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3章

35。待ってるだけでも大変です

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……意外と、普通に逃げられちゃうもんなんだなぁ。


認識阻害の魔道具は使用したまま、せかせか歩くこと数十分。

私はちゃんと、最初に捕まっていた別荘に戻ってこれた。
酷く道に迷うこともなく、何かに襲われることもなく、今回は至って平和。
異世界初日のように遭難の危機にも陥っていない。

これがゲームや漫画の話であれば必ずと言っていいほど追手がかかって、何なら再度捕まってもう一悶着あるところなのだけど。

もしや追手すら掛かってなかったのだろうか。
一人足りないってことすら気づかなかったとか? そんなことある?
……でも実際誰も来ないしな。


まあ迷い子ってだけでこの世界ではレアキャラ扱いかもしれないが、それを除けば私は極々普通の女の子でしかない。

そもそも召喚されたってわけでもなく、勝手に迷い込んできただけの一般人だ。
チートな何かを授けられたわけでもないし、魔法が使える聖女様ってわけでもない。

今回は女王様のお気に入りってことで巻き込まれたようだけど、特段主人公トラブル体質ではないはずだ。


(何にせよ、見つからないならそれに越したことないしね)

認識阻害の効果が解けないように口元を押さえながら玄関脇に腰を下ろした。

あとはここで迎えを待つだけだ。

ここがマヤさんの不動産屋が管理している物件なのはオルトさんから確認済み。
メッセージがマヤさんかリュウおじ様に届けば、管理している別荘を片っ端から調べてくれるだろう。

捜索する場所は多いかもしれないが、おそらくシアンかマゼンタにも話がいくだろうから。転移魔法を使えば時間も短縮できるはず。


(……今何時だろ。お腹空いたな)

オルトさんに拐われたのは夕方だったけど。

別荘の周りはぽっかりと森が拓けていてそこから空に浮かぶ月も見えたが、当然ながら月の位置で時間が分かるようなスキルは私にはない。

他にやることもないのでぼんやりとお月見をしながら、ポケットからキャンディーの包みを取り出して口に放り込む。
これは低血糖騒ぎに懲りて、ここでもしっかり常備するようにしたもの。

こういうケースは全く想定していなかったけど、準備しておいて良かったわ。
口の中でコロコロ転がしていると気が紛れるし。甘味って大事。


そんな感じで飴をお供にお月見をしていると、カサリ と小さく音がした。

びくりとして慌てて周りを見回すも、人影はない。


……? 気のせい?
キャンディーの包み紙の音と間違えたかしら。

ダメだわ。色々非日常なことがありすぎて、神経が昂っているのかもしれない。

せめて灯りでもあれば、もう少し気も安まるのだけど……


動悸を鎮めようと胸に手を当て深呼吸を繰り返していると、今度は森の方の茂みで何かがピカリ、と光る。


ーーーー!? い、今のは? ……動物の目、のような。
まさか、野犬?

私はそろりと立ち上がって、茂みから距離を取るように後ずさった。


お、落ち着け。すぐそこに建物があるじゃないの。
さっさと逃げ込んで扉を閉めれば、獣から逃げることはできるはずだ。

誰かが来たときに気づかないと困るから外にいたけど、今はそんなことを言ってられない。

それでも少し迷っていたが、次はガサリと聞き間違いようのない音が聞こえて、大急ぎで玄関の方に体を向けたところでーー


そこに月明かりを反射する二つの目玉が浮かんでいるのを見て、私は叫び声を殺すことができなかった。
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