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第八章
四十話
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「お前がこの事態を招いたんだ! この疫病神が!」
雷鳴の如き怒号が静かな森に響き渡る。暗闇に包まれた森で二人の人物が相対している。
怒号をあげたラウルは顔や体に飛び散った血液を拭うこともせずに、武器代わりの枝をアーリィへ突きつけた。
「疫病神か……。呼び名が一つ増えたな」
「馬鹿にするのも大概にしろ!」
「馬鹿になどしてないさ。面白いと思っただけだ」
「それが気に食わないんだ!」
睨み合う二人の間に流れる殺伐とした殺気が、空気を張りつめさせた。
◇◇◇
ラウルが目覚めてからまず視界に飛びこんできたのは、貴重な古代種の木々がある一点を中心に円状に倒れ、折れた枝やら散ってしまった草花が周囲に飛散している状況だった。
周囲を見渡し更に大地が大きく抉れ、そこに残る大量の血痕を見つけたとき、ラウルは絶句した。
なにがあったのか。頭を抱え記憶を探る。
確か灰菌症の調査のために森へ入り、特区で大量の虫に襲われ……いや、その後だ。その後になにかがあったはずだ。
巡りの悪い頭を何度も殴りつけ、必死に記憶のなかから答えを手繰り寄せる。
ふと一人の少女の顔が頭をよぎった。まだ幼さを残した顔で、でも必死に大人になろうと藻掻き、懸命に生きようとしていた少女のことを。
「ミーシャ!」
弾かれたように顔をあげ、その名を呼ぶ。夜の森で大声を出すなど、獣に居所を教えるようなものだが、そんなことに気を割いている場合ではなかった。
大切で守るべき存在。何度も大声でその名を呼んだ。
「五月蠅い。そんなに呼んでもミーシャはここにはいないよ」
唐突にした声に振り返ると、そこには灰色の髪をなびかせて佇む女がいた。質のよさそうな生地でできた外套のポケットに手を突っ込んで無表情にラウルを見つめている。
「アーリィ……リアトリス」
驚愕とも怒りともとれない声でラウルは呟いた。
そうしてここでなにがあったのかをアーリィの口から聞き出すと、ラウルはまず自分の無力を呪った。
ミーシャを守ると決意しておきながらこの有様。誰よりも早く意識を失い、全てが終わるまで呑気に気絶しているとはなんとも間の抜けた話だ。
途方もなく無力であることがやるせない。ミーシャを守れずに、自分だけのうのうと生き残ってしまった。
できるなら時間を巻き戻したい。そして、ミーシャを救い出し、気を失って転がっている自分の間抜け面に渾身の力を込めた拳をお見舞いしてやりたい。
お前の誓いはそんなものだったのかと。
託された命を導きたくてお前はこれまであの子を見てきたんだろうと。
それなのにどうしてお前は地べたに転がっていられるんだと。
これまでたくさんの後悔を重ねてきた。それこそ自らの命を絶とうとも考えたことだってある。だが、それでも生きてきたのは信じていたからだ。
自分はなすべきことがあるはずだ。ここではない、どこかで必ず自分が生まれた意味が待っている。だから、それが見つかるまでは生きなければならない。
モデールに流れ着いて、グリフィスのしたで仕事を学び、ミーシャの未来を手助けしてくれと頼まれたとき、これこそが自分の生まれた意味だと直感した。
大げさではなく、これまでの人生の苦悩は全てがこの日のためにあったのだと思った。
だからこそ、この手で守りたかった。大人になり、いずれ巣立っていく姿をグリフィスの代わりに見届けたかった。
それこそがグリフィスへの恩返しにもなると思った。居場所がなかったラウルに帰る場所と仲間を作ってくれた恩人への恩返し。
そう思って生きてきた。だから、こんな結末は到底認められない。
消化することのできない怒りが込みあげる。拳を握る手が痺れ、骨が軋む。
「俺の……責任だ。俺が、もっとしっかりミーシャを見ていれば、今頃はこんなことには……」
アーリィの話を全て信じられるかと言えば、それは否だ。竜が現れただの、キャスウェルというアシュマンが全て裏で糸を引いていたなどと聞いて素直に信じられるほど、ラウルは純朴ではない。
しかし、意識を失う前に見たあの少年のことと、自分が立つこの場の惨状を見てしまうと納得せざるを得ない部分があるのは事実だ。
抉れた大地とそこに残される血痕を視界に捉える。
この跡はここで人知を超えたなにが確かに存在し、それがもたらした絶望的な状況に抗うことができずに、最悪の結末を迎えてしまった事実があると示唆している。
責任転嫁だとは重々承知している。しかし、どうしても自分へ向ける怒りとは別に、もう一つの怒りが火山のマグマのように煮えたぎっている。
気絶をしていたラウルとは違い、アーリィ・リアトリスは現状を打開し、救い出すことができたはずだ。
アーリィ・リアトリスという犯罪者の噂は片田舎のモデールにも届いている。
魔術としか思えない不思議な力を使い、その力を悪用してあらゆる悪行の限りを尽くす大犯罪者。
一部では神格化されるほどにアーリィ・リアトリスを支持し、自身をアーリストと名乗る者もいるらしい。だが、アーリィ・リアトリスと言う人物の本質は人間社会に害をなすもの。自己の益を優先し、他を貶め、苦しめ、殺し、奪う。忌避される存在である。
そんな人間が他者を助けるという行為をするとは到底思えない。
しかし。
それでも情というものはないのかと責める気持ちがある。少なくとも一時は寝食を共にした仲ではあるはずだ。そこに僅かばかりの情を抱くことは自然だとラウルは思った。
自分を棚にあげてなにを、と言われてしまうだろうが、どうしても責める気持ちがある。
その瞬間、ミーシャを救えるのはアーリィ・リアトリスだけだった。きっとミーシャは怖かったはずだ。怯えたはずだ。
まだ子供だった。大人になりきれない年齢で一人親元を離れて暮らし、過酷な仕事に従事する。
それがどれだけ大変なことかをラウルはよく知っている。
だからこそ、ラウルはミーシャを自分の娘のように思っていた。確かにミーシャを守ると決意した始まりは、尊敬する上司であり友人でもあるグリフィスから託されたからだった。しかし、生活を、仕事を共にするにつれ、ミーシャのことを本当の家族のように思うようになっていた。
大切だった。自分の命よりも大切な存在。妻や息子と同じように愛していた。
こんな結末で人生を終えていい子ではなかった。必ず幸せになるべき存在だった。
「お前に助けを求めたんだろう! お前にしか助けられなかったんだろう! 何故見捨てた!」
近くにあった枝を手にとりアーリィへ突きつける。怒りで枝を持つ手が震えているが、そんなことはどうでもいい。体の血液が沸騰し、今にも頭が破裂しそうなほどの激情が支配する。
その怒りをぶつけられるアーリィはラウルとは対照的に至って冷淡な言葉を放つ。
「それが彼女の運命だ。私に出会い、私を頼った時点でこうなることは避けられなかった」
「きっさまぁぁぁぁ!」
死は避けられなかったし、避けるつもりもなかったと告げられ、ラウルの怒りは頂点に達した。
握っていた枝が軋むほどの力を込め、大きく振りかぶり、アーリィ目掛けて振りおろす。
大振りで感情をむき出しにした一撃だ。素人でも躱すのは容易い。
アーリィがラウルの動きを先読みし、避けるのは自然の流れだ。
勢いよく振りおろされた枝が地面に叩きつけられる。鈍い衝撃音と共に、痺れるような痛みがラウルの腕をのぼる。
だが、そんな痛みなどでラウルの怒りが醒めることはない。一撃目を躱したアーリィに向かって続けざまに横薙ぎに枝を振りぬく。
初撃を躱したばかりで態勢を整えられていないアーリィをその一閃が捕らえるはずだった。しかし、アーリィはその一撃を涼しい顔のまま片足で地面を蹴って最小限の動きで躱す。
戦い慣れている。こちらの動きを先読みし、最小限の動きで消費する体力を抑えながらの戦い方は、こういった荒事に慣れているからできる芸当なのだろう。
ラウルは更に追撃を加えるために体を翻して大きく踏み込もうとする。しかし。
「しまっ!」
ラウルは連日の調査の疲労やミーシャを失ってしまったという衝撃で足がもつれて膝をついてしまった。
「アーリィィィィィリアトリスゥゥゥゥ!」
すぐさま体を起こし、野獣の雄叫びのような声で眼前のアーリィへ憤怒を放つ。
この女だけは生かしてはおけない。こいつが全ての元凶なんだ。こいつがモデールに現れさえしなければ、今頃ミーシャは……!
枝を上段に構え、渾身の一撃を放つために自身に残る全ての力を拳にこめる。
殺す。こいつを殺してミーシャの敵討ちを果たす。
一迅の風が奔る。瞬間、ラウルはアーリィの脳天狙いを定めて、飛びかかろうとした。
そのとき。
「待ってくれ! ラウルさん!」
背後からの悲痛な叫びに気を削がれてしまった。
「待ってくれ、待ってくれ。その人は悪くないんだ! 悪いのは……全部、全部、俺なんだ!」
ラウルにとっては聞き慣れた声。振りかぶっていた枝をおろし、背後の声の主を振り返る。
「……お、まえ……」
「すまない……ラウルさん」
涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、それでも真っすぐラウルを捉える眼差し。着ている防護服はボロボロに破け、ほとんどその意味を成してはいない。強く握りすぎて震える拳が、ラウルの前へ飛び出してくるまでの葛藤が伺えた。
「本当に申しわけない……でも、俺はこれに頼るしかなかったんだ。これしか……これしかミーシャを解放してやる道はないと思ったんだ……」
女性の前では決して涙を見せない。何故なら自分が泣いていたら女の涙を拭えないから、とキザに語るいつもの姿はそこにはなかった。
そこにいたのは、大人になって、それでもどうしようのない現実に打ちひしがれ成す術もなく涙を流す一人の青年。
親に叱られるのを待つ子供のように泣きべそをかいてトーラス・ウィンターが立っていた。
「なん、で……。お前無事だったのか。いや、それよりも……どういう意味だ」
驚愕に一瞬意識を引っ張られたラウルだったが、すぐに怒気を孕んだ声で問いただす。
「俺が、頼んだんだ。アーリィさんに。ミーシャを解放してくれって。家族に縛られたままのあいつを見ていられなくて、それでアーリィさんに……」
「お前はなにをしていたんだ」
「え……?」
「アーリィ・リアトリスがミーシャを見殺しにしたとき、お前はなにをしていたんだって聞いている」
「……木の陰に隠れて見ていた」
「お前……ミーシャが殺されるのを呆けて見ていたのか!」
チリチリと頭の奥が焼けるようだった。友だと思っていた。弟だと思っていた。自分の跡を任せられると信じていた。
どうしてだ。どうしてお前は。そんな思いがラウルの怒りの限界を容易に突破させる。
握っていた枝を投げ捨て、トーラスの胸倉を両手で掴みあげる。
「それが俺の役割だったんだ」
「役割だと!? あの子がっ……助けを求めていて、傍観することがお前の役割だというのか!? ふざけるなよ、なんのために俺たちはミーシャを託されたと思っているんだ!」
「それはわかってる……。でも、ラウルさんも知ってるだろう。あいつが俺たちに気づかれないように仕事の合間にグリフィスさんの痕跡を探してたことは。それに、いつもどこか寂し気で不安げな顔をしてて……俺たちがどれだけミーシャを気にかけてもあいつを心の底から笑顔にしてやることも、あいつの家族の代わりになってやることもできなかった! あいつの心は幼い子供のころのまま、家族っていう呪いに縛られたままなんだよ!」
「呪いじゃない、愛情だ。あの子が辛い人生を歩みながらも諦めずにいられるのは家族への愛があるからだ。それをお前が呪いなどという言葉で否定するべきではない!」
「否定じゃない! 事実だ! ミーシャはいつまでも暖かい過去の家族の記憶に憑りつかれていて今を生きようとしていない! その証拠にあいつは一度も自分の未来を語ったことはないんだよ! ミーシャはまだ十五歳だぜ? そんな子供が自分の未来に目を向けられずに過去にばかり囚われちまってる。それじゃあいつはダメになっちまう!」
「それはお前が決めることじゃないだろう! あの子はあの子なりに自分と向き合っている。時間はかかるかもしれない。だが、グリフィスさんの娘だ。あの人がどんな困難にも挫けなかったように、あの子もきっと乗り越えてくれるはずだ」
「その自信はどこから出てくるんだよ。あいつとそんな話しをしたのか? あいつとあいつの家族のことを話し合って気持ちを確かめたのか? なんでそんな勝手な解釈ができるんだ。あいつはグリフィスさんとは違う。世間を知らなくて、他人を頼ることを知らない。もし、あいつが将来を思い描けない大人になっちまったらどうするんだ!? それこそとり返しのつかないことになっちまうだろうがよ!」
「ならお前のしたことがミーシャのためになったというのか? ミーシャはもういない。アーリィ・リアトリスと関わってしまったばっかりに命を落としてしまった。この責任をどうとるんだ。俺はグリフィスさんになんて言えばいいんだ! あの人が俺たちに託してくれた命をお前の独断で殺してしまったんだぞ!」
「じゃああのままでよかったって言うのかよ。ミーシャは家族に拘りすぎてるんだ。俺はミーシャにグリフィスさんへの執着を断ち切ってもらいたかった。でも、なんの力もない俺たちじゃそれはできない。だから、アーリィさんにその手助けをしてもらう必要があった。ルグリの力なら、きっとミーシャを救うことができるはずだって思ったんだ!」
互いのミーシャへ対する想いがぶつかり合い、真向から対立する。
相反する想いはどちらも互いを認めず、それどころか更に熱を増していく。
「俺たちがミーシャを守らなければならなかったんだ! あのときそう誓っただろうが!」
「誓ったよ! でも、俺はあいつに未来を生きて欲しかったんだ! 過去に囚われずに自分の将来を真剣に考えて欲しかったんだ。そうじゃなきゃ、俺のようにいつまでも後悔して生きるような人生を送るようになっちまう。それだけは絶対に避けなきゃならない。俺はあいつの兄ちゃん代わりだ! あいつが未来を見ようとしないなら、俺が見せてやる。そのためならたとえ相手が指名手配されているアーリィさんであっても使えるものなら使うさ」
「グリフィスさんがどうなったのか知っているだろう! あんなわけのわからないものに縋るなどどうかしている。俺たちはあの子を危険から守らなきゃならないんだ。ちゃんと大人になって独り立ちできるまで支えて、任せられる奴が現れたら──」
「ハイハイ、過保護はそこまでにしておきな。なんちゃってお父さんとなんちゃってお兄ちゃん。保護者面するのはかまわないが、年頃の女子にそれは重すぎるんだよ。はっきり言って気持ち悪い」
溜息混じりに割り込んできたアーリィの言葉が、過熱した二人の注意を引く。
「お前たちがミーシャを大切しているのはわかるが、その気遣いは方向性がズレているぞ。そんなんだからミーシャもお前たちを頼ることをしなかったんじゃないか?」
「貴様が語るな……!」
ラウルがこめかみを痙攣させながらアーリィを睨みつける。
どの口が言うか。ミーシャを助けられる唯一の存在だったにもかかわらず見殺しにした人間に知ったような口をして語られるのは我慢がならない。
トーラスを突き飛ばし、そのままアーリィに詰め寄って胸倉を掴む。
「ミーシャを見殺しにしたお前が、軽々しく語ることは許さん!」
「軽く語っているつもりはない。客観的に見て感じたことを口にしているだけだ」
覆いかぶさるように見おろすラウルにアーリィは毅然とした態度で返す。
「客観的だと? 事実だろうが」
「事実ではない。お前は一つ勘違いをしている」
「なんだと?」
「私はミーシャを見殺しにしたわけではない。あのときあの瞬間では、ああするしかなかったんだ。それ以外に問題を解決する手段はなかった」
問題の解決という言葉にラウルは目を見開く。それが意味するところの終着点を想像する。
わずかな期待が胸をかすめる。この女は信用するに値しない人間だ。だが、問題を解決する手段を持っている。そして、そのためにミーシャを見捨てるという選択をしたのならば。
「問題の解決とは一体どういう意味だ」
「どういう意味もなにも文字通りだ」
灰色の瞳が揺れることなく真っすぐラウルを見つめ返す。
アーリィの胸倉を掴んでいる力がわずかに緩む。自分よりも遥かに小さいアーリィにラウルは気圧された。
「ちゃんと説明してやるから手を離せ。シャツも外套もお前の給料では到底手の出ない高級品だ。破れでもしたらその修繕費は一リーンたりともまけずにお前に請求するぞ」
最後はいやらしい笑みを浮かべて言い放つ。
やはりこの女は好きにはなれない。得体の知れない未知の不可解さのある人間だ。説明してやるというのも、ただ単に煙に巻いて逃げるタイミングを計ろうとしているのではと勘繰る気持ちの方が強くある。
しかし、トーラスがこの女を頼ったというのは事実だ。
トーラスの考えは自分とは相容れないが、それでもミーシャのことを思ってのことだということは、少し落ち着きをとり戻した頭で理解できた。
この女とトーラスをどうするかは説明を聞いてからでも遅くはないのかもしれない。
「……いいだろう。お前の説明とやらを聞いてやる」
掴んでいた胸倉を突き飛ばすように離す。
「だが、その説明が荒唐無稽であると判断した場合はわかっているだろうな」
「わかりたくないが、お前の意思は尊重するよ。お前に私をどうこうすることができるとは思えないがな」
こういうことを素で返すところが余計に腹立たしい。
「さっさと話せ。俺の気が変わらないうちにな」
ラウルから外された視線がトーラスへ向かう。その視線を追ってラウルもトーラスを見る。
トーラスには先ほどラウルと言い争ったときに見せた勢いはなく、二人から向けられる視線に俯いているだけだった。
「……私とこいつが協力関係を結んだのは──」
古代種の木々がなぎ倒され、ぽっかりと穴の開いてしまった森で、アーリィの低く擦れたような声が過去の記憶を語り始める。
「お前がこの事態を招いたんだ! この疫病神が!」
雷鳴の如き怒号が静かな森に響き渡る。暗闇に包まれた森で二人の人物が相対している。
怒号をあげたラウルは顔や体に飛び散った血液を拭うこともせずに、武器代わりの枝をアーリィへ突きつけた。
「疫病神か……。呼び名が一つ増えたな」
「馬鹿にするのも大概にしろ!」
「馬鹿になどしてないさ。面白いと思っただけだ」
「それが気に食わないんだ!」
睨み合う二人の間に流れる殺伐とした殺気が、空気を張りつめさせた。
◇◇◇
ラウルが目覚めてからまず視界に飛びこんできたのは、貴重な古代種の木々がある一点を中心に円状に倒れ、折れた枝やら散ってしまった草花が周囲に飛散している状況だった。
周囲を見渡し更に大地が大きく抉れ、そこに残る大量の血痕を見つけたとき、ラウルは絶句した。
なにがあったのか。頭を抱え記憶を探る。
確か灰菌症の調査のために森へ入り、特区で大量の虫に襲われ……いや、その後だ。その後になにかがあったはずだ。
巡りの悪い頭を何度も殴りつけ、必死に記憶のなかから答えを手繰り寄せる。
ふと一人の少女の顔が頭をよぎった。まだ幼さを残した顔で、でも必死に大人になろうと藻掻き、懸命に生きようとしていた少女のことを。
「ミーシャ!」
弾かれたように顔をあげ、その名を呼ぶ。夜の森で大声を出すなど、獣に居所を教えるようなものだが、そんなことに気を割いている場合ではなかった。
大切で守るべき存在。何度も大声でその名を呼んだ。
「五月蠅い。そんなに呼んでもミーシャはここにはいないよ」
唐突にした声に振り返ると、そこには灰色の髪をなびかせて佇む女がいた。質のよさそうな生地でできた外套のポケットに手を突っ込んで無表情にラウルを見つめている。
「アーリィ……リアトリス」
驚愕とも怒りともとれない声でラウルは呟いた。
そうしてここでなにがあったのかをアーリィの口から聞き出すと、ラウルはまず自分の無力を呪った。
ミーシャを守ると決意しておきながらこの有様。誰よりも早く意識を失い、全てが終わるまで呑気に気絶しているとはなんとも間の抜けた話だ。
途方もなく無力であることがやるせない。ミーシャを守れずに、自分だけのうのうと生き残ってしまった。
できるなら時間を巻き戻したい。そして、ミーシャを救い出し、気を失って転がっている自分の間抜け面に渾身の力を込めた拳をお見舞いしてやりたい。
お前の誓いはそんなものだったのかと。
託された命を導きたくてお前はこれまであの子を見てきたんだろうと。
それなのにどうしてお前は地べたに転がっていられるんだと。
これまでたくさんの後悔を重ねてきた。それこそ自らの命を絶とうとも考えたことだってある。だが、それでも生きてきたのは信じていたからだ。
自分はなすべきことがあるはずだ。ここではない、どこかで必ず自分が生まれた意味が待っている。だから、それが見つかるまでは生きなければならない。
モデールに流れ着いて、グリフィスのしたで仕事を学び、ミーシャの未来を手助けしてくれと頼まれたとき、これこそが自分の生まれた意味だと直感した。
大げさではなく、これまでの人生の苦悩は全てがこの日のためにあったのだと思った。
だからこそ、この手で守りたかった。大人になり、いずれ巣立っていく姿をグリフィスの代わりに見届けたかった。
それこそがグリフィスへの恩返しにもなると思った。居場所がなかったラウルに帰る場所と仲間を作ってくれた恩人への恩返し。
そう思って生きてきた。だから、こんな結末は到底認められない。
消化することのできない怒りが込みあげる。拳を握る手が痺れ、骨が軋む。
「俺の……責任だ。俺が、もっとしっかりミーシャを見ていれば、今頃はこんなことには……」
アーリィの話を全て信じられるかと言えば、それは否だ。竜が現れただの、キャスウェルというアシュマンが全て裏で糸を引いていたなどと聞いて素直に信じられるほど、ラウルは純朴ではない。
しかし、意識を失う前に見たあの少年のことと、自分が立つこの場の惨状を見てしまうと納得せざるを得ない部分があるのは事実だ。
抉れた大地とそこに残される血痕を視界に捉える。
この跡はここで人知を超えたなにが確かに存在し、それがもたらした絶望的な状況に抗うことができずに、最悪の結末を迎えてしまった事実があると示唆している。
責任転嫁だとは重々承知している。しかし、どうしても自分へ向ける怒りとは別に、もう一つの怒りが火山のマグマのように煮えたぎっている。
気絶をしていたラウルとは違い、アーリィ・リアトリスは現状を打開し、救い出すことができたはずだ。
アーリィ・リアトリスという犯罪者の噂は片田舎のモデールにも届いている。
魔術としか思えない不思議な力を使い、その力を悪用してあらゆる悪行の限りを尽くす大犯罪者。
一部では神格化されるほどにアーリィ・リアトリスを支持し、自身をアーリストと名乗る者もいるらしい。だが、アーリィ・リアトリスと言う人物の本質は人間社会に害をなすもの。自己の益を優先し、他を貶め、苦しめ、殺し、奪う。忌避される存在である。
そんな人間が他者を助けるという行為をするとは到底思えない。
しかし。
それでも情というものはないのかと責める気持ちがある。少なくとも一時は寝食を共にした仲ではあるはずだ。そこに僅かばかりの情を抱くことは自然だとラウルは思った。
自分を棚にあげてなにを、と言われてしまうだろうが、どうしても責める気持ちがある。
その瞬間、ミーシャを救えるのはアーリィ・リアトリスだけだった。きっとミーシャは怖かったはずだ。怯えたはずだ。
まだ子供だった。大人になりきれない年齢で一人親元を離れて暮らし、過酷な仕事に従事する。
それがどれだけ大変なことかをラウルはよく知っている。
だからこそ、ラウルはミーシャを自分の娘のように思っていた。確かにミーシャを守ると決意した始まりは、尊敬する上司であり友人でもあるグリフィスから託されたからだった。しかし、生活を、仕事を共にするにつれ、ミーシャのことを本当の家族のように思うようになっていた。
大切だった。自分の命よりも大切な存在。妻や息子と同じように愛していた。
こんな結末で人生を終えていい子ではなかった。必ず幸せになるべき存在だった。
「お前に助けを求めたんだろう! お前にしか助けられなかったんだろう! 何故見捨てた!」
近くにあった枝を手にとりアーリィへ突きつける。怒りで枝を持つ手が震えているが、そんなことはどうでもいい。体の血液が沸騰し、今にも頭が破裂しそうなほどの激情が支配する。
その怒りをぶつけられるアーリィはラウルとは対照的に至って冷淡な言葉を放つ。
「それが彼女の運命だ。私に出会い、私を頼った時点でこうなることは避けられなかった」
「きっさまぁぁぁぁ!」
死は避けられなかったし、避けるつもりもなかったと告げられ、ラウルの怒りは頂点に達した。
握っていた枝が軋むほどの力を込め、大きく振りかぶり、アーリィ目掛けて振りおろす。
大振りで感情をむき出しにした一撃だ。素人でも躱すのは容易い。
アーリィがラウルの動きを先読みし、避けるのは自然の流れだ。
勢いよく振りおろされた枝が地面に叩きつけられる。鈍い衝撃音と共に、痺れるような痛みがラウルの腕をのぼる。
だが、そんな痛みなどでラウルの怒りが醒めることはない。一撃目を躱したアーリィに向かって続けざまに横薙ぎに枝を振りぬく。
初撃を躱したばかりで態勢を整えられていないアーリィをその一閃が捕らえるはずだった。しかし、アーリィはその一撃を涼しい顔のまま片足で地面を蹴って最小限の動きで躱す。
戦い慣れている。こちらの動きを先読みし、最小限の動きで消費する体力を抑えながらの戦い方は、こういった荒事に慣れているからできる芸当なのだろう。
ラウルは更に追撃を加えるために体を翻して大きく踏み込もうとする。しかし。
「しまっ!」
ラウルは連日の調査の疲労やミーシャを失ってしまったという衝撃で足がもつれて膝をついてしまった。
「アーリィィィィィリアトリスゥゥゥゥ!」
すぐさま体を起こし、野獣の雄叫びのような声で眼前のアーリィへ憤怒を放つ。
この女だけは生かしてはおけない。こいつが全ての元凶なんだ。こいつがモデールに現れさえしなければ、今頃ミーシャは……!
枝を上段に構え、渾身の一撃を放つために自身に残る全ての力を拳にこめる。
殺す。こいつを殺してミーシャの敵討ちを果たす。
一迅の風が奔る。瞬間、ラウルはアーリィの脳天狙いを定めて、飛びかかろうとした。
そのとき。
「待ってくれ! ラウルさん!」
背後からの悲痛な叫びに気を削がれてしまった。
「待ってくれ、待ってくれ。その人は悪くないんだ! 悪いのは……全部、全部、俺なんだ!」
ラウルにとっては聞き慣れた声。振りかぶっていた枝をおろし、背後の声の主を振り返る。
「……お、まえ……」
「すまない……ラウルさん」
涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、それでも真っすぐラウルを捉える眼差し。着ている防護服はボロボロに破け、ほとんどその意味を成してはいない。強く握りすぎて震える拳が、ラウルの前へ飛び出してくるまでの葛藤が伺えた。
「本当に申しわけない……でも、俺はこれに頼るしかなかったんだ。これしか……これしかミーシャを解放してやる道はないと思ったんだ……」
女性の前では決して涙を見せない。何故なら自分が泣いていたら女の涙を拭えないから、とキザに語るいつもの姿はそこにはなかった。
そこにいたのは、大人になって、それでもどうしようのない現実に打ちひしがれ成す術もなく涙を流す一人の青年。
親に叱られるのを待つ子供のように泣きべそをかいてトーラス・ウィンターが立っていた。
「なん、で……。お前無事だったのか。いや、それよりも……どういう意味だ」
驚愕に一瞬意識を引っ張られたラウルだったが、すぐに怒気を孕んだ声で問いただす。
「俺が、頼んだんだ。アーリィさんに。ミーシャを解放してくれって。家族に縛られたままのあいつを見ていられなくて、それでアーリィさんに……」
「お前はなにをしていたんだ」
「え……?」
「アーリィ・リアトリスがミーシャを見殺しにしたとき、お前はなにをしていたんだって聞いている」
「……木の陰に隠れて見ていた」
「お前……ミーシャが殺されるのを呆けて見ていたのか!」
チリチリと頭の奥が焼けるようだった。友だと思っていた。弟だと思っていた。自分の跡を任せられると信じていた。
どうしてだ。どうしてお前は。そんな思いがラウルの怒りの限界を容易に突破させる。
握っていた枝を投げ捨て、トーラスの胸倉を両手で掴みあげる。
「それが俺の役割だったんだ」
「役割だと!? あの子がっ……助けを求めていて、傍観することがお前の役割だというのか!? ふざけるなよ、なんのために俺たちはミーシャを託されたと思っているんだ!」
「それはわかってる……。でも、ラウルさんも知ってるだろう。あいつが俺たちに気づかれないように仕事の合間にグリフィスさんの痕跡を探してたことは。それに、いつもどこか寂し気で不安げな顔をしてて……俺たちがどれだけミーシャを気にかけてもあいつを心の底から笑顔にしてやることも、あいつの家族の代わりになってやることもできなかった! あいつの心は幼い子供のころのまま、家族っていう呪いに縛られたままなんだよ!」
「呪いじゃない、愛情だ。あの子が辛い人生を歩みながらも諦めずにいられるのは家族への愛があるからだ。それをお前が呪いなどという言葉で否定するべきではない!」
「否定じゃない! 事実だ! ミーシャはいつまでも暖かい過去の家族の記憶に憑りつかれていて今を生きようとしていない! その証拠にあいつは一度も自分の未来を語ったことはないんだよ! ミーシャはまだ十五歳だぜ? そんな子供が自分の未来に目を向けられずに過去にばかり囚われちまってる。それじゃあいつはダメになっちまう!」
「それはお前が決めることじゃないだろう! あの子はあの子なりに自分と向き合っている。時間はかかるかもしれない。だが、グリフィスさんの娘だ。あの人がどんな困難にも挫けなかったように、あの子もきっと乗り越えてくれるはずだ」
「その自信はどこから出てくるんだよ。あいつとそんな話しをしたのか? あいつとあいつの家族のことを話し合って気持ちを確かめたのか? なんでそんな勝手な解釈ができるんだ。あいつはグリフィスさんとは違う。世間を知らなくて、他人を頼ることを知らない。もし、あいつが将来を思い描けない大人になっちまったらどうするんだ!? それこそとり返しのつかないことになっちまうだろうがよ!」
「ならお前のしたことがミーシャのためになったというのか? ミーシャはもういない。アーリィ・リアトリスと関わってしまったばっかりに命を落としてしまった。この責任をどうとるんだ。俺はグリフィスさんになんて言えばいいんだ! あの人が俺たちに託してくれた命をお前の独断で殺してしまったんだぞ!」
「じゃああのままでよかったって言うのかよ。ミーシャは家族に拘りすぎてるんだ。俺はミーシャにグリフィスさんへの執着を断ち切ってもらいたかった。でも、なんの力もない俺たちじゃそれはできない。だから、アーリィさんにその手助けをしてもらう必要があった。ルグリの力なら、きっとミーシャを救うことができるはずだって思ったんだ!」
互いのミーシャへ対する想いがぶつかり合い、真向から対立する。
相反する想いはどちらも互いを認めず、それどころか更に熱を増していく。
「俺たちがミーシャを守らなければならなかったんだ! あのときそう誓っただろうが!」
「誓ったよ! でも、俺はあいつに未来を生きて欲しかったんだ! 過去に囚われずに自分の将来を真剣に考えて欲しかったんだ。そうじゃなきゃ、俺のようにいつまでも後悔して生きるような人生を送るようになっちまう。それだけは絶対に避けなきゃならない。俺はあいつの兄ちゃん代わりだ! あいつが未来を見ようとしないなら、俺が見せてやる。そのためならたとえ相手が指名手配されているアーリィさんであっても使えるものなら使うさ」
「グリフィスさんがどうなったのか知っているだろう! あんなわけのわからないものに縋るなどどうかしている。俺たちはあの子を危険から守らなきゃならないんだ。ちゃんと大人になって独り立ちできるまで支えて、任せられる奴が現れたら──」
「ハイハイ、過保護はそこまでにしておきな。なんちゃってお父さんとなんちゃってお兄ちゃん。保護者面するのはかまわないが、年頃の女子にそれは重すぎるんだよ。はっきり言って気持ち悪い」
溜息混じりに割り込んできたアーリィの言葉が、過熱した二人の注意を引く。
「お前たちがミーシャを大切しているのはわかるが、その気遣いは方向性がズレているぞ。そんなんだからミーシャもお前たちを頼ることをしなかったんじゃないか?」
「貴様が語るな……!」
ラウルがこめかみを痙攣させながらアーリィを睨みつける。
どの口が言うか。ミーシャを助けられる唯一の存在だったにもかかわらず見殺しにした人間に知ったような口をして語られるのは我慢がならない。
トーラスを突き飛ばし、そのままアーリィに詰め寄って胸倉を掴む。
「ミーシャを見殺しにしたお前が、軽々しく語ることは許さん!」
「軽く語っているつもりはない。客観的に見て感じたことを口にしているだけだ」
覆いかぶさるように見おろすラウルにアーリィは毅然とした態度で返す。
「客観的だと? 事実だろうが」
「事実ではない。お前は一つ勘違いをしている」
「なんだと?」
「私はミーシャを見殺しにしたわけではない。あのときあの瞬間では、ああするしかなかったんだ。それ以外に問題を解決する手段はなかった」
問題の解決という言葉にラウルは目を見開く。それが意味するところの終着点を想像する。
わずかな期待が胸をかすめる。この女は信用するに値しない人間だ。だが、問題を解決する手段を持っている。そして、そのためにミーシャを見捨てるという選択をしたのならば。
「問題の解決とは一体どういう意味だ」
「どういう意味もなにも文字通りだ」
灰色の瞳が揺れることなく真っすぐラウルを見つめ返す。
アーリィの胸倉を掴んでいる力がわずかに緩む。自分よりも遥かに小さいアーリィにラウルは気圧された。
「ちゃんと説明してやるから手を離せ。シャツも外套もお前の給料では到底手の出ない高級品だ。破れでもしたらその修繕費は一リーンたりともまけずにお前に請求するぞ」
最後はいやらしい笑みを浮かべて言い放つ。
やはりこの女は好きにはなれない。得体の知れない未知の不可解さのある人間だ。説明してやるというのも、ただ単に煙に巻いて逃げるタイミングを計ろうとしているのではと勘繰る気持ちの方が強くある。
しかし、トーラスがこの女を頼ったというのは事実だ。
トーラスの考えは自分とは相容れないが、それでもミーシャのことを思ってのことだということは、少し落ち着きをとり戻した頭で理解できた。
この女とトーラスをどうするかは説明を聞いてからでも遅くはないのかもしれない。
「……いいだろう。お前の説明とやらを聞いてやる」
掴んでいた胸倉を突き飛ばすように離す。
「だが、その説明が荒唐無稽であると判断した場合はわかっているだろうな」
「わかりたくないが、お前の意思は尊重するよ。お前に私をどうこうすることができるとは思えないがな」
こういうことを素で返すところが余計に腹立たしい。
「さっさと話せ。俺の気が変わらないうちにな」
ラウルから外された視線がトーラスへ向かう。その視線を追ってラウルもトーラスを見る。
トーラスには先ほどラウルと言い争ったときに見せた勢いはなく、二人から向けられる視線に俯いているだけだった。
「……私とこいつが協力関係を結んだのは──」
古代種の木々がなぎ倒され、ぽっかりと穴の開いてしまった森で、アーリィの低く擦れたような声が過去の記憶を語り始める。
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