銀雷の死刑執行人

パピコ

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一巻

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道すがら何かアクシデントに見舞われることもなく、二人は無事にカンディスに着くことができた。
「ここまでありがとう」
「礼を言うのは俺の方だぜ。色んな話が聞けて楽しかった!」
「ありがとう。元気でな」
街に入ってからすぐ、二人はお礼を言いながら商人の男性と別れた。
「優しい人でよかった」
「そうだな」
小さくなっていく商人の背中を見ながら、レオたちも自分たちのやるべきことへと動き出す。
「この後はどうする?」
「とりあえず宿を取ろう」
商人の姿が完全に見えなくなった頃にレオたちも行動を起こした。
まずは宿の確保だ。この街には長く滞在しない予定の二人だが、四日も野宿だったためしっかりとベッドで休み、体力気力共に回復させる必要がある。
街の地図など持っていない二人はなんとなくの方向に進んでいく。ギルドで話を聞けばいい情報が入るかもしれないと、レオたちはまずギルドを探した。
カンディスの雰囲気はムーア共和国と違い、どこか空気が詰まっているように感じる。
「どう言った御用でしょうか」
ギルドを見つけた二人は、中に入り受付に向かった。ギルドはムーアよりも小さく、中も手狭になっている。街と同じように、ギルドもあまり活気づいていない。
「宿を探してる。どこか安くていい宿はない?」
「宿ですか。でしたら妖精亭はどうでしょうか。ギルドを出て左に行きますと見えてきますので、宜しかったらご利用ください。エルフの方がやっているお店で、女性の方に人気の高い宿なんです」
「ありがとう」
受付には柔らかな笑みを浮かべる男が立っており、丁寧な口調でノエルたちに対応した。猫人受付との違いにレオは軽く驚く。
レオは二人のやり取りを流し見しながらギルドの中へと視線を移す。
カンディスにいる冒険者の質は高くない。依頼の数が少なく、高ランクの依頼もない。カンディスの周辺には強力な魔物が湧かないため、冒険者たちは安全に狩りができる。
「レオ、行くよ」
「ああ」
ノエルに呼ばれたレオは視線を戻す。何人かが二人に目線を向けているが、レオたちに興味を示している様子はなかった。
ギルドを出てから少ししたところで、レオは街の雰囲気が暗い理由に気がついた。
カンディスには元気がない。街で問題を起こすのは、大抵冒険者かそれに似た類の者たちだ。しかし、街を活性化させているのもまた冒険者だ。
冒険者という存在の需要が低いため冒険者の数が減る。冒険者を呼び込みたい宿や酒場の数が少なくなり、街の人間はこの時間帯、まず出歩かない。
「明日は食料を買って、それから出発?」
「それでいい。ミュール帝国までは徒歩で三日だったか」
ノエルはレオの返事に頷くと宿を見つけ指をさす。
「妖精亭あったよ」
ノエルの見ている先には煉瓦造りの建物があり、煉瓦の特徴的な赤色が夜の明かりに映えている。証明に照らされた看板には大きな文字で「妖精亭」と書かれている。
「いらっしゃいませ!」
「二人で一部屋」
「畏まりました」
恭しく礼をした受付に代金を払うノエル。
「こちらお部屋の鍵です。夜はしっかりと鍵をかけてから就寝してください。それではごゆっくりどうぞ」
受付から鍵を受け取ったノエルはそのまま部屋に向かおうとするが、それをレオが止める。
「二人で一部屋と言ったか?」
「うん」
「それは、いいのか? ノエルだって気にするところはあるだろう」
「問題ない。それにレオは私に興味が無い」
「は?」
ノエルの断言するような言い方に、レオは間の抜けた声を出す。
「自慢じゃないけど私は可愛い方。でも、レオは出会ってから一度も変な視線を向けてこなかった。それに、大型作戦で十日間も同じ空間で生活してきた。今更気にするようなことじゃない」
前半の物凄い自慢に目を細めるレオだが、あながち間違ってないため否定出来ない。
ノエルは整った容姿をしているため、男に言い寄られることがよくある。そんな人間を多く見てきたお陰で目は鍛えられている。下心を持っていれば、ノエルはすぐに気づく。
そして、レオ自身もノエルに絶対に靡くことはないと確信している。
レオは見た目二十代で止まっている。十九歳の時に成長も老化も止まってしまったが、実年齢は三百歳。年の差がありすぎるのだ。レオから見ればノエルは若すぎる。
生まれてから一度も恋という感情を抱いたことのないレオには、関係のない話だった。
睡眠欲、食欲、性欲。どれも三百年の間に枯れ果ててしまった。そもそもレオが恋をしたとして、絶対に相手の方が先に死んでしまう。いつからかレオは愛という感情を忘れてしまった。
そんなレオだが一応の常識、倫理観は兼ね備えている。
「まあ、確かにノエルに下心を抱いたことはないが……」
「それはそれで少しムカつく」
レオはノエルの言い分に納得してしまった。
ムスッとした表情をするノエルは小動物のように愛らしい。だが、レオにとってはまんま小動物と接している感覚に近い。
そこにあるのは男女間に発生するような感情ではなく、お互いに気の置けない仲間としてのものだ。
「レオは手を出してこない?」
「勿論だ。それと無理しなくてもいいんだぞ。俺なら外でも十分に寝られる」
「大丈夫! 部屋はもう取っちゃったから。それに二部屋借りたら代金が勿体ない。まだ移動は続くから無駄遣いは避けたい」
ノエルはそう言ってレオと共に部屋へ向かっていく。ノエルの持つ鍵には、部屋番号が書かれた札が着いている。二の札を見て部屋を探す。壁に部屋番号が書かれた板があり、それに従って廊下を進んでいく。
ノエルたちの部屋は三階にあり、二人で過ごすには十分な広さがあった。
「いい部屋だな」
「うん」
夕食は宿の一階にある食堂で済ませる。二人が卓に着くと、数人が視線が向けた。視線の元を辿れば他の冒険者たちだ。
周囲を確認したレオは、たしかに女性客が多いのを感じる。男性冒険者もいるが、率で言えば三割ほどだ。
「本当に同じ部屋で良かったのか?」
周りの男性客の少なさに少し場違い感を覚えたレオは、再度提案するがノエルに素気無く却下される。
「見てないところで何か問題を起こされるよりマシ。それにレオは勝手にいなくなるから」
ノエルの言い分も分からなくないレオだが、子供のような扱いに異議を申し立てる。
ノエルとの会話もそこそこに、温かな料理が二人の元に運ばれてくる。野菜中心の料理だが、主菜には兎の肉が使われている。野菜と兎の肉を煮込んだ料理からは、湯気が立ち上り食欲を唆る。
「食べよう」
ノエルが両手を組んだのに合わせてレオも手を組む。食事の前には神への祈りを捧げるのだ。
解放者となり、価値観が変わったレオは祈るべき相手がいないのだが、長年で染み付いた習慣でつい祈ってしまう。
「美味しい」
「美味いな」
祈りを終えた二人はスープから手をつける。スープは野菜が柔らかく、口に入れた瞬間に溶けるようになくなった。それでいて芯の食感が残っていて、しっかりとした噛みごたえもある。
肉の方はどうだろうと、レオは一口サイズの兎肉をスプーンで掬う。
「っ⁉︎」
驚きと共に肉の旨味に一瞬で口の中を支配された。口内に広がる肉の風味と僅かな香辛料の香り。肉の臭みを香辛料で誤魔化すのではなく、香辛料の匂いと調和させた見事な料理だった。
レオは今までで味わったことのない感動に硬直した。
「レオ?」
「はっ⁉︎」
飛びかけていた意識がノエルによって引き戻される。
「すまん、ぼーっとしてた」
「魂が抜けたみたいになってた」
ノエルの表現はあながち間違ってはいなかった。
レオはこの料理一つで天に召されそうになっていた。美味いものを食べて死ねるのならそれもいいかもしれないとレオは考えたが、すぐに自分が不死身だということを思い出した。
その後もレオは初めて味わう様々な料理に舌鼓を打った。
「レオ、明日は午前中までに出発しよう」
食事を終えた二人は部屋に戻り明日の予定を立てていた。
「そうだな。徒歩で三日、馬だと一日半。食料は三日分買うとして馬はどうする?」
「もし乗せてくれそうな人がいたら乗せてもらおう。ギルドで依頼を探すのもあり」
来た時と同じように行商人に同乗させてもらうのも一つの手だが、ノエルが言ったように依頼として馬を獲得することもできる。あとは乗り合い馬車を利用する方法だ。
馬車かどうかは翌日になってみないと分からないが、徒歩だった場合の想定で準備を進める二人。
ノエルは野宿の経験がかなりあり、野草料理や野生動物の確保は得意だ。森の木を利用して即席のテントを作ることも可能だ。そしてレオは食料も寝る場所もこだわりのない元奴隷。レオ自身は雨さえ凌げればどんなところでも構わないとすら思っている。
「じゃあ明日、依頼と乗合馬車を探そう」
「ああ」
「おやすみ」
二人はそれぞれのベッドに潜り込んだ。野宿になれば柔らかい布団での十分な睡眠は取れない。見張りの必要のない宿の一室で二人は眠りについた。


「開店だよ!」
ノエルはその元気な声で目を覚ました。部屋の窓を開け外を見ると、夜には重かった雰囲気の通りが人で賑わっていた。街の中央広場に繋がる大通りには所狭しと出店が並んでいる。
天幕を利用した簡易的なテントには食料品がずらりと並んでいる。青々とした野菜は新鮮で、瑞々しく輝いている。
「レオ……。寝てるし」
ノエルが振り返ると、隣のベッドには未だに目を覚ます様子のないレオが寝息を立てている。
ふと、好奇心からレオの顔を覗き込む。近づいても起きる気配の全くないレオ。試しにと思い頬をつつく。
プニプニ……。
「柔らかい」
意外にも柔らかい触り心地に手が止まらないノエル。改めてしっかりと顔を見るのはこれが初めてかもしれないと、レオの顔をよく観察する。
まつ毛は長く目鼻立も整っている。客観的に見れば美形と言えるだろう。伸びた前髪を指で払うと顔が見やすくなる。
「あー、どういう状況だ?」
と、ノエルが髪を避けたところでレオの目がパチリと開く。
「おはよう」
目を覚ましたレオの視界にはノエルがいる。何か用でもあるのかとレオは体を起こす。
「レオが起きないから」
「ああ、そうか。すまない」
ノエルに指摘されてことで久しぶりに熟睡できたことと、少し気が緩んでいたことに気がつく。死なないという体質のせいで、警戒心が薄れている。見張りが必要ないとはいえ、寝ている間も警戒を怠ってはいけないと、レオは自分を戒めた。
「なんだ、これ?」
ベッドから起き上がったレオは外の光景を見て呟きを零す。そこには、レオの想像もつかない光景が広がっている。街の人間は朝市を目的に通りを散策している。昨日までの重い空気が嘘のように街は活気づいていた。
先にこの景色を見ていたノエルは、レオが驚くのを見て笑っている。
「そういうことか」
レオは納得がいった。カンディスは冒険者がいなく、活気のない街などではなかったのだ。
夜は次の日に向けて早く寝る。冒険者の数も少なく夜は静か。その代わりに、この街は朝からが活発なのだ。
「こういう街もあるんだな」
レオはまだ二つの街しか見ていないが、少しだけミュール帝国に行くのが楽しみになっっていた。
「レオ、朝市なら食料も安く買えるかも。行こ」
「そうだな」
ノエルに従いお互いに準備を始める。移動用の装備ではなく普段用の服だ。レオは腰に短剣を佩く。冒険者のいない街であの大きな鎌は目立ちすぎる。
着替えを済ませた頃にはノエルも準備を終わらせていた。十日間も同じ空間で過ごした経験はこんなところでも生きてくる。着替えのスペースが限られている中でどう着替えるか。
初めの頃はノエルが気にしていたが、最近はそんなこともない。羞恥心とは慣れてしまえば感じないものだ。
街の外に出れば先ほどの熱気が直接肌で感じられる。すれ違う人たちは、皆嬉しそうに袋や物を抱えている。喧騒に紛れてお使いを頼まれたであろう子供が、菓子類を片手に笑い合っている声が聞こえる。
ふと、微笑ましい風景の中に自分のような罪人は似合わないのではないかと考えるレオ。そんなレオの右手が握られた。
「どうした?」
「迷子防止」
「……せめて左手にしてくれ」
「分かった」
利き手の右手は常に空けておかなければ不足の事態に陥った時に対応が遅れる。ノエルは右手でしっかりとレオを捕まえている。これでは本当にレオが子供のようだ。
大通りを行く人々と何度もすれ違った頃、街の中央広場に到達した。
「賑わってるね」
「ああ、売り切れる前に買ってしまおう」
レオたちの目的は旅に持っていく食料の確保だ。保存の効く燻製の物があればいい。堅パンがあれば楽でいい。道中、獣を狩って食料を調達することもあるが、それ頼みになってしまうと獲れなかった時が辛い。レオはともかくノエルはしっかりと食べなければ死んでしまう。
パン類を取り扱っている店は見当たらない。代わりに魔道具を売っている爺さんが二人に話しかけてきた。見た目は完全に爺さんだが、レオよりは年下だ。
「そこのお嬢さん、お兄さん。儂の魔道具見ていかんか?」
「面白そう」
魔道具に興味を持ったノエルが店の前で立ち止まる。何が面白いのかレオには分からないが、ノエルと爺さんは話し始め、次第に盛り上がっていく。
「ノエル。売り切れてしまうぞ」
「ごめんお爺さん。また」
「そうかそうか。まあ気が向いたら来たらいい」
レオはノエルの手を引いて歩き出す。人混みを掻き分けながら進むレオに、ノエルは遅れないようにぴったりとくっつく。
野菜に肉、食べ物だけでなくアクセサリーや衣服まで。広場で販売されている物は多岐にわたる。
何軒かの店を回り食料を買い込む二人。三日分の食料となると思ったよりも嵩張り、レオは持ってきた袋を抱えて歩く。抱えるといっても前が見えなくなるほどの量では無いが。
隣を歩くレオは両手が塞がっているため、ノエルは服の端をつまんで歩く。
「この後はどうするんだ?」
本来であれば買い物はもう少し遅い時間に始め、午前中にこの街を離れる予定だった。
しかし、朝市のおかげで早い時間に必要な物の殆どを買い揃えることができた。見た目の混雑ほど時間がかからなかったため、出発の予定時刻まではかなりある。
「馬車の時間を確認して一番早いので行こう」
乗合馬車は定期的に出ている。天候や道の状況によって出ていないこともあるが今日の天気を見る限りは大丈夫だろうとノエルは上を確認した。
二人は荷物を纏めて宿から去る。大きな荷物を背負い、店主のエルフに軽く挨拶をすると、華やかな笑顔で送られた。
乗合馬車は街の北と南に乗り場が設置されている。レオたちはミュール帝国へ向かうため北の入り口に向かった。
「人、結構いるね」
街の北口には数人の人集りが出来ていた。中には冒険者の様な格好の者もいる。乗合馬車を利用する客か、それとも護衛を依頼されたかのどちらかだ。
「時間、確認するか」
乗合馬車を経営している建物の中には簡易的な時刻表が貼ってある。ミュール帝国へ向かう馬車の時間だけでなく他の国への物もある。
レオたちが今回利用するのは、大手輸送商会の馬車だ。世界中に繋がりを持っている商会、カイリオン商会だ。
商会の頭首であるカリオット・カイリオンはミュール帝国から爵位を賜った貴族である。その貴族が運営する商会は世界中に名が知れ渡っている。
目当ての時刻表を見つけた二人は、まだ席に空きがあることを知り、すぐに手続きを済ませた。
ミュール帝国に向かう馬車は、荷を運ぶものも含めて全部で四台。護衛の冒険者がそれぞれの馬車につくため、移動中は何があっても大抵のことに対応ができる。
「ノエル、夜は三時間交代で大丈夫か?」
「問題ない」
馬車が出発するまではおよそ三十分。それまでは荷物の確認や手入れを行い時間を潰す。待合所にぞろぞろと人が増え始めたのは、それなりに時間が経った頃だった。
「お待たせいたしました。御者統括を担当させていただくシイカと申します。ご自分の札と
同じ札の馬車に乗っていただきますので、我々の指示に従ってください」
丁寧な口調に綺麗な身なり。それなりに稼いでいるだろう格好の紳士然としたシイカが、客たちを先導し馬車へと連れて行く。
「レオ、行くよ」
レオは出していた短剣を鞘に収め、ノエルの後に続いて馬車に乗り込んだ。雨避けの天幕のついた馬車の中は広くない。それでも落ち着いて座れるだけのスペースはあるのだから文句は言えない。移動中は特にすることもないため座るだけのスペースで十分だ。
馬車に設置された席は向かい合う様に二列になっている。隣に座るノエルの肩が、馬車が揺れるのに連動するように跳ねている。
綺麗な白銀色の髪に蒼の瞳。覗き込めば吸い込まれそうになる目は、何を見ているのか。何を考えているのか。肩越しに見える唇は柔らかく淡い色で艶やかだ。肌は銀髪に劣らないくらい白く綺麗だ。
レオはノエルに気づかれる前に視線を外した。


「はわぁ……」
「よく眠れたか?」
「うん。ありがと」
日が傾き始め、そろそろ夕方に入るという頃。ノエルは欠伸をしながら目を覚ました。まだはっきりしない頭を起こすように顔を振る。すると、ゆっくりと馬車が止まった。
「今日はこの辺りで野営をします。長旅ご苦労様でした。明日も馬車での移動ですので今日はゆっくりとお休みください」
シイカはそう言って御者に細かく指示を出していく。瞬く間に円形に並べられる馬車。囲むように配置された馬車は壁の役割を担っている。
冒険者たちが夜の番の準備をしている。用意していた薪と拾った枝葉で焚き火を作り明かりを確保する。
二人は今回、客しているため夜の番も野営の手伝いも必要ない。今日の天気であれば雨の心配もない。
「ノエル、これ」
「ん」
レオたちは自分たちのテントで寝床を作る。睡眠時は最も無防備になるためこうしてテントを張り、周囲から身を隠すのに使う。他にも着替えなどはこの中で行う。
冒険者は慣れた手つきで自分たちの領域を確保していく。御者は馬車の荷台で寝るつもりなのか毛布を広げている。
「お母さん、お腹すいたぁ」
「もう、今日はこれしかないわよ」
「えー、足りないよ」
子供のその言葉に母親は困ったような表情をする。
子供の方は少し痩せ気味だが、親の方はもっと痩せている。旅の用意も全くしていないようで持ち物は袋が一つだけだ。両方とも、長い間満足に食べられていないのが見て分かる。
「レオ、少し分けてあげて」
「ノエル。ありがとう」
そんな親子を見つめていたレオに、ノエルが食料の入った袋を取り出した。
レオは袋から堅パンを取り出して親子の元へ行く。
「よかったら食べてくれ。今スープも用意するからそれで柔らかくして食べるといい」
「い、いいんですか?」
「ああ」
「でも、貴方たちの分が減ってしまいます」
「気にするな。ただの自己満足だ。飢えることの苦しさは知っている」
「ありがとうございます!」
深々と頭を下げる母親は子供にパンを分け与える。
レオが後ろを振り返るとノエルも柔らかく微笑んでいる。
「よかったね」
「悪いな、俺の分から引いといてもらって構わない」
「大丈夫。食料は三日分用意してある。馬車だから明日にはミュール帝国に着くと思うし」
「お兄ちゃん、お姉ちゃん、ありがと!」
男の子はパンを大事そうに抱えながらそう二人にお礼を言った。
「ああ。ちゃんと食べて大きくなれ」
「うん!」
元気のいい返事をして、男の子は母親の元へ戻っていく。それからノエルの作ったスープが完成し、四人分に取り分けていく。紫色のスープを初めて見たレオは、中に何の具材が入っているのか気になった。出来立てのスープは美味しそうな湯気を立ち上らせている。
「レオ、はい」
「ありがとう」
ノエルからスープの盛られた木皿を受け取り、その中に堅パンを浸しふやかしていく。硬さがいい具合になったところで一口。
「どう?」
自信ありげに見つめるノエルは味の感想を求める。だが、
「……不味くはないぞ」
レオは味がよく分からなかった。不味くはないのだが何が入っているのか全く見当がつかない。初めての感覚にレオは戸惑いつつも二口目を食べる。
「なら良かった」
ノエルはレオの感想を聞くと、安堵の表情で胸を撫で下ろす。
「少年も食べる?」
「いいの⁉︎」
「もちろん」
ノエルは皿に盛られたスープを男の子に渡す。レオの中で警鐘が鳴った。この少年にはこれを食べさせない方がいいと。
「待っ……」
「ありがとう!」
レオの制止も間に合わず少年はスープを口にしてしまう。
「うげぇ……お姉ちゃん、これ美味しくないよ」
「え……?」
少年はスープを一口だけ食べて皿を返した。
「レオ……?」
「あー……いや。そのー、何だ?」
「嘘はよくない」
ノエルから物凄いオーラを感じるレオは口籠る。怒り八割といった嫌な雰囲気を纏うノエルにレオは言い訳を考える。
「嘘じゃない。俺は奴隷だったから基本的に食えない物がないだけだ。たしかにノエルは少し味音痴かもしれないが。別にいいと思うぞ」
「そんな気遣いはいらない」
「……すまない」
その後なんとかノエルの怒りを鎮めたレオは、残りの紫スープを完食した。
ノエルも美味しくないと言われたことを少し気にして落ち込んでいる。レオは気にしないが、自分が味音痴であったことにノエルはショックを受けていた。
食休みに道端の草の上で寝転がるレオは上を見上げていた。
街の外で眺める夜空に新鮮さを感じる。雲一つない空は月と星が宴でも開いているかのように賑わっている。
穏やかで静謐な時間が流れる野営地。昼になれば月と星は身を隠し密かに地上を見下ろす。焚火の明かりと上の光を見比べて、レオは息を一つ吐いた――。

「今日中にはミュール帝国に着く予定ですので皆さん頑張りましょう」
シイカはそう言うと先頭の馬車へと乗り込む。朝になれば全員が荷を片付け再び馬車に揺られる旅が始まる。
ミュール帝国までの道のりはもう半ばまで来ている。今日の夕方には街の中に入ることができる。
シンザンを出てからここまで来るのにかなりの早さだったとレオはしみじみ思う。
奴隷から解放され、逃げた街でノエルと出会った。一緒に遠征に行ったと思えば、ムーア国内でも追われる身となった。
二人でミュール帝国まで逃げることになり、こうして目的のミュールまで来ることができた。
ムーア共和国の中ではまだレオを探すための閉鎖が続いている。シンザンからの追手が来るという状況は変わらないが、レオは一人ではない。ムーアから脱出した時よりも時間の余裕もある。
レオがそんなことを考えていると、馬車が強い揺れの後に急停止した。
「なんだ?」
前の方が騒がしくなっていることに気づいたレオは馬車から飛び降りる。
街道の前方、馬車からおよそ一キロほどの場所に大きな影が見える。馬は何かに怯えるように落ち着きがない。
「そんな、馬鹿な……」
レオが前の馬車までやって来ると、シイカと護衛の冒険者たちが揃って顔を青くしていた。この世の終わりでも見ているかのような、絶望に染まった表情だ。
「どうした?」
「え? ああ、お客さん。なんでもありませんよ。それよりも早く馬車に戻ってください。出発しますよ」
レオが話しかけると、我に帰ったシイカが務めて冷静に振る舞う。それでも額に流れる汗は尋常ではない。今にも気絶しそうなくらい顔色の悪いシイカだが、レオは仕方なく自分の馬車に戻る。
レオが乗り込むと、馬車は急いで方向転換をし来た道を引き返し始めた。
「ん? どうした?」
「皆さん落ち着いて聞いてください。街道の先にドラゴンが出現しました」
「ドラゴン⁉︎」
シイカから伝達された情報を、それぞれの御者が乗客たちに伝える。御者の説明で馬車の中に動揺が走る。
「それは本当なんですか!?」
「はい。シイカさんが望遠鏡で姿を確認しました」
ドラゴン。それは龍種の下位互換と呼ばれている。
レオが生まれるよりもずっと前。生物の頂点と呼ばれていたドラゴンは多くの魔石を喰らい知性を得た。人の言葉を理解し、人間と友好的な関係を築く種もいた。
人々は知性あるドラゴンを龍種と称えた。龍種は魔物とは別の生き物として見られている。そこには人間からの、畏敬の念が込められている
だが、それも一部のこと。龍種が魔物であることに変わりはない。ドラゴンを従える龍種が人里を襲ったという話もある。
龍種は畏れられ、知性を持たぬドラゴンは恐れらるようになった。
ドラゴンを見たら即撤退。それがこの世界の共通認識だ。
人気のない街道にいきなり現れるドラゴンなど危険極まりない。知性を持つ龍種はどこかしらに留まり、その場所は聖域として絶対不可侵とされる。また、ドラゴンも人前に姿を見せることは滅多にない。人里近くに現れる場合はほとんど下級のドラゴンだ。
しかし、下級と言ってもドラゴンの中で、という意味だ。人間からすれば一体でも十分な脅威になりうる。
「逃げきれるのか? 物凄いスピードで飛んできているぞ?」
「え?」
御者の話からシイカが慌てていた原因を悟ったレオは視界の先を指差した。
ドラゴンは荷馬車までの距離をかなりのスピードで詰めてくる。勢いのまま馬車の頭上すれすれを通り過ぎ行く手を塞ぐように前方に着地する。
全身を黒紫色の体表に覆い、背中から生えた一対の翼は厚い皮膜があり、濃い紫色の燐光を放っている。
四つん這いの姿勢のドラゴンは脚が発達しており、前脚は掴む動作ができるような形で四本の指がある。全ての脚には、闇を表すような漆黒の爪が生えている。
「ガァァァァァァァァ‼︎」
馬車を正面に見据えるドラゴンは大きな咆哮で威圧した。
「きゃーっ!?」
乗客から悲鳴が上がる。ドラゴンの威圧に当てられ、人も馬も正気を失っている。他の冒険者も陣形を組む余裕などなくてんやわんやだ。
「ノエル、魔法で倒せるか?」
「分からない。でもやるしかない」
ドラゴンと戦ったことのないノエルは緊張を浮かべながらそう答える。
レオも、初めて見るドラゴンの圧力に身が引き締まる。ドラゴンの話を聞いた時は眉唾物だと思っていたレオだが、目の前の生物を見てその考えが一瞬で吹き飛ばされた。
覚悟を決めたノエルは詠唱を開始する。進化個体との戦いで見せられたノエルの魔法を頼りに、レオはシイカに指示を出す。
「シイカ、今のうちに態勢を立て直せ。こいつは俺が抑える」
「お客様、しかし……」
「全滅したいのか。早くしろ!」
「はいっ!」
シイカは慌てた様子で立ち上がり御者たちに指示を出していく。乗客を落ち着かせる者、馬を落ち着かせる者。役割を得た男たちは機敏に自分の為すべきことを全うしていく。
「おい冒険者、魔法が使える奴は援護しろ。それ以外は他の奴らを守れ!」
レオは護衛としてついていた冒険者たちに指示を飛ばす。冒険者たちは各々のできることを探し行動に移る。
魔法が使える者は呪文を唱え、魔法が使えない者は乗客と馬車を守る。
「グゥゥゥ……」
正面に立つレオを見てドラゴンは低い音を鳴らす。
睨み合いが続く中、レオの首筋を汗が伝う。死なないと分かっていても感じる威圧感。今まで感じたことのないプレッシャーにレオの心臓は早鐘を打つ。
「五分だ。それだけ耐えれば俺たちの勝ちだ」
ノエルの魔法を信じきっているレオは全員を鼓舞するように叫んだ。
「ガァァァァ‼︎」
痺れを切らしたドラゴンが咆哮を上げながら突撃をかます。レオの体めがけて前脚を振り下ろす。鋭い爪による斬撃は地面に深い傷跡を残していく。
その攻撃を躱したレオだが、近くにいる馬車を見て動きを変える。馬車が巻き込まれないようにドラゴンの気を引きつつ、馬車から距離を取る。
「ホーリーレイ!」
「グゥ……」
「くっ、効いてない」
魔法がドラゴンに向け放たれるが、ドラゴンにダメージはない。ドラゴンは魔法使いを威嚇するように睨みつける。
「十分だ!」
ドラゴンの意識が、一瞬背後の魔法使いに向いた隙にレオは斬りかかる。狙うのは当然首だ。断罪の鎌に斬り落とせない首は無い。
「はぁ!」
「ガァッ!」
「なっ⁉︎」
レオは大きく振りかぶり背後からドラゴンを襲う。しかし、その首に鎌をかけようとした瞬間、ドラゴンはありえない速度で反応した。
振り向きざまに頭に生えた角で鎌を弾いた。そして、その勢いのままレオを頭突きで吹き飛ばす。
「ファイアランス!」
「ガァァァァ⁉︎」
冒険者の一人が放った魔法がドラゴンの顔を捉えた。無視できない攻撃にドラゴンの動きが鈍る。
「グゥ……」
「ひっ!? こっちに来るぞ!」
「逃すか!」
ドラゴンの標的が変わるのを防ぐため、レオは再び突貫する。やはりドラゴンは尋常ではない速さで反応する。まるでレオの動きが、見ずとも分かっているかのように。
「同じ攻撃は喰らわない」
今度は直ぐに斬りかからずに、レオはドラゴンの体の上を駆け回る。
鬱陶しいとでも言いたげに呻き声を漏らすドラゴン。二本の後脚で直立し、前脚でレオを捕まえようとするが、レオを捉えられず苛立ちを露わにする。
「ガァァァァ‼︎」
「うおっ⁉︎」
ドラゴンはその場で体を地面に打ちつけながら回転する。バランスが取れなくなったレオは、仕方なく飛び降り距離を置く。
「お兄ちゃん、頑張れ!」
と、馬車の荷台から顔を出した少年が叫んだ。見るのも怖いだろう少年の手は震えている。それでも、レオを鼓舞しようと声を張り上げた。
「誰かに応援されるなんて、初めてだな」
レオは気持ちが昂るのを感じてそう呟いた。
ドラゴンは、仕切り直しとでも言いたげに正面からレオを睨みつける。
「決定打が打ち込めないな」
レオは牽制で鎌を振り斬撃を飛ばすが、真空の刃はドラゴンの堅い鱗に弾かれ溶けるように消えていった。
ドラゴンは何もなかったかのように涼しげな表情をしている。
黒と紫の混じった禍々しい色の体表。獰猛な爪は鋭く、口腔から覗かせる牙はあらゆる物を噛み砕けるだけの強度がある。
「そろそろか」
ノエルの魔力の高まりを感じながら、レオはそう呟いた。後ろを見なくとも、ノエルの魔法が完成間近なのが分かる。
「グゥゥゥゥ……」
ドラゴンもノエルの気配に気づいたのか忌々しげにレオを睨みつけている。
「さあ、もう一度俺と踊ってもらうぞ」
「ガァ‼︎」
ドラゴンは両手を縦横無尽に振り回し、手当たり次第に破壊を生み出す。レオは必要最低限の動きでいなしていく。
振り乱れる鎌と爪。レオとドラゴンの間には無数の傷跡が生まれ、整えられていた道が掘り返され惨状と化す。
「ガァァァァ!」
レオから距離を取ったドラゴンは四つん這いの姿勢で力を溜める。膨れ上がる魔力の気配にレオは鳥肌が立った。
「これは止められん。ノエル!」
「準備完了。任せて」
四肢を地面につけたドラゴンを見たレオはノエルに後を託す。ドラゴンがいかに力を溜めようと、ノエルの魔法の方が段違いに速い。
ノエルまでの距離は十分。突進しようものならノエルの魔法がドラゴンの体を貫く。
前脚をつき四つん這いになったドラゴンは、最大限まで力を溜めている。踏み込む後ろ足が地面に食い込み土を掘り返す。
「ガァァァァ……」
「突進じゃない!?」
ドラゴンは溜め込んだ魔力を口元に集める。全身に流れていた魔力が一気に口腔に集まり、凶悪な光を放つ。
「ガアアアッ!!」
一瞬で魔力の充填が終わり、ドラゴンは光線を放つ。最大の一撃は直線上にある全てを飲み込みながら爆進する。
ドラゴンと戦ったことのないレオたちはこの攻撃を知らなかった。戦闘経験の無さが生んだ致命的なミスだ。先頭のレオがこれを凌げなければ後ろの何もかもが消える。
「ぅぁあああっ‼︎」
レオは咄嗟に鎌に魔力を注ぎ込みブレスを逸らそうと試みる。レオはブレスの勢いに、徐々に後ろに押し込まれていく。
「レオ!」
「ノエル、ブレスが止まったら最大威力で叩き込め!」
「……分かった」
この攻撃だけは命を懸けてでも止めなければならない。死ぬことは許されない。レオが死ねば、後ろに守る少年も死んでしまう。
「うああああああああっ!!」
レオが叫ぶ。
ドラゴンのブレスは勢いを落とすことなく、進路上の全てを焼き尽くさんとする。
「……ノエル、今だ!」
ドラゴンのブレスは、徐々に弱まりやがて力を無くしたように消えていった。
ドラゴンの口からは黒い煙が上がっている。今の一撃に全てを賭けたドラゴンは一歩も動かない。
「雷槍‼︎」
その隙をノエルが逃すはずもなく、雷の槍がドラゴンを貫いた。鱗も牙も、臓腑さえ通り抜け、体内にある魔石を打ち砕いた。
「やった……。やったよ、レオ」
ノエルは振り返り、喜びいっぱいの表情でレオの名を呼んだ。
初めてのドラゴン討伐。向き合えば死は免れないという存在と戦い、見事に生き残ったことに、周囲の人間たちも歓喜に沸く。
「流石だな。威力が桁違いだ」
「うん。でも、かなり魔力使って疲れた」
「そうだな。あとは休んでろ。俺が見張る」
「ありがと」
ノエルはそう言ってその場で脱力する。文字通り命を賭けた一撃に、ノエルは立っているのが精一杯のようで、レオの体を借りて馬車まで歩いていく。
ノエルはすぐに寝る態勢に入りそのまま落ちる。ノエルが眠りに入ったのを見てレオも荷台へ乗り込んだ。
(ドラゴンでも、俺を殺すことはできなかった……)
レオの期待と理想は打ち砕かれた。死への道のりは遠そうだと、レオは少しだけ落胆した。

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