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第一章―雛の笑み
と
しおりを挟む昼時の食事を終えると、子供達の目蓋がとろりと落ち込んできた。予想はしていたが、それに違わず。このまま座学をしても、じきに船を漕ぎ始めるだろう。そんな状態では身になるものなど何もない。
「じゃあ、ちゃんとした勉強は明日からすることにして。今日は遊ぼう」
「え?」
「あそんでいいんですか!?」
「やったぁー!」
「おれ……あそぶより、ね、むい」
「おいっ」
眠気に勝てず、机にぶつけそうになる利助の頭を、間一髪のところで隼人が防いだ。
顔を上げた利助は先程よりは開いている目を瞬かせる。何が起こったのか理解しようとしているのだろう。
ぼぅっと考えていると、また同じことを繰り返しそうになる利助の頰を、横に座る宗右衛門が軽く抓りあげた。その痛みでようやく目を覚ました利助が、やったなとばかりに宗右衛門と手を組み合い始める。取っ組み合いの喧嘩に発展しそうであったところを、左近が間に手刀を入れ、やめさせた。
時間は子供の内は無限にあるように感じるが、実際は大人よりも有限だ。子供のうちだからこそ吸収できることも山のようにある。
遊びと左近は言ったが、そんな貴重な時間を無碍に消費するつもりはない。もちろん、今からやろうとしていることも、忍びとして必要になる技術を磨くためのものである。
そして、左近の目論見通り、遊びと言ったことで子供達も俄然やる気が増していた。
「ただし。遊ぶといっても、ある言葉から連想してそれを繋げていく遊びだよ」
そう言って、左近は人に頼んで用意してもらっていた紙を広げた。米で作った糊で紙を貼り合わせているおかげで、結構な大きさである。もちろん、貴重な紙を無駄にはできないので、使っても問題ないような裏紙の再利用だ。
邪魔にならないよう机を脇に退かさせ、その紙を床に敷く。
「まずは僕が書くね」
宗右衛門が持っていた筆を借り、紙の中心に縦向きで、まず三文字。
【以之梅】
その後、その周りに子供達一人一人の名前を書いていく。
「はい。皆の名前を書いたから、これから自分以外の誰かについて、思いつく言葉をこうして繋げていくんだよ」
例として、三郎の名前の横に線を引いて“元気”と書いた。
その例を見て、どうやればいいかは子供達も理解したらしく、それぞれ自分の筆を手に取り、各々頭を捻り始めた。
“今までは漠然と捉えていた他の皆のことを改めて考えろ、そして、なおかつ文字にして”という指示に、最初はなかなか上手く言葉が出てこずに困っていたものの、こういうものは慣れてくると早い。元々頭の回転が早そうな宗右衛門や利助は、すらすらと筆を走らせている。二人以外も、相談しながらも楽しみながら書き進めていった。
「えーっと」
「あ、すみがてについちゃった」
「せんせー。これ、どこからつなげてもいいの?」
「うん。どの言葉からいくつ繋げてもいいよ」
「はーい」
左近と隼人は、それを後ろから見守るだけ。これは子供達が主体の時間である。この紙に書く上で必要なことは教えても、余計な口を挟むつもりは端からない。
途中、宗右衛門が小太朗の誤字を見つけ、小太朗の方へ顔を向けた。
「ねぇ、“ぬ”が“め”になってるよ」
「あ、ほんとだ」
「……これ、“ぬ”ってかいてる」
「……ごめん」
「おれもごめん」
「いいんだ。おれのほうこそ、じ、きたなくてごめん」
宗右衛門と宗右衛門の言葉に同調した利助、そして小太朗の間に、僅かな間、気まずい雰囲気が漂うことになってしまった。
左近と隼人もそっと覗いてみたが、やはり宗右衛門や利助の言う通り、“め”に見える。が、言われてみれば、“め”のはらいの部分がやけに最後までどっしりと筆が下ろされているのは、その部分を丸くした“ぬ”だからだと思えなくもない。
さてはて。密書を届けるだけでなく、時には報告として書くこともある忍びが読めない字を書くのはいただけない。これは誰ぞに字の稽古をつけてもらうべきかと、左近は割と真剣に思案した。
そして、気づくと、その遊びと称した観察力を磨く実技は日暮れ近くまで行われていた。
「さて、陽も傾いてきたからもう終わりにしよう。……うん、なかなか良く書けたね」
「あぁ。若干字が下手な奴もいるみたいだが、こんなもんだ。これから練習して上手くなりゃいい」
「そして、これを部屋の後ろの壁に貼る、っと」
糊は準備していないから、合間に食堂から失敬してきた米粒で一旦貼っておく。
後で取り外せるようにもしないと様々な所からお叱りを受けてしまうのは左近なので、糊付けよりもこちらの方がいいだろう。
壁の前に立ち、貼った紙を全員で眺めた。
「なかなか圧巻だな」
「みんな頑張ったね」
「おれ、こんなにいっぱいかきました!」
「おれもおれも!」
「ぼ、ぼく、こことここ、それからそことあれ。あと……」
子供達は自分が書いたところを見てもらおうと、左近と隼人の服の裾や腕を引き、次々と指さしていく。
左近と隼人が改めて子供達を見ると、皆、手だけでなく何故か顔まで墨が飛んでいた。二人で顔を見合わせ、どちらからともなく穏やかな笑みを浮かべる。こんな気持ちは本当に久しぶりであった。こんな、ただただ胸が温かくなるだけの気持ちは。
左近は一番手近にいた藤兵衛と三郎の頭に手を乗せ、撫でてやった。
「いいかい? 君達は将来、今やったような他人に対する観察眼、他の人のことをよく見たり聞いたりする力が必要になってくる。今のうちに、こうやって楽しみながら身につけられるといいね」
「「はい!」」
そして、左近は再び壁に貼られた紙へ視線を戻した。
齢七つの雛達は、これからどのように成長していくのだろう。
この、数多の線が伸びる先。これらの内、どれだけが明るいままでいられるのだろうか。
できることならば、一つでも多く残っていて欲しい。友が見出してくれた自分を、最期の時まで見失うことがないように。
……しかし、所詮、それも甘い夢。
それが叶うのならば、こんな戦続きで疲弊した時代など訪れない。
だからこそ、この次代の八咫烏達のために自分達先達がしてやれるのは、こうやって忍びの技を教え、磨いてやることくらい。
ままならない世の中である。
残り三人の頭も順番に撫でてやる左近の浮かべる笑みが、上辺だけのものに変わってしまったことに気づいたのは、当然ながら隼人だけであった。
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