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第八章
四十四話
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「そして、私はトーラスからの依頼を受けることにした。対価はモデールの詳細な地形がわかる地図の提供と竜の捜索に必要な情報の提供。とは言っても、竜を普通の人間が見つけるのは困難だ。竜という存在は地平線の向こうに見える陽炎のように人の目には映る。根本的に魂が揺らいだ人間は認識することもできるが、生きる意志が強い人間にはただの風景としか認識できない。あれはそういう存在だ。トーラスの魂ははっきりとしている。強く、強靭で生きるという意思に満ちている。そういう人間にはたとえ目の前にいたとしても認識することはできない。だから、最近森であった変化や生息する動植物の情報を提供してもらっていた」
アーリィが話している間、ラウルは一言も発することはなかった。腕を組み、瞳を閉じて微動だにしない。
トーラスはそんなラウルのそばで俯いている。
アーリィと通じていたトーラスにとっては、裏切りを暴露されるようなものだ。居心地のいい時間ではないだろう。
トーラスがアーリィとラウルの前に割って入ったとき、ラウルは激昂した。
信用していた人間の裏切りはいかなる場合でも心に影を作り出す。それがどれだけ大切な人を救いたいと願った結果だとしても、深い溝を作ってしまう。
だか、それはトーラスも覚悟のうえだったはずだ。だからこそ、ミーシャが苦しんでいる姿が見ていられなくて独断で行動を起こしたのだ。
仲間を頼ることはせずに。
ミーシャが過去に囚われていることは、恐らく監督署で働く全員が気がついていたことだろう。
相談に乗ってやりたいと思う者だっていたはずだし、同性の保護官が気分転換に連れ出すということも実際にあった。
しかし、ミーシャの核心に迫ることは不可能だった。
どれだけ表面的に見て仲がよくても、それはミーシャに寄り添うだけで、苦しみの根本をとり去ることにはならない。
本当の家族のように振舞ったとしても、それは家族ではない。
ラウルもトーラスも同じだ。どんなに父親面をしても、兄貴面をしても、疑似家族でしかない。
ただ、それでも伝わるものはあったはずだ。ミーシャを愛しているという思いは伝わっていたはずだった。
しかし、それだけでは足りなかった。
「お前とミーシャの前に現れたのは偶然じゃなくわざとだ。そして、お前とミーシャを引き離すためにトーラスから借りたグリフィスの金貨をミーシャに見せつけ、追ってくるように仕向けた。全部最初から台本通りだったんだ」
誰にも相談できずにいたのはミーシャだけではない。ラウルもトーラスも同じだ。
ラウルはミーシャの想いを知ったうえで、それに気がつかないふりをしてミーシャを見守ろうとした。
トーラスはミーシャが自ら望んで未来に希望を見出して欲しくてアーリィを頼った。
見ているものは二人とも近かった。だが、わずかにズレていた。その結果、同じものを見ているはずなのに手段が違ったせいで、対立を生んでしまうことになった。
「アーレイで蜂起が起こっているというのも嘘だったのか」
「いいや、それは本当だ。トーラスはアーレイに顔の効く相手がいるそうでな。蜂起を起こした主要メンバーから決行日を聞いていたそうだ」
「それじゃあ、アーレイに報告に向かったというのは」
「それは嘘だな。丸一日空いた時間で、私の仕事の手伝いをしてもらっていた」
「仕事だと?」
「この土地のサンプル採取だ。それとミーシャ捜索に関する内容もリークしてもらっていた」
「早朝にトーラスがミーシャを発見したというも台本か」
「そうだ。私がミーシャを眠らせて、トーラスに迎えにこさせたんだ」
ラウルは「そうか」と呟いた。
「お前たちの思惑は理解した。だが、それが問題の解決を招いたとは思えない。現状を鑑みて、それのどこがミーシャを救うことになったんだ。ミーシャは……竜に食われてしまったんだろう。もう、死んでしまったんだろう」
ラウルは詰まりながら声を搾りだす。
その問いのようで、責めるような言葉にアーリィは薄い笑みを浮かべて返す。
「確かにミーシャは竜に食われてしまった。今頃はキャスウェルと腹のなかでなかよくやっているかもしれないな。だが、それも想定通りだ。そうなるように私はわざとミーシャを竜に食わせたんだからな」
「それは……どういう意味だ? ミーシャはまだ生きているのか」
「当たり前だろう。ミーシャが死んでしまったらトーラスの依頼を達成することはできないからな。まあ、呪縛からの解放が死ぬことだっていうのは物語的にはあまりにダークだが、私は案外嫌いじゃない。だが、それはあくまでも私の好みの話だ。そんなバッドエンディングは用意していない。ちゃんとこれからミーシャを救いに行く」
ラウルの表情から始めて力が抜けた。力強く横に結んでいた口が開き、穴の開いた気球が力なく落ちていくようにへたり込む。
「本当にミーシャを救えるのか?」
「私という女に二言はない」
アーリィが不敵な笑みを浮かべる。よほど自信があるのだろう。
ラウルは気合いを入れるように強く膝を打つとアーリィに尋ねる。
「しかし助けると言っても一体どうするんだ? まさかお伽噺のように竜の腹を掻っ捌いて引きずり出すとか言うんじゃないだろうな」
「まあ、似たようなものではある」
アーリィは外套の内ポケットに手を忍ばせ、それから一枚の金貨をとり出した。
「それは……?」
「妖精の金貨」
「妖精?」
「悪いが悠長に説明をしている時間はない。今からこの金貨を使ってある場所に行く。さて」
アーリィが手を叩いて、二人を急かす。
「時間との勝負だ。もし、間に合わなければそこでおしまいだ。のろのろしている余裕はないぞ」
◇◇◇
アーリィ、ラウル、トーラスは竜の惨劇があった場所から離れ、特区Ⅱの泉へたどり着いていた。
「こんなところでなにをするつもりなんだ?」
ラウルの問いにアーリィは答えず、一人で泉の方へ歩いて行ってしまった。
その無愛想な態度に腹が立ちかけはしたものの、この女はこういう性格なのだと諦めた。こちらの問いに全て答えてくれるような優しさは持ち合わせていない。
隣を見るとトーラスも不安げな顔をしていた。
「……さっきは悪かったな」
なんとなくトーラスの顔を見て言うことに気まずさを感じ、腕を組んでそっぽを向いてしまった。
トーラスと喧嘩をすることはそんなに珍しいことではない。これまで何度も周囲が引くような喧嘩をしたことがある。だが、どの喧嘩も互いの意見の対立を解消するための儀式のような役割を持ったものだった。
だから、腹の底に溜まった想いを好きなだけ吐き出した後は、互いにすっきりとした顔をして何事もなかったように馬鹿な話に興じていた。
謝罪の言葉などない。そのようなものはなくとも二人の絆は揺るがない。
しかし、今回の件に関しては喧嘩の性質が違う。
トーラスの裏切りを知ったとき、ラウルは憎しみを抱いてしまった。
今でこそ頭にあがった熱も落ち着き冷静に考えることができるが、あのときは完全に感情のコントロールができなかった。
それこそ殺してやりたいという考えも一瞬よぎってしまうほどに。
トーラスにそれが伝わったかどうかはわからない。だが、問題はそこではない。
守るべき部下に対して、向けるべき感情ではなかった。考えが違ってもトーラスはトーラスなりにミーシャの未来を憂いていた。
本来なら、トーラスの変化も気づいてやるべきだったのだ。気づいて相談に乗ってやるべきだった。
それだけではない。ラウルもトーラスに相談すべきだった。二人で意見を戦わせて模索すべきだったのだ。
「俺も……冷静じゃなかった。お前にはお前の考えがあるってことを失念して、自分の感情に身を任せてしまった。後悔している。お前の気持ちも汲んでやらずに、自分の考えに固執してしまったことを」
誠実であらねばならない。でなければ、トーラスから真の信頼を向けてもらえない。
「本当に申しわけなかった」
姿勢を正し、トーラスに向かって頭をさげる。頭のうえで、はっと息を呑む音が聞こえた。
闇夜に溶けてしまいそうな浅い呼吸。気配でトーラスがこちらに向き直したのはわかるが、期待している反応は得られない。
「おい。なにやってるんだ。時間がないんだから、早くこっちにこい」
離れたところにいるアーリィから苛立った声があがった。
「……」
短い沈黙。なにかを言いかけて、それを飲みこむような気配。
「……行きましょ。ミーシャを助けなきゃ」
急かすように早口で言ってトーラスは行ってしまった。
小走りに去って行く後ろ姿を見ることもできない。
あるのは大切な仲間を失ったという喪失感。
さげた頭がやけに重く感じた。
◇◇◇
「グリフィスを見たときにもしやと思ったんだが、想像していた通りだった。虹の橋がわずかに開いている」
アーリィが泉に手を浸し、水を掴むような素振りを繰り返し続ける。
その行動の意味はわからないが、尋ねても答えてはくれないだろうとトーラスと二人で見守る。
アーリィは先ほど見せた金貨を指で弾いて泉に落とした。
ゆらゆらと揺れる金貨は夜の闇を写した深淵に飲み込まれてすぐに見えなくなった。
その様子を三人は静黙して見つめる。
すぐに変化があった。
泉から雲の糸のような細い光がのぼり、一瞬の間に光は泉を飲み込み空へ伸びる一筋の柱となる。
「これは……」
「虹の橋。この世界と別の世界を繋ぐ橋だ。これがなにかなんて聞くなよ。説明はしないからな。今からこの橋を渡ってキャスウェルの工房へ向かう」
空へ伸びる光のなかにアーリィが手を差し込む。光の柱に差し込まれた手が陽炎のように虚ろに歪み、正体を失くしていく。
「……待ってくれ」
ラウルがアーリィに習って光に手を入れようとしたそのときだった。
「俺は……いけない」
喘ぐように零した声は震えていた。
「俺は、ミーシャのためを思って今回のことをアーリィさんに依頼した。でも、俺の選択でミーシャを危険に晒してしまった。ミーシャが竜に襲われて食われそうになる瞬間、何度も助けに行こうとした。でも、できなかった。怖かったんだ。ミーシャの未来のためになんて言っておきながら、いざ脅威が現れて、ミーシャの命が危険に晒されているときに、俺の足は動かなかった。自分の死とミーシャの死を天秤に乗せて、俺は……俺は自分の命をとっちまった。ミーシャを巻き込んだのは俺だってのに。俺にはミーシャの元へ行く資格がない」
「トーラス……」
「ラウルさん、ごめんなさい。さっきラウルさんが謝ってくれたときに上手く返事ができなくて。俺、自分の意見は絶対正しいって思ってた。だって今のミーシャは過去の俺と同じだったから。だから、ラウルさんがなんて言おうと、俺は自分の意見を変えるつもりはなかった。でも、ラウルさんは俺に謝ってくれた。ラウルさんは歩み寄ってくれた。そのときに思い知ったよ。俺は自分の考えに酔っていただけだったんだって。ミーシャより人生を少しだけ長く生きているからって、わかったつもりになって本人にも周りにも相談せずに自分だけで突っ走っちまった。その結果がこれだ。自分で責任もとれないのに、色んな人を巻き込んで、いざというときに立たなきゃならないはずの俺は臆病風に吹かれて尻込みしちまって。こんな情けない兄貴なんてミーシャにはいらねぇよ」
トーラスがこちらを向いたまま一歩さがった。手を伸ばせばすぐに掴める距離。しかし、ラウルはトーラスに手を伸ばさなかった。
「俺はここで待ちます。ミーシャも俺よりラウルさんが迎えにきてくれた方が嬉しいでしょうし。だから、構わず行ってください」
もう心は決めてあるのだ。トーラスの顔を見て自然とそう思った。
説得してもトーラスの気持ちは変わらない。それに言葉を尽くす時間も残されていない。
「俺とお前で交わした約束を覚えているか?」
その言葉だけでトーラスははっと顔をあげて、潤んだ瞳で答える。
覚えている。その約束だけは、絶対に忘れるわけがないと。
「ミーシャのことは任せておけ。お前はここで待っているんだ。必ずミーシャを連れて帰ってくる。そのときに……お前の気持ちを伝えてやれ。それで十分なはずだ」
こんな馬鹿みたいな騒ぎを終わらせる。ミーシャを連れ帰って、またいつもの日常に帰る。
もしかしたら、ほんの少しだけ変わってしまう関係もあるかもしれない。だが、構わない。
人生とは望むにしろ望まないにしろ変化から逃れることはできない。もしかしたらモデールも監督署もなくなる未来があるかもしれない。
だが、変わってしまうものがあるのと同じように、変わらないものもあるはずだ。
あの人が残した絆は仲間のなかに確かに存在しているはずだから。
「それまでにその情けない顔を洗っておけ。兄貴でありたいなら、強くならなきゃな」
トーラスは唇を噛みしめながら頷いた。
改めて虹と向き合い、光りのなかに手を差し込む。
冷たい。だが、その冷たさがラウルの決心をより強固なものへと変えていく。
光に飲まれ意識が霧散していく瞬間、トーラスがはっきりと聞こえる声で「頼みます」と言った。
ラウルにはそれだけで十分だった。
「そして、私はトーラスからの依頼を受けることにした。対価はモデールの詳細な地形がわかる地図の提供と竜の捜索に必要な情報の提供。とは言っても、竜を普通の人間が見つけるのは困難だ。竜という存在は地平線の向こうに見える陽炎のように人の目には映る。根本的に魂が揺らいだ人間は認識することもできるが、生きる意志が強い人間にはただの風景としか認識できない。あれはそういう存在だ。トーラスの魂ははっきりとしている。強く、強靭で生きるという意思に満ちている。そういう人間にはたとえ目の前にいたとしても認識することはできない。だから、最近森であった変化や生息する動植物の情報を提供してもらっていた」
アーリィが話している間、ラウルは一言も発することはなかった。腕を組み、瞳を閉じて微動だにしない。
トーラスはそんなラウルのそばで俯いている。
アーリィと通じていたトーラスにとっては、裏切りを暴露されるようなものだ。居心地のいい時間ではないだろう。
トーラスがアーリィとラウルの前に割って入ったとき、ラウルは激昂した。
信用していた人間の裏切りはいかなる場合でも心に影を作り出す。それがどれだけ大切な人を救いたいと願った結果だとしても、深い溝を作ってしまう。
だか、それはトーラスも覚悟のうえだったはずだ。だからこそ、ミーシャが苦しんでいる姿が見ていられなくて独断で行動を起こしたのだ。
仲間を頼ることはせずに。
ミーシャが過去に囚われていることは、恐らく監督署で働く全員が気がついていたことだろう。
相談に乗ってやりたいと思う者だっていたはずだし、同性の保護官が気分転換に連れ出すということも実際にあった。
しかし、ミーシャの核心に迫ることは不可能だった。
どれだけ表面的に見て仲がよくても、それはミーシャに寄り添うだけで、苦しみの根本をとり去ることにはならない。
本当の家族のように振舞ったとしても、それは家族ではない。
ラウルもトーラスも同じだ。どんなに父親面をしても、兄貴面をしても、疑似家族でしかない。
ただ、それでも伝わるものはあったはずだ。ミーシャを愛しているという思いは伝わっていたはずだった。
しかし、それだけでは足りなかった。
「お前とミーシャの前に現れたのは偶然じゃなくわざとだ。そして、お前とミーシャを引き離すためにトーラスから借りたグリフィスの金貨をミーシャに見せつけ、追ってくるように仕向けた。全部最初から台本通りだったんだ」
誰にも相談できずにいたのはミーシャだけではない。ラウルもトーラスも同じだ。
ラウルはミーシャの想いを知ったうえで、それに気がつかないふりをしてミーシャを見守ろうとした。
トーラスはミーシャが自ら望んで未来に希望を見出して欲しくてアーリィを頼った。
見ているものは二人とも近かった。だが、わずかにズレていた。その結果、同じものを見ているはずなのに手段が違ったせいで、対立を生んでしまうことになった。
「アーレイで蜂起が起こっているというのも嘘だったのか」
「いいや、それは本当だ。トーラスはアーレイに顔の効く相手がいるそうでな。蜂起を起こした主要メンバーから決行日を聞いていたそうだ」
「それじゃあ、アーレイに報告に向かったというのは」
「それは嘘だな。丸一日空いた時間で、私の仕事の手伝いをしてもらっていた」
「仕事だと?」
「この土地のサンプル採取だ。それとミーシャ捜索に関する内容もリークしてもらっていた」
「早朝にトーラスがミーシャを発見したというも台本か」
「そうだ。私がミーシャを眠らせて、トーラスに迎えにこさせたんだ」
ラウルは「そうか」と呟いた。
「お前たちの思惑は理解した。だが、それが問題の解決を招いたとは思えない。現状を鑑みて、それのどこがミーシャを救うことになったんだ。ミーシャは……竜に食われてしまったんだろう。もう、死んでしまったんだろう」
ラウルは詰まりながら声を搾りだす。
その問いのようで、責めるような言葉にアーリィは薄い笑みを浮かべて返す。
「確かにミーシャは竜に食われてしまった。今頃はキャスウェルと腹のなかでなかよくやっているかもしれないな。だが、それも想定通りだ。そうなるように私はわざとミーシャを竜に食わせたんだからな」
「それは……どういう意味だ? ミーシャはまだ生きているのか」
「当たり前だろう。ミーシャが死んでしまったらトーラスの依頼を達成することはできないからな。まあ、呪縛からの解放が死ぬことだっていうのは物語的にはあまりにダークだが、私は案外嫌いじゃない。だが、それはあくまでも私の好みの話だ。そんなバッドエンディングは用意していない。ちゃんとこれからミーシャを救いに行く」
ラウルの表情から始めて力が抜けた。力強く横に結んでいた口が開き、穴の開いた気球が力なく落ちていくようにへたり込む。
「本当にミーシャを救えるのか?」
「私という女に二言はない」
アーリィが不敵な笑みを浮かべる。よほど自信があるのだろう。
ラウルは気合いを入れるように強く膝を打つとアーリィに尋ねる。
「しかし助けると言っても一体どうするんだ? まさかお伽噺のように竜の腹を掻っ捌いて引きずり出すとか言うんじゃないだろうな」
「まあ、似たようなものではある」
アーリィは外套の内ポケットに手を忍ばせ、それから一枚の金貨をとり出した。
「それは……?」
「妖精の金貨」
「妖精?」
「悪いが悠長に説明をしている時間はない。今からこの金貨を使ってある場所に行く。さて」
アーリィが手を叩いて、二人を急かす。
「時間との勝負だ。もし、間に合わなければそこでおしまいだ。のろのろしている余裕はないぞ」
◇◇◇
アーリィ、ラウル、トーラスは竜の惨劇があった場所から離れ、特区Ⅱの泉へたどり着いていた。
「こんなところでなにをするつもりなんだ?」
ラウルの問いにアーリィは答えず、一人で泉の方へ歩いて行ってしまった。
その無愛想な態度に腹が立ちかけはしたものの、この女はこういう性格なのだと諦めた。こちらの問いに全て答えてくれるような優しさは持ち合わせていない。
隣を見るとトーラスも不安げな顔をしていた。
「……さっきは悪かったな」
なんとなくトーラスの顔を見て言うことに気まずさを感じ、腕を組んでそっぽを向いてしまった。
トーラスと喧嘩をすることはそんなに珍しいことではない。これまで何度も周囲が引くような喧嘩をしたことがある。だが、どの喧嘩も互いの意見の対立を解消するための儀式のような役割を持ったものだった。
だから、腹の底に溜まった想いを好きなだけ吐き出した後は、互いにすっきりとした顔をして何事もなかったように馬鹿な話に興じていた。
謝罪の言葉などない。そのようなものはなくとも二人の絆は揺るがない。
しかし、今回の件に関しては喧嘩の性質が違う。
トーラスの裏切りを知ったとき、ラウルは憎しみを抱いてしまった。
今でこそ頭にあがった熱も落ち着き冷静に考えることができるが、あのときは完全に感情のコントロールができなかった。
それこそ殺してやりたいという考えも一瞬よぎってしまうほどに。
トーラスにそれが伝わったかどうかはわからない。だが、問題はそこではない。
守るべき部下に対して、向けるべき感情ではなかった。考えが違ってもトーラスはトーラスなりにミーシャの未来を憂いていた。
本来なら、トーラスの変化も気づいてやるべきだったのだ。気づいて相談に乗ってやるべきだった。
それだけではない。ラウルもトーラスに相談すべきだった。二人で意見を戦わせて模索すべきだったのだ。
「俺も……冷静じゃなかった。お前にはお前の考えがあるってことを失念して、自分の感情に身を任せてしまった。後悔している。お前の気持ちも汲んでやらずに、自分の考えに固執してしまったことを」
誠実であらねばならない。でなければ、トーラスから真の信頼を向けてもらえない。
「本当に申しわけなかった」
姿勢を正し、トーラスに向かって頭をさげる。頭のうえで、はっと息を呑む音が聞こえた。
闇夜に溶けてしまいそうな浅い呼吸。気配でトーラスがこちらに向き直したのはわかるが、期待している反応は得られない。
「おい。なにやってるんだ。時間がないんだから、早くこっちにこい」
離れたところにいるアーリィから苛立った声があがった。
「……」
短い沈黙。なにかを言いかけて、それを飲みこむような気配。
「……行きましょ。ミーシャを助けなきゃ」
急かすように早口で言ってトーラスは行ってしまった。
小走りに去って行く後ろ姿を見ることもできない。
あるのは大切な仲間を失ったという喪失感。
さげた頭がやけに重く感じた。
◇◇◇
「グリフィスを見たときにもしやと思ったんだが、想像していた通りだった。虹の橋がわずかに開いている」
アーリィが泉に手を浸し、水を掴むような素振りを繰り返し続ける。
その行動の意味はわからないが、尋ねても答えてはくれないだろうとトーラスと二人で見守る。
アーリィは先ほど見せた金貨を指で弾いて泉に落とした。
ゆらゆらと揺れる金貨は夜の闇を写した深淵に飲み込まれてすぐに見えなくなった。
その様子を三人は静黙して見つめる。
すぐに変化があった。
泉から雲の糸のような細い光がのぼり、一瞬の間に光は泉を飲み込み空へ伸びる一筋の柱となる。
「これは……」
「虹の橋。この世界と別の世界を繋ぐ橋だ。これがなにかなんて聞くなよ。説明はしないからな。今からこの橋を渡ってキャスウェルの工房へ向かう」
空へ伸びる光のなかにアーリィが手を差し込む。光の柱に差し込まれた手が陽炎のように虚ろに歪み、正体を失くしていく。
「……待ってくれ」
ラウルがアーリィに習って光に手を入れようとしたそのときだった。
「俺は……いけない」
喘ぐように零した声は震えていた。
「俺は、ミーシャのためを思って今回のことをアーリィさんに依頼した。でも、俺の選択でミーシャを危険に晒してしまった。ミーシャが竜に襲われて食われそうになる瞬間、何度も助けに行こうとした。でも、できなかった。怖かったんだ。ミーシャの未来のためになんて言っておきながら、いざ脅威が現れて、ミーシャの命が危険に晒されているときに、俺の足は動かなかった。自分の死とミーシャの死を天秤に乗せて、俺は……俺は自分の命をとっちまった。ミーシャを巻き込んだのは俺だってのに。俺にはミーシャの元へ行く資格がない」
「トーラス……」
「ラウルさん、ごめんなさい。さっきラウルさんが謝ってくれたときに上手く返事ができなくて。俺、自分の意見は絶対正しいって思ってた。だって今のミーシャは過去の俺と同じだったから。だから、ラウルさんがなんて言おうと、俺は自分の意見を変えるつもりはなかった。でも、ラウルさんは俺に謝ってくれた。ラウルさんは歩み寄ってくれた。そのときに思い知ったよ。俺は自分の考えに酔っていただけだったんだって。ミーシャより人生を少しだけ長く生きているからって、わかったつもりになって本人にも周りにも相談せずに自分だけで突っ走っちまった。その結果がこれだ。自分で責任もとれないのに、色んな人を巻き込んで、いざというときに立たなきゃならないはずの俺は臆病風に吹かれて尻込みしちまって。こんな情けない兄貴なんてミーシャにはいらねぇよ」
トーラスがこちらを向いたまま一歩さがった。手を伸ばせばすぐに掴める距離。しかし、ラウルはトーラスに手を伸ばさなかった。
「俺はここで待ちます。ミーシャも俺よりラウルさんが迎えにきてくれた方が嬉しいでしょうし。だから、構わず行ってください」
もう心は決めてあるのだ。トーラスの顔を見て自然とそう思った。
説得してもトーラスの気持ちは変わらない。それに言葉を尽くす時間も残されていない。
「俺とお前で交わした約束を覚えているか?」
その言葉だけでトーラスははっと顔をあげて、潤んだ瞳で答える。
覚えている。その約束だけは、絶対に忘れるわけがないと。
「ミーシャのことは任せておけ。お前はここで待っているんだ。必ずミーシャを連れて帰ってくる。そのときに……お前の気持ちを伝えてやれ。それで十分なはずだ」
こんな馬鹿みたいな騒ぎを終わらせる。ミーシャを連れ帰って、またいつもの日常に帰る。
もしかしたら、ほんの少しだけ変わってしまう関係もあるかもしれない。だが、構わない。
人生とは望むにしろ望まないにしろ変化から逃れることはできない。もしかしたらモデールも監督署もなくなる未来があるかもしれない。
だが、変わってしまうものがあるのと同じように、変わらないものもあるはずだ。
あの人が残した絆は仲間のなかに確かに存在しているはずだから。
「それまでにその情けない顔を洗っておけ。兄貴でありたいなら、強くならなきゃな」
トーラスは唇を噛みしめながら頷いた。
改めて虹と向き合い、光りのなかに手を差し込む。
冷たい。だが、その冷たさがラウルの決心をより強固なものへと変えていく。
光に飲まれ意識が霧散していく瞬間、トーラスがはっきりと聞こえる声で「頼みます」と言った。
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※小説家になろうにも投稿しています。
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