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1巻
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それはつまり、培ってきたテクニックを活用すれば、レベルが低くてもMob戦はもちろん、対人戦も格上と渡り合うことが可能なのを意味する。
グランドミッションが終了すれば消される運命にあるアバターとはいえ、メインキャラクターの知識を最大限活用できる侍で始めるのがベストだ、と蘭は考えていた。
『設定は完了しました。それでは、ドラゴンズクロンヌの世界に向かいましょう』
ふわりと体が浮いたような感覚。
蘭の視界は、吸い込まれるように目の前のアバターの中へと飛び込んでいく。
手足に確かな感覚が生まれた。
『ドラゴンズクロンヌにようこそ』
高所から落下するような悪寒が走ったと同時に、最後のアナウンスが放たれた。
見えるのは広大な水平線。鼻腔をくすぐるのは潮の香り。
蘭はアバター「エドガー」として、見慣れたドラゴンズクロンヌの世界に立っていた。
***
懐かしい風景だった。
ドラゴンズクロンヌの世界に降りて最初に訪れる街、クレッシェンド。
ここは、世界にひとつしかない大陸の南部にある、砂丘に作られた小規模な港街だ。
プレイヤーはクレッシェンドに流れついた異邦人という設定で、この街で遊び方の基本を学んだ後、どこかの国に所属して狩竜徒として活躍していくことになる。
「懐かしいな」
湿った空気。風に乗る潮の香り。港では多くの漁師が船に乗り込み沖へと漕ぎ出している。
もう長い間この街には来ていない。だが、長い年月が経とうとも、この港町に住む人たちは変わらない。
「……と、感傷に浸る前に」
周囲を見渡した後、エドガーは視界の端に時計を表示させた。
ゲーム内の時間と、現実世界の時間。
すずたちとの待ち合わせまでもう少しある。このままここで彼女たちの到着を待っていても良いが、それよりもグランドミッション参加の準備をした方が良いだろう。
グランドミッションは、パーティ単位で競うチーム戦だ。
ミッションの目的は、専用フィールドのどこかにいるボスMobを討伐することで、クリアするまでの時間などの指標により、同時に参加する四つのパーティで順位が付けられ、報酬が変わる。
グランドミッションで重要なのは、いかに素早く雑魚Mobを倒し、ボスMobに到達するか。
つまり、途中で受けたダメージをいかに素早く回復し、先に進むかが肝になる。
普通なら「聖職者」を回復役にあてようと考えるが、それは逆に時間のロスになってしまうことを蘭は知っていた。
回復魔術の詠唱時間と魔術発動に使用する「スタミナ」の回復時間を考えると、聖職者にはMobへの弱体化魔術と味方への強化魔術に注力してもらい、回復は戦闘中、自分で行う方がいい。
ゆえに必要なのは、十分な回復アイテムなのだ。
「ホームハウスへ」
エドガーの声と同時に、メニューが開き、ホームハウスが選択される。
瞬時に視界が光に包まれ、エドガーはホームハウスへとファストトラベルした。
***
「おかえりなさい、エドガー様」
ホームハウスでエドガーを迎えたのは、黒のゴシックロリータと、そこから伸びる四肢のコントラストが眩しい、美しいエルフの女性、ソーニャだった。
「ただいま、ソーニャ」
「サブキャラクターでログインされるなんて珍しいですね」
「ちょっと色々問題があってね」
「それは大変です。何かお手伝いできることがありましたら仰ってくださいね」
そう言って笑顔をこぼすソーニャに、エドガーは思わず顔がほころんでしまう。
サブキャラクターであるエドガーのホームハウスにソーニャがいるのは、不思議なことではない。サポートNPCは、ひとつのアカウントにつきひとり、割り当てられるからだ。
「ソーニャ、聞きたいことがあるんだが、向こうのアイテムボックスにあるアイテムはこっちに持ってこれたか?」
「申し訳ありません、それは無理です。アラン様のアイテムをエドガー様のアイテムインベントリに入れるには、アラン様で一度ログインいただき、メールで送るしか方法はありません」
「そうなのか」
「はい。システム上、そのように制限されています」
面倒くさい、とエドガーは顔を顰めてしまった。アランのアイテムボックスには腐るほど回復アイテムがあったため、それを使おうとエドガーは考えていたのだ。
「エドガー様はもしかして、グランドミッションにご参加を?」
「……ん? そのつもりだけど」
「でしたら、アイテムより先に初期スキル設定をなさった方がよろしいかと思います」
「あ、そうか」
初期スキル設定など何年もやっていなかったエドガーは、すっかりそのことを忘れていた。
ドラゴンズクロンヌをプレイする上で重要なのが「スキル」だ。
スキルとは、レベルアップする度に一ずつ加算される「スキルポイント」を使って取得できる特殊能力のこと。「体力アップ」などの常時効果がある「パッシブスキル」と、「相手にダメージを与える」などの任意に発動させる「アクティブスキル」がある。
ドラゴンズクロンヌに用意されているクラスは全部で九つだが、同じクラスであっても選ぶスキル次第で全く違う特性をもつキャラクターに成長させることが可能だった。
それを可能にしたのが、スキル構成だ。
プレイヤーの上限レベルが百に設定されているため、スキルポイントは最大で百ポイントになるが、各クラスに用意されているスキルの数は百をゆうに超えている。
つまり、プレイヤーはすべてのスキルを取得することができず、各々ポイント内で独自のスキルを構成する必要がある。
例えば、エドガーのクラス「侍」であれば、アクティブスキルだけでも【上段構え】【中段構え】【下段構え】【居合】と四系統のスキルツリーが存在している。
各ツリーごとに得意とする間合いや戦術が存在し、自分のプレイスタイルに合わせて各ツリーを成長させていくことが、ドラゴンズクロンヌの基本であった。
「熟練者でいらっしゃるエドガー様にはご説明する必要がないと思いますが、今のうちからどのようなスキルビルドにするかお決めになられた方が」
「ん~、そうだな。でもまあ、このキャラを育てるつもりはないから、適当に決めるよ」
「……そうなのですか?」
ソーニャが眉根を寄せる。
「残念です。サブキャラクターであれば、やっとエドガー様に同行できると思ったのですが」
「……う」
エドガーは得体のしれない罪悪感に支配されてしまった。
サポートNPCは、プレイヤーと一緒にフィールドに同行することができる。
だが、ソーニャが今までアランに同行したことは一度もなかった。
アランがソロプレイに特化し、向かうところ敵なしのプレイヤーになってしまったからだ。
そして、その罪悪感から逃げることは、エドガーにはできなかった。
「……問題が解決したら、サブキャラでソーニャと狩りに行くのも悪くないか」
「本当ですか?」
「あ、ああ」
「嬉しい」
ソーニャの表情が一瞬で晴れ渡る。
めったに感情を表に出すことがなく、表情の変化に乏しいソーニャが時折見せる笑顔に、エドガーはいつも心がざわついてしまう。
そして、その笑顔を見る度、彼女がプログラムであることを忘れてしまう。
サポートNPCは性別はもちろん、人型や獣型など様々なカスタマイズをすることが可能なのだが、そんなサポートNPCに本気で恋をしてしまうプレイヤーも少なくない。
従順で、常に傍に立ち、何かと助けてくれるサポートNPCに恋をしてしまう気持ちは、エドガーにも痛いほどわかる。
「……じゃあ、アランでログインしなおす」
「はい、畏まりました」
ぺこりと頭を垂れるソーニャを横目に、小さく咳払いを挟み、エドガーは心を落ち着かせる。
視界に映る現在時刻は、すずと約束した時間に近づいている。
エドガーはメニューからログアウトを選択し、ソーニャの「行ってらっしゃいませ」の言葉に見送られながら一旦ホームハウスを後にした。
***
すずたちとの待ち合わせ場所は、クレッシェンドの中心にある、翼の生えた竜と剣が描かれた看板を掲げているハンターズギルドの前だった。
ハンターズギルドとは、様々なクエストを受けることができる場所で、グランドミッションもここで受けられる。
利便性が良いということもあるが、ハンターズギルドの建物は街で一番大きく、ランドマークに使えるため、待ち合わせ場所にするにはベストだった。
「おーい、江戸川」
グランドミッションに参加するために集まったプレイヤーたちでごった返しているハンターズギルド前。プレイヤーたちをかき分け、エドガーの前に現れたのは、現実世界の安藤とそっくりな坊主頭の「アンドウ」と、これまた現実世界の山吹にそっくりなロン毛の「ヤマブキ」だった。
「すぐお前だとわかったぜ。待たせちまったか?」
「……いや大丈夫」
申し訳なさそうに肩をすくめるヤマブキに、エドガーはぽつりと返す。
待ち合わせ時間は十八時という話だったが、既に三十分以上過ぎている。
開始前から不穏だ。
「いやー! あんがとね、江戸川!」
と、不安に苛まれていたエドガーの前に、ひとりの女性――「メグ」が現れた。
褐色の肌をした小柄なエルフだ。肌の露出が多い、レザーのショートパンツに、へそ出しのショートタンクトップ。このちゃきちゃきっぷりは、多分すずの友達である、佐々木恵だろう。
褐色で小柄なエルフをアバターに設定するなんて、なんと素晴らしいセンス。
姿から察するに、クラスは「盗賊」だろうか。
「アンドウとヤマブキがメンバー探す約束忘れてたってすずから聞いてさ、グランドミッション受けられないじゃんって怒りマックスだったんだけど! ほんと助かった」
「だけど」の部分を強調しながら、後ろのアンドウとヤマブキを睨みつけるメグ。
つきつけられたその視線に身をすくめるふたりの姿を見て、エドガーは直感した。
ここまで遅刻してしまったのは、メグにたっぷりと絞られていたからだろう。
「本当にありがとう、江戸川くん……って、この世界では……エドガーくん?」
そして、眩しい笑顔をこぼしたのは、メグの隣に立っていたすずだった。
現実世界の彼女をそのままコピーしたかのような顔立ちに、純白のローブを着た姿は、とても神々しい。
名前も「すず」。クラスは「聖職者」。
仲間をサポートする回復役なんて、なんとも彼女らしいチョイスだ。
「エドガーって、エドガワだから、エドガー?」
「そうだけど」
「捻りがねえな。つっても、俺たちはまんまの名前だけどさ」
人のこと言えねえな、とアンドウとヤマブキが笑う。
重厚な鎧を身につけているチャラいヤマブキがクラス「騎士」で、片手剣を持った高校球児みたいな坊主頭のアンドウがクラス「戦士」だ。
ふたりとも現実世界から簡単に連想できる、いかにもなチョイスだ。
「ふーん、江戸川……じゃなかった、エドガーはクラス『侍』、か。なかなかシブいクラスを選んだね。あ、ひょっとして、アランのマネ?」
「いや、そういうわけじゃない」
嬉しそうにメグがはしゃいだ。マネというより、本人なのだが、とは口が裂けても言えない。
「あれ? でも、まだレベル一? エドガーってプレイしてたんだよね? ドラゴンズクロンヌ」
違ったっけ? と、すずの顔を見やるメグ。
「教室で話してたときはもうプレイしてた風だったけど、だったらレベル一って変だよな?」
「あ、エドガーくん、それってもしかして……サブキャラとか?」
「えー……あー……っと」
メグに続いてアンドウとすずに質問攻めに遭ったエドガーは、現実世界と同じようにどもってしまった。
根本的かつ単純な部分を考えていなかった。レベルをあわせるためにサブキャラで来たって言えば納得してもらえそうだけど、アンドウとヤマブキに「メインを見せて欲しい」と追撃される可能性がある。
「じ、実は俺、再開組なんだ」
「……え、マジで?」
「引退したんだけど、兄貴に誘われて」
目を丸くするメグに、エドガーは冷静を装った笑顔を返す。
再開組とは文字どおり、一度ゲームをやめてしまったが何らかの理由で再び遊びはじめたプレイヤーのことを指す。
エドガーは咄嗟に出した言い訳に自画自賛したくなった。
再開組だと信じさせることで、知識があったとしても怪しまれることはないし、プレイに手を抜く必要もなくなる。グランドミッションだけの付き合いだとしても、余計な部分に気を使わなくて良くなるのは凄くいい。
「エドガーくん、お兄さんと一緒にプレイしてるんだ?」
「あんまり一緒にやってないけどね」
「つか、家にUnChainが二台あるってすげえな」
お前、もしかして金持ちなのか、と続けるアンドウに、エドガーは苦笑いを返した。
これまでにない市場を開拓することになるUnChainは、最新の技術を詰め込んでいるわりに、新規ユーザーを獲得するために低めの価格設定になっているものの、高校生の小遣いで買えるものではない。
兄弟に一台ずつUnChainが与えられる家庭というのは非常に珍しかった。
「でも、アタシらがメンバー探しているときに再開するなんて、タイミングがバッチリだね。ナイス兄貴」
「そうだメグ。グランドミッションクリアしたら、エドガーくんのレベル上げ手伝ってあげようよ」
「ん、そうだねえ。今回助けてくれるわけだし、手伝ってやっても良いかな」
小さく柏手を打つすずに、メグは含みのある視線をエドガーに向ける。
エドガーは軽い葛藤に苛まれてしまった。
このキャラを育てるつもりはない。グランドミッションを手伝うために即席で作ったキャラクターであり、ミッションが終わり、ソーニャと軽くぶらついた後で削除するつもりだからだ。
しかし、なぜかメグたちにレベル上げを手伝うと言われて悪い気はしなかった。
人とのつながりは足かせになるだけだ、と自分に言い聞かせるも、彼女たちに「必要ない」と言い放つことができない。
「一日もあれば追いつくと思うんだ。そしたら、皆で色んなところに行けるようになるし」
「パーティは五人までだから、ちょうど良いっちゃ、ちょうど良いな」
返事を渋っているエドガーの背中を押す、すずとアンドウ。
エドガーは盛り上がってしまったこの場の空気に逆らうことができなかった。
「……わかったよ。お願いする」
渋々という言葉がぴったりな、苦虫を噛み潰したような表情で返したエドガー。
「お前さ、どうでも良いけどこっちの世界でも暗い感じなのな。もっと『サンキュー!』みたいな返事はできないわけ?」
かわいそうな奴、と言いたげに肩を落とすアンドウに、エドガーは心の中で「ほっとけ」と返す。
アンドウのように、考える前に行動する性格だったら人生どんなに楽か。一瞬そんな風に考えてしまったが、それはそれでトラブルが多そうなのに気がつき、その考えをそっと心の中にしまい込んだ。
「あのさ。とりあえずグランドミッションに参加登録しねえ? クエストクリアまでどれだけ時間かかるかわかんねえし」
そう切り出したのはヤマブキだ。
「うん、そうだね。うひゃぁ~超楽しみ!」
メグが小さく跳ね、全身で喜びを表現する。彼女だけではなく、ヤマブキにアンドウ、そしてすずも、まるでおもちゃを見つけた子供のように目を爛々と輝かせている。
その姿は、単純にこのゲームが好きで、素直に楽しんでいるとしか見えない。
エドガーはどこか拍子抜けしてしまった。
クラスメイトという共通点を持つ仲間たちと、現実世界の延長線上であるこの仮想現実世界で遊ぶ。彼らにとって、それ以外のことは関係ないのかもしれない。
これまで心配していたことは、すべて杞憂だったのか。
自分がアランだということを話しても問題ないのではないか、と一瞬考えてしまったエドガー。
だがすぐに、「お前は馬鹿か」と自嘲してやった。まるで彼らとのプレイを望んでいるような考えに嫌気が差してしまったからだ。
「行こう? エドガーくん」
「……え?」
エドガーの意識を戻したのは、優しいすずの声だった。
目の前にいるのは、きょとんとした表情のすずだけ。
メグとアンドウ、そしてヤマブキは、すでにハンターズギルドの中に入ってしまったらしい。
「あ、ああ、行こうか」
エドガーは慌てて気の抜けた声でそう返すと、すずとともにギルドの扉を開いた。
***
初めてハンターズギルドに訪れたプレイヤーは必ず「間違って酒場に来てしまったのか」と慌ててしまう。遠い昔、エドガー自身もそうだった。
その理由は簡単で、訪問者を最初に迎えるのが、なみなみと酒が注がれたジョッキを片手に談笑しているプレイヤーたちだからだ。
仮想現実世界でアルコールをいくら飲んでも、現実世界のリクライニングチェアの上で横になっている「本体」が酔っ払うことはない。
ドラゴンズクロンヌの世界のアルコールは、様々なステータスアップの効果がある、戦闘前の必需品であった。
「よく来たな! 駆け出しの狩竜徒たちよ!」
プレイヤーたちでごった返しているハンターズギルドの最奥。大きなカウンター越しに、銀のプレートメイルを着た角刈りの男が、アンドウに威勢よく言い放った。
「まだ『おまる』を卒業してないお前たちにうってつけの依頼が来たぞ! 腐れオークどもの撃退だ! どうだ腕がなるだろう!?」
「あー……これってさ、付き合ってやらないとダメなのかな」
「多分な」
やけにテンションが高いプレートメイルの男に、アンドウとヤマブキは辟易した表情を浮かべる。ふたりとも、この角刈りの男のような「役を演じる」プレイスタイルが苦手だった。
現実世界をシミュレートするVRMMOゲームでは、役を演じながらプレイする「ロールプレイ」が楽しみ方のひとつとして確立されていた。
この世界に入れば、誰もが物語の主人公になれるからだ。
だが一方で、純粋にゲームとして楽しむプレイヤーも少なくない。
アンドウとヤマブキはその「純粋にゲームだけを楽しむ」部類に属していた。
「……ま、任せろ~……」
ぎこちなく役を演じるアンドウの姿に、角刈りの男は空気が破裂したかと思うほど、豪快に笑い出した。
「ガハハ、いい返事だアンドウ! お前たちに依頼したいのは、東のミストウィッチ監視所を襲撃しているオークの撃退だ。すぐに向かって奴らを殲滅してほしい!」
どうやらそれが、今回のグランドミッションのストーリーらしい。
ドラゴンズクロンヌには、アランが倒した覇竜ドレイクのようなドラゴン種以外にも数多くのMobが存在している。
その中でも比較的低レベルで対峙することになるのが、オーク種と言われるMobだった。
オークは、鬼のような恐ろしい顔立ちをしていて、体はプレイヤーの一回りは大きく、分厚い筋肉に覆われた人型のMobだ。
知能が低いため魔術を使うことはないが、単発火力が高い両手武器を操り、数匹固まって襲われると手が付けられなくなってしまう初心者の天敵だった。
「オークが集団で来るって、ちょっと怖いなあ。めちゃくちゃヤバイ顔してるよね、あいつら」
カウンターから離れた小さなテーブル。遠く離れていても聞こえてくる角刈りの男の声に、不安げな表情を浮かべたのはメグだ。
「ん~、確かに怖いけど……パーティで挑むから大丈夫だよ、メグ」
そう言ってすずは笑顔を覗かせ、手に持ったジョッキを軽く合わせた。
彼女たちの手に握られたジョッキには、俊敏性のステータスアップ効果がある、「はちみつ酒」と、魔術を発動させるために必要な魔力値をアップさせる「ピルスナー」が並々と注がれている。
「あ、メグ、作戦なんだけどさ、ヤマブキくんとアンドウくんが敵を引きつけて、エドガーくんとメグが処理していく感じでいい?」
「そうだね。すずは回復に集中する?」
「うん、任せて」
それが仕事だから、とジョッキに口をつけながらすずは続ける。
その会話を傍らで聞いていたエドガーは、彼女たちに助言すべきか悩んでいた。このパーティのリーダーはエドガーではないし、すずたちは効率を重視しているわけではなかったからだ。
偉そうにあれこれと口を出せば、空気が悪くなってしまう。
最悪、口を出すとすれば、パーティがピンチになったときだろう。
「エドガーくん、そんな感じで大丈夫かな?」
「え? あ……うん」
不意にすずから話しかけられたエドガーが、慌てて返事をする。
「あ~、もしかしてエドガーもオークにビビってんのかあ?」
メグが仲間を見つけた、と言いたげな口調で嬉しそうに囁いた。
「……まあ、オークは夢に出そうなくらい怖い顔しているからな。メグさんの気持ち、わからなくもないけど」
「やばくなったら助けろよ、エドガー」
「え?」
メグの口から放たれた意外な言葉に、エドガーは目を丸くしてしまった。
「『え?』じゃねえよ! メインのアタッカーはアタシとアンタだろ! アタシを見捨てて先に逃げたら後でヤバイからな!」
「……ッ!」
言葉を失ってしまったのは、メグが口調を荒らげながらも懇願するように瞳を潤ませていたからだ。
エドガーは、その言葉にどう返していいかわからなかった。
ただひとつわかったのは、ピンチのときはメグを真っ先に助ける必要があるということ。
今後、平穏な高校生活を続けていくためにも、絶対に。
「わかったよ、絶対見捨てない。メグさんが怒ったらオークよりも怖そうだし」
「ッ!? 冷静に失礼なこと言うな! アンタってそんなキャラだったのかよ!」
「ぷっ、あはは」
すずの軽い笑い声がメグの怒号に混ざり、やがて喧騒に包まれているハンターズギルドの中に溶け込んでいく。
両手で口元を隠し、くすぐったそうに肩をすくめるすず。
エドガーはその姿に思わず見惚れてしまった。
そして、彼女の笑顔を見れただけでも誘いに乗って良かったと思ってしまった。
「おーい、参加手続き終わったぞ」
「お! よっしゃ!」
アンドウの声が届くと同時に、メグが気合の声を上げる。
念のため、先ほどアランのアイテムボックスから持ってきた回復アイテムを確認するエドガー。
視界の端に「グランドミッション参加申請中」という文字が浮かんだ。
いよいよクラスメイトと挑むグランドミッションがスタートする――
エドガーは思わず身震いをしてしまった。
だが、身震いは恐怖からくるものではなく、心地いい緊張感が生む、戦闘への渇望の副産物だ。
その後わずかな時間をはさみ、エドガーたちはグランドミッションのフィールドになる「ミストウィッチ監視所」に強制的にジャンプした。
***
ミストウィッチ監視所は、クレッシェンドから東にしばらく行った場所にある廃墟の砦だ。
ストーリー上の設定では、昔人間とオークがクレッシェンド地方で幾度となく争いを繰り返していたらしく、そのときに人の手によって作られたのがミストウィッチ砦らしい。
そして、人間側の勝利で終わった戦いの後、ミストウィッチ砦はオークの残党たちの動向を監視する「監視所」として使われていた。
グランドミッションが終了すれば消される運命にあるアバターとはいえ、メインキャラクターの知識を最大限活用できる侍で始めるのがベストだ、と蘭は考えていた。
『設定は完了しました。それでは、ドラゴンズクロンヌの世界に向かいましょう』
ふわりと体が浮いたような感覚。
蘭の視界は、吸い込まれるように目の前のアバターの中へと飛び込んでいく。
手足に確かな感覚が生まれた。
『ドラゴンズクロンヌにようこそ』
高所から落下するような悪寒が走ったと同時に、最後のアナウンスが放たれた。
見えるのは広大な水平線。鼻腔をくすぐるのは潮の香り。
蘭はアバター「エドガー」として、見慣れたドラゴンズクロンヌの世界に立っていた。
***
懐かしい風景だった。
ドラゴンズクロンヌの世界に降りて最初に訪れる街、クレッシェンド。
ここは、世界にひとつしかない大陸の南部にある、砂丘に作られた小規模な港街だ。
プレイヤーはクレッシェンドに流れついた異邦人という設定で、この街で遊び方の基本を学んだ後、どこかの国に所属して狩竜徒として活躍していくことになる。
「懐かしいな」
湿った空気。風に乗る潮の香り。港では多くの漁師が船に乗り込み沖へと漕ぎ出している。
もう長い間この街には来ていない。だが、長い年月が経とうとも、この港町に住む人たちは変わらない。
「……と、感傷に浸る前に」
周囲を見渡した後、エドガーは視界の端に時計を表示させた。
ゲーム内の時間と、現実世界の時間。
すずたちとの待ち合わせまでもう少しある。このままここで彼女たちの到着を待っていても良いが、それよりもグランドミッション参加の準備をした方が良いだろう。
グランドミッションは、パーティ単位で競うチーム戦だ。
ミッションの目的は、専用フィールドのどこかにいるボスMobを討伐することで、クリアするまでの時間などの指標により、同時に参加する四つのパーティで順位が付けられ、報酬が変わる。
グランドミッションで重要なのは、いかに素早く雑魚Mobを倒し、ボスMobに到達するか。
つまり、途中で受けたダメージをいかに素早く回復し、先に進むかが肝になる。
普通なら「聖職者」を回復役にあてようと考えるが、それは逆に時間のロスになってしまうことを蘭は知っていた。
回復魔術の詠唱時間と魔術発動に使用する「スタミナ」の回復時間を考えると、聖職者にはMobへの弱体化魔術と味方への強化魔術に注力してもらい、回復は戦闘中、自分で行う方がいい。
ゆえに必要なのは、十分な回復アイテムなのだ。
「ホームハウスへ」
エドガーの声と同時に、メニューが開き、ホームハウスが選択される。
瞬時に視界が光に包まれ、エドガーはホームハウスへとファストトラベルした。
***
「おかえりなさい、エドガー様」
ホームハウスでエドガーを迎えたのは、黒のゴシックロリータと、そこから伸びる四肢のコントラストが眩しい、美しいエルフの女性、ソーニャだった。
「ただいま、ソーニャ」
「サブキャラクターでログインされるなんて珍しいですね」
「ちょっと色々問題があってね」
「それは大変です。何かお手伝いできることがありましたら仰ってくださいね」
そう言って笑顔をこぼすソーニャに、エドガーは思わず顔がほころんでしまう。
サブキャラクターであるエドガーのホームハウスにソーニャがいるのは、不思議なことではない。サポートNPCは、ひとつのアカウントにつきひとり、割り当てられるからだ。
「ソーニャ、聞きたいことがあるんだが、向こうのアイテムボックスにあるアイテムはこっちに持ってこれたか?」
「申し訳ありません、それは無理です。アラン様のアイテムをエドガー様のアイテムインベントリに入れるには、アラン様で一度ログインいただき、メールで送るしか方法はありません」
「そうなのか」
「はい。システム上、そのように制限されています」
面倒くさい、とエドガーは顔を顰めてしまった。アランのアイテムボックスには腐るほど回復アイテムがあったため、それを使おうとエドガーは考えていたのだ。
「エドガー様はもしかして、グランドミッションにご参加を?」
「……ん? そのつもりだけど」
「でしたら、アイテムより先に初期スキル設定をなさった方がよろしいかと思います」
「あ、そうか」
初期スキル設定など何年もやっていなかったエドガーは、すっかりそのことを忘れていた。
ドラゴンズクロンヌをプレイする上で重要なのが「スキル」だ。
スキルとは、レベルアップする度に一ずつ加算される「スキルポイント」を使って取得できる特殊能力のこと。「体力アップ」などの常時効果がある「パッシブスキル」と、「相手にダメージを与える」などの任意に発動させる「アクティブスキル」がある。
ドラゴンズクロンヌに用意されているクラスは全部で九つだが、同じクラスであっても選ぶスキル次第で全く違う特性をもつキャラクターに成長させることが可能だった。
それを可能にしたのが、スキル構成だ。
プレイヤーの上限レベルが百に設定されているため、スキルポイントは最大で百ポイントになるが、各クラスに用意されているスキルの数は百をゆうに超えている。
つまり、プレイヤーはすべてのスキルを取得することができず、各々ポイント内で独自のスキルを構成する必要がある。
例えば、エドガーのクラス「侍」であれば、アクティブスキルだけでも【上段構え】【中段構え】【下段構え】【居合】と四系統のスキルツリーが存在している。
各ツリーごとに得意とする間合いや戦術が存在し、自分のプレイスタイルに合わせて各ツリーを成長させていくことが、ドラゴンズクロンヌの基本であった。
「熟練者でいらっしゃるエドガー様にはご説明する必要がないと思いますが、今のうちからどのようなスキルビルドにするかお決めになられた方が」
「ん~、そうだな。でもまあ、このキャラを育てるつもりはないから、適当に決めるよ」
「……そうなのですか?」
ソーニャが眉根を寄せる。
「残念です。サブキャラクターであれば、やっとエドガー様に同行できると思ったのですが」
「……う」
エドガーは得体のしれない罪悪感に支配されてしまった。
サポートNPCは、プレイヤーと一緒にフィールドに同行することができる。
だが、ソーニャが今までアランに同行したことは一度もなかった。
アランがソロプレイに特化し、向かうところ敵なしのプレイヤーになってしまったからだ。
そして、その罪悪感から逃げることは、エドガーにはできなかった。
「……問題が解決したら、サブキャラでソーニャと狩りに行くのも悪くないか」
「本当ですか?」
「あ、ああ」
「嬉しい」
ソーニャの表情が一瞬で晴れ渡る。
めったに感情を表に出すことがなく、表情の変化に乏しいソーニャが時折見せる笑顔に、エドガーはいつも心がざわついてしまう。
そして、その笑顔を見る度、彼女がプログラムであることを忘れてしまう。
サポートNPCは性別はもちろん、人型や獣型など様々なカスタマイズをすることが可能なのだが、そんなサポートNPCに本気で恋をしてしまうプレイヤーも少なくない。
従順で、常に傍に立ち、何かと助けてくれるサポートNPCに恋をしてしまう気持ちは、エドガーにも痛いほどわかる。
「……じゃあ、アランでログインしなおす」
「はい、畏まりました」
ぺこりと頭を垂れるソーニャを横目に、小さく咳払いを挟み、エドガーは心を落ち着かせる。
視界に映る現在時刻は、すずと約束した時間に近づいている。
エドガーはメニューからログアウトを選択し、ソーニャの「行ってらっしゃいませ」の言葉に見送られながら一旦ホームハウスを後にした。
***
すずたちとの待ち合わせ場所は、クレッシェンドの中心にある、翼の生えた竜と剣が描かれた看板を掲げているハンターズギルドの前だった。
ハンターズギルドとは、様々なクエストを受けることができる場所で、グランドミッションもここで受けられる。
利便性が良いということもあるが、ハンターズギルドの建物は街で一番大きく、ランドマークに使えるため、待ち合わせ場所にするにはベストだった。
「おーい、江戸川」
グランドミッションに参加するために集まったプレイヤーたちでごった返しているハンターズギルド前。プレイヤーたちをかき分け、エドガーの前に現れたのは、現実世界の安藤とそっくりな坊主頭の「アンドウ」と、これまた現実世界の山吹にそっくりなロン毛の「ヤマブキ」だった。
「すぐお前だとわかったぜ。待たせちまったか?」
「……いや大丈夫」
申し訳なさそうに肩をすくめるヤマブキに、エドガーはぽつりと返す。
待ち合わせ時間は十八時という話だったが、既に三十分以上過ぎている。
開始前から不穏だ。
「いやー! あんがとね、江戸川!」
と、不安に苛まれていたエドガーの前に、ひとりの女性――「メグ」が現れた。
褐色の肌をした小柄なエルフだ。肌の露出が多い、レザーのショートパンツに、へそ出しのショートタンクトップ。このちゃきちゃきっぷりは、多分すずの友達である、佐々木恵だろう。
褐色で小柄なエルフをアバターに設定するなんて、なんと素晴らしいセンス。
姿から察するに、クラスは「盗賊」だろうか。
「アンドウとヤマブキがメンバー探す約束忘れてたってすずから聞いてさ、グランドミッション受けられないじゃんって怒りマックスだったんだけど! ほんと助かった」
「だけど」の部分を強調しながら、後ろのアンドウとヤマブキを睨みつけるメグ。
つきつけられたその視線に身をすくめるふたりの姿を見て、エドガーは直感した。
ここまで遅刻してしまったのは、メグにたっぷりと絞られていたからだろう。
「本当にありがとう、江戸川くん……って、この世界では……エドガーくん?」
そして、眩しい笑顔をこぼしたのは、メグの隣に立っていたすずだった。
現実世界の彼女をそのままコピーしたかのような顔立ちに、純白のローブを着た姿は、とても神々しい。
名前も「すず」。クラスは「聖職者」。
仲間をサポートする回復役なんて、なんとも彼女らしいチョイスだ。
「エドガーって、エドガワだから、エドガー?」
「そうだけど」
「捻りがねえな。つっても、俺たちはまんまの名前だけどさ」
人のこと言えねえな、とアンドウとヤマブキが笑う。
重厚な鎧を身につけているチャラいヤマブキがクラス「騎士」で、片手剣を持った高校球児みたいな坊主頭のアンドウがクラス「戦士」だ。
ふたりとも現実世界から簡単に連想できる、いかにもなチョイスだ。
「ふーん、江戸川……じゃなかった、エドガーはクラス『侍』、か。なかなかシブいクラスを選んだね。あ、ひょっとして、アランのマネ?」
「いや、そういうわけじゃない」
嬉しそうにメグがはしゃいだ。マネというより、本人なのだが、とは口が裂けても言えない。
「あれ? でも、まだレベル一? エドガーってプレイしてたんだよね? ドラゴンズクロンヌ」
違ったっけ? と、すずの顔を見やるメグ。
「教室で話してたときはもうプレイしてた風だったけど、だったらレベル一って変だよな?」
「あ、エドガーくん、それってもしかして……サブキャラとか?」
「えー……あー……っと」
メグに続いてアンドウとすずに質問攻めに遭ったエドガーは、現実世界と同じようにどもってしまった。
根本的かつ単純な部分を考えていなかった。レベルをあわせるためにサブキャラで来たって言えば納得してもらえそうだけど、アンドウとヤマブキに「メインを見せて欲しい」と追撃される可能性がある。
「じ、実は俺、再開組なんだ」
「……え、マジで?」
「引退したんだけど、兄貴に誘われて」
目を丸くするメグに、エドガーは冷静を装った笑顔を返す。
再開組とは文字どおり、一度ゲームをやめてしまったが何らかの理由で再び遊びはじめたプレイヤーのことを指す。
エドガーは咄嗟に出した言い訳に自画自賛したくなった。
再開組だと信じさせることで、知識があったとしても怪しまれることはないし、プレイに手を抜く必要もなくなる。グランドミッションだけの付き合いだとしても、余計な部分に気を使わなくて良くなるのは凄くいい。
「エドガーくん、お兄さんと一緒にプレイしてるんだ?」
「あんまり一緒にやってないけどね」
「つか、家にUnChainが二台あるってすげえな」
お前、もしかして金持ちなのか、と続けるアンドウに、エドガーは苦笑いを返した。
これまでにない市場を開拓することになるUnChainは、最新の技術を詰め込んでいるわりに、新規ユーザーを獲得するために低めの価格設定になっているものの、高校生の小遣いで買えるものではない。
兄弟に一台ずつUnChainが与えられる家庭というのは非常に珍しかった。
「でも、アタシらがメンバー探しているときに再開するなんて、タイミングがバッチリだね。ナイス兄貴」
「そうだメグ。グランドミッションクリアしたら、エドガーくんのレベル上げ手伝ってあげようよ」
「ん、そうだねえ。今回助けてくれるわけだし、手伝ってやっても良いかな」
小さく柏手を打つすずに、メグは含みのある視線をエドガーに向ける。
エドガーは軽い葛藤に苛まれてしまった。
このキャラを育てるつもりはない。グランドミッションを手伝うために即席で作ったキャラクターであり、ミッションが終わり、ソーニャと軽くぶらついた後で削除するつもりだからだ。
しかし、なぜかメグたちにレベル上げを手伝うと言われて悪い気はしなかった。
人とのつながりは足かせになるだけだ、と自分に言い聞かせるも、彼女たちに「必要ない」と言い放つことができない。
「一日もあれば追いつくと思うんだ。そしたら、皆で色んなところに行けるようになるし」
「パーティは五人までだから、ちょうど良いっちゃ、ちょうど良いな」
返事を渋っているエドガーの背中を押す、すずとアンドウ。
エドガーは盛り上がってしまったこの場の空気に逆らうことができなかった。
「……わかったよ。お願いする」
渋々という言葉がぴったりな、苦虫を噛み潰したような表情で返したエドガー。
「お前さ、どうでも良いけどこっちの世界でも暗い感じなのな。もっと『サンキュー!』みたいな返事はできないわけ?」
かわいそうな奴、と言いたげに肩を落とすアンドウに、エドガーは心の中で「ほっとけ」と返す。
アンドウのように、考える前に行動する性格だったら人生どんなに楽か。一瞬そんな風に考えてしまったが、それはそれでトラブルが多そうなのに気がつき、その考えをそっと心の中にしまい込んだ。
「あのさ。とりあえずグランドミッションに参加登録しねえ? クエストクリアまでどれだけ時間かかるかわかんねえし」
そう切り出したのはヤマブキだ。
「うん、そうだね。うひゃぁ~超楽しみ!」
メグが小さく跳ね、全身で喜びを表現する。彼女だけではなく、ヤマブキにアンドウ、そしてすずも、まるでおもちゃを見つけた子供のように目を爛々と輝かせている。
その姿は、単純にこのゲームが好きで、素直に楽しんでいるとしか見えない。
エドガーはどこか拍子抜けしてしまった。
クラスメイトという共通点を持つ仲間たちと、現実世界の延長線上であるこの仮想現実世界で遊ぶ。彼らにとって、それ以外のことは関係ないのかもしれない。
これまで心配していたことは、すべて杞憂だったのか。
自分がアランだということを話しても問題ないのではないか、と一瞬考えてしまったエドガー。
だがすぐに、「お前は馬鹿か」と自嘲してやった。まるで彼らとのプレイを望んでいるような考えに嫌気が差してしまったからだ。
「行こう? エドガーくん」
「……え?」
エドガーの意識を戻したのは、優しいすずの声だった。
目の前にいるのは、きょとんとした表情のすずだけ。
メグとアンドウ、そしてヤマブキは、すでにハンターズギルドの中に入ってしまったらしい。
「あ、ああ、行こうか」
エドガーは慌てて気の抜けた声でそう返すと、すずとともにギルドの扉を開いた。
***
初めてハンターズギルドに訪れたプレイヤーは必ず「間違って酒場に来てしまったのか」と慌ててしまう。遠い昔、エドガー自身もそうだった。
その理由は簡単で、訪問者を最初に迎えるのが、なみなみと酒が注がれたジョッキを片手に談笑しているプレイヤーたちだからだ。
仮想現実世界でアルコールをいくら飲んでも、現実世界のリクライニングチェアの上で横になっている「本体」が酔っ払うことはない。
ドラゴンズクロンヌの世界のアルコールは、様々なステータスアップの効果がある、戦闘前の必需品であった。
「よく来たな! 駆け出しの狩竜徒たちよ!」
プレイヤーたちでごった返しているハンターズギルドの最奥。大きなカウンター越しに、銀のプレートメイルを着た角刈りの男が、アンドウに威勢よく言い放った。
「まだ『おまる』を卒業してないお前たちにうってつけの依頼が来たぞ! 腐れオークどもの撃退だ! どうだ腕がなるだろう!?」
「あー……これってさ、付き合ってやらないとダメなのかな」
「多分な」
やけにテンションが高いプレートメイルの男に、アンドウとヤマブキは辟易した表情を浮かべる。ふたりとも、この角刈りの男のような「役を演じる」プレイスタイルが苦手だった。
現実世界をシミュレートするVRMMOゲームでは、役を演じながらプレイする「ロールプレイ」が楽しみ方のひとつとして確立されていた。
この世界に入れば、誰もが物語の主人公になれるからだ。
だが一方で、純粋にゲームとして楽しむプレイヤーも少なくない。
アンドウとヤマブキはその「純粋にゲームだけを楽しむ」部類に属していた。
「……ま、任せろ~……」
ぎこちなく役を演じるアンドウの姿に、角刈りの男は空気が破裂したかと思うほど、豪快に笑い出した。
「ガハハ、いい返事だアンドウ! お前たちに依頼したいのは、東のミストウィッチ監視所を襲撃しているオークの撃退だ。すぐに向かって奴らを殲滅してほしい!」
どうやらそれが、今回のグランドミッションのストーリーらしい。
ドラゴンズクロンヌには、アランが倒した覇竜ドレイクのようなドラゴン種以外にも数多くのMobが存在している。
その中でも比較的低レベルで対峙することになるのが、オーク種と言われるMobだった。
オークは、鬼のような恐ろしい顔立ちをしていて、体はプレイヤーの一回りは大きく、分厚い筋肉に覆われた人型のMobだ。
知能が低いため魔術を使うことはないが、単発火力が高い両手武器を操り、数匹固まって襲われると手が付けられなくなってしまう初心者の天敵だった。
「オークが集団で来るって、ちょっと怖いなあ。めちゃくちゃヤバイ顔してるよね、あいつら」
カウンターから離れた小さなテーブル。遠く離れていても聞こえてくる角刈りの男の声に、不安げな表情を浮かべたのはメグだ。
「ん~、確かに怖いけど……パーティで挑むから大丈夫だよ、メグ」
そう言ってすずは笑顔を覗かせ、手に持ったジョッキを軽く合わせた。
彼女たちの手に握られたジョッキには、俊敏性のステータスアップ効果がある、「はちみつ酒」と、魔術を発動させるために必要な魔力値をアップさせる「ピルスナー」が並々と注がれている。
「あ、メグ、作戦なんだけどさ、ヤマブキくんとアンドウくんが敵を引きつけて、エドガーくんとメグが処理していく感じでいい?」
「そうだね。すずは回復に集中する?」
「うん、任せて」
それが仕事だから、とジョッキに口をつけながらすずは続ける。
その会話を傍らで聞いていたエドガーは、彼女たちに助言すべきか悩んでいた。このパーティのリーダーはエドガーではないし、すずたちは効率を重視しているわけではなかったからだ。
偉そうにあれこれと口を出せば、空気が悪くなってしまう。
最悪、口を出すとすれば、パーティがピンチになったときだろう。
「エドガーくん、そんな感じで大丈夫かな?」
「え? あ……うん」
不意にすずから話しかけられたエドガーが、慌てて返事をする。
「あ~、もしかしてエドガーもオークにビビってんのかあ?」
メグが仲間を見つけた、と言いたげな口調で嬉しそうに囁いた。
「……まあ、オークは夢に出そうなくらい怖い顔しているからな。メグさんの気持ち、わからなくもないけど」
「やばくなったら助けろよ、エドガー」
「え?」
メグの口から放たれた意外な言葉に、エドガーは目を丸くしてしまった。
「『え?』じゃねえよ! メインのアタッカーはアタシとアンタだろ! アタシを見捨てて先に逃げたら後でヤバイからな!」
「……ッ!」
言葉を失ってしまったのは、メグが口調を荒らげながらも懇願するように瞳を潤ませていたからだ。
エドガーは、その言葉にどう返していいかわからなかった。
ただひとつわかったのは、ピンチのときはメグを真っ先に助ける必要があるということ。
今後、平穏な高校生活を続けていくためにも、絶対に。
「わかったよ、絶対見捨てない。メグさんが怒ったらオークよりも怖そうだし」
「ッ!? 冷静に失礼なこと言うな! アンタってそんなキャラだったのかよ!」
「ぷっ、あはは」
すずの軽い笑い声がメグの怒号に混ざり、やがて喧騒に包まれているハンターズギルドの中に溶け込んでいく。
両手で口元を隠し、くすぐったそうに肩をすくめるすず。
エドガーはその姿に思わず見惚れてしまった。
そして、彼女の笑顔を見れただけでも誘いに乗って良かったと思ってしまった。
「おーい、参加手続き終わったぞ」
「お! よっしゃ!」
アンドウの声が届くと同時に、メグが気合の声を上げる。
念のため、先ほどアランのアイテムボックスから持ってきた回復アイテムを確認するエドガー。
視界の端に「グランドミッション参加申請中」という文字が浮かんだ。
いよいよクラスメイトと挑むグランドミッションがスタートする――
エドガーは思わず身震いをしてしまった。
だが、身震いは恐怖からくるものではなく、心地いい緊張感が生む、戦闘への渇望の副産物だ。
その後わずかな時間をはさみ、エドガーたちはグランドミッションのフィールドになる「ミストウィッチ監視所」に強制的にジャンプした。
***
ミストウィッチ監視所は、クレッシェンドから東にしばらく行った場所にある廃墟の砦だ。
ストーリー上の設定では、昔人間とオークがクレッシェンド地方で幾度となく争いを繰り返していたらしく、そのときに人の手によって作られたのがミストウィッチ砦らしい。
そして、人間側の勝利で終わった戦いの後、ミストウィッチ砦はオークの残党たちの動向を監視する「監視所」として使われていた。
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