだ」
「……私の方も、同じです」
エルンもまた、困惑した声で続けた。
「魔術的な干渉の痕跡は一切ありません。彼女たちの魂はどこまでも清浄なままです。……嘘をついている色すら、ありません」
「魔法じゃない……? 洗脳されていないというのか?」
俺はリナとセリシアに向き直った。
「正直に話してほしい。どうしてあそこまでして、俺たちに同行しようと思ったんだ? ……君たちを誰かが焚きつけたりはしなかったか?」
俺の真剣な問いに、リナは、ぽつり、ぽつりと語り始めた。
「……王都の酒場で旅の商人から聞いたんです。『双冠の英雄カイン様は、その偉大さ故に誰にも本当の心を明かせず、孤独に苦しんでいる。彼の隣で太陽のように笑ってくれる素直な女性こそが、今、彼には必要なんだ』って……。だから、私が行かなきゃって……」
続いて、セリシアも、か細い声で告白した。
「私も……神殿で年配の学者様から……。『神授の媒介者であるカズエル様は、その類まれな頭脳を酷使するあまり、ご自身の体を全く顧みない。このままでは世界の宝が失われてしまう。彼が研究に集中できるよう、身の回りのお世話をする献身的な女性が必要だ』と……」
二人の話を聞き、俺たちは全てを悟った。
旅の商人、年配の学者――姿も名前も違う、しかし、間違いなく『混沌の使徒』に繋がる第三者。
奴らは魔法など使っていなかった。
ただ、二人の純粋な善意と歪んだ使命感を巧妙な言葉で煽り、利用しただけなのだ。
その、あまりにも悪質な手口に俺たちが戦慄していた、その時。
カズエルが窓の外で未だに騒ぎ続けている求婚者たちの群衆を一瞥し、そして、静かに結論を口にした。
「……そうか。彼女たちだけじゃない。外にいる、あの求婚者たちも、同じ手口かもしれないな」
彼の言葉に場が凍りついた。
「もし、あの令嬢たちや使者たちにも、彼女たちと同じように、それぞれに合わせた『物語』が吹き込まれているとしたら? 『英雄との縁組こそが国を救う道だ』、『この好機を逃せば、国が滅ぶ』……あるいは『英雄が助けを求めている』といった巧妙なデマが」
カズエルは指先でこめかみを叩いた。
「これは魔法を使わない、極めて大規模な心理誘導だ。……それこそが、今起こっている事態なのかもしれない」
熱病の正体。それは、人の心を直接操る魔術だけではないようだ。
情報と言葉で人の善意と不安を煽り、社会そのものを内側から狂わせていく、恐ろしい「思想の感染」でもあったのだ。
俺たちは、その見えざる敵の本当の恐ろしさを、ようやく理解した。
執事たちが総出で重厚な両開きの扉を閉ざし、さらに閂を下ろす。
だが、分厚い扉の向こうからは今もなお、俺たちの名を呼ぶ声や、使者たちの言い争う怒号が、地響きのように途切れることなく聞こえてくる。
俺たちは広間の暖炉の前に集まり、その異常なまでの喧騒に、ただ言葉を失っていた。
「……マルヴェスの言っていた『新たな病巣』。……まさか、これのことだったのか?」
俺が絞り出すようにつぶやくと、カズエルが眼鏡の奥の目で冷徹に状況を分析し始めた。
「目的はなんだ? 縁談を利用して特定の国が俺たちを自陣営に取り込もうとしている? いや、それだけじゃない。三国が同時に動いている。これは、俺たちの行動を縛り、外交問題に発展させ、孤立させるための極めて巧妙な一手か?」
「剣も魔法も通用しない、最も厄介な戦場、か。……人の欲望とは、かくも醜いものか」
レオナルドが吐き捨てるように言った。
その時、これまで黙っていたセリスが鋭く問題の核心を突いた。
「ですが、解せません。私たちが王都に戻ってきた、まさにこのタイミングで、なぜ、三国が示し合わせたように同時に? まるで、私たちの帰還を事前に知っていたかのように……。情報がどこかから漏れているとしか思えません」
その言葉に全員の視線が、部屋の隅で、ただおろおろと身を寄せ合っている二人の少女へと突き刺さった。
リナとセリシア。このパーティに加わった、唯一の「不確定要素」。
「……ち、違います! 私たちは何も……! 信じてください!」
リナが涙ながらに首を横に振る。セリシアもまた、青ざめた顔で、ただ震えている。
「カズエル、エルン」
俺は二人に目配せした。ここまできて、情けをかけるわけにはいかない。
「調べてくれ。彼女たちの魂に何者かの手が加えられていないか。精神操作、あるいは隷属の魔法……そういったものを」
カズエルとエルンは静かにうなずくと、二人の前に進み出た。
「少し、失礼する」
カズエルは、リナの瞳を覗き込みながら、指先で空中に複雑な理式を編んでいく。思考を探るための診断術式だ。
エルンもまた、セリシアの額にそっと手を当て、その魂の状態を精霊の力を通して静かに読み取っていく。
数分間の、息が詰まるような沈黙。
やがて、二人は、ほぼ同時に顔を上げた。
そして、互いの顔を見合わせ、信じられないといったように首を横に振った。
「……嘘だろ」
カズエルが初めてその冷静な仮面の下の動揺を露わにした。
「論理的な矛盾も、外部から強制された命令も、何一つない。……彼女の思考は完全に彼女自身のものだ」
「……私の方も、同じです」
エルンもまた、困惑した声で続けた。
「魔術的な干渉の痕跡は一切ありません。彼女たちの魂はどこまでも清浄なままです。……嘘をついている色すら、ありません」
「魔法じゃない……? 洗脳されていないというのか?」
俺はリナとセリシアに向き直った。
「正直に話してほしい。どうしてあそこまでして、俺たちに同行しようと思ったんだ? ……君たちを誰かが焚きつけたりはしなかったか?」
俺の真剣な問いに、リナは、ぽつり、ぽつりと語り始めた。
「……王都の酒場で旅の商人から聞いたんです。『双冠の英雄カイン様は、その偉大さ故に誰にも本当の心を明かせず、孤独に苦しんでいる。彼の隣で太陽のように笑ってくれる素直な女性こそが、今、彼には必要なんだ』って……。だから、私が行かなきゃって……」
続いて、セリシアも、か細い声で告白した。
「私も……神殿で年配の学者様から……。『神授の媒介者であるカズエル様は、その類まれな頭脳を酷使するあまり、ご自身の体を全く顧みない。このままでは世界の宝が失われてしまう。彼が研究に集中できるよう、身の回りのお世話をする献身的な女性が必要だ』と……」
二人の話を聞き、俺たちは全てを悟った。
旅の商人、年配の学者――姿も名前も違う、しかし、間違いなく『混沌の使徒』に繋がる第三者。
奴らは魔法など使っていなかった。
ただ、二人の純粋な善意と歪んだ使命感を巧妙な言葉で煽り、利用しただけなのだ。
その、あまりにも悪質な手口に俺たちが戦慄していた、その時。
カズエルが窓の外で未だに騒ぎ続けている求婚者たちの群衆を一瞥し、そして、静かに結論を口にした。
「……そうか。彼女たちだけじゃない。外にいる、あの求婚者たちも、同じ手口かもしれないな」
彼の言葉に場が凍りついた。
「もし、あの令嬢たちや使者たちにも、彼女たちと同じように、それぞれに合わせた『物語』が吹き込まれているとしたら? 『英雄との縁組こそが国を救う道だ』、『この好機を逃せば、国が滅ぶ』……あるいは『英雄が助けを求めている』といった巧妙なデマが」
カズエルは指先でこめかみを叩いた。
「これは魔法を使わない、極めて大規模な心理誘導だ。……それこそが、今起こっている事態なのかもしれない」
熱病の正体。それは、人の心を直接操る魔術だけではないようだ。
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俺たちは、その見えざる敵の本当の恐ろしさを、ようやく理解した。
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