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最終章 零(ゼロ)の賢者
第330話 零の賢者
聖人オルダス公爵の墜落。
その事件は二百年の永い眠りについていたロルディア王国を根底から揺さぶり、叩き起こした。
零によって白日の下に晒された真実は民衆の怒りの奔流となり、腐敗した貴族社会を洗い流していく。
公爵に連なる者たちは次々とその地位を追われ、若き国王ライオネルは民の声に後押しされる形で、大規模な国の改革を断行せざるを得なくなった。
世界は再びざわめき始めたのだ。
***
それから数年後。
俺たちは名もなき街道を静かに歩いていた。
隣には頼もしい姿へと成長した炎の守護者ルナ。そして、父カズエルの面影を色濃く残すハーフエルフのアルヴィン。
俺たちのロルディア王国での世直しはオルダス公爵の一件をもって、一つの終わりを告げた。
「……見て、カイン」
ルナが丘の上から、眼下に広がる街を指差した。
そこは数年前に俺たちが最初に剪定を行った港町ポルトスだった。
かつての淀んだ空気はそこにはなく、人々は貧しいながらもその顔に活気を取り戻している。
新しい商会が生まれ、小さな船が希望を乗せて大海原へと漕ぎ出していく。
「……綺麗だね」
その光景にルナが心の底から嬉しそうにつぶやいた。
(……ああ、綺麗だ)
俺は心の中で静かに応える。
俺たちがやったことは正義ではなかったのかもしれない。ただの破壊だったのかもしれない。だが、その破壊の跡地に、こうして新しい命が芽吹いている。
それで十分だった。
『……悪くない景色だな』
魂の内側でカイランが満足げにつぶやいた。
彼もまた、この予測不能な世界のざわめきを、最高の娯楽として楽しんでいるようだった。
「これで、ロルディア王国の剪定は完了ですね」
アルヴィンが爽やかな風を受けながら俺を見た。
「ですが、まだ約束が残っています。鉄と蒸気の国で待つ、鍛冶師との約束が」
「ああ、そうだったな」
グレンダからの懇願。停滞に沈むドワーフの国。そこにはまた新たな壁と、俺たちが起こすべき、ざわめきが待っているはずだ。
「ドワーフの国かぁ! 今はどうなってるのかな。早く行こうよ、カイン!」
ルナが待ちきれない様子で跳ねる。
俺たちの旅は終わらない。むしろ、ここからが本当の始まりだ。だが――。
俺は仲間たちに向き直ると、二百年の憂鬱が嘘のように晴れやかな笑みを浮かべた。
「ああ、必ず行こう。……だがその前に、まずは帰ろうか。俺たちの家に」
その言葉にルナとアルヴィンは顔を見合わせ、そして満面の笑みでうなずいた。
***
エルフェンリートの森は俺たちを変わらぬ優しさで迎えてくれた。
賢者の住居の扉を開けると、そこには俺たちの帰りをずっと待ち続けてくれていた温かい光景が広がっていた。
「おかえりなさい、カイン。そして、二人とも」
エルンが穏やかな笑みで俺たちを出迎える。
その隣には息子のたくましい成長に涙ぐみながらも誇らしげな表情を浮かべるセリスの姿もあった。
暖炉の火を囲み、俺たちはこの数年間の旅の出来事を語り聞かせた。
零として何を思い、何をしてきたのか。その全てを。
アルヴィンの知略と剣技の活躍を聞き、セリスは愛おしそうにその栗色の髪を撫でた。
「……立派になりましたね、アルヴィン。あなたのお父様も、きっと天の上で喜んでいますよ」
その言葉にアルヴィンは少しだけ照れくさそうに、しかし力強くうなずいた。
エルンは、ただじっと俺の顔を見つめていた。
「……おかえりなさい、カイン」
彼女はもう一度、そう言った。
「ええ、本当に。以前のあなたとはまるで別人のよう。その瞳、昔の……いいえ、それ以上に強く輝いているわ」
彼女の瞳には俺の心の闇が晴れたことへの、心の底からの安堵と喜びが浮かんでいた。
俺がその温かい言葉に何かを返そうとした、その時だった。俺の瞳が不意にカイランの持つ深い蒼色に変わる。
「なに、この男が一人でやったわけではない。この私という、最高のパートナーがいてこそだ」
俺の口から、カイランのどこかおどけたような声が響いた。彼は自らの意志で自由に魂の表層へと現れることができるようになっていたのだ。
「これからは、こうして私もいつでも茶会に参加できるぞ」
そのあまりにも予想外の出来事に、エルンとセリスが驚きに目を見開く。
ルナはそんな俺の腕に嬉しそうに抱きついた。
「うん! ルナ、やっぱりカインと一緒にいて、本当によかった!」
賢者の住居は久しぶりに仲間たちの温かい笑い声に包まれた。
世界の停滞が完全に解消されたわけではない。新たな腐敗はまたいつか、どこかで必ず生まれるだろう。
そして、ドワーフの国では新たな冒険が俺たちを待っている。だが、もう俺は一人でその全てを背負う必要はない。
俺にはこのかけがえのない仲間たちがいる。そして、帰るべきこの温かい場所がある。この光景を胸に刻みながら、俺は自らの魂に改めて誓う。
そうだ、俺はこの世界をざわつかせ続ける、新たな混沌として、この永い、永い時を生きていく。
夕陽に照らされた部屋で仲間たちと笑い合う男。
その男はかつて50代の無職だった。
そして今、彼はこの世界でこう呼ばれている。
――零の賢者、と。
【50代無職、エルフに転生で異世界ざわつく 完】
その事件は二百年の永い眠りについていたロルディア王国を根底から揺さぶり、叩き起こした。
零によって白日の下に晒された真実は民衆の怒りの奔流となり、腐敗した貴族社会を洗い流していく。
公爵に連なる者たちは次々とその地位を追われ、若き国王ライオネルは民の声に後押しされる形で、大規模な国の改革を断行せざるを得なくなった。
世界は再びざわめき始めたのだ。
***
それから数年後。
俺たちは名もなき街道を静かに歩いていた。
隣には頼もしい姿へと成長した炎の守護者ルナ。そして、父カズエルの面影を色濃く残すハーフエルフのアルヴィン。
俺たちのロルディア王国での世直しはオルダス公爵の一件をもって、一つの終わりを告げた。
「……見て、カイン」
ルナが丘の上から、眼下に広がる街を指差した。
そこは数年前に俺たちが最初に剪定を行った港町ポルトスだった。
かつての淀んだ空気はそこにはなく、人々は貧しいながらもその顔に活気を取り戻している。
新しい商会が生まれ、小さな船が希望を乗せて大海原へと漕ぎ出していく。
「……綺麗だね」
その光景にルナが心の底から嬉しそうにつぶやいた。
(……ああ、綺麗だ)
俺は心の中で静かに応える。
俺たちがやったことは正義ではなかったのかもしれない。ただの破壊だったのかもしれない。だが、その破壊の跡地に、こうして新しい命が芽吹いている。
それで十分だった。
『……悪くない景色だな』
魂の内側でカイランが満足げにつぶやいた。
彼もまた、この予測不能な世界のざわめきを、最高の娯楽として楽しんでいるようだった。
「これで、ロルディア王国の剪定は完了ですね」
アルヴィンが爽やかな風を受けながら俺を見た。
「ですが、まだ約束が残っています。鉄と蒸気の国で待つ、鍛冶師との約束が」
「ああ、そうだったな」
グレンダからの懇願。停滞に沈むドワーフの国。そこにはまた新たな壁と、俺たちが起こすべき、ざわめきが待っているはずだ。
「ドワーフの国かぁ! 今はどうなってるのかな。早く行こうよ、カイン!」
ルナが待ちきれない様子で跳ねる。
俺たちの旅は終わらない。むしろ、ここからが本当の始まりだ。だが――。
俺は仲間たちに向き直ると、二百年の憂鬱が嘘のように晴れやかな笑みを浮かべた。
「ああ、必ず行こう。……だがその前に、まずは帰ろうか。俺たちの家に」
その言葉にルナとアルヴィンは顔を見合わせ、そして満面の笑みでうなずいた。
***
エルフェンリートの森は俺たちを変わらぬ優しさで迎えてくれた。
賢者の住居の扉を開けると、そこには俺たちの帰りをずっと待ち続けてくれていた温かい光景が広がっていた。
「おかえりなさい、カイン。そして、二人とも」
エルンが穏やかな笑みで俺たちを出迎える。
その隣には息子のたくましい成長に涙ぐみながらも誇らしげな表情を浮かべるセリスの姿もあった。
暖炉の火を囲み、俺たちはこの数年間の旅の出来事を語り聞かせた。
零として何を思い、何をしてきたのか。その全てを。
アルヴィンの知略と剣技の活躍を聞き、セリスは愛おしそうにその栗色の髪を撫でた。
「……立派になりましたね、アルヴィン。あなたのお父様も、きっと天の上で喜んでいますよ」
その言葉にアルヴィンは少しだけ照れくさそうに、しかし力強くうなずいた。
エルンは、ただじっと俺の顔を見つめていた。
「……おかえりなさい、カイン」
彼女はもう一度、そう言った。
「ええ、本当に。以前のあなたとはまるで別人のよう。その瞳、昔の……いいえ、それ以上に強く輝いているわ」
彼女の瞳には俺の心の闇が晴れたことへの、心の底からの安堵と喜びが浮かんでいた。
俺がその温かい言葉に何かを返そうとした、その時だった。俺の瞳が不意にカイランの持つ深い蒼色に変わる。
「なに、この男が一人でやったわけではない。この私という、最高のパートナーがいてこそだ」
俺の口から、カイランのどこかおどけたような声が響いた。彼は自らの意志で自由に魂の表層へと現れることができるようになっていたのだ。
「これからは、こうして私もいつでも茶会に参加できるぞ」
そのあまりにも予想外の出来事に、エルンとセリスが驚きに目を見開く。
ルナはそんな俺の腕に嬉しそうに抱きついた。
「うん! ルナ、やっぱりカインと一緒にいて、本当によかった!」
賢者の住居は久しぶりに仲間たちの温かい笑い声に包まれた。
世界の停滞が完全に解消されたわけではない。新たな腐敗はまたいつか、どこかで必ず生まれるだろう。
そして、ドワーフの国では新たな冒険が俺たちを待っている。だが、もう俺は一人でその全てを背負う必要はない。
俺にはこのかけがえのない仲間たちがいる。そして、帰るべきこの温かい場所がある。この光景を胸に刻みながら、俺は自らの魂に改めて誓う。
そうだ、俺はこの世界をざわつかせ続ける、新たな混沌として、この永い、永い時を生きていく。
夕陽に照らされた部屋で仲間たちと笑い合う男。
その男はかつて50代の無職だった。
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