50代無職、エルフに転生で異世界ざわつく

かわさきはっく

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最終章 零(ゼロ)の賢者

第321話 ざわつく王都

 ロルディア王国の王都は永い平和の眠りの中にあった。
 二百年の歳月はかつての戦乱の記憶を風化させ、英雄たちの物語を吟遊詩人が歌うおとぎ話へと変えていた。
 街は豊かで秩序は保たれている。だがその静けさはかつてレオンハルト王が築いた力強い安定とは違う、どこかよどんだ、緩やかな腐敗の臭いをはらんでいた。

 王城の玉座の間。
 若き国王ライオネルはその停滞した空気の中で、日々見えない重圧と戦っていた。
 偉大なる祖先の血を引く彼は民を愛し、国の平和を心から願う善良な王だった。だが、平和な時代に生まれた彼には国を揺るがすほどの大きな決断を下した経験も、混沌の中から秩序を築き上げた祖先のような絶対的なカリスマも不足していた。

「――陛下」

 宰相である老公爵が重々しく口を開いた。
 その声は若き王を案じるようでいて、その実、老獪な政治的圧力を伴って玉座にのしかかる。

「近頃、市井しせいを騒がせております、ゼロと名乗る賊のこと、いかがお考えでしょうか」

 ライオネルは手元の報告書に視線を落とした。
 そこにはここ数ヶ月で王国各地から寄せられた、奇妙な事件の数々が記されている。
 悪徳商人が一夜にして富と記憶を失い、奴隷たちが忽然と姿を消す。現場には始まりも終わりもない円環の紋様だけが残されるという。

「……民はゼロを支持していると聞く。腐敗した商人や貴族から富を奪い、虐げられた者たちを解放する。……彼らの行いはある種の義挙ではないのか?」

 ライオネルのあまりにも純粋な問い。
 それに老公爵は深く、そしてわざとらしく溜息をついてみせた。

「陛下。それはあまりに理想論にございます。……ご覧ください、このグレイヘイブンからの報告を」

 宰相が指差したのはカインたちが失敗した街の報告書だった。

「零は悪徳商会を潰しましたが、その結果、街の物流は麻痺し、民は飢え、略奪が横行する無政府状態に陥りました。……これこそが、法の支配を無視した私刑の末路です。彼らは正義の味方などではない。国家の秩序を破壊する、危険な犯罪集団に他なりません」

 その事実はライオネルの言葉を封じるのに十分すぎる重みを持っていた。玉座の間に控えていた他の貴族たちも、ここぞとばかりに声を上げる。

「左様です! このまま零を放置すれば民は法を軽んじ、いずれは我々貴族、ひいては王家そのものに牙を剥きかねません!」 

「我が領地でも治安が悪化しております! これはもはや看過できぬ事態!」

 彼らの言葉は王国の秩序を憂う忠義の言葉に聞こえる。
 だがその実、彼らの多くは自らが運営する裏の商売が、零によって暴かれることを何よりも恐れていた。
 グレイヘイブンの混乱は彼らにとって零を排除するための、またとない大義名分となったのだ。

 民衆の喝采と貴族たちの突き上げ。そして、突きつけられた無秩序という現実。その板挟みの中で、若き王は苦悩していた。

(……偉大なるレオンハルト王ならば、このような時、どうされただろうか)

 壁に飾られたレオンハルト王の肖像画をすがるように見つめる。
 隣には伝説の賢者カインの姿も描かれている。彼らは二人で、この国の礎を築いた。
 だが今、自分は孤独だ。信じられる腹心もおらず、老獪な貴族たちに囲まれている。

 ライオネルは深く目を閉じた。そして、再び目を開いた時、その瞳には王としての、苦渋に満ちた決意が宿っていた。
 たとえ動機が正しくとも、結果として民を混乱させる者を王として認めるわけにはいかない。

「……宰相の言う通りだ。法の秩序を乱す者をこれ以上放置はできん」

 彼は玉座からゆっくりと立ち上がった。
 その声はまだ若いが、一国の王としての揺るぎない響きを持っていた。

「――王国騎士団に勅命を下す。謎の義賊、零を、国家の秩序を乱す反逆者として認定する。総力を挙げて、これを討伐せよ」

 その宣言に貴族たちは隠しきれない笑みを浮かべ、深く頭を垂れた。
 若き王は自らが下した決断の重さに、ただ唇を噛みしめ、拳を握りしめる。

 王都の影で新たな戦いの火蓋が静かに切って落とされた。
 それは正義と秩序が互いに剣を交える悲しい戦いの始まりだった。
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