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第十二章
第312話 ゼンダーソン
しおりを挟む――それはただの『壁』ではなく、肉の壁だった。
二メートルを優に超える身の丈をしたその男の肉体は、まるで鋼鉄のようだ。
少しくすんだ金髪を、リーゼントにまとめた髪が特徴的で、体のあちこちには獣人としての特徴が見受けられる。
完全に獣に近いジェンツーほどではないが、大分獣としての血が濃いようだ。
冬だというのに身に付けている服は露出した部分が多めで、籠手などで一部を守っている以外、鎧なども身に付けていない。
見たところ武器も帯びておらず、見た目の頑健な肉体からして格闘系の使い手のように見える。
そんな軽装といっていい男だが、見る人が見れば、身に付けている衣服や籠手が一級品である事が分かるだろう。
Aランク冒険者であるシルヴァーノの一撃を、たやすく受け止めた獣人の男。
さしものシルヴァーノも何が起こったのか理解出来ていないようで、距離を取る事も忘れて割り込んできた獣人の男に注目する。
見た目の特徴からそれが獣人である事は明らかであり、日頃劣等種と貶めている獣人に攻撃をあっさりと防がれた事は、シルヴァーノにとって屈辱以外の何物でもなかった。
その事で再び我を忘れたシルヴァーノは、陽子らの事などを一切忘れたかのように、今度は獣人の男にターゲットを絞って、再び攻撃をしかけていく。
互いに至近距離のまま、それも今度はシルヴァーノが"纏気術"を使用しているので、攻撃の威力は跳ね上がっている。
だが獣人の男は先ほどと同じように、難なくシルヴァーノの拳を受け止める。
「何や? まだやろうっちゅうんかい。ハハッ、やっぱたまには外に出るのもいい――」
「っるせえええぇぇ!!」
「おおっとぉ」
余裕の態度を崩さない獣人の男に、シルヴァーノは素手による攻撃を加えていく。
獣人の男と比べ、こちらは大分余裕がなくなっているシルヴァーノだが、腰に帯びた剣に手をかけるまでには至っていない。
しかし元々"格闘術"などのスキルを持ち合わせていないシルヴァーノでは、素手での殴り合いだと獣人の男に歯が立たない。
Cランク位の相手であれば、素手だけでもステータスやスキルなどで十分やり合えるだけに、獣人の男が少なくともそれ以上の強さを持っているのは明らかだ。
「こっ、のっ!」
Aランク冒険者である自分が、まるで格下であるかのようにいいようにもてあそばれている状況に、シルヴァーノは苛立ちを募らせる。
元々ちょっとした事ですぐキレるシルヴァーノであったが、それは心の表面上だけの衝動的なものだった。
これは本人が意識してやってる事ではないが、早い段階でキレることで、苛立ちを発散させて冷静さを保つ役割があった。
だからこそ見た目ではキレ散らかしているように見えるシルヴァーノだったが、剣を抜くまでには至っていない。
何か揉め事を起こした際も、大抵はその段階で相手を叩きのめしているので、大ごとになる事も余りなかった。
しかし今回は半ギレ状態になっても、相手が引き下がる事がなかった。
それどころか、「中々練られた"纏気術"やな」とか、「ガハハッ! それは甘いで」などと、必死に攻撃を仕掛けるシルヴァーノを茶化すような余裕を見せてくる。
こうした状況に、罵倒の言葉で埋められていたシルヴァーノの脳内が、限界を迎えて逆に何も考えなくなっていく。
理性や倫理観といったものが全て吹き飛び、本能を起点とする命令を脳が発すると、シルヴァーノは手っ取り早くストレスの原因を排除するべく体を動かす。
「そら、アカンなあ」
それはこれまでの茶化したような口調ではなく、どこか静けさを感じさせる口調だった。
一瞬後。
腰の剣に手をかけようとしていたシルヴァーノは、獣人の男の拳を腹に受け、そのまま大きく後ろに吹き飛ばされる。
「ぐあぁぁぁぁ」
その声はシルヴァーノの上げた声ではなく、シルヴァーノが吹き飛ばされた先にいたガタイの良い、冒険者にしては珍しい金属鎧をまとった男の声だった。
「おー、スマンスマン。咄嗟に受け止められそうなんがオノレくらいやったんでな」
とばっちりを受けた金属鎧の男は思わず声を上げてしまっていたが、ダメージそのものは大したことはない。
結構な勢いで吹っ飛んできたシルヴァーノの体は、金属鎧の男にそれなりの衝撃を齎してはいた。
だが金属鎧の男はCランク冒険者だったので、しっかりとシルヴァーノを受け止めることができていた。
「あ、ああ……。まあ、これくらい……」
冒険者は気性の荒い者が多いし、別にそこまででなくても、このような目に会えば文句の一つも言うのが普通だ。
しかし金属鎧の男は完全に獣人の男に呑まれていて、かろうじてそう返事するのがやっとだった。
「くっ、ぐぐぐ……。貴様ぁぁ!」
金属鎧の男に受け止められる形となったシルヴァーノは、殴られた箇所を右手で抑えながら、呻くようにして言葉を絞り出す。
ダメージのせいか、すぐには立ち上がる事もできないようで、床に膝をついた状態のままだ。
「『勇者』であり、Aランク冒険者でもあるこのシルヴァーノに、舐めた真似しやがって。タダで済むと思うなよ!」
「ハァー? そんなん知らんわボケ。たかがAランクごときで威張り腐るたぁ、御里が知れるで」
「獣人ごときが何をぬかす! 俺はこの国で最強の冒険者だぞ!」
「最強? はん、笑わせるなや。ちゅうか自分、その感じやと帝国の方の出身か?」
「妙な言いがかりをつけるな。俺はこの国の生まれだ」
一時は殴り合いにまで発展していた為、二人の周囲には一定の距離を開けて野次馬の冒険者たちが集まっている。
通常であれば、「やれやれー!」だとか「どっちに賭ける?」だとかいったやり取りが始まっていてもおかしくはないのだが、今回は相手が相手なだけに、珍しく騒ぎもせずに様子を見守っている。
とはいえ少し抑えた声量で話をしてる者は多い。
「おいおい、あの獣人の男はいったいなにもんだ?」
「あれって例の『勇者』だろう? 手を抜くような奴でもないしなあ」
「ここらじゃ見た事ねー顔だから、他所の国から流れてきた奴だと思うが……」
といったように、注目はシルヴァーノよりも、シルヴァーノを圧倒している獣人の男に向けられている。
そうした周囲のざわめきを拾ったシルヴァーノは、今更になってこの男に"鑑定"を使っていない事を思い出す。
(俺とした事が熱くなって基本的な事を忘れちまった。こいつの正体は――)
そこでシルヴァーノは獣人の男に対して"鑑定"スキルを使用する。
これで相手の素性、スキル構成が分かれば、大口を叩くこの獣人の男を、地面に這いつくばらせる事も出来るだろう。
一瞬シルヴァーノの脳裏にはその光景が浮かび始めていたのだが、次の瞬間その妄想は一気に崩れ去った。
(なっ……!? "鑑定"で何も見えない……だとっ! 発動をミスったか!?)
そんな事は今までになかったのだが、これまでになかった反応に、再度"鑑定"を使用するも結果は同じ。
だがシルヴァーノにとって、相手に優位に立てる"鑑定"というスキルは、これまで何度も世話になっていた、今の自分の根幹をなす力のひとつだ。
その為、"鑑定"が通用しないという事を受け入れられず、何度も愚直に獣人の男に対して"鑑定"スキルを使用し続けるシルヴァーノ。
「ええ加減にせいや。俺に"鑑定"は効かん」
「…………ッ!?」
「ふんっ、なるほど。"鑑定"スキルで自分より弱い相手とばかり戦っとったら、こんなお山の大将が出来上がったっちゅう訳やな」
獣人の男の言葉に、シルヴァーノだけでなく、周囲の冒険者も思わず息をのむ。
冒険者の中には自ら自分のスキルやレベルを明かし、強さを誇示するという者もいないでもないが、やはり自分の預かり知らぬところで能力を知られるというのは良い気分ではない。
すでにシルヴァーノはAランクの実力があるし、ベネティス領主という貴族との繋がりもあるから問題ないが、下手に低ランクに"鑑定"持ちの冒険者がいたら、複雑な立場に置かれることになる。
まず大抵はどこか別の組織……今このギルド支部の鑑定屋として赴任しているコーネストのように、商会関係の方からスカウトされたり、諜報組織などに
引き抜かれたりといった誘いがかかるだろう。
「"鑑定"なんぞ使わんでも、こう言えば自分が何をしでかしたか分かるやろ。俺の名はゼンダーソン。『ユーラブリカ』を根城にしとる、Sランク冒険者や」
獣人の男――ゼンダーソンが名乗りを上げると、それまでひそひそと話していた周囲の冒険者たちも、一斉に静まり返るのだった。
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この日を迎えられたのは、長年にわたり、Webで私の拙い物語を応援し続けてくださった、読者の皆様のおかげです。
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