水の巫覡と炎の天人は世界の音を聴く

井幸ミキ

文字の大きさ
31 / 86
2章

精霊の湖・1

しおりを挟む
 スーリア学園への旅は、まずは中央州の王都へ向かって一路北上する。そこから東進して、東河州の州都スーリアを目指す。
 中央州の真ん中に位置する王都と、南海州の州都マリーアを結ぶ街道は、ほぼ一直線で繋がっていて、いくつかの峠や渓谷を通り、順調に進めば6日の行程になる、とラドゥ様が教えくれた。

 最初の宿駅を出立して以降は魔獣や、馬が動かなくなったという話もなく、順調に次の宿駅に到着した。
 次の宿駅でも豪華な宿屋で恐縮だったけど、最上階貸し切りではなかったので、ほっとした。

 王都とマリーアを結ぶ街道沿いは、この大陸の中でも屈指の名所名跡が点在し、道中の景色も楽しめるよ、とラドゥ様が言っていた通り、3日目の宿駅は、美しい湖のそばにあった。南海州と中央州の間に跨るこの湖は、精霊湖と呼ばれている。ここを旅の目的のひとつにする遊覧客も多く、大きな宿駅だ。

 宿駅に入り、店や宿屋の並ぶ街道を進んでいると、中心地付近に豪華な外観の一際高い建物があって、いかにも貴族向けの高級宿屋です、という雰囲気だった。
 あそこがきっと、この宿駅で一番の高級宿屋だと思って、まさかあんな高そうなところに泊まらないよね?とそっとラドゥ様を見ると、涼しい顔をしていたので、だいじょうぶそうと胸を撫でおろしたのは、早計だった。
 馬車は、人や馬車が多く行き交う街道を逸れ、湖の方へ向かっていった。
 この宿駅でラドゥ様の選んだ宿屋は、宿駅の中心からは離れた、湖のほとりに佇む静かで古風な屋敷だった。
 こじんまりしていて、落ち着いた雰囲気で、どこか懐かしささえ感じる素敵なお宿……。

「ここは昔、天人の屋敷だったと言われているそうだよ。いつもこの宿駅に来た時、泊まってみたいと思っていたんだ」

 多分、きっと、勘だけど、こっちの宿屋の方が格式高いとこ……!! というか、天人の屋敷って伝説級の遺構では!?

「ははは。天人の屋敷だったと言われているだけで、実際はどこぞの貴族の別荘として使われていたようだよ」

 確かに、宿屋というより、個人の屋敷のようで、大きさもちょうどマウリの家くらい。
 宿の人に、こちらが皆さまがお集まり頂ける居間と、夕餉と朝餉を召し上がって頂く食堂になりますと、1階の部屋を案内された後、寝室は2階になります、先にお部屋でお寛ぎくださいと言って階段を上がった。
 僕とレオリムの泊る部屋は、湖に面していた。部屋に入るとすぐ、窓の向こうに精霊湖が見えて、僕は思わず、歓声を上げた。

「レオ、見て! キレイ!!」

 案内をしてくれた宿の人が、お荷物を解かれましたら、居間にお越しくださいと言って下がるとすぐ、露台バルコニーに出た。大きな窓から出れば、湖を渡って清廉な風が吹いて頬を撫でた。
 マウリを出立してから、心の隅っこで感じていた寂しさが、慰められる気がした。
 まだ数日しか経っていないけど、マリーアを出立して北へ向かえば、当然のように、海から離れる。それにつれて、もう潮の香りがどこにもしなくて、それが少し寂しかった。
 水の気配が身近にないのが、こんなに寂しいと思わなかった。

 精霊湖は、大きな湖で、視界いっぱいに広がる湖面は、海のようで、それだけで嬉しかった。向こうの湖岸の奥は山に囲まれていて、小さな湾のマウリとどこか似ていた。南の丘に立てば、どこまでも広がる大きな海だったけれど、山と空に切り取られた海は、今目の前に広がる精霊湖の光景と重なった。

「マウリと似ているな」

 レオもそう思った?

 背後に立ったレオリムが、僕を後ろから抱き締めて、肩に顎を乗せた。

「うん。潮の香りがしないから、ちょっと変な感じだけど」

 お腹に廻った手に、両手を重ねて、僕がそう言うと、そうだな、と頷いたレオリムの髪が、ほっぺたをくすぐった。くすぐったさに肩を竦めると、次はレオリムの唇が僕のほっぺたをくすぐった。
 ちゅ、ちゅ、と小鳥が啄むみたいに。
 首を回すと、唇に。
 ふにふにと、唇とほっぺたを行き来していた小鳥が、唇に止まった。

 あ、くる……?

 ぺろりと、唇に湿った感触を感じて、思わずぶるりと震えると、ふふ、と吐息が掛った。
 薄目を開けると、目の前に、蒼。
 それが優しく瞬いた。
 大人のキス、する?

「シーラ」

 ドキドキしてまた目を瞑ると、名前を呼ばれて、肩を引かれて身体の向きを変えて、レオリムと正面から向き合う。
 目を開ければ、湖水の色の瞳が、僕を見つめている。

「シーラはやっぱり、水のそばが落ち着くみたいだな」

 うん。そうみたい。レオ、気づいてたんだ。ちょっとだけ、マウリの海が恋しくなってたこと。

「マウリと似ているからかな。ここ、なんだかすごく懐かしい感じがする」
「……あぁ。俺もそう思う」

 レオリムの頭が、僕を伺うように揺れて、僕は、目を閉じた。
 近付く気配。
 ひんやりとした唇が、ゆっくり重なって、何度か角度を変えると、唇の先が熱くなった。
 ちろちろと、それは、暖炉の炎が、くべられた薪の表面を嘗めるみたいに。
 思わず、僕の身体に廻っていたレオリムの腕を握ると、その熱は去って行った。

 あぁ、どうしよう……いってほしくないけど、でも……

 もう一度、縋るように腕を握ると、かぷりと食べられるみたいに、唇が覆われて、僕は身体の力を抜いた。
 レオリムの熱を感じながら、食べられるままにしていると、名残惜しそうに唐突にそれは離れた。

 レオって、せっかちで強引だけど、ほんとはすごく優しくて辛抱強くて、僕の気持ちを、一番に考えてくれるんだ。
 ちょっとでも怖い気持ちがあること、分かってくれる。

「レオ、大好き……」

 僕は、レオリムの首に抱き着いた。
 好き。
 好き、大好きだよ。

 ぐぅ、と変な音がレオリムの喉から聞こえて、腕の力を緩めた。

「シーラ、それ反則……」

 背中と腰を強く抱かれて、レオリムは僕の肩に顔をうずめた。
 微かな声で、好きだよって。
 ほんとだ。
 腰が砕けそうになる。
 これ、反則だね……。

 湖を渡って来た風が、僕たちの熱を冷ましてくれた。
しおりを挟む
感想 107

あなたにおすすめの小説

【第一部・完結】毒を飲んだマリス~冷徹なふりして溺愛したい皇帝陛下と毒親育ちの転生人質王子が恋をした~

蛮野晩
BL
マリスは前世で毒親育ちなうえに不遇の最期を迎えた。 転生したらヘデルマリア王国の第一王子だったが、祖国は帝国に侵略されてしまう。 戦火のなかで帝国の皇帝陛下ヴェルハルトに出会う。 マリスは人質として帝国に赴いたが、そこで皇帝の弟(エヴァン・八歳)の世話役をすることになった。 皇帝ヴェルハルトは噂どおりの冷徹な男でマリスは人質として不遇な扱いを受けたが、――――じつは皇帝ヴェルハルトは戦火で出会ったマリスにすでにひと目惚れしていた! しかもマリスが帝国に来てくれて内心大喜びだった! ほんとうは溺愛したいが、溺愛しすぎはかっこよくない……。苦悩する皇帝ヴェルハルト。 皇帝陛下のラブコメと人質王子のシリアスがぶつかりあう。ラブコメvsシリアスのハッピーエンドです。

異世界で孵化したので全力で推しを守ります

のぶしげ
BL
ある日、聞いていたシチュエーションCDの世界に転生してしまった主人公。推しの幼少期に出会い、魔王化へのルートを回避して健やかな成長をサポートしよう!と奮闘していく異世界転生BL 執着最強×人外美人BL

ざこてん〜初期雑魚モンスターに転生した俺は、勇者にテイムしてもらう〜

キノア9g
BL
「俺の血を啜るとは……それほど俺を愛しているのか?」 (いえ、ただの生存戦略です!!) 【元社畜の雑魚モンスター(うさぎ)】×【勘違い独占欲勇者】 生き残るために媚びを売ったら、最強の勇者に溺愛されました。 ブラック企業で過労死した俺が転生したのは、RPGの最弱モンスター『ダーク・ラビット(黒うさぎ)』だった。 のんびり草を食んでいたある日、目の前に現れたのはゲーム最強の勇者・アレクセイ。 「経験値」として狩られる!と焦った俺は、生き残るために咄嗟の機転で彼と『従魔契約』を結ぶことに成功する。 「殺さないでくれ!」という一心で、傷口を舐めて契約しただけなのに……。 「魔物の分際で、俺にこれほど情熱的な求愛をするとは」 なぜか勇者様、俺のことを「自分に惚れ込んでいる健気な相棒」だと盛大に勘違い!? 勘違いされたまま、勇者の膝の上で可愛がられる日々。 捨てられないために必死で「有能なペット」を演じていたら、勇者の魔力を受けすぎて、なんと人間の姿に進化してしまい――!? 「もう使い魔の枠には収まらない。俺のすべてはお前のものだ」 ま、待ってください勇者様、愛が重すぎます! 元社畜の生存本能が生んだ、すれ違いと溺愛の異世界BLファンタジー!

【完結】テルの異世界転換紀?!転がり落ちたら世界が変わっていた。

カヨワイさつき
BL
小学生の頃両親が蒸発、その後親戚中をたらいまわしにされ住むところも失った田辺輝(たなべ てる)は毎日切り詰めた生活をしていた。複数のバイトしていたある日、コスプレ?した男と出会った。 異世界ファンタジー、そしてちょっぴりすれ違いの恋愛。 ドワーフ族に助けられ家族として過ごす"テル"。本当の両親は……。 そして、コスプレと思っていた男性は……。

聖女召喚の巻き添えで喚ばれた「オマケ」の男子高校生ですが、魔王様の「抱き枕」として重宝されています

八百屋 成美
BL
聖女召喚に巻き込まれて異世界に来た主人公。聖女は優遇されるが、魔力のない主人公は城から追い出され、魔の森へ捨てられる。 そこで出会ったのは、強大な魔力ゆえに不眠症に悩む魔王。なぜか主人公の「匂い」や「体温」だけが魔王を安眠させることができると判明し、魔王城で「生きた抱き枕」として飼われることになる。

魔王の息子を育てることになった俺の話

お鮫
BL
俺が18歳の時森で少年を拾った。その子が将来魔王になることを知りながら俺は今日も息子としてこの子を育てる。そう決意してはや数年。 「今なんつった?よっぽど死にたいんだね。そんなに俺と離れたい?」 現在俺はかわいい息子に殺害予告を受けている。あれ、魔王は?旅に出なくていいの?とりあえず放してくれません? 魔王になる予定の男と育て親のヤンデレBL BLは初めて書きます。見ずらい点多々あるかと思いますが、もしありましたら指摘くださるとありがたいです。 BL大賞エントリー中です。

猫カフェの溺愛契約〜獣人の甘い約束〜

なの
BL
人見知りの悠月――ゆづきにとって、叔父が営む保護猫カフェ「ニャンコの隠れ家」だけが心の居場所だった。 そんな悠月には昔から猫の言葉がわかる――という特殊な能力があった。 しかし経営難で閉店の危機に……
愛する猫たちとの別れが迫る中、運命を変える男が現れた。 猫のような美しい瞳を持つ謎の客・玲音――れお。 
彼が差し出したのは「店を救う代わりに、お前と契約したい」という甘い誘惑。 契約のはずが、いつしか年の差を超えた溺愛に包まれて――
甘々すぎる生活に、だんだんと心が溶けていく悠月。 だけど玲音には秘密があった。
満月の夜に現れる獣の姿。猫たちだけが知る彼の正体、そして命をかけた契約の真実 「君を守るためなら、俺は何でもする」 これは愛なのか契約だけなのか……
すべてを賭けた禁断の恋の行方は? 猫たちが見守る小さなカフェで紡がれる、奇跡のハッピーエンド。

【完結】社畜の俺が一途な犬系イケメン大学生に告白された話

日向汐
BL
「好きです」 「…手離せよ」 「いやだ、」 じっと見つめてくる眼力に気圧される。 ただでさえ16時間勤務の後なんだ。勘弁してくれ──。 ・:* ✧.---------・:* ✧.---------˚✧₊.:・: 純真天然イケメン大学生(21)× 気怠げ社畜お兄さん(26) 閉店間際のスーパーでの出会いから始まる、 一途でほんわか甘いラブストーリー🥐☕️💕 ・:* ✧.---------・:* ✧.---------˚✧₊.:・: 📚 **全5話/9月20日(土)完結!** ✨ 短期でサクッと読める完結作です♡ ぜひぜひ ゆるりとお楽しみください☻* ・───────────・ 🧸更新のお知らせや、2人の“舞台裏”の小話🫧 ❥❥❥ https://x.com/ushio_hinata_2?s=21 ・───────────・ 応援していただけると励みになります💪( ¨̮ 💪) なにとぞ、よしなに♡ ・───────────・

処理中です...