50代無職、エルフに転生で異世界ざわつく

かわさきはっく

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最終章 零(ゼロ)の賢者

第325話 父の遺志、子の剣

 零の活動が始まってから一年が過ぎた。

 俺たちの名はロルディア王国の腐敗した権力者たちにとっては恐怖の象徴となり、虐げられた民衆にとっては声なき救いの祈りとなっていた。
 俺とカイランの闇の力、ルナの未来予知、そしてアルヴィンの戦術分析。その四つの力が組み合わさることで、俺たちの世直しはこれまで順調に進んできた。

 だが、敵もまた学習する。

 その日、俺たちは次なる標的を前にして、壁に突き当たっていた。
 標的は王都の西に広がる豊かな穀倉地帯を支配する辺境伯ダリウス。
 彼は自らの領地で収穫される小麦に法外な通行税をかけ、その富で強力な私兵団を組織している典型的な悪徳貴族だ。
 だが、彼はこれまでの標的とは一線を画していた。

「……駄目だ。この男、あまりにも用心深い」

 森の中の隠れ家。テーブルに広げられた地図を前に俺はうなった。

 ダリウスの屋敷は天然の要害である渓谷に建てられ、その警備は王国騎士団にも匹敵するほど厳重だ。ルナの偵察によれば、屋敷に通じる道は一つしかなく、そこには常に百人以上の兵士が配置されているという。

「空間転移で潜入するにもリスクが高すぎる。屋敷の内部構造が完全に把握できていない以上、兵士たちのど真ん中に転移してしまう可能性もある」

『うむ。闇雲に飛び込むのは愚策だな』とカイランも同意する。

「それにね」とルナが付け加えた。

「あの屋敷、なんか変な感じがする。未来の糸がすっごくたくさん、ごちゃごちゃに絡まってるの。私の目でも、次に何が起こるかはっきり見えないんだ」

 未来予知でも見通せない。力押しでは決して崩せない鉄壁の要塞。
 俺たちが手詰まりの空気に沈んでいた、その時だった。

「――賢者殿」

 静かな声と共にアルヴィンが一歩前に出た。

 彼はこれまでの調査で集めた羊皮紙の束をテーブルに広げる。そこにはダリウス領の金の流れ、兵士の交代時間、そして彼が過去に行ったとされる些細な不正の記録までが、びっしりと書き込まれていた。

「一つ、仮説があります」

 アルヴィンの黒い瞳が、父カズエルと同じ鋭い分析者の光を宿した。

「ダリウスの富の源泉は通行税だけではないようです。彼は禁制品であるはずの魔導薬の密売にも深く関与しています。金の流れを追うと、いくつかの不自然な支出が彼の帳簿に見られました。……おそらく、密売組織との取引場所兼製造工場が、この領地のどこかに存在するはず」

 彼は地図の一点を指で示した。屋敷から離れた山奥、古い廃坑だった。

「彼の警備が屋敷そのものに集中しているのは、我々の目をこの廃坑から逸らすための巧妙な陽動なのではないでしょうか。本当の心臓部はこちらにあると推測します」

 父譲りの論理的な思考。そのあまりにも的確な分析に俺は息を呑んだ。

「……よし。その仮説に賭けてみよう」

 ***

 その夜。
 俺たちはアルヴィンの作戦に基づき行動を開始した。
 ルナの炎の魔法で屋敷とは正反対の森に陽動の火事を起こす。警備兵力の半分以上がそちらへと向かった、その隙。
 俺とアルヴィンは闇に紛れて廃坑へと潜入した。

 アルヴィンの予測通り、廃坑の奥は広大な空洞となっており、そこが密売組織のアジトへと繋がっていた。
 だが、その中央で俺たちを待ち構えていたのはただの傭兵ではなかった。ダリウスが最後の切り札として隠していた、魔族の血を引く屈強な魔剣士たちだった。

 その中心から、一人の男がゆっくりと前に進み出た。他の者たちより一回り大きな体躯、その身にまとう黒い鎧には無数の戦いの痕が刻まれている。
 彼は俺たちの姿を認めると、その口元に獲物を見つけた獣のような獰猛な笑みを浮かべた。

「――ほう。あの鉄壁の屋敷を無視して、この隠し場所に辿り着くとはな。零の噂、伊達ではないらしい」

 その言葉はアルヴィンの読みが正しかったことを証明していた。

「だが、ここが貴様らの墓場だ」

 男が巨大な剣を構える。その殺気だけで空気が震えた。
 俺が杖を構えようとした瞬間、アルヴィンが前に出た。母セリスから受け継いだ細身の剣を静かに抜き放つ。

「賢者殿、ここは私にお任せを」

「……相手は魔族の混血だぞ。腕力じゃ勝ち目がない」

「ええ。ですから腕力では戦いません」

 彼の身体がふわりと動いた。

 魔剣士の剛剣が唸りを上げて振り下ろされる。岩をも砕く一撃。
 だが、アルヴィンはそれを剣で受けることも、慌てて避けることもしなかった。
 ただ一歩、静かに踏み出しただけだ。

 ――ザンッ。

 一瞬の交錯。魔剣士の剛剣が空を切り、同時にその身体から鮮血が噴き出した。
 アルヴィンは敵が攻撃を放つよりも早く、敵が踏み込んでくるであろう空間に刃を置いていたのだ。

「な、なんだ貴様は!? 速い……いや、違う!」

 魔剣士が驚愕に目を見開く。

 アルヴィンの剣速自体は神速と呼べるほどのものではない。だが、彼の剣は常に、敵が動こうとする未来の地点に先回りして存在している。
 父から受け継いだ冷徹なまでの論理的思考。敵の筋肉の収縮、視線の動き、重心の移動。その全てを瞬時に分析し、わずか先の未来を完全に演算する。

(……次に来る攻撃は右薙ぎ払い。そのための予備動作確認。……到達予測地点はここだ)

 アルヴィンが再び何もない空間に剣を振るう。直後、魔剣士がその空間に自ら突っ込む形で斬撃を受ける。
 速さではない。読みの極致。相手が動いてくる場所を読み切って斬撃を先置きし、一閃のカウンターで切り伏せる必殺の剣技。

「――先置一閃せんちいっせん

 静かな宣告と共に最後の魔剣士がその場に崩れ落ちた。

 アルヴィンは静かに剣を納め、乱れた前髪を直した。その仕草は在りし日のカズエルそのものだった。

 ***

 全ての敵を制圧し、俺たちは密売組織の帳簿と不正の証拠を全て手に入れた。
 そして最後の仕上げとして、辺境伯ダリウス本人の元へと向かった。

「――全てを無に還す」

 カイランの冷徹な声が響き、ダリウスの魂から悪行の記憶と富への執着が綺麗さっぱりと洗い流されていった。

 作戦は成功した。

 隠れ家へと戻る道すがら、俺は隣を歩く若き仲間の背中を見つめていた。

「……見事だったな」

 俺が短く声をかけると、アルヴィンは静かに首を横に振った。

「いいえ。私は父上が遺してくれた知恵と、母上が教えてくれた剣を使っただけです」

 彼はそこで一度言葉を切ると、遠い王都の空を見上げた。その瞳には父への深い敬愛の色が浮かんでいた。

「父上はただ論理だけで動いていたわけではありません。その根底には常に、この世界の理不尽を正し、人々がただ当たり前に暮らせる世界を守りたいという強い願いがありました。……私は零の活動を通して、父が本当の意味で守ろうとしていたものの姿をようやく見つけられた気がするのです」

 父の遺志を継ぎ、母の剣を振るう。

 彼はこの一年で、偉大な両親の影を追うだけではない、彼自身のハーフエルフの魔法剣士としての存在意義を確かに確立していた。

 そのあまりにも頼もしい成長を、俺は親友の息子として、そして一人の仲間として心の底から誇らしく思った。
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