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第百八十三話
しおりを挟む泣いていたって始まらない。痛みを堪えて涙を流す。
取りあえず止血しないと。僕の中に流れる悪魔の血のお陰で、大人しくしていれば傷は塞がる。今はどこかに隠れて魔王軍に見付からないようにしないと。
服の両袖を切り落とし、斬られたアキレス腱の上の方で結んで止血をする。流れ出す血は少しは減ったが、痛みが取れる訳でも足が動く訳でもなかった。
僕は這いずるように近くの家に不法侵入して休ませてもらう事にした。這いずる地面に残る跡は逃げ出している人の足跡で消えるだろう。出来るだけ血を落とさない様に家に入った。
無人の民家には生活感が溢れ、たった今まで誰が生活していたようだった。僕は第四匍匐で何とか階段を登り適当な部屋を選んでそのまま倒れていた。
綺麗に整頓されている部屋。微かに甘い香り。女の子の部屋だったかな。役得だ、まだツキは落ちて無いようだ。
しかしユーマの野郎、今度会ったら殺す。嫌われているとは思っていたけれど、何を勘違いしやがったんだ。これでアラナにもしもの事があったらどうする!?
ユーマバシャールに呪詛の一つも掛けてやりたいが、それより考えないといけない。アラナは今どこで何をしているのか。
アラナはあんなに可愛くても修羅場を何回も潜っている。身体が動かなく、一人になった事で不安になったのだろう。それで治療所を抜け出したのか。
アラナならどうする? アラナなら身体が満足に動けなくても僕達がいる北門に向かおうとしたはずだ。オリエッタとすれ違ったとしても、そんなに早くは動けない。
だけどオリエッタは見付けられなかった。きっと周りを探した上で怪我人を運んで来たのだろうから、アラナほ治療所の近くにはもういない。
もっと北門に近い所まで行ったに違いない。その時に僕達の撤退を見ていただろうか。もし見ていたら追って来ただろうか。
それにしても足が痛い。涙も血も止まったけれど、怒りは沸いてくる。今度会ったら同じ目に合わせてから殺してやる。
アラナが追って来たとしても追い付ける訳もない。北門が破られるまで移動したとしても、それほどの距離はないが、治療所から北門までの範囲となると広くなる。
ユーマの野郎の両足を切り落として地面にキスをさせよう。その後は両手を切り落としてもいいな。命乞いは右から左へ聞いてやる。
北門が破られたらアラナならきっと近くの民家に身を隠すはずだ。家を一軒一軒、調べあげるのは大変だろうけど治療所から北門まで最短距離を進んでると考えれば、それほどの数でもないかな。
ユーマの野郎は、命乞いと悲鳴を上げさせてから首をはねる。やった事を後悔して死ね。いや、後悔する前に殺してやろうか。
唯一の救いはアラナが亜人だと言う事か。捕まったとしても人よりは酷い目に会わないだろう。これがクリスティンさんだと思うとゾッとする。
僕は待った、色んな事を考えて。楽観的から悲観的な事をジェットコースターの如くグルグル回りながら。待つだけの時間がこれほど苦痛だったなんて……
夜も更けたころ、僕は立ち上がる。傷は塞がり血は止まった。痛みも引いて走る事も出来る、神速も出た。あまり使い過ぎると傷口が開きそうだが、それは気のせいにしておこう。
傷口が閉じて本当なら直ぐにでも行きたかった。でも僕は戸惑った。今、行った所で神速もない僕に何が出来るのだろうかと。
目的はアラナの救出で、助けて逃げ出すこと。戦う事が目的じゃないけれど、動ける様になっても、動かない自分が正しいのか迷った。
こんな何もしないで、神速が回復するのを待つ間にアラナに何か合ったらと考えると、自問自答がまた繰り返される。
だが我慢して待ったかいはある。神速も使えるし光の剣の僕の分までの魔力は補充出来てる。後はアラナを探すだけ、邪魔するものは全て殲滅。
殲滅と言っても手当たり次第に殺しまくってはキリがない。心眼を使ってオーガをやり過ごし、見付からない様に移動した。
最初に目指すは別れた治療所。そこから北門に向かって移動する。最短距離の家を全部見回してから中央の城に向かおう。それでも見付からなかったら…… 殲滅も已む無し。
僕は街中を通るより壁際の方が敵は居ないと思い、西側の壁に向かった。クリンシュベルバッハ城を右手に見えた頃から街中を抜け治療所に向かった。
途中、一度だけ避けきれないオーガの一団がいたが、やり過ごす時間が惜しかったので殲滅した。光の剣は使わなかったが神速と機先の心眼で声を上げる暇を与えなかった。
スプラッタは平気だ。傭兵をやってれば血ぐらいみる。白百合団に入っていれば自分の血を良く見る。だけどグロは苦手だ。
殲滅したオーガは食事の途中だったのか、大きな鍋に火をかけ、コトコトと煮込んでいやがった、人を……
人はオーガにとっては家畜なのか。もっと美味しい物もあるだろ。文化の違いによる食生活の違いに否定はしないが、これはダメだ。
もしアラナがこうなっているかと思うと、足の痛みが出るくらい神速が速くなる。アラナを鍋に入れてはいけない。アラナはベッドで食べた方が美味しいんだ。 ……誰にも分けないけどね。
治療所に向かう街中で、左手の方から感じる大きな気配。大きいより多いかな、かなりの人数がいるような気配。僕は治療所に向かうより先にそちらに行った。何となく、何となく行った方がいいような……
多い気配は人だった。魔王軍の捕虜になった人達なのだろう。廻りはゴブリンが監視に立ち、皆ボロボロに汚れ虚ろな目をして座らされていた。
助けてあげたい…… そんな気持ちは一つも沸き上がらない。僕が助けに来たのはアラナ一人であって、ここにいる人達じゃない。
悪いがアラナ一人と囚われた千人なら、躊躇わすアラナを選ぶ。僕は勇者じゃないからね、助けて欲しかったら他をあたってくれ。
建物の陰から覗いている僕と目が合った一人の亜人、アラナでは無い。同じ猫化と思われるが、アラナより身長は高そうだし色気なら三倍はある。
服は汚れ、その表情に以前の美しさも見る影が無くなっていた。目を合わせて助けを求めようとしたのか、僕の方に手を伸ばしたが直ぐに力無く項垂れてしまう。もう無理と悟ったのか、僕に迷惑を掛けなく無かったのかは分からなかった。
僕は亜人がいるならアラナもこの中にいるのではと思い、特定広域心眼で端から端まで探してみた。中央より手前の方、見覚えのあるアメショーの毛並み。アラナか!?
ぐったりと倒れて横になり身動き一つ取ってない。顔を見ようと意識を集中して見付けた、アラナだ! 建物の陰を飛び出し神速。周りで監視をしているゴブリンの三匹を殲滅して側に駆け寄った。
「アラナ。迎えに来たよ」
僕は眠っている子を起こすかの様に静かに言った。ゴブリンが騒ぎ出すだろうけど、あんなのは、ぶち殺して逃げればいいだけ。今はアラナの安否が一番だ。
「だ、団長…… ごめんなさいッス。ま、待っていられなかったッス……」
無理にでも一緒に連れていけば良かった。毒に侵され満足に動けず這っていたんだろう、服が汚れてしまったね。早く逃げ出して洗ってあげるよ。
「直ぐに連れ出しますよ。アラナは眠っていてかまいませんから」
伸ばして来た手を取って僕は答えた。ここにもう用は無い。毒で苦しそうだが治療はしたから運んでも大丈夫だ。僕はアラナを背負って神速で逃げる。
「お、俺も連れ出してくれ!」
誰だ、お前? 男なら自力で何とかせんかい!
「わ、わたしも連れてって!」
もう一人くらいなら頑張れば何とかなるかな。
「わしを連れて行ってくれれば金を払うぞ」
借金の肩代わりをさせたいけど重量オーバーだよ。
「……」
ガキ! こっち見んな。悪いことしてるみたいだろ。
「だ、団長…… みんなは……」
僕の目的はアラナだけ。ヤバい橋を渡るのもアラナの為。ここに居たら女は犯され男は奴隷。最終的にはオーガの胃袋の中か。逃げたい気持ちは分かるが定員オーバーだよ。
「アラナ、 ……ごめんね」
「……ダメッスよ。ダメッスよ、団長」
たった一人で何が出来るんだよ。ここの捕虜は何人いる? 見張りのゴブリンも気付き始めたし、武器も持っていない市民は戦えもしない。下手に暴れれば死期を早めるだけだよ。
「アラナ、 ……ごめんね」
僕はアラナを背中から降ろした。アラナは驚いた様子で僕を見上げる。置いていかれると思ったのだろうか。神速!
黒光りの懐かしいゴキブリナイト。アンテッドナイトとか言ったか? 忌まわしい記憶も蘇る。あの変態女魔族、アルマ・ロンベルグ。
襲い掛かるアンテッドナイトの斬撃避け、神速で討ち掛かるも致命打どころか鎧にさえ届かない。魔法防御の透明な膜が厚くまとわり付いて邪魔をする。
この前に会った時は神速でも通用したのに。魔法防御なんて厄介な物を付けやがって、これがアンテッドナイトの本来の実力か。
「久しぶりに嗅ぐ香りに釣られて来てみれば「夫殿」だったなんて、何て奇遇、何て運命」
そんな運命なんて感じません。出来ればこのまま見逃してくれよ。夫殿の頼みを聞いてくれるような、優しい嫁さんじゃないけどね。
「アルマちゃん久しぶり。僕は仕事に戻らないといけないから、門まで見送ってくれると嬉しいな」
「ハハハハッ。夫殿のいる所はわたしの側さ。早く式を挙げようよ」
誰が魔族なんかと結婚するか! お前にやられた事を忘れてねぇぞ。今度は逆に殺ってやるからな…… と、行っても神速しか使えず魔法防御で苦戦は必至だが、それは教えてあげない。
「だ、団長……」
アラナを抱えて何処まで逃げ切れるか。ここで斬り合っても何処まで戦えるか…… フラッシュバンをオリエッタからもらってくれば良かった。
「おや、知り合いかい? どうやら動けなさそうだね。どうする? 殺り合ってからでも構わないよ」
アンテッドナイトは最初の一撃から動かない。それは僕の実力を知っているからか、アルマが指示を出さないからか。このまま睨み合ってもこちらが不利になるのは変わらなさそうだ。
「僕も構わないですよ。あの時とは違うレベルの力は手に入れてますからね。光よ!」
高温と眩い光を発して形取るビームサーベル。僕の魔力だけでは短時間しか扱えないがハッタリにどのくらい役に立つか。
「おぉ、怖いね。わたしはミカエルさえ手に入れば構わないのだけれど…… そうだ! ミカエルがここに残ってくれたら、その娘は逃がしてあげるよ。それだけじゃない、ここにいる捕虜の管轄はわたしだから、それも一緒にあげよう」
ずいぶんと大盤振る舞いじゃないか! 上手い話には裏があるものだが、その裏が僕なら尚更だ。アラナ一人が助かるなら残ってもいい。
この数を相手にアラナまで守って逃げるのは無理そうだから。他の人間もって言う事は、僕の力はそれなりに認められた証拠か。
今は神速がやっと出るくらいだけど、モード・スリーまで出せる様になれば戦う事も逃げる事も出きるだろう。何かするなら一人の方が身軽でいい。
「約束は守れよ。 ──アラナ、この剣をオリエッタに渡しておいてね。魔力を補充して、握りをもう少し太くしてもらって」
「団長、ダメッス……」
「僕は大丈夫だよ。どうやら結婚式を挙げるみたいだし殺される事はないよ。 ──そこのオバチャン、アラナをよろしく……」
「決まりだね。 ──お前達はこの捕虜を西門から出しな。さっさとやらないか!」
止めるアラナを振り切って僕はアルマ・ロンベルグの元に歩いた。この選択が間違っていない事を祈るよ。全員が無事に逃げ出せる様に……
「おぉ、まだ安心が出来ないねぇ。服を全部、脱ぎな。何も持ってない事を証明しないと」
西門に追いやられる捕虜を後ろに僕は服を脱いだ。全部、脱がされた。パンツくらいは履かせて…… 僕の選択は間違ったのかも知れない。
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