311 / 330
最終章 零(ゼロ)の賢者
第311話 闇の理を識る者
「カイン!!」
書斎の扉が勢いよく開け放たれる音で、俺の意識はわずかに現実へと引き戻された。
だが、視界は悪い。部屋の中はすでに俺自身の体から噴き出したどす黒い靄で埋め尽くされ、異界と化していたからだ。
俺は床に膝をつき、頭を抱えてうずくまっていた。
身体の奥底から破壊への渇望がマグマのように込み上げてくる。それを必死に理性の壁でせき止めようとするが、魂がきしむような音が頭の中で響き続けていた。
「う、あぁぁぁ……ッ!」
口から漏れるのは言葉にならない苦悶の叫びだ。来るな。ここは危険だ。そう叫びたいのに、喉が痙攣して声が出ない。
「しっかりしてください!」
エルンだ。彼女は肌を焼くような禍々しい魔力の奔流に、一瞬息を呑んだようだったが、次の瞬間にはためらうことなく俺へと駆け寄ってきた。
彼女が杖を構え、渾身の魔力を練り上げる気配がする。
「光の精霊ルミナよ、我が魔力を代償に彼の魂を守りたまえ――聖なる加護!」
白銀の光がカインを包み込もうとする。
だが、カインの身体から溢れ出す黒い靄は、その聖なる光をまるで異物として拒絶するかのように弾き返した。
バヂィッ!!
「きゃあッ!?」
衝撃波が走り、エルンがたたらを踏む音が聞こえた。
「くっ……! これはただの魔力の暴走じゃない……。魂そのものが光を拒んでいる……!?」
エルンの悲痛な声が遠くに聞こえる。
ああ、すまない、エルン。俺の絶望はそれほどまでに深かったらしい。平和という名の停滞。自分が成し遂げたことへの疑念。それらが二百年かけて熟成され、破壊の衝動となって爆発しようとしている。
黒い靄が鎌首をもたげ、俺の意識を完全に飲み込もうとした、その時だった。
『――静かにしろ』
その声は雷鳴のように俺の魂を打ち抜いた。
甘美な闇の囁きも、暴れ狂う魔力の奔流も、そのあまりにも絶対的な響きの前では、まるで主人の前で畏まる犬のように、ぴたりと動きを止めた。
一瞬の静寂。
恐怖にも似た敬意と共に黒い靄がすっと内側へ収まっていくのを感じながら、俺の意識は深い水底へと沈んでいった。
***
私はゆっくりと顔を上げた。
糸が切れたように身体から力が抜けていく。だが、それは虚脱感ではない。魂の主導権が完全に、そして不可逆的に私へと移り変わったことによる静かな変化だ。
私は立ち上がった。
身体の感覚を確かめる。悪くない。二百年の眠りはこの器をむしろ馴染ませたようだ。
これまでの彼が持っていた人間臭い不器用さや迷いなど微塵もない。まるで水が流れるかのように自然で、無駄のない完璧な所作で、私は伏せていたまぶたを持ち上げた。
「……カイン……?」
目の前にいるエルフの娘――エルンが私の変化に戸惑いの声を上げる。
彼女が見ている私の瞳はもうカインの温かみのある黒色ではないだろう。深く静かで、星の運行すら見通すかのような叡智を湛えた蒼い光。
そして、全身から放たれる気配は絶対的な静寂そのもの。
「……少々、眠りすぎたか」
私の口から低く落ち着き払った声が漏れた。
「……カイラン、様……?」
「ああ」
私は静かにうなずくと、自らの掌を確かめるようにゆっくりと開閉した。指先まで魔力が完全に通っている。
「二百年。闇の大精霊ノクスとの契約をただ眠って受け入れるだけでは芸がない。私はその間、奴の理を内側から解析し、完全に解き明かすことにした。……闇とは何か。静寂とは何か。その答えを、ようやくこの身に得ることができたのだ」
私はもはや、かつての光の賢者ではない。
闇の理を識り、その在りようを完全に掌握した超越者。
二百年という永い内なる瞑想は私を全く新しい存在へと変貌させていた。
私はカインの心の中で起きていた嵐の正体を怯えるエルンに淡々と解説してやった。
「先ほどの暴走はノクスの意志ではない。この男――カインの絶望と変化への渇望が、契約の力を触媒として形を成したに過ぎん。魂の奥底に眠る純粋な願い。それこそが闇の本質なのだよ」
エルンが息を呑むのが分かる。
彼女は目の前の私が、自らが知るかつての私とは全く別の次元に至っていることを肌で感じ取っているのだろう。
私は窓の外で荒れ狂う嵐を静かな瞳で見つめた。そして、指を一本、軽く振るう。
それだけで、大気中のマナが強制的に整列し、窓の外の暴風雨が嘘のように止んだ。雲間から月光が差し込む。
世界そのものに命令を下す。今の私にはそれくらいのことは造作もない。
「だが、彼の苦悩も理解できる。この停滞した世界は確かに醜い」
私は月光を浴びながら、ゆっくりとエルンに向き直った。
「故に対話が必要だ。この身体に宿る、もう一人の賢者と。……そして、この世界の未来をどう再構築していくべきか決めねばなるまい」
私の声には揺るぎない意志が宿っていたはずだ。
エルンはその圧倒的な存在感を前に、ただ平伏しそうになるのをこらえ、祈るように私を見つめることしかできていなかった。
二百年の沈黙を破り、真の賢者が今、この森に再び降臨したのだ。
書斎の扉が勢いよく開け放たれる音で、俺の意識はわずかに現実へと引き戻された。
だが、視界は悪い。部屋の中はすでに俺自身の体から噴き出したどす黒い靄で埋め尽くされ、異界と化していたからだ。
俺は床に膝をつき、頭を抱えてうずくまっていた。
身体の奥底から破壊への渇望がマグマのように込み上げてくる。それを必死に理性の壁でせき止めようとするが、魂がきしむような音が頭の中で響き続けていた。
「う、あぁぁぁ……ッ!」
口から漏れるのは言葉にならない苦悶の叫びだ。来るな。ここは危険だ。そう叫びたいのに、喉が痙攣して声が出ない。
「しっかりしてください!」
エルンだ。彼女は肌を焼くような禍々しい魔力の奔流に、一瞬息を呑んだようだったが、次の瞬間にはためらうことなく俺へと駆け寄ってきた。
彼女が杖を構え、渾身の魔力を練り上げる気配がする。
「光の精霊ルミナよ、我が魔力を代償に彼の魂を守りたまえ――聖なる加護!」
白銀の光がカインを包み込もうとする。
だが、カインの身体から溢れ出す黒い靄は、その聖なる光をまるで異物として拒絶するかのように弾き返した。
バヂィッ!!
「きゃあッ!?」
衝撃波が走り、エルンがたたらを踏む音が聞こえた。
「くっ……! これはただの魔力の暴走じゃない……。魂そのものが光を拒んでいる……!?」
エルンの悲痛な声が遠くに聞こえる。
ああ、すまない、エルン。俺の絶望はそれほどまでに深かったらしい。平和という名の停滞。自分が成し遂げたことへの疑念。それらが二百年かけて熟成され、破壊の衝動となって爆発しようとしている。
黒い靄が鎌首をもたげ、俺の意識を完全に飲み込もうとした、その時だった。
『――静かにしろ』
その声は雷鳴のように俺の魂を打ち抜いた。
甘美な闇の囁きも、暴れ狂う魔力の奔流も、そのあまりにも絶対的な響きの前では、まるで主人の前で畏まる犬のように、ぴたりと動きを止めた。
一瞬の静寂。
恐怖にも似た敬意と共に黒い靄がすっと内側へ収まっていくのを感じながら、俺の意識は深い水底へと沈んでいった。
***
私はゆっくりと顔を上げた。
糸が切れたように身体から力が抜けていく。だが、それは虚脱感ではない。魂の主導権が完全に、そして不可逆的に私へと移り変わったことによる静かな変化だ。
私は立ち上がった。
身体の感覚を確かめる。悪くない。二百年の眠りはこの器をむしろ馴染ませたようだ。
これまでの彼が持っていた人間臭い不器用さや迷いなど微塵もない。まるで水が流れるかのように自然で、無駄のない完璧な所作で、私は伏せていたまぶたを持ち上げた。
「……カイン……?」
目の前にいるエルフの娘――エルンが私の変化に戸惑いの声を上げる。
彼女が見ている私の瞳はもうカインの温かみのある黒色ではないだろう。深く静かで、星の運行すら見通すかのような叡智を湛えた蒼い光。
そして、全身から放たれる気配は絶対的な静寂そのもの。
「……少々、眠りすぎたか」
私の口から低く落ち着き払った声が漏れた。
「……カイラン、様……?」
「ああ」
私は静かにうなずくと、自らの掌を確かめるようにゆっくりと開閉した。指先まで魔力が完全に通っている。
「二百年。闇の大精霊ノクスとの契約をただ眠って受け入れるだけでは芸がない。私はその間、奴の理を内側から解析し、完全に解き明かすことにした。……闇とは何か。静寂とは何か。その答えを、ようやくこの身に得ることができたのだ」
私はもはや、かつての光の賢者ではない。
闇の理を識り、その在りようを完全に掌握した超越者。
二百年という永い内なる瞑想は私を全く新しい存在へと変貌させていた。
私はカインの心の中で起きていた嵐の正体を怯えるエルンに淡々と解説してやった。
「先ほどの暴走はノクスの意志ではない。この男――カインの絶望と変化への渇望が、契約の力を触媒として形を成したに過ぎん。魂の奥底に眠る純粋な願い。それこそが闇の本質なのだよ」
エルンが息を呑むのが分かる。
彼女は目の前の私が、自らが知るかつての私とは全く別の次元に至っていることを肌で感じ取っているのだろう。
私は窓の外で荒れ狂う嵐を静かな瞳で見つめた。そして、指を一本、軽く振るう。
それだけで、大気中のマナが強制的に整列し、窓の外の暴風雨が嘘のように止んだ。雲間から月光が差し込む。
世界そのものに命令を下す。今の私にはそれくらいのことは造作もない。
「だが、彼の苦悩も理解できる。この停滞した世界は確かに醜い」
私は月光を浴びながら、ゆっくりとエルンに向き直った。
「故に対話が必要だ。この身体に宿る、もう一人の賢者と。……そして、この世界の未来をどう再構築していくべきか決めねばなるまい」
私の声には揺るぎない意志が宿っていたはずだ。
エルンはその圧倒的な存在感を前に、ただ平伏しそうになるのをこらえ、祈るように私を見つめることしかできていなかった。
二百年の沈黙を破り、真の賢者が今、この森に再び降臨したのだ。
あなたにおすすめの小説
最弱スキルも9999個集まれば最強だよね(完結)
排他的経済水域
ファンタジー
12歳の誕生日
冒険者になる事が憧れのケインは、教会にて
スキル適性値とオリジナルスキルが告げられる
強いスキルを望むケインであったが、
スキル適性値はG
オリジナルスキルも『スキル重複』というよくわからない物
友人からも家族からも馬鹿にされ、
尚最強の冒険者になる事をあきらめないケイン
そんなある日、
『スキル重複』の本来の効果を知る事となる。
その効果とは、
同じスキルを2つ以上持つ事ができ、
同系統の効果のスキルは効果が重複するという
恐ろしい物であった。
このスキルをもって、ケインの下剋上は今始まる。
HOTランキング 1位!(2023年2月21日)
ファンタジー24hポイントランキング 3位!(2023年2月21日)
少し冷めた村人少年の冒険記
mizuno sei
ファンタジー
辺境の村に生まれた少年トーマ。実は日本でシステムエンジニアとして働き、過労死した三十前の男の生まれ変わりだった。
トーマの家は貧しい農家で、神から授かった能力も、村の人たちからは「はずれギフト」とさげすまれるわけの分からないものだった。
優しい家族のために、自分の食い扶持を減らそうと家を出る決心をしたトーマは、唯一無二の相棒、「心の声」である〈ナビ〉とともに、未知の世界へと旅立つのであった。
異世界転移からふざけた事情により転生へ。日本の常識は意外と非常識。
久遠 れんり
ファンタジー
普段の、何気ない日常。
事故は、予想外に起こる。
そして、異世界転移? 転生も。
気がつけば、見たことのない森。
「おーい」
と呼べば、「グギャ」とゴブリンが答える。
その時どう行動するのか。
また、その先は……。
初期は、サバイバル。
その後人里発見と、自身の立ち位置。生活基盤を確保。
有名になって、王都へ。
日本人の常識で突き進む。
そんな感じで、進みます。
ただ主人公は、ちょっと凝り性で、行きすぎる感じの日本人。そんな傾向が少しある。
異世界側では、少し非常識かもしれない。
面白がってつけた能力、超振動が意外と無敵だったりする。
異世界転生したらたくさんスキルもらったけど今まで選ばれなかったものだった~魔王討伐は無理な気がする~
宝者来価
ファンタジー
俺は異世界転生者カドマツ。
転生理由は幼い少女を交通事故からかばったこと。
良いとこなしの日々を送っていたが女神様から異世界に転生すると説明された時にはアニメやゲームのような展開を期待したりもした。
例えばモンスターを倒して国を救いヒロインと結ばれるなど。
けれど与えられた【今まで選ばれなかったスキルが使える】 戦闘はおろか日常の役にも立つ気がしない余りものばかり。
同じ転生者でイケメン王子のレイニーに出迎えられ歓迎される。
彼は【スキル:水】を使う最強で理想的な異世界転生者に思えたのだが―――!?
※小説家になろう様にも掲載しています。
無能と呼ばれたレベル0の転生者は、効果がチートだったスキル限界突破の力で最強を目指す
紅月シン
ファンタジー
七歳の誕生日を迎えたその日に、レオン・ハーヴェイの全ては一変することになった。
才能限界0。
それが、その日レオンという少年に下されたその身の価値であった。
レベルが存在するその世界で、才能限界とはレベルの成長限界を意味する。
つまりは、レベルが0のまま一生変わらない――未来永劫一般人であることが確定してしまったのだ。
だがそんなことは、レオンにはどうでもいいことでもあった。
その結果として実家の公爵家を追放されたことも。
同日に前世の記憶を思い出したことも。
一つの出会いに比べれば、全ては些事に過ぎなかったからだ。
その出会いの果てに誓いを立てた少年は、その世界で役立たずとされているものに目を付ける。
スキル。
そして、自らのスキルである限界突破。
やがてそのスキルの意味を理解した時、少年は誓いを果たすため、世界最強を目指すことを決意するのであった。
※小説家になろう様にも投稿しています
異世界転生したおっさんが普通に生きる
カジキカジキ
ファンタジー
第18回 ファンタジー小説大賞 読者投票93位
応援頂きありがとうございました!
異世界転生したおっさんが唯一のチートだけで生き抜く世界
主人公のゴウは異世界転生した元冒険者
引退して狩をして過ごしていたが、ある日、ギルドで雇った子どもに出会い思い出す。
知識チートで町の食と環境を改善します!! ユルくのんびり過ごしたいのに、何故にこんなに忙しい!?
侯爵家三男からはじまる異世界チート冒険録 〜元プログラマー、スキルと現代知識で理想の異世界ライフ満喫中!〜【奨励賞】
のびすけ。
ファンタジー
気づけば侯爵家の三男として異世界に転生していた元プログラマー。
そこはどこか懐かしく、けれど想像以上に自由で――ちょっとだけ危険な世界。
幼い頃、命の危機をきっかけに前世の記憶が蘇り、
“とっておき”のチートで人生を再起動。
剣も魔法も、知識も商才も、全てを武器に少年は静かに準備を進めていく。
そして12歳。ついに彼は“新たなステージ”へと歩み出す。
これは、理想を形にするために動き出した少年の、
少し不思議で、ちょっとだけチートな異世界物語――その始まり。
【なろう掲載】
称号チートで異世界ハッピーライフ!~お願いしたスキルよりも女神様からもらった称号がチートすぎて無双状態です~
しらかめこう
ファンタジー
「これ、スキルよりも称号の方がチートじゃね?」
病により急死した主人公、突然現れた女神によって異世界へと転生することに?!
女神から様々なスキルを授かったが、それよりも想像以上の効果があったチート称号によって超ハイスピードで強くなっていく。
そして気づいた時にはすでに世界最強になっていた!?
そんな主人公の新しい人生が平穏であるはずもなく、行く先々で様々な面倒ごとに巻き込まれてしまう...?!
しかし、この世界で出会った友や愛するヒロインたちとの幸せで平穏な生活を手に入れるためにどんな無理難題がやってこようと最強の力で無双する!主人公たちが平穏なハッピーエンドに辿り着くまでの壮大な物語。
異世界転生の王道を行く最強無双劇!!!
ときにのんびり!そしてシリアス。楽しい異世界ライフのスタートだ!!
小説家になろう、カクヨム等、各種投稿サイトにて連載中。毎週金・土・日の18時ごろに最新話を投稿予定!!