50代無職、エルフに転生で異世界ざわつく

かわさきはっく

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最終章 零(ゼロ)の賢者

第314話 秘術の真実

「そして、カイランはセイオンを止めるための最後の切り札として、あの秘術を使った。……俺をこの世界に召喚するために」

 俺の言葉は静かな書斎に重く響き渡った。
 仲間たちは固唾をのんで次の言葉を待っている。彼らが信じてきた物語――賢者カイランの秘術の失敗によって、偶然、異世界人が転生したという世界の前提が今、根底から覆されようとしていた。

 俺は魂の内側で静かにたたずむもう一人の賢者の記憶を自らの言葉として紡ぎ始めた。
 それはカイランが二百年の沈黙の中で整理し、そして俺に伝えることを選んだ、あまりにも個人的で孤独な真実だった。

「……カイランがあの秘術を編み出した本当の動機。それは当初、世界を救うためでも、セイオンを止めるためですらなかった」

 俺は一度、言葉を切った。
 エルンが信じられないといったように、その翡翠色の瞳を揺らしている。

「彼の動機はただ一つ。退屈からの脱却だ」

「……退屈、ですか?」

 アルヴィンが、その理知的な瞳に純粋な疑問を浮かべて聞き返した。

「ああ。カイランにとって、永劫に続くエルフの森の穏やかな暮らしは、すぐにでも死にたくなるほどに退屈なものだった。彼の尽きることのない知的好奇心は、やがてこの世界の理の外側――つまり異世界へと向かった。彼は異なる理を持つ魂と融合することで、自らが究極の叡智を得て、その停滞から脱却することだけを目的としていたんだ」

 そのあまりにも利己的な動機。
 仲間たちの間に戸惑いの空気が広がる。彼らが伝説として聞いてきた、気高く森を愛した賢者の姿とはあまりにもかけ離れていたからだ。

「俺――竹内悟志の魂は彼にとって、ただの知識が収まった入れ物に過ぎなかった。異なる物理法則、異なる文化、異なる歴史。その全てを吸収し、自らの叡智とするための格好の実験材料。……それが、あの秘術の本当の目的だった」

 俺は自嘲気味に笑った。
 元の世界で何者にもなれなかった俺が、この世界では偉大な賢者の知的好奇心を満たすための研究材料として選ばれた。その事実はどこか滑稽で、そして少しだけ悲しかった。

「だが、カイランは大きな計算違いをした」

 俺は自らの胸にそっと手を当てた。

「魔術や理式の天才であった彼は魂というものを論理的にしか理解していなかった。彼にとって俺の魂はただの情報の集合体。だが、そこには彼の計算式にはなかった、一つの変数が存在した。……魂の重さだ」

「重さ……?」

 カズエルから受け継いだ真面目な気質を持つアルヴィンが、真剣な眼差しで問いかける。

「ああ。俺が人間として生きた50年間。社会から必要とされず、誰からも認められず、無力感の中で生きてきた無念や後悔。その泥のような感情の積み重ねが、俺の魂にカイランの想定を遥かに超える質量おもさを与えていたんだ」

 俺は遠い灰色の記憶を思い出す。
 就職氷河期。冷たい面接官の視線。増えていく空っぽの職歴。そして誰にも看取られることなく迎えた孤独な死。その全てが俺の魂を重く、そして強固ないかりとして鍛え上げていた。

「カイランの秘術は二つの魂を融合させ、より強い魂が主導権を握るというものだった。彼は当然、高潔で純粋な自らが主導権を握ると信じて疑わなかった。……だが俺の魂の、その泥臭いまでの重さが、彼のあまりに純粋で軽やかな魂の侵食に抵抗したんだ」

 結果、秘術は失敗した。
 魂の融合は不完全に終わり、主導権の奪い合いの末、より重い俺の魂がこの身体の新たな主となった。そして本来の主であったカイランは自らの肉体のただの影へと追いやられた。

「……皮肉な話だろ? 俺の人生を惨めなものにしていた後悔が、結果として俺自身の存在を守ったんだ。それが、俺がこの世界に来た本当の理由だ」

 俺の話は終わった。
 書斎には風が木々を揺らす音だけが静かに響いていた。
 仲間たちは、そのあまりにも衝撃的な真実をまだ受け止めきれずにいるようだった。

「そんな……。では、カイラン様は、ただご自身の知的好奇心のために……」

 エルンの声が悲痛に震える。彼女が生涯をかけて尊敬してきた賢者の、あまりにも人間的で孤独な素顔。

 その重い沈黙を破ったのはアルヴィンの静かだが確信に満ちた声だった。

「……ですが賢者殿」

 彼は俺の目を真っ直ぐに見つめた。

「その失敗があったからこそ、あなたはここにいる。そして、私たちはあなたと出会うことができた。……父上も母上も、きっとその計算違いに心から感謝したはずです」

 あまりにも温かい言葉。
 俺ははっとしたように顔を上げた。そうだ。俺のあの報われなかったはずの人生。その全てが無駄ではなかった。あの重さがあったからこそ俺は今、ここにいるのだ。

 続いて、ルナがニカっと笑った。

「難しいことは分からないけどさ、要するにカインはカイラン様よりも、しぶとかったってことでしょ? それって最強じゃない!」

「ふふっ……。そうですね。そのしぶとさに私たちは何度も救われてきたのですから」

 エルンもまた、涙を拭いて微笑んだ。

 俺は仲間たちの顔を見回した。エルン、ルナ、そして親友の息子であるアルヴィン。彼らが俺の新しい人生そのものだ。

 俺は魂の奥底で静かに俺を見守っている、もう一人の賢者に心の中でそっと語りかけた。

(……なあ、カイラン。お前の計画は確かに失敗だったのかもしれない。だが、俺はこの失敗に感謝しているぜ)

 その想いが届いたのかどうか。返事はなかった。
 だが、俺の心は二百年の時を経て、初めて本当の意味で軽くなったような気がした。
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