軍将の踊り子と赤い龍の伝説

糸文かろ

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第三章

二年後 1

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 大きなおなかを抱えた三歳の雌馬が厩の中を歩き回ったりそわそわしたりし始めたのは、夕方ごろだった。
 前足のあとにわずかに顔の先が見えると、窒息しないように鼻が覗くまで人間の力で引っ張る。
 後は自力で出てくるまで辛抱強く待つ。
 子どもの上腕が見えてからは早かった。
 新しい命が生まれる瞬間はいつも言葉にならない感動を味わう。
「最後まで出してあげたほうがいいでしょうか?」
 母馬はあと一歩のところで力むのを止めている。
「いいや、すぐ臍の緒を切らない馬はいい母馬だ。ああやってこどもに栄養を与えているんだ」
 エンゾは腰に手を当てながら立ち上がった。
「さ、もう大丈夫だろう。サニも疲れただろう、帰りなさい。明日はゆっくり昼から来ればいいから」
「はい」
 さきほど九つの鐘が鳴ったところだ。
 夕飯を食べ忘れていたことを思い出したが、馬の出産に備え朝早くから厩にいたので、部屋に帰って準備する元気はなかった。
 近くの食堂で済ませようと街に出る。
 この時間に空いているのはバーくらいだ。
 食事のメニューも豊富な大きめの店に入ると、空いていたカウンターの隅に腰掛ける。
 一日働いた疲れが今になってどっと襲ってきた。
 二年前、真珠を使ったあの日。
 朝方ビュレング州の宿を離れたあと、サニはひとつのおおきなミスに気がついた。
 本人が龍の伝説を忘れてしまっても、リエイムが龍に変身できる事実に変わりはない。
 自分が龍であると知らないまま彼が一生を終えればまだいい。
 でも万が一、この先もし何かのきっかけでリエイムがまた龍に変身してしまったら、伝説もなくなってしまった今の世界では説明が付かず、本人はとても混乱するだろう。
 その事態が不運にも起こってしまった時のため、自分は近くにいて彼を見守る必要がある。

 そこでサニはリエイムの情報が得られるこの地に留まることにした。

 何よりオーフェルエイデ領は首都の次に豊かな領なので、ならずものでも職を見つけやすい。
 身を隠すにはもってこいだった。
 聖舞師としての戸籍もきれいさっぱり消えてしまったため、一年ほどは日雇いの職を転々とした。
 そんな中、城下町のはずれにある獣医のエンゾに馬の知識を買われ、助手として雇って貰えることになった。
 エンゾはかつて城下町で一番大きな獣病院を開き、精力的に領地の農場や城を回って馬や牛を診ていたらしい。
 腰を痛めてからは事業を縮小し、自分一人を養う程度に細々と開局している。
 厩も、住居の裏にひとつ、中のしきりは四つあるだけだ。
 物静かなエンゾはサニの過去を詮索しようとはせず、家の横に建てられた倉庫を空き部屋として貸してくれた。
 良心的な人物に運良くかくまってもらい、とても感謝している。
「野菜煮込みを、ひとつください」
「あいよ」
 サニは料理を待っている間に、乱れていた髪を結い直した。
 くるくると丸くまとめ、かんざしを挿す。
 もう聖舞師ではないから髪を長く伸ばす必要はないが、かんざしを身に付けていたくて、短くしないでいる。
 何より、リエイムが綺麗な髪だと褒めてくれたから。
 リエイムは、記憶を失う前サニをもう一度好きにさせてみせると自慢げに笑ったが、逆転してみると自分の立場ではそうもいかない。
 リエイムと出会えたのはそもそも聖舞師という特殊な職業だったからで、第二公子と身分証明さえできない今の自分では、接点などなにひとつない。
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