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最終章 零(ゼロ)の賢者
第327話 静寂の国の使者
シルヴァンの街での成功をおさめた俺たちは、次なる標的の情報を集めるため、ロルディア王国とドワーフ王国との国境に近い、山脈の麓に隠れ家を構えていた。
その夜、隠れ家の外で見張りをしていたルナが慌てた様子で駆け込んできた。
「カイン! 大変! お客さんだよ! すっごく強そうなお客さん!」
俺とアルヴィンが武器を手に外へと飛び出すと、そこに立っていたのは、月明かりの下、腕を組んで堂々と佇む、小柄だが岩塊のような存在感を放つ影だった。
白銀に輝く長い髭を三つ編みにし、歴戦の傷が刻まれた剛腕。その瞳に宿る光は職人特有の厳しさを残しつつも、長い歳月を経た者だけが持つ、達観した穏やかさを帯びている。
俺はその顔に見覚えがあった。
「……グレンダ、なのか……!?」
かつて俺の剣を鍛え直し、最高の切れ味を与えてくれたドワーフ王国の鍛冶師。二百年以上の歳月は彼女を伝説の存在へと変えていたようだ。
「……ふん。ようやく見つけたじゃないか、カイン」
グレンダは俺の姿を認めると、その無骨な顔をニヤリと歪めた。
「零と呼んだ方がいいのかい? 神出鬼没で人知を超えたやり口。……こんな馬鹿げたことができるのは世界広しといえどアンタくらいのもんだと、王はとっくにお見通しだったよ」
ドワーフ王バルグラス。彼もまた代替わりしているだろうが、王家の記録には俺のことが記されているのだろう。
「……久しいな、グレンダ。だが、何の用だ。見ての通り、俺たちは今、少々忙しい」
「分かってるさ。人間の国の大掃除中なんだろ? だが、これはアタシらドワーフの未来が懸かった一大事なんだ」
グレンダは深く、そして重い溜息をついた。その表情から皮肉めいた笑みが消え、深い憂いが刻まれる。
「……アタシらの国の火が消えかかってるんだよ」
「火……? 炉の火がですか?」
横で聞いていたアルヴィンが怪訝そうに問うと、グレンダは首を横に振った。
「魂の火さ。……永すぎる平和はアタシらの魂から、熱く重い槌を振るう情熱を奪い去っちまった」
彼女は腰に差した自らの槌を愛おしそうに撫でた。
「アタシはもう引退して久しいが、今の若い連中は汗水流して至高の一振りを打つより、人間たちと安物の飾りや、見かけだけの剣を取引する方が楽で儲かると思ってるのさ。……効率だの量産だの、賢しい言葉ばかり覚えて、魂を込めることを忘れちまった」
その言葉は俺の胸に重い衝撃となって突き刺さった。
停滞。腐敗。それは人間だけの病ではなかったのだ。
マルヴェスが愛した静寂――変化のない、死に至る安寧。それは二百年の平和の中で、誇り高きドワーフの魂すらも静かに蝕んでいた。
「このままじゃ、アタシらが誇るドワーフの鍛冶の技はこの代で途絶えちまう。……技術は残っても、魂が死ぬんだ」
グレンダは真摯な瞳で俺を見上げた。
「王は言っておられたよ。あの賢者ならば、あるいは、とね。……カイン殿。頼む。この静まり返ったアタシらの国に、もう一度熱いざわめきをもたらしてくれないか。アタシらが再び槌を振るうべき理由を見つけさせてほしいんだ」
伝説の鍛冶師がその誇りを捨てて深く頭を下げる。
俺たちの活動はあまりにも局所的だった。
人間領のほんの一部、目に見える腐敗を切り取ったところで、この世界全体を覆う巨大な停滞という病の前では、あまりにも無力。
だが、だからこそ――やる意味がある。
俺はこの世直しの本当の難しさと、自らが背負うべき責任の重さを、この静寂の国からの使者によって改めて痛感させられたのだ。そして同時に、胸の奥で新たな炎が灯るのを感じた。
「……今はまだ、行けない」
俺は静かに、しかし力強く答えた。
「俺たちは今、このロルディア王国の剪定中だ。中途半端に投げ出して、他の国へ行くことはできない」
グレンダの顔に落胆の色が浮かびかけた、その瞬間。
「だが、約束する」
俺は彼女の目を見て、ニッと笑った。
「この国の剪定が終わり次第、必ずそっちへも顔を出す。……その時は退屈で死にかけたドワーフたちを叩き起こしてやるさ。俺たちの騒音でな」
その言葉にグレンダは呆気にとられたような顔をし、やがて満足そうに破顔した。
「……ふん。相変わらず、大口を叩く男だ。いいだろう、王にはそう伝えておくよ。最高の嵐が来るから、炉の火を絶やすなとな」
グレンダは短く手を振ると、再び闇の中へその姿を消していった。残された俺たちは夜空を見上げる。
「ドワーフの国かぁ。面白そうだね!」
「ええ。我々の戦いはこの国だけで終わるものではないということですね」
ルナとアルヴィンも、その表情に悲壮感はない。むしろ、未来への希望に目を輝かせている。
俺たちの旅はまだ終わらない。だがその前に――。
「まずは目の前の仕事を片付けるぞ」
俺は王都の方角を見据えた。そこには俺たちを影の王が待ち構えているのだ。
ロルディアでの戦いは、いよいよ最終局面へと動き出す。
その夜、隠れ家の外で見張りをしていたルナが慌てた様子で駆け込んできた。
「カイン! 大変! お客さんだよ! すっごく強そうなお客さん!」
俺とアルヴィンが武器を手に外へと飛び出すと、そこに立っていたのは、月明かりの下、腕を組んで堂々と佇む、小柄だが岩塊のような存在感を放つ影だった。
白銀に輝く長い髭を三つ編みにし、歴戦の傷が刻まれた剛腕。その瞳に宿る光は職人特有の厳しさを残しつつも、長い歳月を経た者だけが持つ、達観した穏やかさを帯びている。
俺はその顔に見覚えがあった。
「……グレンダ、なのか……!?」
かつて俺の剣を鍛え直し、最高の切れ味を与えてくれたドワーフ王国の鍛冶師。二百年以上の歳月は彼女を伝説の存在へと変えていたようだ。
「……ふん。ようやく見つけたじゃないか、カイン」
グレンダは俺の姿を認めると、その無骨な顔をニヤリと歪めた。
「零と呼んだ方がいいのかい? 神出鬼没で人知を超えたやり口。……こんな馬鹿げたことができるのは世界広しといえどアンタくらいのもんだと、王はとっくにお見通しだったよ」
ドワーフ王バルグラス。彼もまた代替わりしているだろうが、王家の記録には俺のことが記されているのだろう。
「……久しいな、グレンダ。だが、何の用だ。見ての通り、俺たちは今、少々忙しい」
「分かってるさ。人間の国の大掃除中なんだろ? だが、これはアタシらドワーフの未来が懸かった一大事なんだ」
グレンダは深く、そして重い溜息をついた。その表情から皮肉めいた笑みが消え、深い憂いが刻まれる。
「……アタシらの国の火が消えかかってるんだよ」
「火……? 炉の火がですか?」
横で聞いていたアルヴィンが怪訝そうに問うと、グレンダは首を横に振った。
「魂の火さ。……永すぎる平和はアタシらの魂から、熱く重い槌を振るう情熱を奪い去っちまった」
彼女は腰に差した自らの槌を愛おしそうに撫でた。
「アタシはもう引退して久しいが、今の若い連中は汗水流して至高の一振りを打つより、人間たちと安物の飾りや、見かけだけの剣を取引する方が楽で儲かると思ってるのさ。……効率だの量産だの、賢しい言葉ばかり覚えて、魂を込めることを忘れちまった」
その言葉は俺の胸に重い衝撃となって突き刺さった。
停滞。腐敗。それは人間だけの病ではなかったのだ。
マルヴェスが愛した静寂――変化のない、死に至る安寧。それは二百年の平和の中で、誇り高きドワーフの魂すらも静かに蝕んでいた。
「このままじゃ、アタシらが誇るドワーフの鍛冶の技はこの代で途絶えちまう。……技術は残っても、魂が死ぬんだ」
グレンダは真摯な瞳で俺を見上げた。
「王は言っておられたよ。あの賢者ならば、あるいは、とね。……カイン殿。頼む。この静まり返ったアタシらの国に、もう一度熱いざわめきをもたらしてくれないか。アタシらが再び槌を振るうべき理由を見つけさせてほしいんだ」
伝説の鍛冶師がその誇りを捨てて深く頭を下げる。
俺たちの活動はあまりにも局所的だった。
人間領のほんの一部、目に見える腐敗を切り取ったところで、この世界全体を覆う巨大な停滞という病の前では、あまりにも無力。
だが、だからこそ――やる意味がある。
俺はこの世直しの本当の難しさと、自らが背負うべき責任の重さを、この静寂の国からの使者によって改めて痛感させられたのだ。そして同時に、胸の奥で新たな炎が灯るのを感じた。
「……今はまだ、行けない」
俺は静かに、しかし力強く答えた。
「俺たちは今、このロルディア王国の剪定中だ。中途半端に投げ出して、他の国へ行くことはできない」
グレンダの顔に落胆の色が浮かびかけた、その瞬間。
「だが、約束する」
俺は彼女の目を見て、ニッと笑った。
「この国の剪定が終わり次第、必ずそっちへも顔を出す。……その時は退屈で死にかけたドワーフたちを叩き起こしてやるさ。俺たちの騒音でな」
その言葉にグレンダは呆気にとられたような顔をし、やがて満足そうに破顔した。
「……ふん。相変わらず、大口を叩く男だ。いいだろう、王にはそう伝えておくよ。最高の嵐が来るから、炉の火を絶やすなとな」
グレンダは短く手を振ると、再び闇の中へその姿を消していった。残された俺たちは夜空を見上げる。
「ドワーフの国かぁ。面白そうだね!」
「ええ。我々の戦いはこの国だけで終わるものではないということですね」
ルナとアルヴィンも、その表情に悲壮感はない。むしろ、未来への希望に目を輝かせている。
俺たちの旅はまだ終わらない。だがその前に――。
「まずは目の前の仕事を片付けるぞ」
俺は王都の方角を見据えた。そこには俺たちを影の王が待ち構えているのだ。
ロルディアでの戦いは、いよいよ最終局面へと動き出す。
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