銀雷の死刑執行人

パピコ

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一巻

レオ・ノエル

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疲れた。そう感じたのはいつぶりだろうか。
奴隷になってから毎日のように人の首を刎ねてきたレオだが、ここまで連戦したのは人生の中でもそうない。
袋いっぱいに詰め込まれた魔石とドロップアイテムを運びながらふと考える。
ノエルとの約束は、明確な時間の指定までされていない。もしかしたら昨日と同じ時間かもしれないし、もう既に待っている可能性もある。
現在の時間は九時。太陽の角度と体内時計を照らし合わせ時間を測る。
「あ、おはよう」
「おはようノエル」
レオがギルドの扉を通ると、昨日と同じ席からノエルが声をかけた。初めて会った時のような冷ややかな態度は微塵も感じない。そのことに少し不思議に思いながらもレオは挨拶を返した。
「……なにその荷物」
レオの持っている大きな袋を見て訝しげな顔をするノエル。
「身分証の代金がまだ稼げていないからな。依頼は受けられなくても稼ぐことはできると聞いたから少し狩りに行っていた」
「それで一日中森に?」
「よく分かったな」
「その荷物を見ればね」
呆れているのか、ノエルはそれ以上追求しなかった。
「先にパーティ登録する」
「そうか」
レオは魔石の換金を後にして、ノエルについていく。パーティのリーダーはノエルになるため、レオは黙ってノエルに従う。
「依頼はこの三つ。パーティ登録の紙はこれ。ここに名前書いて」
テキパキと準備をするノエルに、レオは促されるまま紙に名前を記入していく。
「身分証はいらないのか?」
「身分証は必要ない。これで依頼を達成するとランクアップに近づく」
ノエルが即答したことで、レオが懸念していた問題はなくなった。
冒険者はその依頼の難易度や回数、成功頻度などを見られポイントを付けられていく。ギルド側が冒険者の実力を実績から判断し昇格や降格が言い渡される。
「今回の依頼は素材の納品か?」
「うん。今日は森の西側の魔物。魔物の質が変わるから用心して」
冒険者に出される依頼の多くは素材採取だ。魔物からしか取れない物の多くが依頼に出される。戦うことのできない人間などが冒険者を頼り依頼を出す。
魔物の討伐は最低でもDランク、四人一組での行動が基本だ。戦闘経験はもちろんのこと、逃走、採取、野営、様々な技術がなければ生き残れない。
命を賭けてまで魔物と戦う冒険者たちは馬鹿だと言える。だが人間の欲望というのはどこまでも底が知れない。一獲千金を夢見る者たちがやがて名を上げるのだ。そして英雄譚が生まれるたびに、憧れを抱く者も生まれる。
ノエルは一応と忠告を口にするが、その言葉には少しの諦めが含まれていた。まだレオとの探索は一度しか行なっていないが、ノエルの中でレオの評価は相応のものだった。
「とりあえずこの荷物を何とかしたい」
「中身、確認してもいい?」
「ああ、頼む」
魔石がぎっしり詰められた袋は、机の上で鈍い音を響かせた。協力して二人は魔石とドロップアイテムを分けていく。すると、「受けた依頼が一瞬で片付いた……」と、ノエルが顔を強張らせながら呟いた。
魔石と素材の仕分けが全て終わる頃には、ノエルは驚きで空いた口が塞がらない状態になっていた。
「他の依頼も一瞬で片付く」
掲示板に貼られている依頼と机に出された物を確認したノエルは、何度も確かめるが間違いは見当たらない。
受付で依頼の受諾と完了報告を同時に済ませるという奇行は直ぐに冒険者たちに広まり、終始ノエルは顔を青くしていた。掲示板にスペースができるということを、ノエルを含めた多くの冒険者が初めて目にした。
フェリシーも「やってしまった……」とこめかみを抑えるような仕草をとっていた。
「ノエル、今日はどうするんだ?」
ノエルが用意した依頼は一瞬でなくなり、二人は手持ち無沙汰となった。レオとしては金が稼げればいいため、この後の予定は特に決まっていない。ノエルは未だ考えをまとめているのか、うんうんと唸っている。
「思いがけない拾い物。冒険者という稼業は甘くない。なのに、なのに……」
レオとノエルの間には通常では考えられない額が入った袋がその口を閉じて静かに佇んでいた。
「私が一ヶ月掛けて稼ぐ額……」
袋の中身は二十万リラ。ノエルの泊まっている宿が飯代別で一月三万リラ。レオの場合は滞在許可申請料として一月五千リラ。装備や道具を揃えたとしても余る。二人で山分けすれば一人十万リラ。ノエルが頭を抱えるのも頷ける額だ。
レオはあまり驚いていないがそれは単に実感がないだけだ。金銭感覚が狂っているどころか、そもそも金銭を扱うことがなかったため、その感覚が身についていない。
「パーティ申請はした。今やるべきは、レオの身分証発行とランクアップ。これがとりあえず今すべきこと」
「分かった。まずは身分証の発行だな」
「そう」
今後の行動について考えがまとまった二人。ランクアップは長期的な目標のため、まずはできることを先に済ませてしまう。
レオはノエルを連れ立ってラルスのいる門へと向かう。
ムーア共和国の首都ムーアは、三つの門と外壁に囲まれた街でその壁は実に強固だ。魔物に襲撃されても大丈夫なように高く造られている。入口上部では常に兵士が見張りをし魔物の接近に注意を払っている。
だが、森から出てくる魔物は脅威と呼べるほどのものでは無い。壁が高く造られているのはもしものための保険と、魔物ではない脅威への対策だ。
ラルスは三つの門の内、東門にいる。ラルスと別れた時の言葉を思い出しながら、レオは東門を目指す。
「視線が煩いな」
街に入った時とは違った好奇の視線が周りから向けられる。その主は他の冒険者たちだ。Cランクと言えどノエルはその容姿から顔が知られている。そのノエルの横を歩く不気味な新入り冒険者。
初日はまだ冒険者にもなっておらず、見た目も酷かったことから衆目を集めていたが、今は値踏みするように見られている。
ただでさえレオは痩せ細っている。骨張った体は身長も高いため、不健康そうな見た目に拍車がかかる。背に抱える鎌も相まって、死神のような不気味さを醸し出している。
「レオ、気にしない」
レオにアドバイスをしたノエルは、一切気にする様子もなくスタスタと歩いていく。その姿にレオは感心した。
ノエルはこの整った容姿から、よく視線に晒され慣れている。これからノエルと行動を共にしていれば、今日のような視線に晒されることも増えていく。そう考えたレオは、周囲からの慣れない視線に順応することにした。。
侮蔑や嫌悪の視線には慣れているレオだったが、死刑執行人としての三百年の経験はここではあまり役に立っていない。
程なくして人通りもまばらになり始めた頃、東門が見えてくる。
「すまない、ラルスはいるか?」
「呼ぶか?」
「頼む」
レオが一人の兵士に声をかけると、すんなりと対応した兵士はラルスを呼んだ。ほとんど待つこともなく門横の待機場所からラルスが姿を現す。
「昨日ぶりだな。どうした?」
「正規の身分証を発行したいんだが」
「もう稼いだのか?」
訝しむラルスだがレオの後ろを見て口角を上げた。
「そうか。身分証の代金は十万リラだ」
「え!?」
ラルスの言葉を聞いてノエルが驚きの声を発する。
「ムーア共和国はそんなに高いの……?」
「どうした嬢ちゃん。そんなに高額だったか?」
「ムーアの相場は把握してないけど……」
「高いかどうかは知らないが、払うしかないだろう」
ノエルは自分の金銭感覚はそこまで貧しかっただろうかと頭を悩ませる。しかし相場を知らないレオは、それが当然なのだろうと信じ込み、硬貨を入れた袋を取り出した。
「これで足りるか?」
「おお、そうか……。払えんの!?」
少しの間を空けてラルスが目を開きながら間抜け面を晒す。
「要求したのはお前だろ」
「いや、そうだが……」
いまいち歯切れの悪いラルス。そんなラルスのことは放置して、レオは袋から十万リラを取り出した
「これでいいか?」
「いや、すまん。五千リラで十分だ。意地の悪いことをしちまった」
どうやら一日で戻ってきたレオを見て、女を金づるにするクズ男なのではないかと疑ったラルスは、正体を暴こうと考え正規の値段よりも明らかな高額を要求した。
もし払えなかったとしても冗談だと笑って誤魔化す算段だったようだが、レオが金を用意出来たことで悪い冗談になってしまった。
「悪気はなかったんだ」
「気にするな、騙し取られなかっただけマシだ」
「すまん。だが、ぼったくりには気をつけろよ」
ラルスの忠告を受けたレオは、正規の身分証を受け取り再びギルドに戻る。
身分証を無事に発行してもらったため、ギルドで再登録しなければならない。ただこちらは正規の身分証を見せるだけですぐに済むが。
「レオ、待ってたにゃ」
「なんだ?」
ギルドに戻るとフェリシーが満面の笑みでレオを迎えた。
「お前は中々の強者にゃ。とりあえずこっちに来るにゃ」
何の話だろうかと不思議に思うレオだが、招かれるまま奥に続く廊下に入っていく。
「あんたも来るにゃ」
「わ、私も?」
突然呼ばれたノエルはレオの後ろを怖々とついていく。
「そう言えばパーティ名は決めたかにゃ?」
道すがらフェリシーが聞いてくる。
「パーティ名?」
レオが後ろを振り返ると、話を振られると思っていなかったノエルがキョトンとしている。
「まだ」
「そうか」
「決まったら教えて欲しいにゃ」
フェリシーと二、三言葉を交わしている間に目的の部屋に着く。
「失礼しますにゃー」
言葉遣いからは想像もできない、丁寧な所作で扉を叩くフェリシー。中からの返事を聞くと静かに扉を開ける。
「失礼します……」
ノエルもフェリシーに習うように一声掛けてから入室する。
レオと言えば、怯えることも畏まることもなく無遠慮に入っていく。
「待っていた」
中に入ると、すぐに正面から歓迎の声が掛けられた。立ち上がりレオたちを見据える人物は、見た目三十代後半から四十代くらいの男だ。
「まあ掛けてくれ」
男に促され対面のソファに腰掛ける。ソファの座り心地と柔らかさに驚いたレオだったが、ノエルに脇を小突かれ姿勢を正す。
「私はムーアのギルドマスター。ダナー・ヘクトールだ」
「ノエリアです」
「レオだ」
ヘクトールと名乗った男は、黒と銀の混ざった髪を短く切り揃えている。瞳も銀色に近く、頬には傷の跡が残っている。
服で隠されている肉体はよく鍛えられている。袖から覗く、太く頑強な腕を見れば、ヘクトールが猛者だということは明らかだ。
「君たちは昨日パーティを組んだらしいな。パーティ結成初日に採取依頼を大量に受注、そして達成。そんな君たちの実力と実績を見込んで頼みがある」
「頼み?」
「ああ。実は大きな作戦がギルド主体で動いている。依頼主は国だ。どうも西の森の奥、山を一つ超えた先にあるところに魔物が発生したらしい。しかも、フォレストウルフの進化個体だという噂もある。我々にその討伐の依頼が出された」
レオたちが呼ばれた理由はこれだ。二人の実力を見込まれて頼まれたが、レオはフェリシーが「強者」と言った意味が漸く分かった。
「これはランクアップするのにやらなければいけないことか?」
「やらなければいけないわけではないが、ランクアップへの最短の道であることは確かだ」
「そうなのか。なら俺は受けても構わない」
「私も大丈夫。その依頼、受ける」
リーダーのノエルが了承したことで二人がこの作戦に参加することが決定した。
「そうか、ではこちらで手続きを済ませたら詳細を教える。フェリシー」
「はいですにゃ!」
呼ばれたフェリシーは、ビシッと返事をして部屋を出ていく。
「君たちのパーティランクはまだEだからな。特別にCランクまで上げさせてもらう。それとレオのランクもDに昇格しておく。但し、この作戦の後に失敗が続くようであれば降格もありえるから頑張ってくれ」
「いいのか。そんなに融通して」
「冒険者とはプライドが高い生き物だからな。考えても見ろ。自分たちが受ける大きな依頼をぽっと出の新人と組まされるなんて嫌だろ。それに比べお前たちは実績を残し力を示した。それに対する正当な評価だ。部隊の士気が下がってもらっては困るからな。どうだ、最短の道だっただろう?」
言いながら笑みを浮かべるヘクトール。今まで多くの冒険者を見てきた者としての苦労と経験が見て取れる。
「手続き完了しましたにゃ!」
戻ってきたフェリシーは元気に部屋の中へと入り、ビシッと敬礼を決める。
「手続き完了までが早すぎる気がするが、俺たちが来る前から準備していたのか?」
「そうだ」
悪戯の成功した悪餓鬼のような笑顔を浮かべるヘクトールは、ギルドマスターとしての実力も申し分ないものだった。
「二人に資料を渡してくれ」
フェリシーに渡された資料に目を通す。レオの隣でノエルも同じように資料に視線を落としているが、徐々にその表情が険しくなる。
資料は、今回の作戦の概要と地形の情報、共に参加する冒険者たちの名簿、そして報酬など細かい文字で埋め尽くされていた。頭の痛くなるような資料に、レオは辟易しながら読み終える。
「Aランクパーティも参加するの?」
「ああ。この街の最高位冒険者パーティだ。チームも組んでいる大きな集団でもある」
「チームというのは何だ?」
「チームっていうのはパーティの規模が大きくなった一つの組織。その組織内でパーティを組んだりして効率よく稼いでる」
レオの疑問にノエルはすかさず答えを示す。ヘクトールは説明しようとして開きかけた口を閉じ、ノエルの説明に耳を傾けている。
「つまり?」
「すごく大きいパーティ」
「なるほど……?」
ノエルの説明で半分は分かったような気がするレオ。奴隷内にあった派閥のようなものだろうかと納得したレオはもう一度資料に目を通す。
「急で悪いが作戦開始は明後日だ。それまでに準備してくれ。詳細は全てそれに書いてある」
ヘクトールはそう言うと部屋を出ていった。ギルドマスターも暇ではない。
資料を袋にしまい込んだレオ。隣ではノエルがまだ資料を睨みつけている。
「私の口添えのおかげにゃ。感謝しろにゃ!」
「ああ、ありがとう」
フェリシーと別れた二人は、またしてもいつもの席に戻ってきた。
「出発まで二日。急いで準備した方がいい。食料は発注だけして、受け取りは当日の朝。保存食が多め。レオは水筒も買う」
「そうか」
ノエルはペンを取り出すと資料の余白部分に書き込んでいく。これからやらなければいけないことや用意しなければいけない物のリストだ。
「それは買えるのか?」
「余裕。二人分でも五万リラ以内で収められる。今回の作戦は想定で十日間。ギルドからの支援要員もいるから私たちの出費も多くはない」
「ギルドが支援を出しているのか?」
「この作戦の主体はギルドで、他のチームやパーティは依頼されただけにすぎない。それなりの援助も報酬も出るから指名依頼だし、何よりも危険。進化個体の魔物は、並みの冒険者じゃ歯が立たない」
進化個体とは、同種の魔石を喰らい進化した種。別の魔物と言っていいほどの性能の変化と、仲間を統率するという行動を取ることから、冒険者たちからは嫌われている。気づけいた時には自分たちが狩られる側だった、というのはよく聞く話だ。
さらに今回の標的はフォレストウルフ。狼に近い姿で、魔物の中では珍しい同種での群体行動をする。知能が高くなった進化個体は、群れを統率するリーダーとして、仲間の中に化成種を増やし戦力の増強を図る。
すらすらと紙にメモをしていくノエル。レオは特にやることもなく、ノエルの作業が終わるのをじっと待つ。
「今日の所は準備に時間を充てる。レオはどうする?」
「ノエルについて行く。荷物持ちにでも使ってくれ」
「分かった」
その後二人は、荷物にならない程度で必需品を買い込んだ。機動力を落としては意味がないため本当に必要最低限だ。天幕や食料はギルドからの援助で賄われるため非常用のみに済ませている。
ぶらぶらと街を歩いているつもりのレオだったが、ノエルは広い街の中を効率的に回っていた。それでもかなり時間がかかり、東の空には薄い月が登っていた。太陽も沈み切っていないのに現れた月に、レオはせっかちなやつだと笑う。
「レオ。宿は決まってる?」
「宿か。まだだな」
空を見上げていたレオは声をかけられ視線を戻す。
探索に必要な物をほとんど準備し終えた頃、ノエルはふと疑問に思いそう聞いた。初めて会った時のレオは明らかに金を持っている見た目ではなかった。その次の日は夜通し森に篭っていたことが分かっているため、ノエルは「もしかして」と思ったのだ。
「いい宿紹介してあげる」
「それは助かる」
その場で返したレオだが、宿など一度も泊まったことがない。初日は金もなく、そもそも金の払い方、宿の泊まり方を知らないレオは、野宿を考えていた。
しかし、金銭的に余裕が出てきた今では、いつまでも野宿というわけにもいかない。ノエルの話にうまく乗っかり宿を紹介してもらう。
「私の泊まってるとこ、安くてご飯も美味しい」
そう言ってノエルはレオを案内する。ノエルが泊まっている宿は「春暮(はるぐれ)」という、大きな通りに面している有名な店だ。
ノエルの言っていたように値段やご飯も売りで、清潔で防犯面もしっかりとしている。女性冒険者や旅人からの人気が熱い。
「お帰りなさいませ。そちらの方は?」
「この人にも一部屋貸して欲しい」
店に入れば、綺麗な服装で丁寧な言葉遣いの男性が出迎えた。
一階は食堂と受付が合体した造りで、二階から客室になっている。
「かしこまりました。お部屋はノエルさんの隣でよかったですか?」
「うん。ありがとう」
「少々お待ちください」
人当たりのいい店員はそう言って、受付後ろの部屋へと入っていく。一分もしないうちに戻ってきた店員の手には鍵が握られていた。
「何泊されます?」

「とりあえず三日」
「かしこまりました。三日で三千リラになります」
 レオが小袋を取り出そうとモタモタしていると、ノエルがさっと立て替えてしまった。
「はい。こちらがお部屋の鍵です」
鍵を受け取ったレオたちは、まず荷物を置こうと二階へと上がった。レオの部屋とノエルの部屋は隣どうしですぐに行き来できる距離だ。
「すまん。部屋に行ったら払う」
 頭を下げるレオに、ノエルは軽く頷くだけで返事とした。
「レオ。襲ってきたら魔法で消しとばすから。気をつけてね」
「大丈夫だ」
それはどっちの意味の大丈夫なのか。レオの返事を受け取ったノエルは自室の部屋に入っていく。レオも同じように、自分の部屋の扉を開けた。
「思ったよりも広いな」
部屋の中を見回したレオは、部屋の隅に荷物を降ろし柔らなかなベッドに腰掛けた。
「これが宿か」
初めて入った宿の想像以上の心地よさに落ち着かないレオ。そわそわと視線を巡らせていると、部屋の扉が叩かれる。
「レオ」
「入っていいぞ」
ノエルがゆっくりと扉を開け中に入ってくる。
「水浴びしに行こう」
「そうだな。だが川なんか近くにはなかったぞ?」
「裏に水汲み場がある」
「そうか」
ノエルに連れられ、宿の裏手にある水汲み場へとやってくる。
「ここが水汲み場。桶と個室は自由に使って大丈夫だから。井戸からも汲んでいい」
ノエルは手近な桶に魔法で水を溜め、そこに魔法で小さな火をゆっくり入れていくお湯が沸いたら準備完了だ。
「魔法は便利だな」
ノエルの手際の良さを眺めていたレオは感心し言葉を漏らす。
「やってみる?」
「俺でも出来るのか?」
「適性があれば」
ノエルはそう言って、魔法の基礎的な理論と一番簡単な魔法をレオに教えた。水の初級魔法と火の初級魔法だ。
ノエルが使った火の初級魔法はファイアーボールの縮小版。小さな火球を水に沈めて湯を沸かす。攻撃目的で使用される魔法だが、威力を調節することで、こうして便利に使うことができる。
「ファイアーボール」
レオが詠唱をすると、掌に人の頭ほどの火球が現れる。
「魔力を抑えて」
レオは徐々に使う魔力の量を減らしていく。すると火球もそれに合わせて小さくなる。
 流す魔力の量によって魔法の威力が調節できることを、レオは初めて知り嘆息を漏らす。
大きな魔法ほど消費魔力が大きく、逆に小さな魔法に必要以上の魔力を流すと暴発することもあるため注意が必要だと、ノエルは釘を刺した。
ファイアーボールに超威力の魔力を流すと、手元で爆発し最悪の場合は術者が死ぬ。レオならば自爆覚悟で使えるかもしれないが。
水の魔法も教わったレオはその場でお湯を作ってみる。
水を魔法で生成し桶に貯める。ファイアーボールで同じようにお湯に変えれば完成だ。
「ここで水浴びできる。それから、あの個室を使えるけど、中からしっかり鍵かけないと開けられるから気をつけて」
「分かった」
宿の裏にはトイレと水浴びができる個室空間が設置されていた。壁で仕切られた空間は外からは見えず全裸になっても問題ない造りになっている。
ノエルの忠告通り、レオは内側から鍵をかける。隣はノエルが使っているため水の音が聞こえてくる。
「さっきの魔法を使えば水を汲み直しに出る必要が無いのか」
ノエルが水と火の魔法を教えた意図を理解し、お湯をどんどん作っていく。水汲み場は個室の外にあるため、毎回汲みに行くのは面倒だ。
森の探索では水浴びできる機会が少ない。団体で行動するため周りの目もあるし、拠点を作るまでは急な移動や戦闘もあるため、それまではほぼ余裕がない。出発前にしっかりと体を清潔にしておく必要がある。
ノエルおすすめの石鹸でしっかりと体を洗っていく。体の垢がどんどんと落ちていき、頭もしっかりと洗う。すっきりとした感覚に、レオは若い頃の瑞々しい髪に戻った気がした。
最後に手拭いで水気を取って着替える。何着か買い揃えていたため、そちらに着替える。シンプルなシャツ一枚に腰履き。だが奴隷の頃よりも圧倒的に素晴らしい着心地に、レオは満足げに頷いた。
慣れたとは言っても、汚いのが好きなわけではないレオ。これからはノエルと行動を共にすることも考え、今までのような見窄らしい格好はなるべく避けたい。ノエルの顔に泥を塗らないためにも。
お互いに水浴びを終え外に出ると、風が火照った体を気持ちよく冷ましていく。
部屋に戻ると、ノエルが風の魔法でレオの髪を乾かしていく。
「まだ濡れてる」
 ノエルは、動くレオの頭を押さえつけ髪を風に揺らす。
濡れた手拭いでは、拭き取れる水気にも限界がある。
「綺麗な黒髪だね」
「そうか? 俺はあまり好きじゃないな」
「サラサラしてるし、ちょっとずるい」
「ノエルの石鹸のお陰じゃないか?」
レオは同じ石鹸を使っているノエルの髪を褒める。ノエルの髪も指を梳かせばサラサラと流れていく。
「それは嬉しい」
素直に受け取ったノエルは、手を止めることなく器用にレオの髪を乾かす。
「もう乾いたんじゃないか?」
「うん。終わり」
レオの髪を弄っていたノエルは手を止めるとベッドへ飛び込んだ。自分のベッドに飛び込まれたレオだが、特に気にした様子はない。
「レオは不思議。昨日会ったばかりなのに初めて会った気がしない」
 ノエルはそう言ったが、レオは間に受け記憶を少し遡る。しかしシンザンでノエルのような人間を見かけた記憶はなく困惑する。
「会ったことはないよ。そんな気がするだけ」
「そういうことか」
比喩をまともに受け取ったレオはそう言われ納得した。
ノエルはまだ若い。もし本当に出会っていたとしてもそれは前世の話だ。もっともレオの場合は前世ではない可能性が高いが。
「前世というものがあるのなら、可能性はあるかもな」
「前世……。面白い考えだね。私のお爺ちゃんもそういう話が好きだった。もしかしてお爺ちゃん?」
「何故そうなる」
お爺ちゃんと言っても差し支えない年齢ではあるが、ノエルのお爺ちゃんではない。そもそもレオに子孫はいない。
「祖父か。ノエルの祖父はどんな人間なんだ?」
「すごい魔法使い。きっとレオでも敵わないくらい強い」
「ほう?」
ノエルの挑戦的な言い方に、レオは興味が湧いた。
「とっても強かった、私の目標」
「そうなのか」
「うん。お爺ちゃんも全属性使える魔法使いで、私の中では一番の魔法使い」
「ノエルはそこに届きそうか?」
レオはどんどんと質問を繰り出す。奴隷時代からの癖で、ついつい人の話に食い込んでしまうレオ。地下牢ではやることなどなく、暇つぶしと言えば外から来た人間に話を聞くくらいしかなかった。
「私はまだまだ。上級以上の魔法を全属性で使えるようになって、スタートライン」
「まだスタートラインじゃないのか?」
「レオは魔法についてどれくらい知識がある?」
「ほとんどない」
レオが真の理から聞いたことは、この世界の始まりと一人の神について。現世の知識についてはからっきしで、魔法のことなど知る由もなかった。
「少しだけ話してもいい?」
「存分に話してくれ。人の話を聞くのは面白い」
レオの了承を得たノエルは魔法について、授業をするかのように話し始めた。
魔法の基礎知識として属性の数。火、水、風、土、光、闇、無の七属性の魔法。そして魔法の階級が一等級から十等級まであり、一から三が初級、四から六が中級、七から九が上級と大雑把に区切られている。十等級は一人の人間では、理論的に発動できないと言われている。
等級が上がる毎に消費する魔力の量が増えていき、詠唱も長くなる。その分高威力の魔法が打てるため、殲滅戦などでは多くの魔法使いが重宝される。
さらに魔法は日夜研究され、日々新たな魔法が生まれている。そのため魔法の種類は無限に存在する。
「上級魔法の多くは初級魔法を強くしようとして生まれたもの。だから基本の初級魔法を疎かにする魔法使いは良くない」
「そうなのか」
「だから、レオも魔法を覚える時は基本を大事にして」
「分かった」
レオはすっかりノエルの話に夢中になっていた。今まで魔法を使ったこともなく、魔法の知識すらなかったレオは、確実に話に引き込まれ、魔法に興味を持っていた。
「ノエルは他にどんな魔法が使えるんだ?」
水浴び、そして部屋で見た風の魔法。全属性使えるノエルにとっては、どれも朝飯前の初級魔法だ。
「室内で使えるのは、ちょっと待ってて」
ノエルはそう言って部屋の明かりを落とす。窓は閉め切られているため部屋の中は真っ暗だ。
「ライト」
「おお!」
ノエルが魔法を唱えると、拳よりも少し小さい光の玉が現れた。二人の頭上に浮かぶ光球は、部屋全体を淡く照らす。
「洞窟とかで役に立つ。暗い夜道でも使える」
「魔法というのは本当に便利だな」
「うん。魔法の始まりは生活のためだって、お爺ちゃんが言ってた」
「そうなのか?」
「うん。魔法を広めた人は最初、生活を豊かにする道具として広めたの。でもいつからか戦いのための道具になった。たしか、魔法が世界中に広まり始めたのが三百年近く前」
「そんなに昔なのか」
ノエルの話を聞いたレオは一昔前の記憶を掘り出す。たしかに、レオが奴隷としてまだ成熟していない頃はそんな話を聞いた覚えはなかった。
ただ記憶が曖昧なだけかもしれないが、つまらない牢屋生活で、魔法という面白い話をレオが覚えていないはずがない。
「魔法の本来の使い方か。水浴びの時はたしかに便利だったな」
「うん。私も戦うためじゃない魔法を見つけたい。今はまだ難しいけど」
「優しいんだな」
「そんなことない」
突然褒められたことに、ノエルは少しだけ恥ずかしくなり顔を背ける。
「この世界はそう綺麗にはできていない。優しい心を持った人間というのは珍しい」
「レオは大変な人生だったの?」
「まあ、それなりに」
「でも私とそこまで年齢は違わない。まだまだこれから」
「はは。そうだな」
レオはそう返しながら苦笑いをした。ノエルはまだ、レオが不死身だということを知らない。
「レオの家族の話を聞かせて。私ばかりは不公平」
「そうだな。それなら姉の話でもするか?」
「うん」
レオは淡々と、まるで他人事のように昔の家族のことを話し出した。

レオはとある施設で働きながら暮らしていた。子供にとっては重労働だが、それでも日々を生きるために必死に働いていた。
レオには一人の姉がいた。それは血の繋がった姉弟ではなかったが、その少女はレオのことを本当の弟のように可愛がった。レオも、その少女以外に家族はいないと思っていた。
その少女の名前はサラ。赤い髪に垢抜けない笑顔。仕事で汚れた顔は、サラが活発な少女だということをよく表している。
サラはよくレオを連れまわした。と言っても行動範囲は限られているが、それでもサラはレオを楽しませようと、あれこれと工夫した。
レオもそれが楽しいと感じていた。片時も離れなかった二人は、周囲からも本当の姉弟のように思われていた。
だが、そんな楽しい時間は長くは続かない。
レオが七歳の時だ。サラは突然いなくなってしまった。何の前触れもなく居なくなってしまった。少なくとも、幼かったレオに事情を知る術はなかった。
それから数年。レオはその施設を出ることができ旅に出た。

レオは話し終えすっと息を吐く。どこかおかしなところはないかと慎重に話していたレオだったが、ノエルが何かに気づいた様子はない。
完全な嘘ではない、少しの真実が混じった作り話。姉がいたことも施設に入っていたことも嘘ではない。出てきたのだってつい最近の話だ。ただ、奴隷である、不死身である、囚われていたという真実を伏せただけの話。
かなり脚色された過去話だったが、ノエルは何を感じ取ったのか。それが気になったレオはノエルの表情を伺う。
「レオはお姉さんを探してるの?」
「いや。どこにいるのかも分からない人間を探すのは無理だ。せめて、姉が教えてくれた外の世界を楽しもうと思ってるよ」
レオは我ながらよくできた作り話だと、心の中で得意になる。しかし同時に、ノエルを騙しているという罪悪感にも駆られる。
だがレオはまだ、本当のことを話せるほどノエルに信頼を置いていない。
「私のお爺ちゃんは、私に礼儀を教えてくれた。今はもういないけど、私の中の大切な教え。レオにも教えて上げる」
「うん」
一呼吸ついたノエルは、
「人を思える人間は人に思われる。人を恨む人間は人に恨まれる。だが、人に恨まれたからと言って、その人を恨んではいけない。寛大な心を持て」
下手くそなモノマネをしながらそう言った。威厳も貫禄も一切感じられないノエルに、レオは思わず吹き出してしまった。
「笑うな」
「すまない。似ているかどうかは分からないが、今のは面白かったぞ」
「むー。良い話なのに」
不機嫌を顕にむくれるノエルに、レオはまだ笑いを堪えている。
「こうして笑ったのは久しぶりだ。少し顔が痛いくらいだ」
「うん。それは良かった」
ノエルは、聞いてはいけないことを聞いたかな、と不安に思っていたが、レオが笑っているのを見て少しだけ安心したような顔をする。
誰にだって触れられたくない過去はある。そこに安易に踏み込んでしまったかもしれないという罪悪感が、ノエルをこう動かした。
「ノエルは全く姉に似てないな」
「レオのお姉さんの話、もっと聞いてもいい?」
「そうだな。でも結局姉がどこの誰なのかは知らないままだ。いつも俺が連れまわされてたし、姉が自分のことを話すこともなかったからな」
「そうなんだ。でも、レオがお姉さんのことを思っていれば、いつかきっと会えるよ。ねえ、他にも別の話――」

それからどれだけ二人は話をしていたのか。気づけば外は完全に夜になり、街は冒険者たちの宴で賑わっていた。
レオの人となりを探ろうとノエルは会話を始めたが、いつのまにか会話に夢中になっていた。レオも自分のことを聞かれたのは初めてで、真実だけは隠しながら束の間の会話を楽しんだ。
「レオ。指名依頼なんて初めて。お互い頑張ろう」
「ああ。援護は任せた」
「任せて」
遠征はすぐに始まる。準備をした二人は最終打ち合わせを済ませ、進化個体討伐へ向け覚悟を決めた。
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