50代無職、エルフに転生で異世界ざわつく

かわさきはっく

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最終章 零(ゼロ)の賢者

第326話 アルヴィンの試練

 辺境伯ダリウスを巡る一件を終え、俺たちゼロの名は王国の闇に生きる者たちにとって無視できぬ脅威として、その存在感を増していた。
 だが、俺たちの戦いは常に順風満帆というわけではない。次なる標的の噂を耳にした時、俺たちはこれまでとは全く質の異なる、新たな壁に直面することになる。

 場所はロルディア王国の北部に位置する山間の小さな街、シルヴァン。
 その街を治める代官は表向きは温厚で民からの人望も厚い人物として知られていた。だがその裏では古くから伝わる複雑な土地の法律を巧みに利用し、農民たちから法外な税を合法的に搾取していたのだ。

「……これは厄介だな」

 森の隠れ家。テーブルに広げられたシルヴァンの法律書の写しを前に俺はうなった。

 アルヴィンが数日かけて集めてくれた情報だ。その内容は俺の知る単純な悪とはかけ離れていた。

「彼のやり方に明確な違法性はない。ただ、誰もが忘れ去っていたような古い法律の条文を拡大解釈し、自らに都合の良いように運用しているだけだ。……記憶を消したところで、このシステムそのものを破壊しなければ、第二、第三の代官が現れるだけだろう」

 カイランの力は絶対だ。だが、その力をもってしても、法という、人間が作り出した複雑な檻を破壊することは困難だった。
 俺たちが手詰まりの空気に沈んでいた、その時。

「――賢者殿」

 揺るぎない声と共にアルヴィンが一歩前に出た。
 彼は父カズエルと同じ理知的な黒い瞳で俺を真っ直ぐに見据えていた。

「この件、私にお任せいただけないでしょうか」

「……アルヴィン?」

「この敵は力でねじ伏せる相手ではありません。法と論理でこそ打ち破るべき相手です。……それは父上が最も得意とした戦い方のはずですから」

 その言葉には父の遺志を継ぐ者としての燃えるような覚悟が宿っていた。
 俺は彼のその瞳の中に、かつての親友の面影を見た。そして、静かにうなずいた。

「……わかった。この作戦の指揮はお前に任せる。俺たちはお前の剣となり盾となろう」

「感謝いたします」

 アルヴィンは深く一礼した。

 すると、それまで難しそうな顔で法律書を睨んでいたルナが、パァッと顔を輝かせてアルヴィンの背中をバンと叩いた。

「あーよかった! 法律とか難しい話、私ぜーんぜん分かんないもん! その本見てるだけで頭痛くなっちゃうし!」

「痛っ……ルナ姉さん、手加減を……」

「アルヴィンならそういうの得意でしょ? もう全部お任せ! 私は応援係に徹するからさ!」

 あっけらかんと面倒事を丸投げするルナに、アルヴィンは苦笑しながらも、どこか嬉しそうにうなずいた。

「ええ。任されました。……貴女の頭痛の種は私が全て取り除いてみせますよ」

 その日から彼は、父が遺した法学の書物を読み解き、シルヴァンの法の僅かな矛盾点を探し出すことに全ての時間を費やした。

 そして数日後。彼は完璧な作戦を携えて俺たちの前に立った。

「――見つけました。この悪法の檻を破る唯一の鍵を」

 ***

 作戦はアルヴィン単独で実行されることになった。
 学者を装い、代官の屋敷に正面から乗り込む。目的は法の矛盾を突きつけて彼を追い詰め、意図的に法を悪用していたという言質を取ること。そしてその上で、不正の証拠である帳簿を確保することだ。

 シルヴァンの街。アルヴィンは父が遺した上質なローブをまとい、学者として代官との謁見に臨んだ。

「――代官殿」

 アルヴィンは代官が民から搾取した富で飾り立てられた豪華な執務室で、静かにその矛盾を突きつけた。

「貴殿が根拠とする、この土地税法。その第十七条にはこうあります。『ただし、王家が指定する聖霊の祝祭の日においては全ての徴税を停止するものとする』と。……二百年前、レオンハルト王の治世に、この地域にのみ適用された特例法です」

 アルヴィンは眼鏡の位置を直し、冷徹に告げた。

「あなた様はこの条文を意図的に見過ごしておられた」

 そのあまりにも的確な指摘に代官の顔から血の気が引いていく。

「な、何を言うか小僧……! その法はとうの昔に……!」

「いいえ。廃止された記録はどこにもありません。つまり、今もなお有効です。貴殿がこれまで祝祭の日に行ってきた徴税は全て違法行為にあたる。過去二十年分に遡り、その全てを返還する義務が生じます」

「……黙れッ!」

 完全に追い詰められた代官が、隠し持っていた剣を抜き放ち、アルヴィンへと斬りかかった。

「小賢しい学者めが! ここで死ねば全て闇の中だ!」

 同時に隣室から、屈強な私兵たちがなだれ込んでくる。だが、アルヴィンは動じなかった。
 即座にローブを脱ぎ捨て、兵士たちに相対すると、腰に帯びた剣が静かに鞘走る。

「――理を外れた者に我が剣は容赦しない」

 彼の身体が一歩、静かに踏み出された。
 先頭の私兵が振り下ろす大剣。アルヴィンはその軌道を見ることすらせず、剣を横に薙いだ。

 ――ガギンッ!

 敵の剣が振り下ろされるよりも早く、その空間に置かれたアルヴィンの剣が、攻撃を弾き飛ばしていた。

「なッ……!?」

 続く二人の兵が左右から挟撃を仕掛ける。だが、アルヴィンの思考速度は彼らの遥か先を行く。踏み込む角度、筋肉の収縮、重心移動。その全てを瞬時に演算し、未来を確定させる。

(……右は突き、左は払い。交錯地点は、ここだ)

 彼は振り返りざま、何もない空間に剣を一閃させた。直後、二人の兵士が自らその斬撃に飛び込む形で剣を受け、武器を弾き飛ばされて吹き飛んだ。

「――先置一閃せんちいっせん

 速さではない、読みの極致。
 父から受け継いだ冷徹な論理と母から受け継いだ身体能力。その二つが完全に融合した独自の剣技の前に、私兵たちは為す術もなく制圧された。

 床にへたり込む代官の喉元に、アルヴィンは静かに剣先を突きつけた。

「……命が惜しければ帳簿をすべて渡せ」

 ***

 その日の夕刻。
 シルヴァンの広場に二枚の羊皮紙が掲示された。
 一枚は代官がつけていた不正の証拠である帳簿の写し。
 そしてもう一枚はアルヴィンが書き記した二百年前の特例法の条文と、それに基づき、これまでの徴税が全て違法であったことを示す法的な告発状だった。

 民衆の怒りの声が街を揺るがす。だが、その怒りはもはや代官個人に向けられた暴力的なものではなかった。
 彼らを長年苦しめてきた不当な法そのものへの正当な異議申し立てだった。
 民衆は自らの手で法を正すため、王都へ向けて法改正を求める請願団を組織し始めたのだ。

 俺たちはその光景を丘の上から静かに見届けていた。
 アルヴィンはもはや偉大な両親の影を追うただの青年ではなかった。
 父の知恵と母の剣。その二つを完璧に融合させ、ただ悪を断罪するだけでなく、社会そのものをより良い方向へと導く次代の担い手になったのだ。

「……見事だったな」

 俺が声をかけると、アルヴィンは照れくさそうに笑い、乱れた前髪を直した。

「ありがとうございます。……少しは父上に近づけたでしょうか」

 その仕草と理知的な瞳。俺は彼の姿に重なる、懐かしい二つの影を見た。
 論理で道を切り拓く鋭い知性はかつての親友、カズエル――いや、松尾のもの。
 そして、しなやかで決して折れない強靭な剣技はセリスのもの。
 二人の魂が確かにこの青年の中で息づいている。

「ああ。近づいたどころじゃないさ」

 俺は目を細め、心の中で亡き友に語りかけた。

(なあ、松尾……見てるか?)

 夕日に照らされ、凛と立つアルヴィンの姿。それはかつて俺と背中を預け合った最強の夫婦が、まるでそこに並んで立っているかのような錯覚を覚えさせるほどに頼もしく、そして誇らしいものだった。

「……お前は俺の自慢の仲間だよ」

 俺は心地よい感慨を胸に、吹き抜ける風に身を任せた。
 この頼もしい仲間たちとならば、どのような困難も乗り越えていける。そう確信できる静かな夕暮れだった。
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