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第一章 ジョン・コルトレーン「ブルートレイン」
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五番街を後にした俺たちが向かったのは、東口方面だった。
駅を出てすぐにあるショッピングモール「えきマチ一丁目」の横を通り抜け、国道35号線を平戸方面……つまり「トンネル横丁」方面へと歩いて行く。
「いつもお店には佐世保中央駅から四◯三アーケードを通って行くんですけど、ときどきあそこでエサ箱をディグってるんです」
楽しそうに有栖川が言う。
ちなみに「エサ箱」というのは、「レコード陳列棚」のことで、「ディグる」というのは「いいものを掘り起こす」という意味らしい。
有栖川は毎週金曜日に雑貨屋に足を運んでいるという。
入荷される中古盤が並ぶのが金曜で、そこを狙えば掘り出し物に巡り会える可能性があるからだ。
本当なら開店時間に行ってエサ箱に並ぶところをついばみたいらしいのだが、さすがに学校を休むわけにはいかず、泣く泣く放課後に行っているらしい。
「早起きは三枚の得なんですけどね」
有栖川は少し恥ずかしそうにおどける。
それがなんだかすごく可愛いくて、どきっとしてしまった。
そんな妙な気持ちを飲み込んで、有栖川に訊ねる。
「有栖川がバイトしている店って、そういう店なのか?」
「え? そういうお店、といいますと?」
「ジャズ喫茶っていうんだっけ? レコードを聴きながらコーヒーを飲む店」
母が父のレコードを譲る相手もジャズ喫茶と言っていたっけ。
だが、有栖川は小さく首を横に振った。
「コーヒーを飲みながらジャズを聴くというのは間違っていませんが、所謂『ジャズ喫茶』とは違います」
「……? でもジャズを聴ける喫茶店なんだよな?」
「それは正解であり、間違いでもあります」
真剣な眼差しで言う彼女の肩越しに、三浦町カトリック教会の立派な教会が見えた。
「いいですか? 昔、一世を風靡したジャズ喫茶というのは、単純に『ジャズレコードを聴く喫茶店』じゃないんです。ジャズを勉強する学校であり、宗教だったんです。そもそも、ジャズ喫茶の発祥というのが──」
そこまで言って、有栖川はふと息を呑んだ。
顔は見えなかったが耳の先が赤く染まっているのがわかる。
また饒舌になってしまったと恥ずかしくなったのだろう。
「……いいよ、聞かせてくれ」
だんまりで歩くより、ジャズの話を聞いていたほうがいくらかマシだ。
「そ、それでは、できるだけかいつまんで、簡潔に」
そう付け加え、有栖川は続ける。
「ジャズ喫茶の歴史は大正時代から始まります。その頃は『音楽喫茶』と呼ばれていましたが、本格的に普及しだしたのは関東大震災後です。1929年には東大赤坂前に『ブラックバード』という日本初のジャズ喫茶が開店し、その後徐々に増えていきました。ジャズ喫茶が爆発的に増えたのは50年代です。その理由、わかります?」
「理由? なんだ? 機材が高価だったとか?」
「そうですね。機材だけじゃなく、レコードも海外から輸入しなくてはなりませんでした。インターネットも無い時代なので、どれほど困難だったか想像できると思います。でも、理由はそれだけじゃないんです。そうですね、簡単に言えば……今の私と住吉さんのような関係とでもいいましょうか」
「俺たち?」
首をひねってしまった。
クラスメイト、というわけではないのはわかる。
「ジャズのことを教える側と、教わる側です。ジャズ喫茶はジャズのことを勉強する学校として機能していて、店主はいわば『教師』だったというわけです」
「なるほど。海外からレコードを輸入するくらいだから、ジャズに精通しているってわけだ」
さっき有栖川がジャズ喫茶を「学校だ」と言っていたのは、そういうことか。
「ジャズ喫茶はジャズを『芸術音楽』として鑑賞できるように、最適の聴取環境を提供するという顔だけではなく、若いジャズ初心者の客たちを育成するという顔もあったわけです。ですが、やがて行き過ぎてしまいます」
「行き過ぎる? どういうことだ?」
「感化されやすい若者たちを閉鎖的な空間に閉じ込めておくわけです。そして、若者は知識が豊富な店主を先生と崇める。なんだかちょっと怖くないですか?」
「……ん~、そうだな。少し宗教的な匂いがする」
「実際に行ったことがあるわけではないのですが、本当に異様な空間だったらしいです。店は狭くて暗いし、爆音でジャズが流れている。そんな中で客はみんなむっつり黙ったまま、腕組みして不動の聴取ポーズを取っているわけです。声を発しようものなら、飛んできた店主に怒鳴られる。おまけに、人気のレコードをリクエストしようものなら『帰れ!』と追い出されたそうです。そんなものは家で聴けというわけです」
確かに異様な空間だ。
想像しただけで店に入るのに二の足を踏んでしまう。
「あ、でも、私はジャズ喫茶を否定しているわけではないですよ? そういう場所が好きな方もたくさんいらっしゃると思います。だけど、そのせいでジャズの敷居が高くなったのも事実です。だから……ここはそういうジャズ喫茶とは違うんです」
有栖川が足を止めた。いつの間にか俺たちは喧騒から離れた静かな路地に立っていた。
古い金物屋が並ぶ商店街。
その一角に、手作りの木彫看板が掲げられた小さな喫茶店があった。
「ジャズカフェ……『ビハインド・ザ・ビート』?」
「はい。ジャズを楽しみながら、ゆったりとくつろげるジャズカフェです」
そう言って、有栖川が縦長のオレンジの扉を開けた。
俺を出迎えてくれたのは、後ろ髪を引かれるような優しいジャズのビートだった。
駅を出てすぐにあるショッピングモール「えきマチ一丁目」の横を通り抜け、国道35号線を平戸方面……つまり「トンネル横丁」方面へと歩いて行く。
「いつもお店には佐世保中央駅から四◯三アーケードを通って行くんですけど、ときどきあそこでエサ箱をディグってるんです」
楽しそうに有栖川が言う。
ちなみに「エサ箱」というのは、「レコード陳列棚」のことで、「ディグる」というのは「いいものを掘り起こす」という意味らしい。
有栖川は毎週金曜日に雑貨屋に足を運んでいるという。
入荷される中古盤が並ぶのが金曜で、そこを狙えば掘り出し物に巡り会える可能性があるからだ。
本当なら開店時間に行ってエサ箱に並ぶところをついばみたいらしいのだが、さすがに学校を休むわけにはいかず、泣く泣く放課後に行っているらしい。
「早起きは三枚の得なんですけどね」
有栖川は少し恥ずかしそうにおどける。
それがなんだかすごく可愛いくて、どきっとしてしまった。
そんな妙な気持ちを飲み込んで、有栖川に訊ねる。
「有栖川がバイトしている店って、そういう店なのか?」
「え? そういうお店、といいますと?」
「ジャズ喫茶っていうんだっけ? レコードを聴きながらコーヒーを飲む店」
母が父のレコードを譲る相手もジャズ喫茶と言っていたっけ。
だが、有栖川は小さく首を横に振った。
「コーヒーを飲みながらジャズを聴くというのは間違っていませんが、所謂『ジャズ喫茶』とは違います」
「……? でもジャズを聴ける喫茶店なんだよな?」
「それは正解であり、間違いでもあります」
真剣な眼差しで言う彼女の肩越しに、三浦町カトリック教会の立派な教会が見えた。
「いいですか? 昔、一世を風靡したジャズ喫茶というのは、単純に『ジャズレコードを聴く喫茶店』じゃないんです。ジャズを勉強する学校であり、宗教だったんです。そもそも、ジャズ喫茶の発祥というのが──」
そこまで言って、有栖川はふと息を呑んだ。
顔は見えなかったが耳の先が赤く染まっているのがわかる。
また饒舌になってしまったと恥ずかしくなったのだろう。
「……いいよ、聞かせてくれ」
だんまりで歩くより、ジャズの話を聞いていたほうがいくらかマシだ。
「そ、それでは、できるだけかいつまんで、簡潔に」
そう付け加え、有栖川は続ける。
「ジャズ喫茶の歴史は大正時代から始まります。その頃は『音楽喫茶』と呼ばれていましたが、本格的に普及しだしたのは関東大震災後です。1929年には東大赤坂前に『ブラックバード』という日本初のジャズ喫茶が開店し、その後徐々に増えていきました。ジャズ喫茶が爆発的に増えたのは50年代です。その理由、わかります?」
「理由? なんだ? 機材が高価だったとか?」
「そうですね。機材だけじゃなく、レコードも海外から輸入しなくてはなりませんでした。インターネットも無い時代なので、どれほど困難だったか想像できると思います。でも、理由はそれだけじゃないんです。そうですね、簡単に言えば……今の私と住吉さんのような関係とでもいいましょうか」
「俺たち?」
首をひねってしまった。
クラスメイト、というわけではないのはわかる。
「ジャズのことを教える側と、教わる側です。ジャズ喫茶はジャズのことを勉強する学校として機能していて、店主はいわば『教師』だったというわけです」
「なるほど。海外からレコードを輸入するくらいだから、ジャズに精通しているってわけだ」
さっき有栖川がジャズ喫茶を「学校だ」と言っていたのは、そういうことか。
「ジャズ喫茶はジャズを『芸術音楽』として鑑賞できるように、最適の聴取環境を提供するという顔だけではなく、若いジャズ初心者の客たちを育成するという顔もあったわけです。ですが、やがて行き過ぎてしまいます」
「行き過ぎる? どういうことだ?」
「感化されやすい若者たちを閉鎖的な空間に閉じ込めておくわけです。そして、若者は知識が豊富な店主を先生と崇める。なんだかちょっと怖くないですか?」
「……ん~、そうだな。少し宗教的な匂いがする」
「実際に行ったことがあるわけではないのですが、本当に異様な空間だったらしいです。店は狭くて暗いし、爆音でジャズが流れている。そんな中で客はみんなむっつり黙ったまま、腕組みして不動の聴取ポーズを取っているわけです。声を発しようものなら、飛んできた店主に怒鳴られる。おまけに、人気のレコードをリクエストしようものなら『帰れ!』と追い出されたそうです。そんなものは家で聴けというわけです」
確かに異様な空間だ。
想像しただけで店に入るのに二の足を踏んでしまう。
「あ、でも、私はジャズ喫茶を否定しているわけではないですよ? そういう場所が好きな方もたくさんいらっしゃると思います。だけど、そのせいでジャズの敷居が高くなったのも事実です。だから……ここはそういうジャズ喫茶とは違うんです」
有栖川が足を止めた。いつの間にか俺たちは喧騒から離れた静かな路地に立っていた。
古い金物屋が並ぶ商店街。
その一角に、手作りの木彫看板が掲げられた小さな喫茶店があった。
「ジャズカフェ……『ビハインド・ザ・ビート』?」
「はい。ジャズを楽しみながら、ゆったりとくつろげるジャズカフェです」
そう言って、有栖川が縦長のオレンジの扉を開けた。
俺を出迎えてくれたのは、後ろ髪を引かれるような優しいジャズのビートだった。
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