水の巫覡と炎の天人は世界の音を聴く

井幸ミキ

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3章

落ち着いて

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 渓谷を抜けると、聞いていた通り平野が広がっていた。川は東に向かい、街道は北へ向かっているので、水辺が離れていくのは少し残念だったけど、景色が変わるのは楽しかった。
 真っ直ぐ北に延びる街道に、いくつもの舗装された大きな支道が交わり、各街へ繋がっていると言う。
 南海州の駅所は、人と馬の休憩や物資の補給所という感じが強いけど、中央州の駅所や宿駅は、もっと賑やかだ。お店が立ち並び、人が行き来している。駅所の数もずっと多い。
 点在する森や街の外壁が、馬車の窓から目に入った。
 それらを囲う様に、枯野が遠くまで広がっていた。

「レオ、あれって小麦の畑かな」

 僕がそういうと、レオリムも、馬車の窓から外を覗き見た。

「そうだな」
「秋になったら、きっと小麦の黄金色が一面に広がるんだろうね」
「あぁ」

 父さんとラドゥ様も、自然と窓の外を眺めていた。

「そうだね、シーラン。あれはそうだね、黄金色の海原のようだよ」

 僕たちの会話を聞いて、ラドゥ様がそう言って目を細めた。
 見てみたい。でも、僕たちがまたこの道を通る頃は、まだ早いかもしれない。

「その前の緑の絨毯も、見事だよ」

 そっか。
 それも素敵だな。
 レオリムを見ると、うん、と頷いた。

「アランカへのお土産話にしよう」

 可愛い姪っ子は、きっと僕たちの話をたくさん聞きたがるだろう。もうすぐ生まれる姉さんたちの赤ちゃんにはまだ早いけどね。

 馬車の中では、そんな風にずっと穏やかだったけど、じつは、つぎの宿駅でも、少しピリッとする出来事があった。
 宿の方は、ラドゥ様たちが通達していた通りの対応だったので安心したけど、夕方、ちょっと覗きに行った宿の近くにある土産物屋の店先で。冬の間に、農家の人たちが作っていると言う工芸品を見ていたら『おい、そこの者』って声を掛けられた。僕は最初気付いていなかったんだけど、声を掛けられるのとほぼ同時に、傍にいた騎士さん二人が、僕とレオリムの背後に移動して、壁のように立ったので、そこで、そのエラそうな声が僕たちに向けられたものだったと気付いた。
 身体の大きな騎士さん二人の隙間から、ちらっと見ると、いかにも貴族という風貌の男の人が、顔を真っ赤にして、おい!と声を荒げた。連れや護衛らしき人も何人もいたけど、大きな声を出しているのは、その人だけだった。
 レオリムはすぐに僕の手を握って、ぴたりとくっついて、少し離れたところにいた騎士さんに目配せして、僕たちは彼に連れられて宿へ戻った。
 振り返ることもしなかったので、どんな様子かはもう見なかったけど、騎士さんたちに怒鳴っているのは分かった。

 僕たちを部屋まで送ると、騎士さんはお茶を淹れてくれた。

「フェブさん、ありがとうございます」

 温かいお茶の入ったカップとソーサーを受け取りながらお礼を言うと、騎士のフェブウィさんは、にこりと笑った。そのまま、流れるように、ソファの僕の隣に座るレオリムにも、お茶を渡す。

「レオリム様も、落ち着かれなさいませ」

 そう言われて、レオリムはこくんと頷いてお茶を一口啜った。そう、レオリムは静かに怒りの気を放出してた。

「では、わたしはラドゥ様へ報告へ上がります。夕餉の際はお迎えに上がりますので、それまでお部屋でお寛ぎください」

 そう言って、騎士さんは退室していった。

 今回の宿では、ちゃんと同じ階でまとめて宿泊部屋が押さえられていた。建物の3階の部屋全て、ラドゥ様一行の貸し切り。食堂もついている広い部屋は一つで、ラドゥ様と父さんがそこへ、他の二人部屋は、僕とレオリム、他の騎士さんたちが泊まることになっている。

 ズズ…というお茶を啜る音がレオリムの口元からする。

「レオが侯爵子息だから声を掛けてきたのかな?」

 レオリムは、お茶のカップをテーブルのソーサーへ戻して、ふるふると首を横に振った。

「シーラ」

 名前を呼ばれて、僕もカップをソーサーへ戻した。
 レオリムは、それを待っていたように、僕の手を取って、引いた。

「レオ、重たくない?」
「全然」

 僕は、レオリムに手を引かれるまま、膝を跨いで、太腿の上に座る形になった。
 なんか、この体勢はちょっと、かなり、恥ずかしいんですけど。
 背中に腕が廻って、抜け出せそうにない。

「さっきのヤツは、俺じゃなくて、シーラに声を掛けたんだ」

 そうなんだろうか。
 首を傾げると、ぎゅ、と身体を引かれた。

「見た目で侯爵家の者かどうかなんて分からない。貴族だとは分かっただろうけど」

 僕たちは、外套を着ていたから、見た目で貴族かどうかは分からないだろう。そりゃあ、平民の人が着る物よりはちょっと良い物だけど、これくらいの旅装の平民だって多い。でも、護衛騎士が傍に付いていたから、貴族か、裕福な平民だとは思われただろう。

「シーラだよ。決まってる。シーラが可愛いから声を掛けて来たんだ。シーラを一目見たら、誰だって夢中になる……」

 憂鬱だ……と、レオリムは大きな溜息を吐きながら僕をぎゅっと抱き締めた。
 いやいや。
 今まで僕、そんな風に声掛けられたこと、ないよ?!

「幻惑の魔法を掛けた方がいいかもしれない」
「げんわくのまほう?」
「そうだ。シーラが視界に入らないように、認識を阻害するヤツか、見た目が変わってみえるヤツか……」

 人の精神に作用する魔法は、特別な許可を持った魔法使いしか使っちゃだめじゃなかった? そもそもそんなの、難しい魔法ヤツでしょ?!

「でも、シーラのことを醜く見せるなんて絶対出来ない……!!」

 ブツブツ言い出したレオリムのほっぺたを両手でぎゅっと挟んで、かぷりと鼻を噛んでやった。

「ッ!? シーラ?!」
「もう、レオ、落ち着いてよ」

 すまん、と言って、しゅん、と首を垂れたレオリムのおでこに、僕は、ちゅっと口付けた。

「あのね、僕のこと、可愛いって思ってくれるのは嬉しいけどね。それ、絶対、贔屓目だからね?」

 だって、僕はレオの奥さんだからね。自分の奥さんは一番可愛いでしょ。僕だってレオが一番カッコイイと思ってるもん。これは、贔屓目じゃなくて、客観的事実だけど。

 レオリムは、顔を上げて、ぱかりと口を開けて僕を見上げた。
 それから、ぐぐぐ、と眉間に皺を寄せた。

「牽制しすぎた……」

 どういう意味?
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