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彼の家は意外と自宅から近いところにあった。
あまり目立たぬように徒歩できたので、長い距離を歩かされないで助かったと彼女は思う。
こぢんまりした邸宅だったので、本当に王子が住んでいるところなのかなと思っていたが、中に招かれて入ってみると、内装や家具の一つ一つがきらびやかでセンスを感じさせるものばかりであった。一時的に借りているということだったが、王子が入る前から、相当手を入れている様子がよくわかる。
落ち着かない気持ちで椅子に座り待っていると、「いらっしゃい」と彼が登場した。涼やかな緑色の瞳には笑顔が浮かんでいる。今日はメガネをかけていて、知的で穏やかな印象を受けた。彼の顔をマジマジと見るのは初めてだったので、みんながいつも大騒ぎしている理由がよくわかった。ちょっと、オーラが強くて圧倒されそうになる。
メイドが紅茶の良い匂いをさせて部屋に入ってきた。彼女は美しいティーカップに琥珀色の液体を優雅な所作で注ぎ込み、音もなく部屋から出ていった。
「よかったらどうぞ」
目の前にはいつの間にか白色に輝く砂糖菓子が、白地に金と薄青い模様が描かれているお皿の上に置かれてあった。お菓子はきっと、口の中に入れたら涼やかな舌触りを残して、あっという間にとけていくに違いない。いつもだったらすぐに手にとってしまうところだったが、今日はそんな気分にはなれなかった。
「手紙の件なんですが……」
「その前に。あらかじめ言っておきたいことがあるんですが」
「なんでしょう」
「僕はあなたが最も幸せになる方法を選びたい。あなたを傷つけたくないんです。だから、なにも言わずに僕に従って欲しいんです」
「どういうことでしょう」
「つまり、何も言わずに、速やかにフェリックス君と別れていただきたいのです」
「おっしゃる意味が全くわかりませんが」
「それが、全ての面でうまくいき、あなたが最も傷つかなくてすむ唯一の方法だと僕は考えています」
クラウディアは激しく憤慨して、その場を立ち上がった。
「いい加減にしてください。あなたは私だけでなく、フェリックスに対しても大変侮辱しています。金輪際、あのようなデマを流さないでください」
すると、その声を制するかのような勢いでステファンが言った。
「デマではありません。あなたの婚約者 フェリックスは、僕の婚約者である公爵令嬢 アレクサンドラと不貞を行なっている。それも一度や二度ではない。1ヶ月以上前から」
◇
彼女が落ち着くのを待って、ステファンは話を始めた。
親同士が勝手に決めてしまったので、自分は婚約者のことをよく知りたくて留学に来た。彼女は大変魅力的ではあったが、しばらくすると様子がおかしいことに気がついた。嫌な噂も耳にしたので、真相を突き止めるため、いろいろ行動した結果、深い仲になっている男性がいることを突き止めてしまった。
「それが、フェリックスだったんですね」
「そう。そして、僕は決定的な証拠をつかんだので、彼女との婚約を破棄しようと思っていたのですが、同時に、フェリクスにも婚約者がいることがわかったのです」
「それが、私、ですか」
「そう。僕の一存であなたの人生をめちゃくちゃにするわけにはいかなかったので、こうして、あなたに話をしているのです」
「私に構わず、話を進めたらいいじゃないですか」
「そうはいきません。僕が婚約破棄を一方的に行うと、国同士の間で問題になりかねません。そして、婚約破棄をする正当な理由を周囲に説明する必要がありますが、その際はフェリックスの名を出さないわけにはいかなくなるでしょう。そして、その話がもれでもしたら、たちまちスキャンダルになることでしょう。ここのお国柄は不貞には大変厳しいようですしね、宗教的に」
「そして、何より、あなたの婚約者が不貞を働いたということがオープンになれば、世間はかなり厳しい目を向けてくるでしょう。そして、不貞をされた側のあなた自身の名誉まで傷つけてしまうことになります」
「そんなことがないよう、ここで僕が話したことをあなたの婚約者に言って、内々に婚約解消できれば、あなたに不名誉なレッテルがつかない。それに彼らもその後正式に結婚さえすれば、不貞騒ぎも自然となくなるでしょう」
「それは、そうですが……」
「帰ったらあなたのご両親とよく相談してみてください。僕は、あなたが婚約解消されたのち、うまいこと理由をつけて婚約解消します。これで、皆丸くおさまるということです」
彼女は釈然としない気持ちで彼の話を聞いていた。
確かに思い当たることはあった。
公爵令嬢アレクサンドラは男性ウケはいいが、周囲の女性に対してはかなり高慢に振る舞っていて、そのためか男性遍歴の嫌な噂はいつも飛び交っていた。
その上、最近では目の敵のようにクラウディアに嫌がらせをするようになっている。そして何よりフェリックスがクラウディアに対してずいぶん冷たくなって来たのだ。
昔は結構優しい人だと思っていたのに、乱暴な言葉づかいをするようになり、あからさまに、こちらを下に見るような発言が目立ってきた。結婚が近いので少しナイーブになっているのかと思い、あまり口には出さないでおこうと思っていたのだが。
「大変ショックだと思います。でも、傷は浅い方がきっと治りも早いはずです」
彼は優しく声をかけてくれた。しかし、これで本当にいいのだろうか。何か騙されているのではないのだろうか。
何もかもが信じられなくなったクラウディアはステファンのことまで信じられなくなってきていた。
隣国の王子が一介の子爵令嬢を騙すなんて理由は全くないはずだとは思いながらも、自分がきっちりと事実を確認してから前に進むことを彼女は選びたかった。たとえ、その事実が自分自身を傷つけることになっても。
「あなたの持っている証拠を見せてはいただけませんか?」
ステファンは険しい表情をして、少し黙っていたが、すぐに彼女の方を見据えてこう言った。
「今度、婚約者と会うのはいつなのでしょうか?」
「今日は夕食を一緒にとる予定になっています」
「うん、それなら、明後日の夜も一緒にいたいと言ってみてはどうでしょう。彼は明後日にアレクサンドラと会う予定になっているはずです。もし、あなたのことを優先するなら、まだ、あなたの方に心が残っているのかもしれません」
「断られたら?」
「それが、彼の答えだということです」
あまり目立たぬように徒歩できたので、長い距離を歩かされないで助かったと彼女は思う。
こぢんまりした邸宅だったので、本当に王子が住んでいるところなのかなと思っていたが、中に招かれて入ってみると、内装や家具の一つ一つがきらびやかでセンスを感じさせるものばかりであった。一時的に借りているということだったが、王子が入る前から、相当手を入れている様子がよくわかる。
落ち着かない気持ちで椅子に座り待っていると、「いらっしゃい」と彼が登場した。涼やかな緑色の瞳には笑顔が浮かんでいる。今日はメガネをかけていて、知的で穏やかな印象を受けた。彼の顔をマジマジと見るのは初めてだったので、みんながいつも大騒ぎしている理由がよくわかった。ちょっと、オーラが強くて圧倒されそうになる。
メイドが紅茶の良い匂いをさせて部屋に入ってきた。彼女は美しいティーカップに琥珀色の液体を優雅な所作で注ぎ込み、音もなく部屋から出ていった。
「よかったらどうぞ」
目の前にはいつの間にか白色に輝く砂糖菓子が、白地に金と薄青い模様が描かれているお皿の上に置かれてあった。お菓子はきっと、口の中に入れたら涼やかな舌触りを残して、あっという間にとけていくに違いない。いつもだったらすぐに手にとってしまうところだったが、今日はそんな気分にはなれなかった。
「手紙の件なんですが……」
「その前に。あらかじめ言っておきたいことがあるんですが」
「なんでしょう」
「僕はあなたが最も幸せになる方法を選びたい。あなたを傷つけたくないんです。だから、なにも言わずに僕に従って欲しいんです」
「どういうことでしょう」
「つまり、何も言わずに、速やかにフェリックス君と別れていただきたいのです」
「おっしゃる意味が全くわかりませんが」
「それが、全ての面でうまくいき、あなたが最も傷つかなくてすむ唯一の方法だと僕は考えています」
クラウディアは激しく憤慨して、その場を立ち上がった。
「いい加減にしてください。あなたは私だけでなく、フェリックスに対しても大変侮辱しています。金輪際、あのようなデマを流さないでください」
すると、その声を制するかのような勢いでステファンが言った。
「デマではありません。あなたの婚約者 フェリックスは、僕の婚約者である公爵令嬢 アレクサンドラと不貞を行なっている。それも一度や二度ではない。1ヶ月以上前から」
◇
彼女が落ち着くのを待って、ステファンは話を始めた。
親同士が勝手に決めてしまったので、自分は婚約者のことをよく知りたくて留学に来た。彼女は大変魅力的ではあったが、しばらくすると様子がおかしいことに気がついた。嫌な噂も耳にしたので、真相を突き止めるため、いろいろ行動した結果、深い仲になっている男性がいることを突き止めてしまった。
「それが、フェリックスだったんですね」
「そう。そして、僕は決定的な証拠をつかんだので、彼女との婚約を破棄しようと思っていたのですが、同時に、フェリクスにも婚約者がいることがわかったのです」
「それが、私、ですか」
「そう。僕の一存であなたの人生をめちゃくちゃにするわけにはいかなかったので、こうして、あなたに話をしているのです」
「私に構わず、話を進めたらいいじゃないですか」
「そうはいきません。僕が婚約破棄を一方的に行うと、国同士の間で問題になりかねません。そして、婚約破棄をする正当な理由を周囲に説明する必要がありますが、その際はフェリックスの名を出さないわけにはいかなくなるでしょう。そして、その話がもれでもしたら、たちまちスキャンダルになることでしょう。ここのお国柄は不貞には大変厳しいようですしね、宗教的に」
「そして、何より、あなたの婚約者が不貞を働いたということがオープンになれば、世間はかなり厳しい目を向けてくるでしょう。そして、不貞をされた側のあなた自身の名誉まで傷つけてしまうことになります」
「そんなことがないよう、ここで僕が話したことをあなたの婚約者に言って、内々に婚約解消できれば、あなたに不名誉なレッテルがつかない。それに彼らもその後正式に結婚さえすれば、不貞騒ぎも自然となくなるでしょう」
「それは、そうですが……」
「帰ったらあなたのご両親とよく相談してみてください。僕は、あなたが婚約解消されたのち、うまいこと理由をつけて婚約解消します。これで、皆丸くおさまるということです」
彼女は釈然としない気持ちで彼の話を聞いていた。
確かに思い当たることはあった。
公爵令嬢アレクサンドラは男性ウケはいいが、周囲の女性に対してはかなり高慢に振る舞っていて、そのためか男性遍歴の嫌な噂はいつも飛び交っていた。
その上、最近では目の敵のようにクラウディアに嫌がらせをするようになっている。そして何よりフェリックスがクラウディアに対してずいぶん冷たくなって来たのだ。
昔は結構優しい人だと思っていたのに、乱暴な言葉づかいをするようになり、あからさまに、こちらを下に見るような発言が目立ってきた。結婚が近いので少しナイーブになっているのかと思い、あまり口には出さないでおこうと思っていたのだが。
「大変ショックだと思います。でも、傷は浅い方がきっと治りも早いはずです」
彼は優しく声をかけてくれた。しかし、これで本当にいいのだろうか。何か騙されているのではないのだろうか。
何もかもが信じられなくなったクラウディアはステファンのことまで信じられなくなってきていた。
隣国の王子が一介の子爵令嬢を騙すなんて理由は全くないはずだとは思いながらも、自分がきっちりと事実を確認してから前に進むことを彼女は選びたかった。たとえ、その事実が自分自身を傷つけることになっても。
「あなたの持っている証拠を見せてはいただけませんか?」
ステファンは険しい表情をして、少し黙っていたが、すぐに彼女の方を見据えてこう言った。
「今度、婚約者と会うのはいつなのでしょうか?」
「今日は夕食を一緒にとる予定になっています」
「うん、それなら、明後日の夜も一緒にいたいと言ってみてはどうでしょう。彼は明後日にアレクサンドラと会う予定になっているはずです。もし、あなたのことを優先するなら、まだ、あなたの方に心が残っているのかもしれません」
「断られたら?」
「それが、彼の答えだということです」
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