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第4章 渓谷のオアシス
第1話(1)
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「恐れ入ります、ベルンシュタイン侍従長様」
背後から遠慮がちに声をかけられた老齢の人物は、回廊を進む足を止めた。
エセルバート・ベルンシュタイン。ローレンシア王家王室府における侍従長を、前の第7代君主、イアン・アルフレッドのころより18年の長きにわたり勤め上げている男である。まもなく70に手が届こうかという年齢にもかかわらず、ピンと伸びた背筋と、澄んだ光を放つ双眸の中に老いの影は見当たらない。
その王室府の長、ベルンシュタインを呼び止めたのは、王家専属の医療スタッフを束ねる王室医療センターの医局長、フリップ・ゴードンであった。場所は、現ローレシア国王クリストファー・ガブリエルの居城、マルガリータ宮の西の庭園に面した内回廊でのこと。『真珠』の名に相応しい壮麗さを誇る、白亜の大宮殿である。
呼び声に振り向き、相手の姿を認めた侍従長は、近づいてくるゴードンに姿勢を正して向きなおった。
「如何されました、医局長」
静かに問いかける侍従長に、ゴードンは恐縮の態で視線を落とした。
「お忙しいところをお呼び止めして申し訳ありません」
「もしや、陛下になにか?」
「いえ、そちらのほうは、とくにはなにも」
侍従長の懸念を即座に否定したあとで、ゴードンは意を決したように口を開いた。
「差し出たこととは思うのですが、科学開発技術省長官の件、小耳に挟みまして……」
呼び止められた理由を察したベルンシュタインは、医局長を目顔でうながした。
「よろしければ、執務室のほうでお茶でも如何です? いい茶葉が手に入ったのですよ」
廊下で立ち話をするには憚られる内容である。やんわりと示唆され、ゴードンはすぐさま侍従長の言を受け容れた。
ゴードンが呼び止めた場所から宮殿内に設けられた王室府の侍従長室までは、目と鼻の先の距離。ちょうどその執務室に戻る途中であったベルンシュタインに伴われ、ゴードンは王室府を訪れた。宮殿内のことから国王をはじめとする王家の人間の公務、私生活に至るまでを細かに管理し、円滑に日常が送れるよう補佐する部署である。随時500名からの職員が従属しており、さまざまな対応にあたっていた。
「いい茶葉を入手した、というのは本当なのですよ」
侍従長専用の執務室にゴードンを招き入れたベルンシュタインは、客人に応接用の長椅子を勧めた後、戸棚から有名な専門店の銘柄が刻印された紅茶の缶を取り出した。仕事の合間に手ずから淹れた茶を喫することも多いのだろう。王宮に勤める者の中でも高位を極める立場にありながら、ベルンシュタインは慣れた様子で茶器をセットすると、部屋の隅に設置された専用サーバーで食器を温めて、茶葉を投入したポットに湯を注いでいった。洗練された所作と見事な手並み。高徳にして廉潔な人柄で知られる侍従長は、質の高い茶葉の魅力を最大限に引き出したお茶を饗して客人をもてなした。
勧められるまま、ゴードンが手にとったカップを口許に運ぶと、上品な香りが鼻腔へと立ちのぼる。目にもあざやかな紅が、白磁の器のすべらかな表面を美しく染め上げていた。
背後から遠慮がちに声をかけられた老齢の人物は、回廊を進む足を止めた。
エセルバート・ベルンシュタイン。ローレンシア王家王室府における侍従長を、前の第7代君主、イアン・アルフレッドのころより18年の長きにわたり勤め上げている男である。まもなく70に手が届こうかという年齢にもかかわらず、ピンと伸びた背筋と、澄んだ光を放つ双眸の中に老いの影は見当たらない。
その王室府の長、ベルンシュタインを呼び止めたのは、王家専属の医療スタッフを束ねる王室医療センターの医局長、フリップ・ゴードンであった。場所は、現ローレシア国王クリストファー・ガブリエルの居城、マルガリータ宮の西の庭園に面した内回廊でのこと。『真珠』の名に相応しい壮麗さを誇る、白亜の大宮殿である。
呼び声に振り向き、相手の姿を認めた侍従長は、近づいてくるゴードンに姿勢を正して向きなおった。
「如何されました、医局長」
静かに問いかける侍従長に、ゴードンは恐縮の態で視線を落とした。
「お忙しいところをお呼び止めして申し訳ありません」
「もしや、陛下になにか?」
「いえ、そちらのほうは、とくにはなにも」
侍従長の懸念を即座に否定したあとで、ゴードンは意を決したように口を開いた。
「差し出たこととは思うのですが、科学開発技術省長官の件、小耳に挟みまして……」
呼び止められた理由を察したベルンシュタインは、医局長を目顔でうながした。
「よろしければ、執務室のほうでお茶でも如何です? いい茶葉が手に入ったのですよ」
廊下で立ち話をするには憚られる内容である。やんわりと示唆され、ゴードンはすぐさま侍従長の言を受け容れた。
ゴードンが呼び止めた場所から宮殿内に設けられた王室府の侍従長室までは、目と鼻の先の距離。ちょうどその執務室に戻る途中であったベルンシュタインに伴われ、ゴードンは王室府を訪れた。宮殿内のことから国王をはじめとする王家の人間の公務、私生活に至るまでを細かに管理し、円滑に日常が送れるよう補佐する部署である。随時500名からの職員が従属しており、さまざまな対応にあたっていた。
「いい茶葉を入手した、というのは本当なのですよ」
侍従長専用の執務室にゴードンを招き入れたベルンシュタインは、客人に応接用の長椅子を勧めた後、戸棚から有名な専門店の銘柄が刻印された紅茶の缶を取り出した。仕事の合間に手ずから淹れた茶を喫することも多いのだろう。王宮に勤める者の中でも高位を極める立場にありながら、ベルンシュタインは慣れた様子で茶器をセットすると、部屋の隅に設置された専用サーバーで食器を温めて、茶葉を投入したポットに湯を注いでいった。洗練された所作と見事な手並み。高徳にして廉潔な人柄で知られる侍従長は、質の高い茶葉の魅力を最大限に引き出したお茶を饗して客人をもてなした。
勧められるまま、ゴードンが手にとったカップを口許に運ぶと、上品な香りが鼻腔へと立ちのぼる。目にもあざやかな紅が、白磁の器のすべらかな表面を美しく染め上げていた。
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