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第7章 追憶
第2話(4)
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「ま、どれも乳歯だったから問題はなかったけどな」
「でも、そのおかげであなたは、大切なものを手放さずに済んだのですね」
「まあな。大切かどうかは、いまだに自分の中で落としどころが見つからないままだが、そのときに言われたのが、さっきのおまえのセリフとおなじだったんだ。やむを得ない事情であんたを手放した親が、どれだけあんたのことを大切に想っていたか、そんなこともわからないのかってな」
殴り飛ばした当人が泣きじゃくりながら責め立てたため、シリルのほうはすっかり毒気を抜かれて反論ひとつすることができなかった。
「いい方だったのですね」
「乱暴な女だったけどな」
懐かしむように細められる目。だが。
「その方は、いまもリマに?」
リュークの問いかけに、わずかに重い沈黙が落ちた。
「死んだよ」
ポツリとした呟きとともに、眼差しの中に昏い翳が宿った。
「俺が14の歳に、買い物に出た先で暴漢に襲われて呆気なく」
「……すみません」
「おまえが謝ることじゃない」
子供たちに姉のように慕われていたノエラ。彼女はシリルにとって、とりわけ特別な存在だった。世話好きで面倒見がよく、くるくるとよく変わる表情で笑い、怒り、1日中さまざまな雑用をこなして楽しそうに働いていた。分け隔てなく子供たちと接し、他の職員たちとも良好な関係を築き、一見、施設の中に完全に馴染んでいるかのようだった。だがノエラには、普段見せない裏の部分に、別の一面を内在させているようなところがあった。否、明確に裏の顔があったわけではない。それでもシリルは、『普通』に振る舞う彼女の中に違和感をおぼえる瞬間があった。
子供たちに平等に接するふり。職員のひとりとして馴染んだふり。
その『普通の女』の、自分を見る目が時折変わる。『子供たちのひとり』ではなく、どこか特別なものを含んだ眼差し。その瞬間に顕れる、孤児院どころか、リマの街にすらそぐわない物腰と雰囲気。
いつも、ほんの一瞬だけ覗く違和感。その正体がわからぬまま、彼女は結局、自分のまえから消えてしまった。
喪われてはじめて気づいた、淡い想い――
「俺がリマにいたのは15までのことだ。あとは各地を転々とするうちに、いつのまにかいまの仕事に就いていた」
ノエラの消えた場所に、自分の居場所を見いだすことはできなかった。早い自立ではあったが、だからこそ、いまの自分が在る。そのこと自体には満足していた。
「リマを離れて、もう10年以上になる。だが、それでも俺を憶えてる奴はそれなりにいるはずだ。なんせ、乳歯が生え替わらない歳で、親が残してくれたものを闇市で売りさばこうとするようなクソガキだったからな」
シリルは低く笑った。
その後、裏社会で知れわたるようになった凄腕のイリーガル・トランスポーターの名は、リマのような街だからこそ、ひそかに浸透したことは疑いない。リマを出て以降、一度も戻ることはなかった。だが、自分を知る者たちのあいだで、その存在はいまなお根強く印象に残っているだろう。行けば、必ず足がつく。それゆえの回避。
いまでも時折夢に見ることがある。なぜ、あのときひとりでノエラを買い出しに行かせてしまったのか、と。
学校からの帰り、ちょうど出かけるところだった彼女とばったり出くわした。
『シリル、あんた荷物持ちで一緒に行かない?』
軽い口調でかけられた誘いを、シリルは一蹴した。思春期ならではの、子供じみた照れ隠しだった。そんな微妙な気持ちを察したのか、彼女は笑って手を振り、ひとりで出かけていった。そしてそれっきり、二度と戻らなかった――
「でも、そのおかげであなたは、大切なものを手放さずに済んだのですね」
「まあな。大切かどうかは、いまだに自分の中で落としどころが見つからないままだが、そのときに言われたのが、さっきのおまえのセリフとおなじだったんだ。やむを得ない事情であんたを手放した親が、どれだけあんたのことを大切に想っていたか、そんなこともわからないのかってな」
殴り飛ばした当人が泣きじゃくりながら責め立てたため、シリルのほうはすっかり毒気を抜かれて反論ひとつすることができなかった。
「いい方だったのですね」
「乱暴な女だったけどな」
懐かしむように細められる目。だが。
「その方は、いまもリマに?」
リュークの問いかけに、わずかに重い沈黙が落ちた。
「死んだよ」
ポツリとした呟きとともに、眼差しの中に昏い翳が宿った。
「俺が14の歳に、買い物に出た先で暴漢に襲われて呆気なく」
「……すみません」
「おまえが謝ることじゃない」
子供たちに姉のように慕われていたノエラ。彼女はシリルにとって、とりわけ特別な存在だった。世話好きで面倒見がよく、くるくるとよく変わる表情で笑い、怒り、1日中さまざまな雑用をこなして楽しそうに働いていた。分け隔てなく子供たちと接し、他の職員たちとも良好な関係を築き、一見、施設の中に完全に馴染んでいるかのようだった。だがノエラには、普段見せない裏の部分に、別の一面を内在させているようなところがあった。否、明確に裏の顔があったわけではない。それでもシリルは、『普通』に振る舞う彼女の中に違和感をおぼえる瞬間があった。
子供たちに平等に接するふり。職員のひとりとして馴染んだふり。
その『普通の女』の、自分を見る目が時折変わる。『子供たちのひとり』ではなく、どこか特別なものを含んだ眼差し。その瞬間に顕れる、孤児院どころか、リマの街にすらそぐわない物腰と雰囲気。
いつも、ほんの一瞬だけ覗く違和感。その正体がわからぬまま、彼女は結局、自分のまえから消えてしまった。
喪われてはじめて気づいた、淡い想い――
「俺がリマにいたのは15までのことだ。あとは各地を転々とするうちに、いつのまにかいまの仕事に就いていた」
ノエラの消えた場所に、自分の居場所を見いだすことはできなかった。早い自立ではあったが、だからこそ、いまの自分が在る。そのこと自体には満足していた。
「リマを離れて、もう10年以上になる。だが、それでも俺を憶えてる奴はそれなりにいるはずだ。なんせ、乳歯が生え替わらない歳で、親が残してくれたものを闇市で売りさばこうとするようなクソガキだったからな」
シリルは低く笑った。
その後、裏社会で知れわたるようになった凄腕のイリーガル・トランスポーターの名は、リマのような街だからこそ、ひそかに浸透したことは疑いない。リマを出て以降、一度も戻ることはなかった。だが、自分を知る者たちのあいだで、その存在はいまなお根強く印象に残っているだろう。行けば、必ず足がつく。それゆえの回避。
いまでも時折夢に見ることがある。なぜ、あのときひとりでノエラを買い出しに行かせてしまったのか、と。
学校からの帰り、ちょうど出かけるところだった彼女とばったり出くわした。
『シリル、あんた荷物持ちで一緒に行かない?』
軽い口調でかけられた誘いを、シリルは一蹴した。思春期ならではの、子供じみた照れ隠しだった。そんな微妙な気持ちを察したのか、彼女は笑って手を振り、ひとりで出かけていった。そしてそれっきり、二度と戻らなかった――
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