50代無職、エルフに転生で異世界ざわつく

かわさきはっく

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第十五章 マグナ・イグニスの目覚め

第261話 氷獄の理式

 俺たちは再びあの灼熱の盆地へと戻っていた。
 だが、その瞳に宿るのは、もはや敗北の絶望ではない。不可能を可能にするという、無謀で、しかし唯一の希望を胸にした、戦士たちの覚悟だった。

「……ここだ」

 カズエルは盆地を見渡せる小高い丘の上、いくつかの岩が同心円状に並ぶ場所で足を止めた。

「この場所が霊峰の地脈が最も強く交差する特異点だ。ここからなら、山全体の熱エネルギー干渉が可能になる」

 彼はそう言うと、持っていた鞄から数本の水晶の杭と、銀色の粉末が入った小瓶を取り出した。そして、俺たちに最後の指示を出す。

「これから俺は理式の構築に入る。演算完了まで、おそらく一時間以上はかかるだろう。その間、何があっても俺はこの場を動けないし、意識を外部に向けられない。……つまり、俺の命は皆に預ける」

「ああ、任せろ」

 俺は短く、しかし力強くうなずいた。

「何人たりとも、お前には指一本触れさせん」

 カズエルは俺たちの覚悟を確認すると、円の中心に座し、深く集中し始めた。
 彼が指先を走らせると、周囲に淡い蒼光を放つ理式の紋様が浮かび上がる。それは通常の魔法陣のような円環ではなく、複雑な数式と幾何学模様きかがくもようが立体的に組み合わさった美しい構造体だった。

 俺たちはそのカズエルを守るように四方に散開し、警戒態勢に入った。
 レオナルドとセリスが前衛、エルンが後方支援、そして俺は遊撃。ルナはその鋭敏な感覚で敵の気配を探る俺たちの目だ。

 張り詰めた時間がゆっくりと流れていく。
 
 その静寂を最初に破ったのはルナの鋭い警告だった。

「来たよ! 右手の岩陰から、三体!」

 その声と同時に竜の目覚めに引き寄せられたのであろう、鱗を持つ魔獣たちが、地を蹴って襲いかかってきた。 

「させん!」

 レオナルドの双剣が、一番に飛び出した魔獣の喉を切り裂く。
 セリスもまた、流れるような剣技で二体目の攻撃を受け流し、その体勢が崩れたところを深々と貫いた。

「残るは一体!」

「――光の矢ルミナス・レイ!」

 エルンの放った光の矢が最後の魔獣の眉間を正確に撃ち抜き、その動きを完全に止めた。
 戦闘は一瞬で終わった。だが、これはただの始まりに過ぎなかった。

「また来るよ! 今度は左の後方から! 数が多いかも!」 

 ルナの的確な指示が休む間もなく飛ぶ。

 俺たちはカズエルの演算を中断させまいと必死に、そして完璧な連携で、次々と現れる魔獣たちを迎撃し続けた。

 長い、長い緊張に満ちた時間が過ぎた。
 斬り伏せた魔獣の死体が小山を築き、仲間たちの呼吸は荒くなっている。その額には玉のような汗が浮かび、疲労の色は濃い。
 だが、その瞳の光は決して揺らいではいなかった。

 そして――ついにその時が来た。

 カズエルの周囲に展開されていた幾何学模様きかがくもようが、パズルのピースがハマるように収束し、一つの巨大な式を完成させる。

「熱量変換……座標固定。全エネルギーの位相を反転する」

 彼の静かだが、世界に響き渡るかのような声が告げる。

「――理式展開。絶対零度領域アブソリュート・ゼロ

 次の瞬間。世界から音と熱が消滅した。

 カチリ、と空気が凍る音が響く。

 俺たちの足元から、絶対的な冷気が衝撃波のように広がっていく。
 灼熱を帯びていた赤黒い大地は瞬時に白亜の氷原へと上書きされ、川のように流れていた溶岩は黒い煙を上げる間もなく、その赤熱を残したままガラスのように凍りついた。

 竜の巣がある盆地全体が、一瞬にして極寒の氷獄へと変貌していく。

 ダイヤモンドダストが舞う中、あまりにも壮絶で美しいその光景を前に、俺たちはただ、息を呑むことしかできなかった。

 カズエルが、この戦いを全く新しいステージへと引き上げたのだ。
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