月とガーネット[上]

雨音 礼韻

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■Ⅱ■IN BANGKOK■

[9]◇真実の向こう側

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 ホテル・マイペンライはフロント・カウンターの奥がスタッフ・オフィスとなっている。大して広くもない殺風景な室内に、事務机が四台と壁一面を埋め尽くす本棚、その向かい側に一応応接と呼べる程度のソファ・セットがしつらえられていた。

 クウヤにはロビーで待てと言い置いて、ネイはソムチャーイを運んでくれるメリルだけをいざなった。三人掛けのソファに彼を寝かせ、メリルは一つ会釈をする。退室しようとおもむろに身を起こしたが、

「ねぇ、メリたん」

 一人掛けソファに腰を降ろしながら、ネイがそれを一旦引き止めた。

「ポーを助けた時の様子を聞かせて」

「はい……ネイ様」

 ソムチャーイの衣服には汚れや争った跡もなく、また特に外傷も見当たらなかった。ホテルに戻った時から今まで、ずっと気持ち良さそうに眠っている。メリルは彼が目覚めてからでも、もしくはクウヤのいるロビーでもと、その説明のタイミングを計っていたのだろう。少しだけクウヤを気にするように扉の方へ視線を向けたが、促すネイの眼差しが今すぐそれに応えることを願っていた。隣のもう一脚に腰をかけ、救出時の全容を話し始める。

「ソムチャーイ様はレムチャバン港のロシア船籍コンテナ船にて確保致しました。発見した場所は……」

「細かいことはイイよーポーがどんな状態だったのか教えて」

 すぐさま入れられたネイの横やりに、メリルは一度唇を閉じ、改めて語り出した。

「はい。一脚の椅子に座らされた状態で拘束されておりましたが、今と同じく眠っておられる状態でした。見張り役は二名おりましたので、一名が化粧室に向かった際に、もう一名を昏倒させ、その間に救出を致しました」

「なるほどね。きっとトイレに行ってた方が気付いて追いかけてきたんだね~」

「申し訳ございません。わたくしがつけられずにいれば……」

 今一度深く頭を垂れるメリル。けれどネイにとってはそこが重要だった訳ではないらしい。

「メリたんはつけられてたの分かってたんでしょ? と言うか、もうあっちはポーがココの主人なのは分かってるんだから、メリたんの帰る場所なんて決まってた訳だし。それより、さ? このポーの熟睡加減、メリたんも分かってるんでしょ?」

 アンドロイドに「心」という物があるとしたら。まるでそれを覗き込むような悪戯イタズラまなこでメリルを見上げる。ネイは妙にニッカリとした笑顔を見せた。

「やはりネイ様には敵いませんね……ソムチャーイ様は……どうやら自白剤を嗅がされた模様でございます」

「やっぱり~」

 当てたことを喜んで良いのか悪いのか、そんな表情をしながらネイがソムチャーイの顔に目を移した。先程のスーツ男と同じように、口の端からヨダレを垂らして眠りこけているのは、同じく自白剤の副作用と思われた。

「ゴメンね~メリたん。きっとポーは『ツール』の在りかを教えちゃったね」

「いえ、ソムチャーイ様が語らずとも、いずれは知られることと思います」

 メリルは困った風も見せないが、ネイは申し訳なく思っていたのだろう。そしてメリルにも申し訳なく思うところがあり、もう一度頭を下げ、

「それよりもソムチャーイ様を危険な目に遭わせてしまいました。「心」よりお詫び申し上げます」

 だからアンドロイドに「心」があるのか!? ──と、クウヤならツッコミを入れそうな謝罪を口にした。

「ううん、コレはポーのれっきとした仕事なんだからさ、今回はポーの油断が招いたことだよ。メリたんは気にしないで」

「ありがとうございます、ネイ様」

 そこでメリルは話が終わったと思い、礼と共におもむろに立ち上がった。

「あー、ねぇ? メリたんのことなんだけどさ」

「はい?」

 姿勢の良い背中がふと振り返る。

「いつもの調子で合わせておいたからさ~クウたんにも」

「いつもありがとうございます、ネイ様」

 しかしこのネイの「事後報告」には、メリルも僅かに表情を変えてみせた。

「でもさ? クウたんにはいつか言うんでしょ?」

「……」

 再び現れる悪戯な瞳に、メリルは何も答えなかった。その沈黙に畳みかける、ネイの更なるダメ押し。

「アタシは言った方がイイと思うよ? クウたんには、ね」


 ◆ ◆ ◆


 それからネイはしばらくソムチャーイを看ると言い、メリルは彼を寝室へ運ぶことを志願したが、ヨダレで布団がダメになりそうだからと、ネイはその申し出を断った。

 メリルはおそらく待ちくたびれているであろうクウヤを思い、それ以上は留まらず部屋を後にした。案の定限界を超えたらしいクウヤの、こちらもヨダレを垂らしそうな寝顔が気持ち良さそうに寝息を立てている。メリルはその長身をやはり軽々と抱き起こし、三階の彼の部屋へ向け、すっかり静まり返ったロビーを後にした。

 小一時間もした頃、ようやくソムチャーイが目を覚まし、だるそうにその身を起こした。

「ポー、大丈夫?」

 隣からの心配そうな声に視線を向けるが、まだ視界はぼやけているようだ。

「ああ……ネイか。じゃあ此処は……ホテルに戻ってきたんだな?」

 こめかみに手を当てて、グッと腰に力を入れる。だるそうに背もたれへ上半身を預けた。はあぁ~と大きく吐き出された溜息と共に、口の端のヨダレに気付き、無造作に手の甲でぬぐう。

「そうだよーメリたんが助けてくれたの!」

「やはりメリルさんか。そう言えば途中目が覚めた時に、赤い物が揺れて見えたな……あれは彼女の赤毛だったんだな」

 ネイは大きく頷いて、椅子に掛けてあったタオルを手渡した。お次に部屋の角にある小さな冷蔵庫から、良く冷えたミネラルウォーターを差し出した。

「ありがとう、ネイ。いや、まったく不覚だったもんだ。『ツール』の情報を得て、帰りにつかまえたトゥクトゥクに乗ったら、い~きなり路地裏に連れ込まれて……ワシももうろくしたもんだな……」

 一気に半分を飲み干したソムチャーイは、残り半分のボトルを額に当て、トホホ~といった半笑いの表情を見せた。そんな情けなく垂れ下がった眉の乱れを、寄り添ったネイがねぎらうように整えてやった。

「あんまり嘆いてたらソムチャーイの名が泣くよ? それより、さ? ポーは『ツール』の情報、幾つ見つけてきたの?」

 男子には定番の「ソムチャーイ」という名は、実はタイ語で「男らしい」という意味だ。背は低く小太りで、頭のてっぺんもうっすらし始めた彼に、元々「男らしさ」は皆無に等しいが、その胸に秘めた正義に燃える心は「男らしい」というべきか? 不正を働く者から弱者をかくまう「ホテル・マイペンライ問題ない」の宿主であると共に、彼らに新たな道を提供する「逃がし屋」として活躍する身であるのだから──例えそれが闇市から不正、、に得た裏情報であろうとも。

「お前もネイという名だけある、ってところかな? 良くワシが複数手に入れたと分かったもんだ」

 ちなみに「ネイ(正式な発音は「ネート」)」はタイ語で「眼」を表すのである。その奥を見通す「一隻眼ネイ」に、ソムチャーイは少々たじろいたように笑った。

「ああ、三つほど手に入れてきたよ。最近じゃ『エレメント』の確保も難しいから、『ツール』の方もかなり出回らなくなったがね」

「メリたんには昔からお世話になってるもんね。不確実な情報をたった一つだけなんて渡さないでしょ? それで三つって? どことドコと何処~!?」

 ネイはせっつくようにソムチャーイの太鼓腹に両手を乗せた。Tシャツを軽く引っ張り催促する姿はまるで小さなワガママ娘のようだ。この可愛い仕草でおねだりされると、ソムチャーイは目尻をとろけたように下げ、まず拒めない。

「焦らない焦らない~まったく愛らしいなぁ、「ネイたん」は!」

「いや、そんなところ萌えてなくてイイから。早く教えてってば」

「……ずっと縛られてたんだぞ? もうちょっとこの萌え萌えに付き合ってくれたっていいだろう? まー何だ、今回はやたらアジア圏だな。一つ目はインドネシアのバリ島、二つ目がシンガポール、三つ目がインドのムンバイだ。ワシのオススメはシンガポール」

「うーん」

 やや拗ね気味のソムチャーイを無視して、手に入れた情報にネイは腕を組み、唸り声を上げた。しばしの考えの後「やっぱり、決断の時よね~」と、自分の中で結論を出したようだった。

「じゃあ、ポーはメリたんにムンバイをオススメして。てか、ムンバイだけを教えて」

「何故? シンガポールは近くていいぞ? それに取引する相手も極めて友好的で、この筋では一、二を争う人気ブローカーだ」

 小粒なまなこを丸々とさせ、ソムチャーイは反論を唱えたが、そんな彼をネイは不敵な笑みでねめつけた。

「ふっふん。今言ったこと、きっとぜーんぶ、ポーはロシア・スパイに喋っちゃったもんねー! もうシンガポールは絶対ムリムリ!」

「あ? えぇ? あ! ワシ……もしかして!?」

 今まで眠り続けていた理由に、彼も自身で辿り着いたようだ。

「それもそうだけどね。ムンバイならちょうどイイんだよ。メリたんはクウたんを「ご主人様」の所へ連れていきたいのだし。ムンバイだったらちょうどそっちの方角でしょ? それにちょうどメンテナンスにも立ち寄れる」

「メリルさん、メンテナンスが必要なのか!?」

 途端ソムチャーイは焦った様子で前のめりに問いかけた。メリルが自分を救出する際に、どこか故障でもしてしまったのかもしれない、そう危惧したのだろう。

「ポーの所為じゃないから心配ご無用~今回の原因は「マッド」だから!」

「「マッド」……って、メンテナンスしている張本人じゃないか! なんだ? そりゃあメンテナンスの不備ってことか?」

 数時間前メリルに話した「マッド・サイエンティスト」。皮肉を込めてネイがそう呼ぶその男には、少々変わったところがある。それでもメリルのメンテナンスには今まで万全を期してきた筈だ。それを知るソムチャーイは信じられないと目を丸くした。

「うーん、どうだろうねぇ? アタシにも分かんないなー何せ「マッド」だから」

「ふうむ……」

 先程のネイのように腕を組んで唸り出すソムチャーイ。つい考えあぐねてしまったまんまるなヘの字顔に、ネイはそろそろ休むよう寝室へ促した。いつの間にか時計は翌日を指し示している。言われた途端眠気を催して大あくびをしたが、考えてみれば夕方から眠りっぱなしではなかったか? ソムチャーイは地肌の透ける薄い髪を掻きながら、シャワーを浴びると浴室へ向かった──。



 第二章・■Ⅱ■IN BANGKOK■・完結


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