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(3)異形の男と、人間の女*
人知の及ばぬこと
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山女が辰の元へ嫁いで来てから早六年余り。
その間ずっと。辰は山女を残してしばしば何処かへ出かけて行っては、山女の必要としている物・使えそうな物を増やし続けている。
そのため、今や山女のために用意された長さ約一五〇センチ、幅・高さともに六〇センチ余りの桐で作られた長持(木箱)の中は、彼女のための着物・夜具・調度品で溢れ返っていた。
六年前ここへ来てすぐの日、端切れを手渡してくれた辰に、山女が伏目がちにトイレへ行きたいと話したら、事情を察してくれたのだろう。
辰に、「一旦外へ出ようか」と言われた。
山女の住んでいた里長の家でも雪隠は母屋から外に出た少し奥まったところにひっそりとあったし、里の皆が住む粗末な家々に至ってはそもそも個別に御不浄がなく、惣後架と呼ばれる共同のトイレを利用する者が殆どだった。
(きっと主様の家とはいえ厠は屋内にはないんだろうな)
何気なくそう思ってから、山女はその考えを慌てて否定した。
そもそも龍神である辰に、そのような場所など必要ないのではないかと思って。
そこでふと厠の語源は川屋。つまり川に向けて用を足していたことから来ているのを思い出した山女だ。
祠は川辺に祀られている。
もしかしたら外で済ませろと言うことかも知れない。
さすがにそれは恥ずかしい、とソワソワ落ち着かない山女だったけれど――。
辰は一旦山女の手を引いて祠の外に出ると、何処かへ山女を連れて行ったりせず、そのまま今出てきたばかりの祠に手を翳した。
そうして「よし」とつぶやくと、「戻るぞ」と山女の手を再度引くのだ。
「あ、あの辰様?」
訳が分からず、山女が困惑した表情で辰を見つめると、「俺を信じろ」とだけ言われて。
再び観音開きの格子戸を開けた辰に付き従って吹き抜ける風にギュッと目を閉じたと同時。
やはり次に目を開けた時には白木の床と、真新しい畳のあったあの広い屋敷の土間へと戻って来ていた。
だが――。
「え?」
さっきまで山女が居た時とは明らかに中の様子が変化しているではないか。
畳敷きの一画には先程まではなかったはずの襖が出現していて、そればかりか土間に立って左手側が廊下にでもなったみたいに全面が障子張りに様変わりしていて。
「あ、あの……」
「障子を開けた先、奥の方を厠にしておいた。行ってくるといい」
さも今し方そうしたばかりなのだと言わんばかりの口振りで障子戸の方を指差した辰を、山女はただただ呆然と見詰める事しか出来なかった――。
***
あの時にも感じたのだが、この六年間というもの、辰は人智の及ばぬ力を使ってとにかく山女に潤沢に物を与えて甘やかすのだ。
「辰様、私、こんなに沢山物が無くとも生きてゆけます」
月のものを乗り切るための端切れ数枚と、洗い替えのための着替えが二着もあれば良いと思っていた山女は、あれよあれよと言う内にどこの姫君かと思ってしまうほど沢山の品々に囲まれて恐縮するばかり。
こればっかりは何年経とうと一向に慣れることは出来そうにない。
だが辰は山女の遠慮など意に介した様子はなく――。
そればかりか「気に入らぬのなら他の物を持って来よう」と、更に物を増やそうとするのだ。
「本当にもう十分ですので」
山女はこの六年間、何度くるりと踵を返して出て行こうとする辰に取り縋って、こんな風にフルフルと首を振った事だろう。
そうしてその度に辰は山女に問うのだ。
「山女、それは真にお前の本心か? ……女人とは幾ら物に囲まれても満足などせぬ生き物だと思うのだが、違うのか?」
辰は時折、山女ではない〝誰か〟を思い浮かべているような言葉付きで話す。
山女はその人の事を聞いてはいけない気がして、この六年間ハッキリと問うた事はないのだか、もしかしたら辰には別の水辺を守る女龍神様がおられるのかな?と思って。
もしそうならば、辰にとって自分は邪魔者以外の何者でもない気がしてしまった。
(だから辰様、私がここへ婚礼衣装を着せられて献上されたあの日、私の事を里に追い返そうとなさったのかも)
そう思い至ったら、チクンと胸の奥が痛んで。
彼の恋路を邪魔しないためにも、一日も早く一人前になって辰の元を去らねばならないと思い続けて早数年。
頭で思うのとは裏腹。自分に優しく接してくれる辰の傍を離れたくないという思いが山女の中で日増しに強くなっていった。
ここへ山女が来たのは六年前。草木の上に霜が降り始める冬の走りの十一月のこと。
川が凍てつく冬、花の匂いが立ち込める春、肌を焼く日差しの強い夏、山が錦に彩られる秋を六度ばかり過ぎて。
七度目の冬と春を越え、十二歳になったばかりの冬に辰の元へやって来た山女も、今や十八歳。年頃の娘になっていた。
肩口でおかっぱに切り揃えられていた短い髪も、腰を越える長さになって、日本髪が結える程に伸びている。
だけど山女はあえて結ったりせず、そのまま後ろへ流してゆるりと紐でひとつに束ねるだけに留めていた。
何だか日本髪を結ってしまうと、大人になったと誇示してしまう様で躊躇われたから。
その間ずっと。辰は山女を残してしばしば何処かへ出かけて行っては、山女の必要としている物・使えそうな物を増やし続けている。
そのため、今や山女のために用意された長さ約一五〇センチ、幅・高さともに六〇センチ余りの桐で作られた長持(木箱)の中は、彼女のための着物・夜具・調度品で溢れ返っていた。
六年前ここへ来てすぐの日、端切れを手渡してくれた辰に、山女が伏目がちにトイレへ行きたいと話したら、事情を察してくれたのだろう。
辰に、「一旦外へ出ようか」と言われた。
山女の住んでいた里長の家でも雪隠は母屋から外に出た少し奥まったところにひっそりとあったし、里の皆が住む粗末な家々に至ってはそもそも個別に御不浄がなく、惣後架と呼ばれる共同のトイレを利用する者が殆どだった。
(きっと主様の家とはいえ厠は屋内にはないんだろうな)
何気なくそう思ってから、山女はその考えを慌てて否定した。
そもそも龍神である辰に、そのような場所など必要ないのではないかと思って。
そこでふと厠の語源は川屋。つまり川に向けて用を足していたことから来ているのを思い出した山女だ。
祠は川辺に祀られている。
もしかしたら外で済ませろと言うことかも知れない。
さすがにそれは恥ずかしい、とソワソワ落ち着かない山女だったけれど――。
辰は一旦山女の手を引いて祠の外に出ると、何処かへ山女を連れて行ったりせず、そのまま今出てきたばかりの祠に手を翳した。
そうして「よし」とつぶやくと、「戻るぞ」と山女の手を再度引くのだ。
「あ、あの辰様?」
訳が分からず、山女が困惑した表情で辰を見つめると、「俺を信じろ」とだけ言われて。
再び観音開きの格子戸を開けた辰に付き従って吹き抜ける風にギュッと目を閉じたと同時。
やはり次に目を開けた時には白木の床と、真新しい畳のあったあの広い屋敷の土間へと戻って来ていた。
だが――。
「え?」
さっきまで山女が居た時とは明らかに中の様子が変化しているではないか。
畳敷きの一画には先程まではなかったはずの襖が出現していて、そればかりか土間に立って左手側が廊下にでもなったみたいに全面が障子張りに様変わりしていて。
「あ、あの……」
「障子を開けた先、奥の方を厠にしておいた。行ってくるといい」
さも今し方そうしたばかりなのだと言わんばかりの口振りで障子戸の方を指差した辰を、山女はただただ呆然と見詰める事しか出来なかった――。
***
あの時にも感じたのだが、この六年間というもの、辰は人智の及ばぬ力を使ってとにかく山女に潤沢に物を与えて甘やかすのだ。
「辰様、私、こんなに沢山物が無くとも生きてゆけます」
月のものを乗り切るための端切れ数枚と、洗い替えのための着替えが二着もあれば良いと思っていた山女は、あれよあれよと言う内にどこの姫君かと思ってしまうほど沢山の品々に囲まれて恐縮するばかり。
こればっかりは何年経とうと一向に慣れることは出来そうにない。
だが辰は山女の遠慮など意に介した様子はなく――。
そればかりか「気に入らぬのなら他の物を持って来よう」と、更に物を増やそうとするのだ。
「本当にもう十分ですので」
山女はこの六年間、何度くるりと踵を返して出て行こうとする辰に取り縋って、こんな風にフルフルと首を振った事だろう。
そうしてその度に辰は山女に問うのだ。
「山女、それは真にお前の本心か? ……女人とは幾ら物に囲まれても満足などせぬ生き物だと思うのだが、違うのか?」
辰は時折、山女ではない〝誰か〟を思い浮かべているような言葉付きで話す。
山女はその人の事を聞いてはいけない気がして、この六年間ハッキリと問うた事はないのだか、もしかしたら辰には別の水辺を守る女龍神様がおられるのかな?と思って。
もしそうならば、辰にとって自分は邪魔者以外の何者でもない気がしてしまった。
(だから辰様、私がここへ婚礼衣装を着せられて献上されたあの日、私の事を里に追い返そうとなさったのかも)
そう思い至ったら、チクンと胸の奥が痛んで。
彼の恋路を邪魔しないためにも、一日も早く一人前になって辰の元を去らねばならないと思い続けて早数年。
頭で思うのとは裏腹。自分に優しく接してくれる辰の傍を離れたくないという思いが山女の中で日増しに強くなっていった。
ここへ山女が来たのは六年前。草木の上に霜が降り始める冬の走りの十一月のこと。
川が凍てつく冬、花の匂いが立ち込める春、肌を焼く日差しの強い夏、山が錦に彩られる秋を六度ばかり過ぎて。
七度目の冬と春を越え、十二歳になったばかりの冬に辰の元へやって来た山女も、今や十八歳。年頃の娘になっていた。
肩口でおかっぱに切り揃えられていた短い髪も、腰を越える長さになって、日本髪が結える程に伸びている。
だけど山女はあえて結ったりせず、そのまま後ろへ流してゆるりと紐でひとつに束ねるだけに留めていた。
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