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第一章―飛び立つことさえ許されず―
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しおりを挟む音をたどると、第二音楽室のプレートがついた教室にたどり着いた。いつも授業で使っているのは第一音楽室で、反対方向にあるこの教室には来ない。
放課後に音楽室を使いそうな合唱部か吹奏楽部が練習しているのかもしれないけど、それにしてもピアノの音だけというのが気になった。
「誰かいますか?」
「やぁ」
「……月代先生」
少し立て付けが悪いドアから顔だけを覗かせると、ピアノの前に座っている月代先生が笑顔で手をひらひらと振ってきた。
「結城さん。そんな所立ってないで、入っておいでよ」
「え、でも」
「大丈夫。放課後は防音が効いてる第一音楽室しか生徒は行かないから」
「……でも、依理が」
依理は月代先生と二人っきりになっちゃ駄目だって。
「待って」
挨拶をして帰ろうとすると、月代先生が席を立ってこちらに歩いてきた。
「おいで」
「……は、い」
短い一言なのに、優しい声なのに。
逆らってはいけない気がした。
この差し出された手を無視してはいけない気がした。
無意識のうちにその手を私はとっていて、肯定の言葉が自分の口から出たと気づいたのは、月代先生の手に引っ張られてピアノの横に来た時だった。
「……あ」
「君は知っていた? この曲を。それとも、思い出した?」
月代先生の細い指は、あの“雨だれ”を弾いていた。
「先生?」
「人間が作ったモノの中で、唯一いいと思えるのは、こういう曲だろうね」
「……先生、私……帰らなきゃ。依理が、待ってるから」
席を立とうとすると、月代先生の手が私の腕を掴んだ。
パッと後ろを振り向くと、月代先生が突き刺さすような目で見ていた。
それまでの柔らかい瞳ではない。仄暗い瞳。
「結城さん。僕は約束を守るよ? だから……小羽も守ってね?」
「え?」
約束……って? それに今……確かに小羽って。
掴まれた手の力は自分では振りほどけないくらい強い。
「先、生。……離して下さい」
「嫌だって言ったら?」
「大声、出します」
「誰もこないって言ったら?」
「そんなわけ」
「ないって言い切れる? どうして君と同じようにピアノの音に吸い寄せられてくる生徒が誰もいないと思う? それに、防音が効いた第一音楽室を使うのは吹奏楽部だけ。なら、合唱部は? なんで来ない? 今日は普通の平日なのに」
この言葉を聞いた瞬間、全身を寒気が襲った。
初めて、初めて本当に月代先生のことが怖いと思った瞬間だった。
「君以外は来ないよ。正確に言えば、僕が許した人間以外はね」
「どういう……
「そのままの意味だよ」
「だって……そんなことできるはずないじゃないですか」
「どうしてだと思う?」
そう言って笑う月代先生は、いつもの笑顔で首を傾げていて。
「痛っ!」
「痛い? ごめんね?」
ぐいっと引っ張られ、先生の胸にぶつかった。
ふわりと微かに薔薇の匂いがシャツから漂ってくる。
「君が忘れてるなら、思い出すまで待とうと思ったけど。……そんな悠長なことしてると、いつ横から邪魔が入るか分からないよね。やっぱり、このまま連れて行こうか」
「い、いや」
その言葉が先生の勘に触ったのか、少し眉を寄せ、くいっと私の顎を掴んで上を向かせられた。
今の私は腕を掴まれ、顎を掴まれ、先生の目を直視できずに、目線を斜め下に向けることしかできない。
「僕は一度待った。二度は待てないよ」
「そん……っ!」
言い返そうとした時、先生の顔が私のすぐ近くに来た。
あっと思った時、もう先生の唇と私の唇は合わさっていた。
腕は掴まれたまま、空いたもう片方の手で私の頭の後ろを押さえられてしまった。
「んーっ!」
息、もたな……
「……大丈夫?」
掴まれている包とは逆の手でドンドンと胸を叩くと、やっと離してくれた。
「今日は帰してあげる。でもあんまり僕を怒らすと……本当に連れていくからね」
「っ!」
緩まった手を振り払い、私は音楽室を飛び出した。
振り返ることなく自分の教室に向かった。
途中涙が出てきて、すれ違う人みんなにびっくりされていたけど、全く気にならない。
依理の言った通りだ。依理はずっと言ってた。
あの男には気をつけなさいって。
今日だって。
「うわっ!」
「あ、ごめんなさい」
「あ、ちょっ……」
誰かと角でぶつかりそうになったけど、今のこの顔では顔を上げられない。
ペコリと頭を下げて、さっと横を通りすぎた。
何か言おうとしたみたいだけど、早く教室に戻りたかったので無視してしまった。
……私だって全然疑ってなかったわけじゃない。
でも、心のどこかで、先生は大丈夫だって思ってた。
なのに。
今日のでその考えが無惨に壊され、もうどうしたらいいか分からなくなっていた。
自業自得だった。
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