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第八章
四十一話
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「なに? 竜が出た?」
「ああ。そんで気が立ってんのさ。竜が出たなんて馬鹿みたいな話だと思うかもしれないけどよ、一部の人間が竜の存在を隠そうとする動きが軍内部であるって噂を仕入れてきて、その話が町全体に広がっちまってさあ。この町の人間は比較的穏やかな性格なやつが多いんだが今回の騒動で結構とり乱している奴も多くてな。なかには心を病んじまう人間も出てる。そこに軍の隠ぺいなんて話が出てきたら、そりゃ疑心暗鬼になっちまうよ。だからこうしてアンタみたいな新参者がうろついてるのを皆警戒してたんさ」
「ああ……。だからか」
カウンターから後ろのテーブル席を見やる。薄暗くそこまで広くない酒場に六つのテーブルとむさ苦しい男たち。
テーブルに乗せられたままのジョッキには、飲み残したこの町特産らしいエールが注がれている。
一見すると仕事帰りの一杯をやりにきたという風体の男たちだ。いつもならこの時間帯は、男たちの下品な笑い声で満たされているのだろう。しかし、今はその男たちの声は聞こえず、酒屋としてはあまり喜ばしくない静寂に包まれていた。
「アンタみたいなちょっと変わったお嬢さんが飲み勝負でこいつらに挑むって言い出したときはどうなっちまうかと思ったが、余計な心配だったみたいだな」
「ふん。ガキの飲み自慢に負けるような鍛え方はしてないんだ。本当はこいつらから話を聞き出そうかと思ったんだがな。こんなに簡単に潰れるとは」
ジョッキに残ったエールを、豪快に喉を鳴らしながら一気に飲み干す。
空になったジョッキをカウンターに叩きつけると、店主が豪快に笑った。
「がはははは! 気に入った! そんで? 聞きたいことはそれだけか?」
「その竜が現れたってのは、いつの話なんだ?」
「あーっと……大体半年前だ。真夜中によ、いきなり叫び声が聞こえたと思ったら警鐘が鳴って、そっからは大騒ぎよ。俺はその日も店を開けてたんだけどよ、驚いて外に飛び出してみたら空を見て奇声をあげてるやつもいれば、放心状態で魂抜けちまってるやつもいてよ。話しかけても要領を得ない返事ばっかりだし、とにかくなにかがあって、逃げなきゃならねえんだってことはわかったから急いで店にいた連中を叩き出して、俺も家に飛び帰ったんさ。全くあの日はこの世の地獄みたいな感じだったぜ。結局、騒ぎが収まったのは日がのぼってからでさ」
「それで、結局どうなったんだ」
「叩き出した連中にあとでお代を徴収しようとしたら、誤魔化しやがる奴もいるし、騒ぎにびびって夜に出歩く人間がめっきり減っちまってうちは大打撃よ!」
ちゃんときっちりケツ毛まで毟って払って貰ったがな、と髭を湛えた店主は大口を開けて笑う。
鼓膜がびりびりと嫌な痛みと共に振動するのが気持ち悪くて耳を塞いで、眉間に皺を寄せた。
「アンタの店のことなんか聞いてない。町の様子はどうなったのか聞いてんだ」
「ああ、そっちかい。さっき言ったろ? 軍の発表を信じない奴が大半で、あれこれ噂が立って、町民と軍や貴族との間で対立が苛烈してな。すんげー雰囲気悪かったぜ」
「軍はどんな発表したんだ」
「集団パニックって言ってたな。説明は聞いたけど、俺にはよくわかんなかった。町の連中も大体同じ反応だったよ。そのせいかすぐに軍と貴族は重要な秘密を隠しているとか、町の人間を実験台にしようとしているとか、色々噂が立つようになった」
「そうか。ここの連中は昔から上の人間と険悪だったって聞いたんだが」
「おうよ。元々税が重くて町の連中は疲弊してたんだ。そこに軍を常駐させるために、一部の住人の家を取り壊して軍専用の敷地を作ってそこに豪華な建物を建てたり、軍備拡張だとか言って武器を大量に買い込んでよ。それにかかる金は全部俺たちの税金だぜ? それに途中で金が足りなくなったのか、増税までしやがって。抗議しても聞く耳なんかもちゃしないし、そりゃあ俺たち町民はこれよ」
店主は人差し指を立てて額に当てた。
見たことのないジェスチャーだったが、恐らく怒りを表しているのだろう。
「アーレイはそこそこ大きな町だけどよ。これまで大きな戦には巻き込まれずにきてたんだ。そもそも攻め込んで得るものなんてこの町にはないからな。だから、いきなりの軍備増強に不安に思った連中も多かったんじゃないかな。まさか他所から攻められそうになっているんじゃとか、逆に他所を攻めようとしているんじゃないかとか」
「戦争って、この辺はルデリアが統治してるはずだ。攻めてくるところも攻めるようなところもないだろう。さすがにその噂は無理筋がすぎるだろうに」
「それがちょっとわけありでな。アーレイの議会の中心にいる人物は元々ルデリアで要職についていたらしいんだが、なにか大きなやらかしをしちまってこの町に左遷されてきたんだよ。本人はそのことをかなり根に持ってるらしくてな。お屋敷に酒を卸している奴から聞いた話だと、当主様は酒が入ると必ず『俺をこんな辺鄙な田舎に送ったことを後悔させてやる』って昼夜問わず屋敷に響く声で騒ぐんだと。それだけならまだ酔っ払いの戯言で片付くけど、問題なのは呼び込んだ軍のお偉いさんでな。どうもその当主様の息のかかった人間らしいんだ。それで、戯言を現実にしようとしてるんじゃないかって噂があってよ」
「もしかして戦争を吹っ掛けようとしている先はルデリアなのか?」
「あくまで噂だがな」
「お前の話はほとんど噂だな」
「そりゃそうだろ。酒場は噂話の宝庫だ」
「その話、本当なのか? この町にある軍の戦力なんてルデリアからしたら、たかが知れているだろ。戦いにすらならないんじゃないか」
「さあな。俺にはそこのことはわかんねぇよ。だけど、皆最近は自分の身は自分で守らなきゃって、あれこれ準備してんだ」
「もしかして後ろで潰れてる連中がその準備をしているメンバーで、この店はその拠点兼武器庫になっているとか?」
「そんな噂もあるわな」
がはは、と店主は店中に響き渡る声で豪快に笑った。
全く。なにが本当なのかわかりゃしない。
「陰謀論を聞いていると疲れるよ。一服いいか?」
「おお。いいぞ」
店主の了解を得てトランクから煙管をとり出して、先端の皿に葉を詰めてマッチで火をつけた。
「おお。珍しいもん吸ってんじゃねえかよ。それ煙管だろ。高かったんじゃねえか?」
「これは貰い物だ」
大きく吸い込んで、ゆっくりと紫煙を吐く。薄い煙がカウンター内に立ち込め、甘い香りが店内に充満する。
「竜はどんな姿だったんだ?」
「はあ? アンタ信じてんのか?」
「噂話だろ。酒の肴に聞かせろよ」
店主はにやりと笑うと、天井を見上げて思案顔になった。
「俺は見たわけじゃないからな。聞いた話だが、こう、真っ黒でわさわさしてたってよ」
「わさわさ?」
「虫柱ってのがあるだろ。ちっこい羽虫が集まって柱になってるやつ。あれのデカい塊みたいなのが、竜の形をして空飛んでたんだと」
「……」
「まあ、同じタイミングで空を見たけど竜なんて見なかったって言っているやつもいるから真偽のほどはわからん。ただ一つだけ確定しているのは、騒ぎがあってその後におかしくなった人間がいるってことだな」
「そうか。その竜が飛んでいった方向はわかるか?」
「西の方角だ」
「西か。その方角にはなにがある」
「モデール森林公園ってのががある。でも、公園って言っても一般人は基本的に立ち入り禁止で、頭のいい学者様とか、政治家とかしか入れないがな」
「モデール森林公園か……。距離は?」
「馬なら半日と少しくらいだったかな。なんだ? もしかして行こうなんて思ってんのか? やめとけやめとけ。バカでかい森しかなくて物見遊山に行くような場所じゃないぞ。それに森林公園には森林保護官が常駐していて目をフクロウのように光らせてる。容易く入れる場所じゃないし、保護官のなかにラウルっていう奴がいるんだが、熊みたいにデカくて傭兵あがりの奴がいる。見つかったら、アンタみたいな華奢な娘はあっという間にとり押さえられちまうぞ」
「そうか。情報をありがとう」
もう一度深く煙を吸い込み吐き出す。燃えた葉を灰用の瓶に落とし、煙管を片付けて席を立つ。ジャケットの内ポケットのなかを弄ってとり出したリーン銀貨をカウンターに二枚置いた。
「おいおい、ちょっと多いぞ。一枚あれば十分おつりが出る」
「色々な噂話を聞かせてくれた礼だ。とっておくといい」
酔いつぶれて床に転がっている男たちを避けながら出口へ向かい扉に手をかける。店主が慌てた様子でカウンターから出てきた。
「おい待ってくれ。名前を聞かせてくれないか?」
「あん? 夜の誘いなら断るが」
「そうじゃねえよ。アンタみたいな太っ腹な客とは中々出会えないからな。お近づきになっておきたいと思ってよ。でもアンタここにきてからずっと顔をフードで隠しているだろ。なにか理由があるんだろうけど、俺にはそんなもの関係ねえ。次きてくれるならそのときもフードを被ったままでいい。だが、名前くらいは知っとかないとわかんねえだろ? だから教えてくれよ。アンタの名前」
扉にかけていた手を戻して、店主を振り返る。そして、フードをゆっくりと外すと渾身の笑みを浮かべて言ってやった。
「結構。もうここにくることはないし、アンタが私を覚える必要もない」
店主はその美貌に見惚れたのか、頬をわずかに紅潮させて口をぱくぱくと開閉させた。だが、すぐにはっと口元を押さえ、二歩三歩と後ずさる。
「アンタ! ま、さか……」
驚愕の表情を浮かべた店主だったがすぐに視点が怪しく宙を彷徨い、そのまま膝から崩れ落ちた。
「ふん。煙草で使ったのは始めてだったが一応使えるみたいだな」
煙草に使った刻み煙草の効果に舌を巻く。
これは懇意にしている業者から仕入れたばかりの葉を加工した一品だ。元になった葉は買いつけた業者曰く、記憶どっかいっちゃい草というらしい。
これを煎じて飲んだり、刻み煙草にして煙を吸わせると意識の混濁を起こし、短時間の記憶を曖昧にする効果があるとか。
最初はそのふざけた名前から効果については半信半疑だった。ただ、ある日に大雨をやりすごすために雨宿りをしてた際に、知り合った行商人相手にお茶にして飲ませたところ翌朝、本当に記憶の一部が曖昧になってしまったのを見て使えると思った。
それから試行錯誤を繰り返し、お茶として使う分にはある程度効果をコントロールできるようになっていた。
そして、次なる段階として今回刻み煙草として使うことにしてみたのだ。もちろん効果がなかった場合には改めて別の手段を用意していたのだが、ご機嫌に話す店主の瞳が微睡み始めたのを見てやはり確かに効果があることを確認した。
しかし、最近は在庫が少なくなってきていた。だから入手できないものかと色々調べてみたのだが、記憶どっかいっちゃい草なんて名前の植物は当然見つからなかった。恐らく、件の業者独自の販路から入手しているのだろう。
加工される前の葉があればまだ話は違うはずだが、それもたらればの話。
正式名称がわからないのでは、これ以上やりようがなく恨めしく思っていた。
と、ここまで絶賛してきた刻み煙草だが、問題がないわけではない
「煙草として使う場合は煙にしか効果がないというのは便利だが、不細工な鼻栓をしなきゃならないのは不便だな」
煙管で使用する場合、口腔内の粘膜からある程度吸収してしまうのは避けられない。すぐに気を失ってしまうような気配はないが、少しだけ頭の奥がぼうっとする。
追われる身としては記憶に残さないようにできるという点は便利と言えるが、これでは行動に制限ができてしまう。
「この点ばっかりはどうしようもないんだよな」
店を出て、深呼吸をする。鼻腔を通る酒場から漂う酒の香りと冬の残り香が心地よい。
「少し根拠に欠けるが行ってみる価値はあるか」
外套のポケットから方位磁石をとり出す。
「西は……あっちか」
町の街灯に照らされる石畳の道をブーツの踵を鳴らしながら歩く。しかし、数歩進んだところで足を止めた。
「ちっ。久しぶりの酒はやっぱり効くな……」
誰に聞かせるでもなくぼそっと呟く。今更ながら酔いが回ってきたようだ。視界が船に揺られるように安定しなくなってきた。
「夜のうちに町を抜け出すつもりだったが……しょうがない。宿に寄るか」
身を翻し、この町で一番安い宿へ歩を進める。吐き出す息が蒸気となり、髪をかすめて背後の闇に溶けていく。
「もうすぐだ。待っていろよ、魔人よ」
◇◇◇
翌日、目を覚ました店主は店内に響く男たちのいびきを聞きながら頭を押さえる。
昨晩あったことが思い出せない。何故店で男たちと共に床に転がっているのだろうか。
確か珍しい客がきて、その相手をしていたはずなのだが。
「ああ、頭痛ぇ……」
特別な相手だったような気がするが、その顔を思い出そうとしても霞がかってしまって頭が働かない。
「……まあいいか。おい、くそ野郎ども! いつまで寝てんだ。早く帰って仕事いかねえと母ちゃんにドヤされんぞ!」
店主の怒鳴り声に頭を押さえながらのろのろと起きだした男たちを店から叩き出すと、店内に戻って掃除の準備にとりかかる。
あれだけ酔いつぶれていた連中も、夜になればまた仕事の愚痴を肴に酒を飲みにくるのだ。
一日の労働の終わりに安酒をかっ食らい、騒ぐのが唯一の楽しみだというどうしようもない連中だが、その居場所を提供する自分も大して差はないのだから苦笑いを浮かべるしかない。
「うん? こりゃあ……」
店主はカウンターのうえに置かれた硬貨を手にとる。
リーン銀貨だ。表面が少しくすんで、淵が削れている。
「やっぱり誰かいたのは確実なんだがなあ」
呟くと硬貨をポケットにしまって、頭を掻く。
まあ、なんでもいいか。ちゃんと金は支払って貰ったみたいだし、なにかを盗まれた形跡もない。わからないことを考えても仕方がないか、と気をとり直す。
「さあて、さっさと掃除終わらせて俺も母ちゃんに怒られに帰るかぁ」
店主は家で頭に角を生やして待っている竜よりよっぽど怖い嫁の顔を思い出しながら、快活に言うのだった。
「なに? 竜が出た?」
「ああ。そんで気が立ってんのさ。竜が出たなんて馬鹿みたいな話だと思うかもしれないけどよ、一部の人間が竜の存在を隠そうとする動きが軍内部であるって噂を仕入れてきて、その話が町全体に広がっちまってさあ。この町の人間は比較的穏やかな性格なやつが多いんだが今回の騒動で結構とり乱している奴も多くてな。なかには心を病んじまう人間も出てる。そこに軍の隠ぺいなんて話が出てきたら、そりゃ疑心暗鬼になっちまうよ。だからこうしてアンタみたいな新参者がうろついてるのを皆警戒してたんさ」
「ああ……。だからか」
カウンターから後ろのテーブル席を見やる。薄暗くそこまで広くない酒場に六つのテーブルとむさ苦しい男たち。
テーブルに乗せられたままのジョッキには、飲み残したこの町特産らしいエールが注がれている。
一見すると仕事帰りの一杯をやりにきたという風体の男たちだ。いつもならこの時間帯は、男たちの下品な笑い声で満たされているのだろう。しかし、今はその男たちの声は聞こえず、酒屋としてはあまり喜ばしくない静寂に包まれていた。
「アンタみたいなちょっと変わったお嬢さんが飲み勝負でこいつらに挑むって言い出したときはどうなっちまうかと思ったが、余計な心配だったみたいだな」
「ふん。ガキの飲み自慢に負けるような鍛え方はしてないんだ。本当はこいつらから話を聞き出そうかと思ったんだがな。こんなに簡単に潰れるとは」
ジョッキに残ったエールを、豪快に喉を鳴らしながら一気に飲み干す。
空になったジョッキをカウンターに叩きつけると、店主が豪快に笑った。
「がはははは! 気に入った! そんで? 聞きたいことはそれだけか?」
「その竜が現れたってのは、いつの話なんだ?」
「あーっと……大体半年前だ。真夜中によ、いきなり叫び声が聞こえたと思ったら警鐘が鳴って、そっからは大騒ぎよ。俺はその日も店を開けてたんだけどよ、驚いて外に飛び出してみたら空を見て奇声をあげてるやつもいれば、放心状態で魂抜けちまってるやつもいてよ。話しかけても要領を得ない返事ばっかりだし、とにかくなにかがあって、逃げなきゃならねえんだってことはわかったから急いで店にいた連中を叩き出して、俺も家に飛び帰ったんさ。全くあの日はこの世の地獄みたいな感じだったぜ。結局、騒ぎが収まったのは日がのぼってからでさ」
「それで、結局どうなったんだ」
「叩き出した連中にあとでお代を徴収しようとしたら、誤魔化しやがる奴もいるし、騒ぎにびびって夜に出歩く人間がめっきり減っちまってうちは大打撃よ!」
ちゃんときっちりケツ毛まで毟って払って貰ったがな、と髭を湛えた店主は大口を開けて笑う。
鼓膜がびりびりと嫌な痛みと共に振動するのが気持ち悪くて耳を塞いで、眉間に皺を寄せた。
「アンタの店のことなんか聞いてない。町の様子はどうなったのか聞いてんだ」
「ああ、そっちかい。さっき言ったろ? 軍の発表を信じない奴が大半で、あれこれ噂が立って、町民と軍や貴族との間で対立が苛烈してな。すんげー雰囲気悪かったぜ」
「軍はどんな発表したんだ」
「集団パニックって言ってたな。説明は聞いたけど、俺にはよくわかんなかった。町の連中も大体同じ反応だったよ。そのせいかすぐに軍と貴族は重要な秘密を隠しているとか、町の人間を実験台にしようとしているとか、色々噂が立つようになった」
「そうか。ここの連中は昔から上の人間と険悪だったって聞いたんだが」
「おうよ。元々税が重くて町の連中は疲弊してたんだ。そこに軍を常駐させるために、一部の住人の家を取り壊して軍専用の敷地を作ってそこに豪華な建物を建てたり、軍備拡張だとか言って武器を大量に買い込んでよ。それにかかる金は全部俺たちの税金だぜ? それに途中で金が足りなくなったのか、増税までしやがって。抗議しても聞く耳なんかもちゃしないし、そりゃあ俺たち町民はこれよ」
店主は人差し指を立てて額に当てた。
見たことのないジェスチャーだったが、恐らく怒りを表しているのだろう。
「アーレイはそこそこ大きな町だけどよ。これまで大きな戦には巻き込まれずにきてたんだ。そもそも攻め込んで得るものなんてこの町にはないからな。だから、いきなりの軍備増強に不安に思った連中も多かったんじゃないかな。まさか他所から攻められそうになっているんじゃとか、逆に他所を攻めようとしているんじゃないかとか」
「戦争って、この辺はルデリアが統治してるはずだ。攻めてくるところも攻めるようなところもないだろう。さすがにその噂は無理筋がすぎるだろうに」
「それがちょっとわけありでな。アーレイの議会の中心にいる人物は元々ルデリアで要職についていたらしいんだが、なにか大きなやらかしをしちまってこの町に左遷されてきたんだよ。本人はそのことをかなり根に持ってるらしくてな。お屋敷に酒を卸している奴から聞いた話だと、当主様は酒が入ると必ず『俺をこんな辺鄙な田舎に送ったことを後悔させてやる』って昼夜問わず屋敷に響く声で騒ぐんだと。それだけならまだ酔っ払いの戯言で片付くけど、問題なのは呼び込んだ軍のお偉いさんでな。どうもその当主様の息のかかった人間らしいんだ。それで、戯言を現実にしようとしてるんじゃないかって噂があってよ」
「もしかして戦争を吹っ掛けようとしている先はルデリアなのか?」
「あくまで噂だがな」
「お前の話はほとんど噂だな」
「そりゃそうだろ。酒場は噂話の宝庫だ」
「その話、本当なのか? この町にある軍の戦力なんてルデリアからしたら、たかが知れているだろ。戦いにすらならないんじゃないか」
「さあな。俺にはそこのことはわかんねぇよ。だけど、皆最近は自分の身は自分で守らなきゃって、あれこれ準備してんだ」
「もしかして後ろで潰れてる連中がその準備をしているメンバーで、この店はその拠点兼武器庫になっているとか?」
「そんな噂もあるわな」
がはは、と店主は店中に響き渡る声で豪快に笑った。
全く。なにが本当なのかわかりゃしない。
「陰謀論を聞いていると疲れるよ。一服いいか?」
「おお。いいぞ」
店主の了解を得てトランクから煙管をとり出して、先端の皿に葉を詰めてマッチで火をつけた。
「おお。珍しいもん吸ってんじゃねえかよ。それ煙管だろ。高かったんじゃねえか?」
「これは貰い物だ」
大きく吸い込んで、ゆっくりと紫煙を吐く。薄い煙がカウンター内に立ち込め、甘い香りが店内に充満する。
「竜はどんな姿だったんだ?」
「はあ? アンタ信じてんのか?」
「噂話だろ。酒の肴に聞かせろよ」
店主はにやりと笑うと、天井を見上げて思案顔になった。
「俺は見たわけじゃないからな。聞いた話だが、こう、真っ黒でわさわさしてたってよ」
「わさわさ?」
「虫柱ってのがあるだろ。ちっこい羽虫が集まって柱になってるやつ。あれのデカい塊みたいなのが、竜の形をして空飛んでたんだと」
「……」
「まあ、同じタイミングで空を見たけど竜なんて見なかったって言っているやつもいるから真偽のほどはわからん。ただ一つだけ確定しているのは、騒ぎがあってその後におかしくなった人間がいるってことだな」
「そうか。その竜が飛んでいった方向はわかるか?」
「西の方角だ」
「西か。その方角にはなにがある」
「モデール森林公園ってのががある。でも、公園って言っても一般人は基本的に立ち入り禁止で、頭のいい学者様とか、政治家とかしか入れないがな」
「モデール森林公園か……。距離は?」
「馬なら半日と少しくらいだったかな。なんだ? もしかして行こうなんて思ってんのか? やめとけやめとけ。バカでかい森しかなくて物見遊山に行くような場所じゃないぞ。それに森林公園には森林保護官が常駐していて目をフクロウのように光らせてる。容易く入れる場所じゃないし、保護官のなかにラウルっていう奴がいるんだが、熊みたいにデカくて傭兵あがりの奴がいる。見つかったら、アンタみたいな華奢な娘はあっという間にとり押さえられちまうぞ」
「そうか。情報をありがとう」
もう一度深く煙を吸い込み吐き出す。燃えた葉を灰用の瓶に落とし、煙管を片付けて席を立つ。ジャケットの内ポケットのなかを弄ってとり出したリーン銀貨をカウンターに二枚置いた。
「おいおい、ちょっと多いぞ。一枚あれば十分おつりが出る」
「色々な噂話を聞かせてくれた礼だ。とっておくといい」
酔いつぶれて床に転がっている男たちを避けながら出口へ向かい扉に手をかける。店主が慌てた様子でカウンターから出てきた。
「おい待ってくれ。名前を聞かせてくれないか?」
「あん? 夜の誘いなら断るが」
「そうじゃねえよ。アンタみたいな太っ腹な客とは中々出会えないからな。お近づきになっておきたいと思ってよ。でもアンタここにきてからずっと顔をフードで隠しているだろ。なにか理由があるんだろうけど、俺にはそんなもの関係ねえ。次きてくれるならそのときもフードを被ったままでいい。だが、名前くらいは知っとかないとわかんねえだろ? だから教えてくれよ。アンタの名前」
扉にかけていた手を戻して、店主を振り返る。そして、フードをゆっくりと外すと渾身の笑みを浮かべて言ってやった。
「結構。もうここにくることはないし、アンタが私を覚える必要もない」
店主はその美貌に見惚れたのか、頬をわずかに紅潮させて口をぱくぱくと開閉させた。だが、すぐにはっと口元を押さえ、二歩三歩と後ずさる。
「アンタ! ま、さか……」
驚愕の表情を浮かべた店主だったがすぐに視点が怪しく宙を彷徨い、そのまま膝から崩れ落ちた。
「ふん。煙草で使ったのは始めてだったが一応使えるみたいだな」
煙草に使った刻み煙草の効果に舌を巻く。
これは懇意にしている業者から仕入れたばかりの葉を加工した一品だ。元になった葉は買いつけた業者曰く、記憶どっかいっちゃい草というらしい。
これを煎じて飲んだり、刻み煙草にして煙を吸わせると意識の混濁を起こし、短時間の記憶を曖昧にする効果があるとか。
最初はそのふざけた名前から効果については半信半疑だった。ただ、ある日に大雨をやりすごすために雨宿りをしてた際に、知り合った行商人相手にお茶にして飲ませたところ翌朝、本当に記憶の一部が曖昧になってしまったのを見て使えると思った。
それから試行錯誤を繰り返し、お茶として使う分にはある程度効果をコントロールできるようになっていた。
そして、次なる段階として今回刻み煙草として使うことにしてみたのだ。もちろん効果がなかった場合には改めて別の手段を用意していたのだが、ご機嫌に話す店主の瞳が微睡み始めたのを見てやはり確かに効果があることを確認した。
しかし、最近は在庫が少なくなってきていた。だから入手できないものかと色々調べてみたのだが、記憶どっかいっちゃい草なんて名前の植物は当然見つからなかった。恐らく、件の業者独自の販路から入手しているのだろう。
加工される前の葉があればまだ話は違うはずだが、それもたらればの話。
正式名称がわからないのでは、これ以上やりようがなく恨めしく思っていた。
と、ここまで絶賛してきた刻み煙草だが、問題がないわけではない
「煙草として使う場合は煙にしか効果がないというのは便利だが、不細工な鼻栓をしなきゃならないのは不便だな」
煙管で使用する場合、口腔内の粘膜からある程度吸収してしまうのは避けられない。すぐに気を失ってしまうような気配はないが、少しだけ頭の奥がぼうっとする。
追われる身としては記憶に残さないようにできるという点は便利と言えるが、これでは行動に制限ができてしまう。
「この点ばっかりはどうしようもないんだよな」
店を出て、深呼吸をする。鼻腔を通る酒場から漂う酒の香りと冬の残り香が心地よい。
「少し根拠に欠けるが行ってみる価値はあるか」
外套のポケットから方位磁石をとり出す。
「西は……あっちか」
町の街灯に照らされる石畳の道をブーツの踵を鳴らしながら歩く。しかし、数歩進んだところで足を止めた。
「ちっ。久しぶりの酒はやっぱり効くな……」
誰に聞かせるでもなくぼそっと呟く。今更ながら酔いが回ってきたようだ。視界が船に揺られるように安定しなくなってきた。
「夜のうちに町を抜け出すつもりだったが……しょうがない。宿に寄るか」
身を翻し、この町で一番安い宿へ歩を進める。吐き出す息が蒸気となり、髪をかすめて背後の闇に溶けていく。
「もうすぐだ。待っていろよ、魔人よ」
◇◇◇
翌日、目を覚ました店主は店内に響く男たちのいびきを聞きながら頭を押さえる。
昨晩あったことが思い出せない。何故店で男たちと共に床に転がっているのだろうか。
確か珍しい客がきて、その相手をしていたはずなのだが。
「ああ、頭痛ぇ……」
特別な相手だったような気がするが、その顔を思い出そうとしても霞がかってしまって頭が働かない。
「……まあいいか。おい、くそ野郎ども! いつまで寝てんだ。早く帰って仕事いかねえと母ちゃんにドヤされんぞ!」
店主の怒鳴り声に頭を押さえながらのろのろと起きだした男たちを店から叩き出すと、店内に戻って掃除の準備にとりかかる。
あれだけ酔いつぶれていた連中も、夜になればまた仕事の愚痴を肴に酒を飲みにくるのだ。
一日の労働の終わりに安酒をかっ食らい、騒ぐのが唯一の楽しみだというどうしようもない連中だが、その居場所を提供する自分も大して差はないのだから苦笑いを浮かべるしかない。
「うん? こりゃあ……」
店主はカウンターのうえに置かれた硬貨を手にとる。
リーン銀貨だ。表面が少しくすんで、淵が削れている。
「やっぱり誰かいたのは確実なんだがなあ」
呟くと硬貨をポケットにしまって、頭を掻く。
まあ、なんでもいいか。ちゃんと金は支払って貰ったみたいだし、なにかを盗まれた形跡もない。わからないことを考えても仕方がないか、と気をとり直す。
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大型連休を利用して、
穴場スポットへやってきた!
テントを建て、BBQコンロに
テーブル等用意して……。
近くの川まで散歩しに来たら、
何やら動物か?の気配が……
木の影からこっそり覗くとそこには……
キラキラと光注ぐように発光した
「え!オオカミ!」
3メートルはありそうな巨大なオオカミが!!
急いでテントまで戻ってくると
「え!ここどこだ??」
都会の生活に疲れた主人公が、
異世界へ転生して 冒険者になって
魔物を倒したり、現代知識で商売したり…… 。
恋愛は多分ありません。
基本スローライフを目指してます(笑)
※挿絵有りますが、自作です。
無断転載はしてません。
イラストは、あくまで私のイメージです
※当初恋愛無しで進めようと書いていましたが
少し趣向を変えて、
若干ですが恋愛有りになります。
※カクヨム、なろうでも公開しています
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