脱走王子と脱獄王女

狐島本土

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下等な人間の中の下等

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 オレたちは日没までうとうとと過ごした。

 魔王になってやる。

 そう言いたい気持ちはあったが、安請け合いできるようなことじゃない。それはルーヴァもわかっているみたいで、オレが黙るとそれ以上はなにも言わなかった。細い通路に猫みたいに丸まって横になってしまう。

「……」

 オレはその様子を見ながら考える。

 魔王になって喜ばせたい。

 そんな気持ちにはなっている。奴隷であることに比べれば、どれだけの苦労があっても目指す価値はある。ルーヴァはたぶん良い魔族だ。そしてオレを必要としてくれている。その理由があれば十分に二度目の人生を捧げられる。

 けれど、さっきの話が真実だとすれば。

 精霊界の人間と魔界の魔族は根本的には同じもので、だからこそもう歩み寄れないところにいるのではないかという気がする。魔族は人間から弾かれた過去の被害者であり、そして戦争においては現在の加害者だ。

 精霊は世界を作っていない。

 そのことについては、この世界の外側の神に会ってしまって知っていたから別に驚きはないのだが、それは魔族の祖先が正しかったという話になる。人間が祖先の過ちを認めて、現在の魔族を許せれば和解できるだろうが、そんなことが可能だとは到底思えない。

 正しいことなんて、大した価値はないからだ。

 諭吉パワーが当然になった日本の社会でも、その諭吉パワーのオリジナルを作った西欧諸国を見ても、政治的な和解が争いの決着にならないことは前世の世界史が証明してくれている。

 精霊界でかなり年寄りとして扱われている年齢は五十とか六十とかなので、平均寿命もおそらく現代ほどにはないだろう。少なくともオレの寿命の範囲内では実現不可能だ。

 結局、魔王になるってことは精霊界の人間から土地を切り取る侵略者のトップになるってことなのだ。当然のことながら、精霊界の人間の敵になる。戦争だ。殺すことにだってなるだろう。

 耐えられるのか?

 そして魔族の側からしても、人間なのに魔王となるオレは敵みたいなものだ。権力欲を持っていれば、排除すべき対象になるだろう。常に命をねらわれることになる。だれも信じられない。

 耐えられるのか?

「……」

 無茶だ。

 そんな理想に燃えて生きていけるような人間なら転生させられてない。第一、魔王になる前提で考えてるが、他の六人の娘に認められるというハードル自体はかなり高いと思う。

 イケメンは顔だけで嫌われる場合もある。

 突出していることはプラス要素になる反面、マイナス要素にもなるのである。オレの十六年の体感では、異性の一割ぐらいはイケメンを反射的に嫌う傾向があると思う。十人に一人とすれば、七人の中に一人いる可能性は決して低くない。

 無謀だ。 

 一人でも娘に認められなければ、魔王の証とやらは手に入らず、魔族を束ねることもできないとルーヴァは暗に言っている。魔王にはそもそもなれないということもありうる。

 喜ばせるどころか悲しませる。

 前世から持ち越した生産性のない思考に沈み込みながら、最終的に断る言い訳を考えていた。ルーヴァの気持ちはわからないでもないのだ。

 ちょっと指を触れただけで弱ってしまうような牢獄に閉じ込められ、未来への展望もないままのところにひょっこりとやってきた男がイケメンだった。運命の相手であって欲しい。

 そんな希望を持つのはむしろ当然だ。

 オレだってそうだった。

 ちょっと揺れただけで崩れて死ぬような部屋の中で、将来への漠然とした不安だけがあって、そこに美人なり美少女なりが現れたら、運命の相手だと思う。それだけが希望になる。

 やっぱり一人で逃げよう。

 ルーヴァには嫌われた方がいい。

 転生したってイケメンになったって、オレはオレだ。空から降ってくる美少女のように、だれかの運命を導く存在になんてなれやしない。運命なんか背負っちゃいないんだ。オレはただ、前の世界に居場所がなかっただけなんだから。

「……」

 ルーヴァは静かに寝息を立てていた。

「理想の魔王は、きっとどこかにいるよ」

 つぶやいて、オレは静かに水路に身体を沈める。出口の鎖鬼に見える堀はまだ明るい。一人で無事に逃げて欲しい。死ぬまでに新たな魔王の隣で笑っている姿が見られたら十分だ。

 それだけでこの世界はオレの居場所になる。

 堀に出て、流れに乗って潜りながら川へと出ていく。流れはかなり早い。身体が冷えるのも構わず、オレは下流へとどんどん下っていく。奴隷として働いた農園地帯が広がっているので、そこには上がれないのもあったが、実際のところ、涙が止まらなかったからだ。

 オレにはなんの力もない。

 十六年で痛感していた。

 イケメンなんて、平和な日本でやっと役に立つぐらいの能力だ。薄っぺらい。オレという人間の価値にはなんの変化も与えない。ただのガワであり、そして下手に人を信じ込ませて害悪にすらなる。詐欺みたいなものだ。

 川底に何度も身体を擦りながらどれだけ流されたのか、不意にずっと沈み込む。急に深くなった。そして流れが弱まっていく。

「げはっ」

 岸に這い上がると広々とした池だった。

 知っている場所じゃない。

「シドラー様! あれです! あれがノアを! シドラー様! ルーヴァ・パティを脱獄させたのもあれです! シドラー様!」

 上からの、聞き覚えのある甲高い声。

「ノア、少し黙れ」

 それを制する、落ち着いた声。

「!」

 見上げると、夕暮れの空に、巨大な黒い翼を羽ばたかせた精悍な男が浮かんでいた。カラス。光沢のある黒い嘴を持った男の鋭い視線に、オレは恐怖を覚え、腰砕けに岸辺に座り込む。

「なんで?」

「知っていたからだ」

 オレの言葉に答えて、男は目の前に降りてきた。巨大な翼を畳んで、羽根に覆われてもわかる筋肉質な身体を見せつけるように近づいてくる。すぐさまオレの首を掴んで持ち上げた。

「ぐぁっ」

 焼けるように熱い。

「隠し通路の存在も、そこから逃げた人間がどこにたどり着いたかも。牢獄に繋がっているとは思わなかったが、結果は同じことだ。この俺様がそんなことをちまちまと調べる理由もない。反抗したものを殺せば済む」

「っ、ぐっ、あっ」

 苦しい。

 掴む手を剥がそうとするも、羽根は鋭く手に刺さり、痛みにさらにもがくしかない。なんとかしなければ死ぬ。これは本当に。

「ルーヴァ・パティはどこだ?」

「が、ぐぇ」

 答えられる状況じゃない。

「だれの差し金で逃がした? 答えろ」

「……っ!」

 そして答えるつもりもない。

 死ぬなら黙って死ぬ、が。

「ま、おう」

 オレは声を振り絞った。

「魔王? なにを言って」

 シドラーの視線が思考するように少し動いた。その一瞬があれば、腹の荷物袋からものを取り出すのには十分だった。盗賊の技術、盗むためには素早くしまい。使うために素早く取り出す。

「シドラー様!」

 翅小人が叫んだ。

「!」

 男の手から力が抜けたのと、盗んだナイフが手首を差したのは同時だった。羽根が飛び散る。浅かった。思いっきりリストカットしてやるつもりだったんだが。

「貴様!」

 大して血も出ていない。

 あの羽根は、武器にも鎧にもなってる。

「これで触られると、力が入らないんだろ?」

 オレは牢獄から持ってきた塗料のついた石のブロックを見せつける。いざって時に役に立つとは思っていた。主にルーヴァから逃げるときのためのつもりだったが。

「人間だと!? 人間がなぜ」

 怒りに任せて踏み出した足が震えている。

「なぜって……」

「テオが魔王になるからよ。シドラー」

 びしょ濡れのルーヴァが翅小人を片手に捕まえて立っていた。長いスカートを太股で結んで、泳いできたらしく、薄い布地の下の白い肌が透けていた。ブラをしていない。

「こうなると予想して、わたしのために囮になったのね。テオ。あなたは本当に理想の魔王だわ。率先して前に出る。それでこそよ」

「え?」

 逃げ出したのを良いように解釈されてる。

「シドラー。わたしはテオ・ルブルクを魔王にする。そう決めたの。わかったら退きなさい。さもないとノアをどうするか」

「テオ? テオ・ルブルク? はっ」

 ルーヴァの言葉を聞いて、シドラーは嘲笑。

「その名は知ってるぞ? 脱走王子!」

「……」

 オレは一歩退く。

「脱走王子?」

 ルーヴァが首を傾げる。

「愛玩奴隷の名さ。ルーヴァ・パティ。数々の主人にその身体で仕え、そして裏切り、逃げ出しては何度も捕まる下等な人間の中の下等。クソだめの中でクソを食らって生きる虫けらだ」

 シドラーは言った。

「そんな男を魔王にする? まったく王女の目もクソ穴だな! 魔族すべてをクソまみれにでもするつもりなのか! クソったれが!」

 クソクソ言い過ぎだが、ほぼ事実だ。
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