46 / 117
第六章―狼藉の代償
ろ
しおりを挟む本丸御殿前の広場に女中と吾妻達が集められ、地面に正座で座らされた。
事の次第を語られ、自分達が怪しまれていると悟った女中達は、青天の霹靂とばかりに慌てふためいた。
「私達は何も知りません!」
「何かの間違いでございます!」
「そんな大それたこと、誓って私達ではございません!」
しかし、奏者の疑いの眼は女中達へと向けられたままである。
吾妻達も最初疑われていたが、吾妻が、もし自分達が下手人なら、自分達見張り番に渡された物なのだから、怪しまれないように同じものをほんの少し食べるはずと言って、奏者を上手く言い包め、疑いの目を逸らすことに成功していた。
なかなか口を割ろうとしない女中達に業を煮やしたのか、奏者と共にいた侍の一人が刀を抜いて、女中の顔にひたりと当てた。その女中は声にもならず、ぼろぼろと涙を零し始めた。
「お、お待ち下さい!」
正蔵が女中達とその侍の間に入り、侍の目をひたと見上げた。
「なんだ。お前達が盛ったというのか?」
「いえ、そうではありません。こうも沢山の人数に症状が出たのですから、食あたりの類なのではありませんか?」
「なに? 食あたりだと?」
決して逸らさない正蔵の大きな目で向けられる視線は、どこかしら威圧感に似たものがある。侍もそれを感じたのか、侍の問いに対して横から答えた吾妻の方へと避けるように視線をずらした。
すると、馬の手綱を引く青年が、薬箱を持った同じくらいの年の頃の青年を連れ、奏者達の元へと走って来た。
近くにいる者に馬の手綱を預け、奏者に頭を下げる。薬箱を持った青年も隣で顔を伏せた。
「薬師をお連れしました!」
「遅くなってしまって申し訳ございません。丁度、怪我人の手当てをしていたもので」
「そんなことはどうでもいい! 早く診てやれ!」
「はい」
見ると、確かに青年の服には血と思しき赤い飛沫が飛んでいる。しかし、今はそんなことはどうでもよいと、奏者はさほど気にも留めなかった。
青年が連れていかれた後、奏者もやはり経過が気になってくる。連れて来させた女中達をこのまま捕らえておくように従者に言い含め、青年の後を追いかけた。
患者が集められた場に案内された青年は、患者の一人の様子を隈なく見始めた。手の甲にもう片方の指を当て、患者の腹部を軽く押して行く。その頃には最早腹部全体に広がっていた痛みに、患者は僅かな力でも痛いとばかりに暴れ回る。
青年は険しい眼差しとなり、立ち上がって少し離れた位置で様子を窺っている奏者の元までやってきた。
そして、皆には聞こえぬよう奏者の耳元に手をやり、小声で話し始めた。
「お武家様、これは予防薬でございます」
「……なに?」
青年は小さな包みをいくつか奏者の袖の袂に差し入れた。
訝しがる奏者に、青年はちらりと患者達を見て、言葉を続けた。
「これは流行り病かもしれませぬ。異国でこのような症状の者が次々と倒れたという話を聞いたことがございます」
「な、なに? では、それを飲めば大丈夫なのか?」
「はい。ですが、数に限りがございます」
「すぐに作ればよいではないか」
「いいえ。作れませぬ。なにせ、これは異国渡の薬。私もつい先日手に入れたばかりのものです。商人から購入してそのまま薬箱の中に入れておりましたゆえ、こちらに」
「そ、そうか」
奏者は神妙な顔つきで、袂に入れられた薬包みを服の上から弄んだ。
「お武家様、そちらを貴方様が大事と思われる方にもお渡しくださいませ。そして、ここは危険です。痛みに我を忘れ、誰彼構わず攻撃する者がでるやもしれません。早く本丸内にご避難を」
「あ、あぁ。任せたぞ」
「はい」
奏者が本丸へ向かおうとすると、玄関の前に女達を集めたままだったのを思い出した。奏者は殊勝な面持ちで待っていた女中達に、疑いは晴れた故にすぐに看病に当たるようにと立ち去り際に言い残して本丸の中へと戻っていく。
さらに、雑兵姿の青年が怪しまれない程度に距離を開け、奏者の後をついて行く。騒がしい夜であるから、その青年の姿に気づく者はほぼいない。
そそくさとこの場を後にした奏者の背を、薬師の青年は冷ややかな視線で見送った。
そして、視線を近くに寝ている患者へと戻し、しゃがみ込んでその背に手を差し込み、体を起こさせて耳元でそっと囁いた。
「大丈夫。大丈夫ですよ。……静かにお聴きなさい。貴方のこの症状は、実は城主が毒を盛ったのです。その証拠に、城主もその取次ぎ役である奏者も、皆の前で驚いて見せた後、もう立ち去っています」
「な、なにっ……!」
「大丈夫です。この薬を飲めばしばらくすれば良くなりますから」
「あぁ……はやくっ、早くその薬をくれっ」
「えぇ。ですが、騒いではいけません。殺されてしまいますから」
「わ、分かったっ」
がくがくと首を振る患者の男に、青年は包みと水入りの竹筒を手渡した。
手渡した包みに入った薬が喉を鳴らしながら流し込まれて行くのを、青年は最後までは見届けず、また次、また次と、同じ話を聞かせて回った。
そして、馬を引いてきた青年に加え、あと数人も薬師の青年と同じような行動を見せている。
患者のある者は信じられないと目を見張り、ある者は恨みがましい目で本丸の方を睨み上げた。しかし、誰もが青年達の言うことを聞き、表立っては言い出さない。元々が評判の悪い城主のこと。その発言は大して抵抗もなく受け入れられたのだろう。
それは彼ら――薬師に扮した伊織、馬を引いてやって来た彦四郎、雑兵の慎太郎、先に看病する側に回っていた蝶と兵庫、そして奏者に命じられて看病に加わった吾妻と正蔵――忍びが使う術の一つで、偽の告発を行い、重要人物を陥れる蛍火術にまんまと嵌ったも同然であった。
その頃、着々と離反の下地がつくられているとも知らず、本丸内の奥にある部屋では、城主が奏者の報告を首を長くして待っていた。そこへ、奏者が戻ってきたのだ。城主は脇息を押しやらんばかりの勢いで迫った。
「殿。落ち着いてお聞きくださいませ。薬師より、これは異国の流行り病ではないかと。こちらが予防薬だそうでございます」
「なにっ? ……その薬師、信用できるのか?」
「……ですが、もし本当にそうだった場合、事が露見すれば、里攻めも叶わなかった我らは余計に御屋形様に疎まれることになります」
「……何が言いたい」
「口は禍の元、証拠は消すもの、でございます」
「……そうか。そうだな。お前に任す」
「はっ」
城主は今だ戻らぬ軍奉行を務める老臣の次にこの奏者の男を信用していた。
その男が言うのだから、自分はただ任せておけばよい。そうやって今まで生きてきた。
……あの里攻めの件を除いて。
今になって蘇る恐ろしい記憶に、ぶるりと体を震わす。
すると、奏者が包みを再度差し出してきた。
「殿はこちらをお飲みになって、念のため隠し通路からお逃げください。後の始末はこの時のために用意しておいたあの者に」
「あぁ、分かった。水を持て!」
「ははっ」
側にいた小姓に水の入った柄杓を持って来させ、薬と水をぐいぐいっと一気に飲み干した。
膝を掌で打ちつけ、城主は腰を上げた。
「……よし。行くぞ!」
「はっ」
それから間もなく。
十分なほど雑兵達に言い回った伊織達は、密やかに本丸内へと侵入していた。
人と出会っても、報告したいことがあると言えば、皆が納得し、それ以上引き止められることもない。もちろん、必要以上に怪しまれることも。
そんな伊織達を、先程まで城主がいた部屋に呼び出され、待ち構える青年がいた。年の頃は伊織達とそう変わらず見える。
その青年は目を瞑り、部屋の入口に背を向けている。
「……とうとう、来たんだね」
静かな声音が溢した独り言は、誰に聞かれることもなく、泡のように消えた。
青年は心臓の上に手をやり、ぎゅっと握りしめる。
彼にも、守りたいものがある。守らなければいけないものがある。
だからこそ、いつかは会わなければいけなかった。そして、それが今だっただけのこと。
再び開かれた瞳は、決して揺るがない。
瞳の奥、脳裏に浮かぶたくさんの姿が懐かしく、恋しく、そして、もう手が届かない所にあるのだということが分かっているからこそ。
部屋の外から声がかけられたのは、それからすぐのことだった。
0
あなたにおすすめの小説
滝川家の人びと
卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。
生きるために走る者は、
傷を負いながらも、歩みを止めない。
戦国という時代の只中で、
彼らは何を失い、
走り続けたのか。
滝川一益と、その郎党。
これは、勝者の物語ではない。
生き延びた者たちの記録である。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
四代目 豊臣秀勝
克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。
読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。
史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。
秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。
小牧長久手で秀吉は勝てるのか?
朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか?
朝鮮征伐は行われるのか?
秀頼は生まれるのか。
秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
熟女愛好家ユウスケの青春(熟女漁り)
MisakiNonagase
恋愛
高校まで勉強一筋で大学デビューをしたユウスケは家庭教師の教え子の母親と不倫交際するが、彼にとって彼女とが初の男女交際。そこでユウスケは自分が熟女好きだと自覚する。それからユウスケは戦略と実戦を重ねて、清潔感と聞き上手を武器にたくさんの熟女と付き合うことになるストーリーです。
織田信長 -尾州払暁-
藪から犬
歴史・時代
織田信長は、戦国の世における天下統一の先駆者として一般に強くイメージされますが、当然ながら、生まれついてそうであるわけはありません。
守護代・織田大和守家の家来(傍流)である弾正忠家の家督を継承してから、およそ14年間を尾張(現・愛知県西部)の平定に費やしています。そして、そのほとんどが一族間での骨肉の争いであり、一歩踏み外せば死に直結するような、四面楚歌の道のりでした。
織田信長という人間を考えるとき、この彼の青春時代というのは非常に色濃く映ります。
そこで、本作では、天文16年(1547年)~永禄3年(1560年)までの13年間の織田信長の足跡を小説としてじっくりとなぞってみようと思いたった次第です。
毎週の月曜日00:00に次話公開を目指しています。
スローペースの拙稿ではありますが、お付き合いいただければ嬉しいです。
(2022.04.04)
※信長公記を下地としていますが諸出来事の年次比定を含め随所に著者の創作および定説ではない解釈等がありますのでご承知置きください。
※アルファポリスの仕様上、「HOTランキング用ジャンル選択」欄を「男性向け」に設定していますが、区別する意図はとくにありません。
裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する
克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる