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第五話 グラント先生の座学

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 実技と違って座学の授業は実に平和なものだ。

 午後からは「魔法師にとって重要な能力」という授業で、教壇に立っているのはグラント先生。

 先生は細身でひょろっとした体つきで、いつもサイズの大きい深緑しんりょく色のローブを身にまとっていて白くて長い髭を蓄えている外見から生徒達の間ではノーム爺さんというあだ名をつけられているお爺ちゃん先生だ。
 あ、れっきとした人間だよ。

「さて……魔法師にとって最も重要な事は何だと思うかね?」

 先生が黒板に「重要な事とは?」という文字を書いてチョークを置いて僕たちの方へと振り返った。

「僕は威力だと思います」
「命中率ですよね」
「発動までの時間の短さです!」

 生徒達が次々と挙手してから自身が思う重要な能力を述べていき、先生が黒板にそれらを書き込んでいく。

「やっぱり、じゃないですかねぇ?」

 と、当てつけの様に発言する奴がいて、それを聞いたクラス中からクスクスと笑いが生まれる。

(こういう冷やかしは慣れっこだけど、やっぱり気分は良くないなぁ…)

 机に置いたノートに視線を落としながら、先生が黒板に書いていく内容を黙々と写していく。

「気にしない方がいいよ…」

 隣からそう囁いてくる声が聞こえて僕はそっと顔を上げた。

 ルセリア=ラッシェさん。

 栗色の長い髪を後ろで三つ編みにしている、細い銀縁の眼鏡をかけた女の子だ。

 真面目な性格でこのクラスをまとめる委員長をしていて、何かと僕の事を気にかけてくれる優しい女の子だ。 

 僕があからさまに嫌がらせを受けていたり困らされたりしていると、こうして励ましてくれる。

 「あ、ありがとう……」

 僕はそれだけ言って何だかむずがゆくなってしまい、すぐに黒板に視線を戻した。

 本当に優しいなぁラッシェさんは。

「ふうむ…。確かに飛距離は重要とも言えなくはないがどれだけ遠くに飛ばせたとしても当たらなければ意味がないとは思わないかのぉ?」

 顎鬚あごひげをさすりながらそう聞き返す先生の問いかけに飛距離と答えた生徒は返事に窮して「そう…だと思います……」と苦々しい顔で答えた。

 はた、と先生と目が合った気がしたけど何事もなかったように話を続ける。

「威力と命中率、そして発動時間も確かに必要な要素であると言えるかも知れん。じゃがどれもそれだけがあれば優秀な魔法師という訳ではないとワシは思うのじゃ」

 静かに傾聴する生徒をぐるりと見てから、先生は黒板にカツカツと音を立てながら文字を書いていく。

「威力がある魔法とは? 火魔法なのか水魔法なのか。どれだけ強力な火魔法を火蜥蜴サラマンダーに放ったとて効果は薄い。命中率がどれだけ高くとも岩人形ゴーレムに小石をぶつけたとて倒せはせぬ。最後に…どれだけ発動時間が短くとも当たらぬ事にはただの無駄打ちで終わってしまうのぉ」

 じゃあ、全部重要なんじゃないか…。

 先生の発言を聞いた僕は心の中でそっと非難の声を上げる。

「えぇ、じゃあ全部大事なんじゃあないですかー…」

 と、一人の女子生徒が先生に聞こえる声で口をとがらせてぼやいた。
 その発言を聞いて他の生徒達もうんうんと頷く。
 今まさにこの女子生徒は生徒全員が抱いた不満を代弁してくれたのだ。
 ありがとう、ええと……カーミ…? カメ…? 何て言う名前だったか思い出せない…。

「そうとも言えるかもしれん」

 あっさり認めた先生に、皆の目が点になる。

「しかし、最も重要な能力はこれじゃと思う」

 カッカッ! と音を立てて先生が黒板に文字を書き殴る。

 分析力。

 そう書いてから先生は黒板をバンッと叩いた。

「分析力。魔法師においてワシは分析力こそ最も重要な事であると君達に教えたい」

「何故、分析力と思われるんですか?」

 赤髪の生徒……フレイアードが手を上げてから質問する。

「ふむ、フレイアード君か。そうじゃな……、もし仮にワシと君が魔法勝負を行うとしよう。ワシに勝てるかね?」
「無理だと思います」

 即答するフレイアード。

「それは何故かな?」
「先生に比べて今の自分は魔法容量も攻撃手段も経験も少ないからです」

「ふむ…。では君とゴブリン一匹であればどうかな?」
「自分が勝ちます」

「そういう事じゃよ」

 言われたフレイアードが俯いて考える。
 良かった。理解できなかったのは僕だけじゃなかった。

「つまりワシの質問で君はワシの戦力とゴブリンの戦力を分析し、自分と比較した上で勝敗を予想した。ワシが重きを置いておるのはその分析力じゃよ」
「なるほど…」

 なるほど。何となく分かった。

「自身の力量を的確に把握した上で敵を分析し、どう動けば有利に進むのか。どの属性、戦法で攻めれば相手に勝利出来るのか。それが自然と出来る魔法師は負けぬとワシは思う」

 生徒達は熱心に先生の言葉をノートに書き記している。

「そして自身にとって足りないのは何なのかをしっかり把握した上で、それをどうやって補うのかと言う事も考えねばならん」

「先生」

 一人の生徒が手を上げる。

「何かな?」
「しかしアノードル先生は「魔法にとって大事なのは破壊力だ」と言っていましたが、それは間違いという事でしょうか?」

 生徒の質問に先生はふむ…と一言呟いて顎髭をさすった。

「間違ってはおらぬよ」
「え、で、でも先生は分析力が最も大事だと…」

 潔い先生の返事を受けて質問した生徒が困惑する。

「ほっほっほ! ワシは分析力が大事だと思うとの考えを伝えただけで、何も威力が大事ではないとは言っておらぬよ」

 確かに。
 上手い言い回しだけど、先生は一言もそんな事を言っていないよね。

「じゃ、じゃあ結局魔法師にとって何が一番大事なんですか!?」

 先生の屁理屈のような、飄々ひょうひょうとした態度に苛立ちを覚えたのか生徒の言葉にやや怒気が混じる。

 先生は一度ため息をついて首を左右に振った。

「君は何か勘違いしておるが……、何が大事か? などというのは誰かに決められて、教えられてそれを盲信するものではないのじゃよ。魔法師にとって何が大事かなどと言うのは人によって様々じゃからのう」
「……」

「他の先生には他の先生が抱いている大事な事がある。一人一人のそれを聞き出して、自分なりに「分析」するのも自身の考え方を把握するいい勉強になるかも知れんのぉ」

 といってホッホッホと先生は笑った。

 分析、かぁ。

 僕にとって足りないのは…もちろん飛距離だ。
 それを補うにはどうしたらいいか…。
 相手を分析して懐に潜り込んで殴る?
 格闘術を学んで接近戦に持ち込む?
 そうなったらもはや魔法じゃなく鈍器やナックルで殴った方が…?

 先生の講義を聞きながら自己分析というか…色々な事を考えていたら授業の終わりを告げる鐘が鳴った。



 ・ ・ ・ ・ ・



「せ、先生!」

 先生が教室を出てからしばらく歩いた所で僕は声を掛けた。

 クラスの近くで先生と話しこんでいるのを見られるのが嫌だったからだ。

「君は……アルベルト君だったかね」

 振り返った先生が目を細めて柔らかに微笑んでくれる。

「は、はい! そうです…」
「どうしたのかね?」

「あの…先ほどの授業で、分析力という話がありましたが…」
「うむ」

「先生も知っての通り、僕は…魔法を飛ばす事が出来ません……」
「うむ…」

「自分なりに分析してみましたが身体を鍛えて接近戦で相手の懐に潜り込む、とかしか思いつかなくて…その…」
「うむ、うむ」

 上手く伝えられない僕に、先生は呆れる様子もなくニコニコと笑って頷いてくれる。

「どうしたら…いいんでしょうか…」
 言えた。
 相談出来た。

「そうじゃのう…」

 僕の言葉を受けて、先生はいつもの様に髭をさすりながら天井を見上げて思案に暮れる。
 しばらく考えを巡らせてから先生は僕の目を真っ直ぐ見つめた。

「ワシはそれでもいいとは思うのじゃがの」
「え?」

「魔法師が何も遠距離だけであると決められている訳でもない。近接専門の魔法師、ワシは面白いとは思うがの? しかもお主は四属性持ちじゃからの。近接攻撃が得意な四属性使いは前代未聞の存在じゃぞ」
「そ、そうですかね……」

 僕の考え付いた結論に先生が同意してくれた事に対して嬉しい半面、どこか落胆してしまった。
 先生なら、僕が考えもつかなかった素晴らしいアドバイスをくれるかもなんて勝手に思って期待していたから。
 僕の複雑な表情から心境を読み取ったのか、先生は眉を下げてしゅんとしてしまう。

「すまんのぉ…。アルベルト君が納得のいく答えが見つからなんだわ…」
「い、いえ! とんでもないです!! ありがとうございました!」

 僕は一礼をすると踵を返してその場を後にした。

「あ! アルベルト君…」
「先生、今宜しいですか?」

「うん? 君は…」


 先生に失礼な態度を取ってしまったな、と廊下を突き当たりまで進んでから振り返ると、先生は他のクラスの女生徒と言葉を交わしていた。
 僕みたいな不発に対しても優しい先生だしやっぱり人気あるよねと心中で結論付けて僕は教室へと戻る事にした。

 今日から。
 ううん、明日から筋力トレーニングを始めようと決意を胸に秘めて。

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