上 下
111 / 117
第十四章―桜の下でさようなら

しおりを挟む


 四半刻ほど駆けてきた庄八郎達。
 次に姿を見せたのは、源太、兵庫、吾妻の三人であった。

 源太が庄八郎達の眼前に焙烙火矢ほうろくひやを二、三個放る。火薬の量が調整されているのか、さほど大きな爆発にはならなかったものの、庄八郎達は一時後退を余儀なくされた。

 少し離れた位置で互いに相対する二組のうち、先に口火を切ったのは、新之丞だった。
 

「源太先輩、煙硝蔵を爆破したのは貴方ですか?」
「半分正解で半分不正解だな。俺が主体なのは間違いないが、俺だけじゃない」
「……なんでっ!」


 新之丞は、火薬の取り扱いについて源太にも教えをうていた。火薬にかけては彼の右に出る者がいないと、新之丞は本気でそう思っている。こんな事態になった今でもだ。
 だからこそ、違うと言って欲しかった。裏切りの件もそうだが、火薬の貴重性を分かっている彼が、よりにもよって八咫烏の煙硝蔵を爆破するなど、あっていいわけがない。だが、欲しい言葉は帰ってこなかった。

 さらに、答えの代わりとばかりに、追加で焙烙火矢が投げられる。

 爆破の煙が風にのって消えた後、木の枝に上ったままでいた吾妻が得物である鎖鎌を持って、庄八郎達の前に飛び降りてきた。


「そんな問答していていいのですか? この先にはまだ私達の代が残っていますよ。学び舎のすぐ近くにもね」
「……っ!」


 吾妻もまた、彦四郎や蝶、正蔵と同じように普段と変わらぬ表情で、雛達を害することをほのめかすような口ぶりでのたまう。

 彼らの代のうち、この先で待っているのは、与一に慎太郎、左近に隼人、そして伊織。一人だって大変なのが、まだ五人もいる。吾妻の言う通り、悠長に話をしている場合ではない。

 新之丞と因幡、それから因幡と同組の後輩が三人、前にでた。


「行ってください」
「早く!」
「……あぁ」


 正直、因幡達は学び舎を出たばかり、鍛錬を積んでいるとはいえ、実践経験が豊富というわけではない。だが、今、この場にいる者で、後のことを考えると、庄八郎や倫太郎が残るのは決して得策とはいえない。

 庄八郎は最年長として、英断とも無謀ともとれる新之丞達の言葉に、皆を連れて先へ進む道しか選ぶことが許されていなかった。

 庄八郎達の姿が山中の木々の向こうに消えた後、新之丞は改めて口を開いた。


「教えてください」
「何をだ?」
「貴方達の目的です」
「目的……目的か。それを聞いてどうする?」
「知りたいんです!」
「知る権利が俺達にはあるっ!」


 源太に兵庫、吾妻は庄八郎達の前に横一列に並び、互いに目を見合わせる。真ん中にいたために両側から目を向けられた兵庫が、首をふるふると左右に振った。それは決して新之丞達に知る権利はないという意味ではなく、彼の寡黙かもくさが表にでた結果だ。要は、自分は言わないぞという意思表示だろう。その証拠に、源太と吾妻はそれに頷くのではなく、肩をすくめあった。


「そうですね。教えてあげましょう。……いつか、三途の川の向こうで」


 にこりと笑う吾妻がその笑みのまま、鎖鎌の鎖の部分をひゅんひゅんと回し、回転力がついた鎖鎌の先、つまり、鎌の部分を新之丞達の元へと放る。回転がついたものというのは、制御するのが難しいが、それはもう何年も使ってきている物。思うがままに扱うことができ、今回も見事狙い通り、新之丞達が立っている場所のど真ん中の地面に突き刺さった。

 新之丞達がそれを避け、散り散りになったところに、源太、兵庫、吾妻がそれぞれ距離を詰める。

 気づけば、見事に二対一に分かれていた。

 お互いに勝手知ったる山中を縦横無尽に使い、特に新之丞達は一瞬の隙も見逃せない。相手の動きに全神経を集中させていた。

 しかし、それがあだとなってしまったのかもしれない。相手に集中すぎるあまり、ここの防衛網をきちんと意識することがおろそかになっていた。

 確かに今、目の前にいる相手は一人だ。だが、これまで山中で何が賊の侵入を最大限はばんでいたのか、思い出した時にはソレが集中している部分に迷い込んでいた。それも、源太と兵庫が相手をしている四人のうち、二人が同方向に。


「待て! そっちは!」
「……っ!」


 源太の声も、もう遅い。兵庫と一緒に駆けだすが、間に合うかどうかは源太達にとってもけだった。つまり、それだけ無我夢中だった。

 後輩達も糸を切り、飛んできた竹槍をなんとか避けたところまでは良かった。だが、その後がよろしくない。なにせ、相手は対侵入者用の罠。そして、この場――館よりも上に来られるような賊のために作られたソレは、生け捕りにできるようには作られていない。

 がさりと葉崩れが起き、後輩達の真下にぽかりと深い穴があく。

 それは本当に一瞬の出来事だった。

 源太と兵庫が落ちて行こうとする二人の両腕を掴み、そのままぶんっと真上に放り上げた。それを、助けようと源太達同様駆け寄ってきた新之丞ともう一人が受け止める。そして、受け止めた身体をずるずると引きずるようにして、四人はその場を離れた。

 お互いに良かったと安堵するのも束の間。自分達が置かれている状況を理解した四人は源太と兵庫の姿を探した。しかし、どこにもいない。

 四人のうち一人が痛めた足を引きずりながら穴を覗き込むと、寸の間、動きを止め、がくりと膝からくずおれた。


「……先輩。先輩達がっ!」


 今にも大粒の涙を零さんばかりに顔を歪ませ、振り返った少年が指さす先は、先程の穴の中。

 新之丞は全身に受けた傷の痛みも忘れ、一目散に駆け寄った。その後に、残る二人も続いた。


「……そんなっ!」


 穴の中では、源太と兵庫が仰向あおむきで、全身に竹槍が突き刺さっている状態で事切れていた。身体の向きからして、二人を放った後、穴の壁に苦無を突き刺して足場を作ることなく、そのまま落ちたのだろう。

 二人の死に顔は、全身を貫かれる痛みに歪むものではなく、どことなく満足そうな表情であった。顔だけを切り取れば、畳の上で死んだと言っても十分通用する。畳の上で死ぬことは忍びとしては贅沢な死に際。それを思わせる死に顔が、一体どれだけあろうか。 


「源太先輩! 兵庫先輩!」
「違う! 違う違う違うっ! こんなのっ!」


 源太と兵庫の死の遠因となった二人は、目の前の現実が信じられず、頭を抱えて縮こまっている。

 彼らは自分達を裏切ったはず。敵同士。助けられることなど、あるはずがない。
 だが、事実、彼らは手を伸ばし、掴み、自分達の全力でもって地上に放り上げてくれた。

 その相反する事実二つに、新之丞達はどちらの彼らを信じればいいか分からなくなってしまい、ただ、穴の前で泣き崩れるしかなかった。


 一方、吾妻の方も窮地を迎えていた。数日前に降った雨の水が上手くはけ切っておらず、ぬかるんでいた土に因幡が足をとられた。しかも、よりにもよって、崖から数歩手前で。その上、因幡は崖の方へ身体を傾けてしまった。

 落下していく因幡に、吾妻が鎖鎌の鎖を因幡へ投げる。因幡もなんとか掴み取ることに成功した。


「いいですか? 絶対に離してはいけませんよ?」
「吾妻先輩っ。このままだと、先輩も」
「いいから、言うことを聞きなさい」


 吾妻はそう言うが、因幡の言う通り、引っ張り上げようとすればするほど地面の状態が悪いことが憎く思える。しかし、吾妻は決して諦めようとしなかった。因幡と共に吾妻と相対していたもう一人も、吾妻の腹に手を回し、足を踏ん張らせる。

 
「もうすぐですよ」
「はいっ」


 その通り、もう少しで因幡を引き上げられる。そのはずだった。

 地面がさらにぬかるみ、その場ごと崖下に崩れていく。こうなってしまえば、上にいる二人も危ない。

 吾妻は迷うことなく、一瞬で判断を下した。一緒に引っ張っている後輩の腹を足で全力で蹴り、安全な後方まで飛ばしたのだ。


「……っ!」


 蹴られた少年は腹と木の幹にぶつかった衝撃による背中の痛みに喘ぎながらも、先程まで自分が立っていた方へ視線を向ける。すると、崖下に自ら飛び降りていく吾妻の姿が目に入った。目を見張り、言葉をなくす。本当に敵なのだと分かった時以上に頭が真っ白になった。

 因幡はというと、鎖を掴んだままでいる傍ら、持っていた苦無を崖肌に突き刺していたため、なんとかそれ以上落ちることを防いでいた。だが、それもいつまで持つかは分からない。自分の体力と、あまり状態がよくない崖肌の様子からして、特に前者の理由から百を数えられればいい方だろう。

 そこへ吾妻が飛び降りてきたのだから、驚かないわけがない。

 因幡の横に来た吾妻は、因幡と同じように鎌の先を崖肌に突き刺し、眼下の様子を確認した。夜目には慣れているとはいえ、因幡にはあまりよく見えない箇所もある。だが、吾妻には問題なかったらしい。

 因幡の顔を見て、意味ありげにふっと笑った吾妻は、次の瞬間、鎖鎌を崖肌から外した。そして、因幡の身体を抱え込み、下まで落ちていった。

 地面があと僅かに迫った時。因幡は腕を掴まれ、遠心力をもって振り飛ばされた。

 少しの間、落下した衝撃で気絶していたらしい。気づけば、因幡は葉が生い茂る場所にいた。葉が大量にあったこと、崖下の地面もぬかるんでいたことが幸いしたのだろう。怪我も多少の身体の痛みはあるが、起き上がれないほどではなかった。

 そして、その中では酷い部類に入るだろう左腕を右腕で庇い、吾妻の姿を探した。


 ――吾妻はそれから少しして見つかった。


「……先輩」


 崖下に転がっていた沢山の岩に身体を打ち付け、頭から血を流していた。もう息はない。

 もし、あの時吾妻が助けてくれなければ、今の彼は間違いなく自分だったと分かる。そして、自分がへまをしなければ、彼がこうなることはなかった。つまり、自分のせいで彼は死んだのだ。戦って死んだのではなく、敵のはずの自分を助けたせいで。

 
「……先輩っ! ごめんなさいっ、ごめんなさいっ!」


 因幡は吾妻の手を両手で掴み、自分の額に押し付けた。溢れる涙を拭うこともせず、ただひたすらにその言葉を繰り返す。

 本来、敵であるはずの彼に謝罪をするのは間違いだ。ご法度でもある。けれど、彼は最期まで自分を助けてくれた。だから、そう言わずにはいられない。

 死に顔が怒りに満ちたものならば、因幡達にもまだ救いがあったかもしれない。本来、敵に向けられるべき正当な憎悪の感情を向けられていると納得できるから。

 しかし、吾妻のソレもまた、別の場所にいたにも関わらず、他の皆同様、満足したものだった。
 裏切者の謗りは甘んじて受け入れても、後輩が目の前で命を落とすことを受け入れるわけにはいかなかったのだ。予定していた経緯は違うが結果は同じ。であれば、彼らにとっては満足そのものだろう。

 だが、因幡ら後輩達にとって、彼らのその表情は、この後も目に見えずなかなか癒えぬ傷を残すことになった。


 大好きだった。先輩としても、師としても。
 ほんとうに、大好きだったのだ。

しおりを挟む

処理中です...