310 / 330
最終章 零(ゼロ)の賢者
第310話 内なる声
その夜、エルフェンリートの森は季節外れの嵐に見舞われた。
風が唸りを上げて木々を揺らし、叩きつけるような激しい雨が賢者の住居の窓を濡らす。まるで、俺の心の荒れ模様が、そのまま世界の天候に反映されたかのようだった。
俺は書斎の椅子に深く身を沈め、一人、窓の外で荒れ狂う闇を見つめていた。アルヴィンの言葉が脳裏から離れない。
『既存の秩序を自らの手で破壊してでも』
親友の息子が放った、あまりにも真っ直ぐで、そしてあまりにも危険な言葉。
それは俺が心の奥底で感じていながらも、必死に蓋をしていた感情を容赦なく抉り出した。
(俺は何をしている……?)
賢者として森の民に敬われ、穏やかな日々を送る。
だが、その実態はなんだ? ただ美しい置物として、この静かな檻の中で、緩やかに魂が摩耗していくのを待っているだけではないか。
かつて、竹内悟志だった頃の俺。社会から必要とされず、変化のない毎日の中でただ無力感に苛まれていたあの頃の俺と今の俺に一体何の違いがあるというのだ。
セイオンを討ち、世界に平和をもたらした。
だが、その結果生まれたのが、この希望のない停滞だというのなら、俺は本当に世界を救ったと言えるのか? むしろ世界を窒息させているのはこの俺自身なのではないか?
自己否定と苦悩が頂点に達した、その瞬間だった。俺の魂の最も深い場所で、二百年以上もの間、固く閉ざされていた扉が、ギギ……と軋むような音を立てて開いた。
ぞわり、と。全身の肌が粟立つような異質な感覚。
俺の内に眠っていた異質な力が、俺の心の揺らぎに呼応するかのように、ドクンと脈動を始めたのだ。
エルドレアの死と引き換えに、カイランがその身に受けた、闇の大精霊ノクスとの契約。その、忘れかけていたはずの力が今、俺の絶望を極上の糧として、存在を主張し始めていた。
『……力が欲しいか?』
声がした。それはカイランの声ではない。
もっと深く、冷たく、そして抗いがたいほどに甘美な響きを持つ、深淵からの声。
「……誰だ?」
『我はお前自身だ。お前が理性の皮を被って目を背けてきた、渇望そのものだ』
声は嘲笑うように続ける。
『お前はこの停滞を憂いている。この腐敗を憎んでいる。ならば壊せばいい。お前の手で、この偽りの平和を粉々に砕いてしまえばいい』
その言葉は悪魔の囁きのように俺の心の隙間に染み込んでくる。
そうだ。俺には力がある。この世界を俺の好きなように作り変える力が。
俺の身体から、どす黒い靄のようなオーラが立ち上り始めた。
部屋の空気が急速に凍てつき、テーブルの上の水差しがカタカタと震え、ひび割れる。
闇の力が俺の渇望と共鳴し、理性を内側から食い破ろうとしていた。
俺が、その心地よい衝動に身を委ねようとした、その時。
『――待てッ』
別の声が頭の中に響いた。弱々しい、しかし必死な、どこか懐かしいあの声。
(……カイラン……!?)
『その力に心を委ねるな。それはお前を救いはしない。ただ深淵へと引きずり込むだけだ』
二百年の沈黙を破り、俺の中に眠るカイランの意識が、闇の奔流に抗うかのように浮上してきたのだ。
『……我の誘いは、いらぬか。契約者よ』
闇の声が嗤う。
俺の頭の中で二つの意思がせめぎ合う。
変化を促す甘美な闇の囁き。それを制止し、踏みとどまらせようとする理性の光の声。
「ぐ……っ、あああああっ!」
俺は頭を抱え、その場にうずくまった。
魂が二つに引き裂かれるような激しい苦痛。視界が明滅し、意識が混濁する。
嵐はもはや窓の外だけではなかった。俺の内側で光と闇の壮絶な戦いが始まっていた。
***
隣室で、そのただならぬ気配を察したエルンが、ベッドから跳ね起きた。
禍々しくも悲しい魔力の波動が、まるで悲鳴を上げているようだった。
「カイン……! あなたの心に、一体何が……」
彼女は杖を握りしめ、顔色を変えて部屋を飛び出した。
森の賢者は今、自らの魂の嵐の中で一人、断崖絶壁に立っていた。
その先に待つのが光か、それとも永遠の闇か。その答えをまだ誰も知らなかった。
風が唸りを上げて木々を揺らし、叩きつけるような激しい雨が賢者の住居の窓を濡らす。まるで、俺の心の荒れ模様が、そのまま世界の天候に反映されたかのようだった。
俺は書斎の椅子に深く身を沈め、一人、窓の外で荒れ狂う闇を見つめていた。アルヴィンの言葉が脳裏から離れない。
『既存の秩序を自らの手で破壊してでも』
親友の息子が放った、あまりにも真っ直ぐで、そしてあまりにも危険な言葉。
それは俺が心の奥底で感じていながらも、必死に蓋をしていた感情を容赦なく抉り出した。
(俺は何をしている……?)
賢者として森の民に敬われ、穏やかな日々を送る。
だが、その実態はなんだ? ただ美しい置物として、この静かな檻の中で、緩やかに魂が摩耗していくのを待っているだけではないか。
かつて、竹内悟志だった頃の俺。社会から必要とされず、変化のない毎日の中でただ無力感に苛まれていたあの頃の俺と今の俺に一体何の違いがあるというのだ。
セイオンを討ち、世界に平和をもたらした。
だが、その結果生まれたのが、この希望のない停滞だというのなら、俺は本当に世界を救ったと言えるのか? むしろ世界を窒息させているのはこの俺自身なのではないか?
自己否定と苦悩が頂点に達した、その瞬間だった。俺の魂の最も深い場所で、二百年以上もの間、固く閉ざされていた扉が、ギギ……と軋むような音を立てて開いた。
ぞわり、と。全身の肌が粟立つような異質な感覚。
俺の内に眠っていた異質な力が、俺の心の揺らぎに呼応するかのように、ドクンと脈動を始めたのだ。
エルドレアの死と引き換えに、カイランがその身に受けた、闇の大精霊ノクスとの契約。その、忘れかけていたはずの力が今、俺の絶望を極上の糧として、存在を主張し始めていた。
『……力が欲しいか?』
声がした。それはカイランの声ではない。
もっと深く、冷たく、そして抗いがたいほどに甘美な響きを持つ、深淵からの声。
「……誰だ?」
『我はお前自身だ。お前が理性の皮を被って目を背けてきた、渇望そのものだ』
声は嘲笑うように続ける。
『お前はこの停滞を憂いている。この腐敗を憎んでいる。ならば壊せばいい。お前の手で、この偽りの平和を粉々に砕いてしまえばいい』
その言葉は悪魔の囁きのように俺の心の隙間に染み込んでくる。
そうだ。俺には力がある。この世界を俺の好きなように作り変える力が。
俺の身体から、どす黒い靄のようなオーラが立ち上り始めた。
部屋の空気が急速に凍てつき、テーブルの上の水差しがカタカタと震え、ひび割れる。
闇の力が俺の渇望と共鳴し、理性を内側から食い破ろうとしていた。
俺が、その心地よい衝動に身を委ねようとした、その時。
『――待てッ』
別の声が頭の中に響いた。弱々しい、しかし必死な、どこか懐かしいあの声。
(……カイラン……!?)
『その力に心を委ねるな。それはお前を救いはしない。ただ深淵へと引きずり込むだけだ』
二百年の沈黙を破り、俺の中に眠るカイランの意識が、闇の奔流に抗うかのように浮上してきたのだ。
『……我の誘いは、いらぬか。契約者よ』
闇の声が嗤う。
俺の頭の中で二つの意思がせめぎ合う。
変化を促す甘美な闇の囁き。それを制止し、踏みとどまらせようとする理性の光の声。
「ぐ……っ、あああああっ!」
俺は頭を抱え、その場にうずくまった。
魂が二つに引き裂かれるような激しい苦痛。視界が明滅し、意識が混濁する。
嵐はもはや窓の外だけではなかった。俺の内側で光と闇の壮絶な戦いが始まっていた。
***
隣室で、そのただならぬ気配を察したエルンが、ベッドから跳ね起きた。
禍々しくも悲しい魔力の波動が、まるで悲鳴を上げているようだった。
「カイン……! あなたの心に、一体何が……」
彼女は杖を握りしめ、顔色を変えて部屋を飛び出した。
森の賢者は今、自らの魂の嵐の中で一人、断崖絶壁に立っていた。
その先に待つのが光か、それとも永遠の闇か。その答えをまだ誰も知らなかった。
あなたにおすすめの小説
最弱スキルも9999個集まれば最強だよね(完結)
排他的経済水域
ファンタジー
12歳の誕生日
冒険者になる事が憧れのケインは、教会にて
スキル適性値とオリジナルスキルが告げられる
強いスキルを望むケインであったが、
スキル適性値はG
オリジナルスキルも『スキル重複』というよくわからない物
友人からも家族からも馬鹿にされ、
尚最強の冒険者になる事をあきらめないケイン
そんなある日、
『スキル重複』の本来の効果を知る事となる。
その効果とは、
同じスキルを2つ以上持つ事ができ、
同系統の効果のスキルは効果が重複するという
恐ろしい物であった。
このスキルをもって、ケインの下剋上は今始まる。
HOTランキング 1位!(2023年2月21日)
ファンタジー24hポイントランキング 3位!(2023年2月21日)
少し冷めた村人少年の冒険記
mizuno sei
ファンタジー
辺境の村に生まれた少年トーマ。実は日本でシステムエンジニアとして働き、過労死した三十前の男の生まれ変わりだった。
トーマの家は貧しい農家で、神から授かった能力も、村の人たちからは「はずれギフト」とさげすまれるわけの分からないものだった。
優しい家族のために、自分の食い扶持を減らそうと家を出る決心をしたトーマは、唯一無二の相棒、「心の声」である〈ナビ〉とともに、未知の世界へと旅立つのであった。
異世界転移からふざけた事情により転生へ。日本の常識は意外と非常識。
久遠 れんり
ファンタジー
普段の、何気ない日常。
事故は、予想外に起こる。
そして、異世界転移? 転生も。
気がつけば、見たことのない森。
「おーい」
と呼べば、「グギャ」とゴブリンが答える。
その時どう行動するのか。
また、その先は……。
初期は、サバイバル。
その後人里発見と、自身の立ち位置。生活基盤を確保。
有名になって、王都へ。
日本人の常識で突き進む。
そんな感じで、進みます。
ただ主人公は、ちょっと凝り性で、行きすぎる感じの日本人。そんな傾向が少しある。
異世界側では、少し非常識かもしれない。
面白がってつけた能力、超振動が意外と無敵だったりする。
異世界転生したらたくさんスキルもらったけど今まで選ばれなかったものだった~魔王討伐は無理な気がする~
宝者来価
ファンタジー
俺は異世界転生者カドマツ。
転生理由は幼い少女を交通事故からかばったこと。
良いとこなしの日々を送っていたが女神様から異世界に転生すると説明された時にはアニメやゲームのような展開を期待したりもした。
例えばモンスターを倒して国を救いヒロインと結ばれるなど。
けれど与えられた【今まで選ばれなかったスキルが使える】 戦闘はおろか日常の役にも立つ気がしない余りものばかり。
同じ転生者でイケメン王子のレイニーに出迎えられ歓迎される。
彼は【スキル:水】を使う最強で理想的な異世界転生者に思えたのだが―――!?
※小説家になろう様にも掲載しています。
無能と呼ばれたレベル0の転生者は、効果がチートだったスキル限界突破の力で最強を目指す
紅月シン
ファンタジー
七歳の誕生日を迎えたその日に、レオン・ハーヴェイの全ては一変することになった。
才能限界0。
それが、その日レオンという少年に下されたその身の価値であった。
レベルが存在するその世界で、才能限界とはレベルの成長限界を意味する。
つまりは、レベルが0のまま一生変わらない――未来永劫一般人であることが確定してしまったのだ。
だがそんなことは、レオンにはどうでもいいことでもあった。
その結果として実家の公爵家を追放されたことも。
同日に前世の記憶を思い出したことも。
一つの出会いに比べれば、全ては些事に過ぎなかったからだ。
その出会いの果てに誓いを立てた少年は、その世界で役立たずとされているものに目を付ける。
スキル。
そして、自らのスキルである限界突破。
やがてそのスキルの意味を理解した時、少年は誓いを果たすため、世界最強を目指すことを決意するのであった。
※小説家になろう様にも投稿しています
異世界転生したおっさんが普通に生きる
カジキカジキ
ファンタジー
第18回 ファンタジー小説大賞 読者投票93位
応援頂きありがとうございました!
異世界転生したおっさんが唯一のチートだけで生き抜く世界
主人公のゴウは異世界転生した元冒険者
引退して狩をして過ごしていたが、ある日、ギルドで雇った子どもに出会い思い出す。
知識チートで町の食と環境を改善します!! ユルくのんびり過ごしたいのに、何故にこんなに忙しい!?
侯爵家三男からはじまる異世界チート冒険録 〜元プログラマー、スキルと現代知識で理想の異世界ライフ満喫中!〜【奨励賞】
のびすけ。
ファンタジー
気づけば侯爵家の三男として異世界に転生していた元プログラマー。
そこはどこか懐かしく、けれど想像以上に自由で――ちょっとだけ危険な世界。
幼い頃、命の危機をきっかけに前世の記憶が蘇り、
“とっておき”のチートで人生を再起動。
剣も魔法も、知識も商才も、全てを武器に少年は静かに準備を進めていく。
そして12歳。ついに彼は“新たなステージ”へと歩み出す。
これは、理想を形にするために動き出した少年の、
少し不思議で、ちょっとだけチートな異世界物語――その始まり。
【なろう掲載】
称号チートで異世界ハッピーライフ!~お願いしたスキルよりも女神様からもらった称号がチートすぎて無双状態です~
しらかめこう
ファンタジー
「これ、スキルよりも称号の方がチートじゃね?」
病により急死した主人公、突然現れた女神によって異世界へと転生することに?!
女神から様々なスキルを授かったが、それよりも想像以上の効果があったチート称号によって超ハイスピードで強くなっていく。
そして気づいた時にはすでに世界最強になっていた!?
そんな主人公の新しい人生が平穏であるはずもなく、行く先々で様々な面倒ごとに巻き込まれてしまう...?!
しかし、この世界で出会った友や愛するヒロインたちとの幸せで平穏な生活を手に入れるためにどんな無理難題がやってこようと最強の力で無双する!主人公たちが平穏なハッピーエンドに辿り着くまでの壮大な物語。
異世界転生の王道を行く最強無双劇!!!
ときにのんびり!そしてシリアス。楽しい異世界ライフのスタートだ!!
小説家になろう、カクヨム等、各種投稿サイトにて連載中。毎週金・土・日の18時ごろに最新話を投稿予定!!