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第二百六十四話
しおりを挟む「行きます。申し訳ありませんが、荷物の様に運ばせてもらいます」
日も落ち、空を飛ぶサンダードラゴンの数が減ったのを広域心眼で確認して、僕はセリーナ嬢を背負った。
カーテンの端切れでロープらしい物を作り、セリーナ嬢をリュックの様に背負った。本当ならお姫様抱っこがしたい所だけど、手足の力が入らない人を運ぶなら背負うのが一番だ。色気は無いけど、逃げ出すのには丁度いい。
「任す……」
任されましょう。逃げ出した暁には、ユーマバシャールに無事の報告をしてもらい、神速の張り手を喰らわせる許可が欲しい所だよ。待ってろユーマバシャール! ビッグプレゼントを持って帰るぜ! 僕はプレゼントを持って、こっそりと裏口から外に出た。
北門に向かえば戸締まりもされてる事も無く、鍵も掛けてなければ扉は開きっぱなし。これでは泥棒さんウェルカムなのだが、出て行く僕達には「飛ぶ鳥跡を濁さず」だ。
広域心眼を半円球に広げても、空を飛ぶサンダードラゴンは二頭くらい。他は自由に寝ている様だった。
本当に都合がいい。ここまで都合がいいと嫌な予感めいた物を感じるのは、僕が悲劇のヒーローだからかな。そんなヒーローの最後は死ぬのだろうか。
前世では魔王と相討ち。でも、あれは僕が神速を使えきれなくて、目の前を素通りしたからで、今ならモード・シックス…… 余裕で使いこなせる、モード・フォーで楽勝だろう。
このサンダードラゴンの件で、僕は心に決めた事がある。だが、今はセリーナ嬢を無事にユーマバシャールに会わせるのが先だ。
きっと涙を流して喜んでくれるだろう。今までの非礼を詫びるかもしれない。恥じ入って「切腹」するかもしれない。切腹はこの世界で聞いた事はないけれど、感謝はしてくれるだろう。
そんな僕は平然として「気にするなよ、友達だろ」と、言っておこう。その後で前国王暗殺の犯人として、今回の身勝手な軍事行動の見せしめとして、絞首台に上がってもらう。
今から楽しみだ。そう思いながら神速で走る僕はモード・シックスまで駆けあがった。
脱出は何も問題が無く進んだ。僕の沸き上がる感情とセリーナ嬢の軽さがモード・シックスを持続させ続け、気が付けば一時間を越えていた。
ここまで来れば大丈夫だと。僕は歩く事よりも休む事を選んで、何処かで朝まで休めないかとホテルを探した。
残念な事に、クリスマス時期のホテルはどこも満室で出遅れた感じは否めないが、そこは仕方が無いとしよう。出来れば車の中でとも考えたが、馬車を持ち出すと音が響くからね。
「セリーナさま、ここで朝まで休みます。明日の夕方にはシュレイアシュバルツの街に入れるでしょう。ユーマバシャール殿も待っておられます」
少々、見栄も張った。本当は息も絶え絶えで休みたいのはこちらの方だ。酔わせてホテルに連れ込むのが、飲み過ぎて寝ちゃうパターンだな。
「任す……」
僕達は街道を離れ、草原の中に入って行った。そんなに草木は高くないけど、ここまで来ればサンダードラゴンも飛んで来ないだろう。明日には川で水の補給をしてシュレイアの街を目指そう。
こんな時にも、男として先に寝る訳にはいかないが、疲れか飲み過ぎか、僕は早々に寝てしまった。
朝が来て、セリーナ嬢に「おはようのチュ」をしようと覗き込むと、先に起きていたのか「おはよう」と言われてしまった。目覚めの「チュ」は良いものなのに……
朝日に当たったセリーナ嬢を良く見直せば、痩せ細っているのは言い過ぎかと思った。笑顔は無かったが、ヒマワリの様な笑顔もすぐに取り戻せるだろう。その後でチューしようね。
「食料は有りませんが、水なら少し有ります。飲んだら行きます」
僕はセリーナ嬢を抱え上げて水を飲ませた。セリーナ嬢は僕に飲むように進めたが、残りも少ないのと水の補充の宛もあったので構わなかった。 ……しまった! 口移しと言う手があった!
昨日と同じ様に担ぎ上げリュックの様に背負うと、足に掛かる力が増えた様な気がする。女の子の前で格好付ける為に神速を多様したのが不味かったか。
僕は神速を使っても速歩きくらいのスピードで、セリーナ嬢を背負って先を急いだ。今度は抱っこか、お姫さま抱っこしてあげるね。
川の流れている宛があるので、そこまでは速歩きで進んだ。セリーナ嬢は黙って背負われているだけだと思ったのだが、安心からか少し話を始めた。
「あの後、我が国はどうなった……」
知らなかったんだ…… ハルモニアは敗戦の繰り返しで王都も追われ国王陛下もアンネリーゼ・フリューゲン女王陛下に代わった。ドワーフの自治領での戦も王都を取り返した事もアシュタール帝国やロースファー、ケイベックが協力している事も、全てを包み隠さずに教えた。
少しだけ…… ほんの少しだけ、誇張したのは僕が勇者になった事。何となく問題の無い人を勇者にした感は否めないが、一介の傭兵から連合軍の総司令官になり、アシュタール帝国の伯爵に上り詰めた僕は出世街道まっしぐら。
もう少し上を見たらハルモニア国王かアシュタール帝国の侯爵の位も待っている。ケイベックには美人の女の子が待っている。
「そうか…… 出世されたな、勇者シン殿……」
そう! 出世してお金持ちになったんだよ。使う暇が無いから貯まる一方です。貴女の義手や義足も高級品を用意出来るしオリエッタに頼めば、便利なのを作ってくれるよ。もしかしたらソフィアさんが治せるかもしれないしね。
……それで ……それでも泣くのですね。首筋に伝わる濡れた感じはセリーナ嬢の涙か……
ハルモニアからは魔物を追い払います。もう誰も泣かずに済むように、僕は神速を使いましょう。戦ももうすぐ終らせます。「じっちゃんの名にかけて……」 僕の剣にかけて……
川に着くと僕はセリーナ嬢を降ろして水を汲みに行った。水筒に水を入れ、タオルを濡らしてセリーナ嬢を拭いてあげようとした。
もう涙は枯れてしまったのか、泣いている事はなかった。僕は顔に残る涙の跡が消える様に丁寧に拭いた。
「身体も拭いてくれ……」
そう言われましても…… 今はカーテンの春巻き状態で、脱がせばこの世界では下着扱いになるシャツと短パンだ。女性が男に見せる姿では無い。
もちろん着エロ崇拝者としては、その程度では何とも思わないが、この世界では男女の関係になってから見るものだ。魔術師だって治療の時に服は脱がさないよ、例外は一人いるけどね。
アンハイムの街では見たけれど、あれは必要に迫られてで、改めて言われると見てはいけない物を見る様で少し恥ずかしい。
「よろしいのですか? 街に戻れば侍女がいますが……」
「見てくれ……」
見てくれ? 拭いてくれじゃなくて、見てくれ? 見てくれと言われると、とたんに恥ずかしくなる。本当に見てもいいんですか? 後で斬るとか無しでお願いしますよ。
僕は見た…… いや、拭いた。拭くためにカーテンを外し、見える所だけを拭いた。手足は今にも動きそうだったが、拭いていても筋肉を動かす感触も無かった。
「……どうした、シン殿。手が震えている様だが」
それはね、見ず知らずまではいかなくても、女の子の手足を拭いてるんですよ。緊張の一つもするでしょ。僕は「童貞」 ……でも無く「うぶ」 ……でも無く、ガラスのハートの持ち主なの。手足の腱を切られて動けなくなった事を考えると……
「服を脱がせてくれ……」
「セリーナさま…… それは、さすがに……」
「構わん。 わたしは…… 女として、生きられるのか……」
大丈夫ッス! 今のままでも可愛いッス! 僕の好みはグラマーッス! なんて、スネークの脳内妄想ナレーションが囁く。
ちょっと五月蝿いから黙っていてくれ。これはヤバいですよ。その服の下がどうなっているかは、容易に想像がつく。腱を切られて動けなくさせ、欲望の限りを一身に受けた身体を見ろだなんて……
僕はセリーナ嬢の後ろに周り、肩から上がらない腕を片方ずつ脱がした。背中には鞭で打たれた跡が痛々しい程に盛り上がり、触れる事が禁忌を犯す。
「セリーナさま……」
「背中でそれだ…… 前を見てみろ…… 」
見たくない。だが、引けぬ。セリーナ嬢も覚悟が有って見せるのだろう。その覚悟を見届けなくて何が男だ! 背中を押さえて見るセリーナ嬢の身体には、僕の戦場での経験を遥かに凌いだ。
「焼きごてだ…… 魔族の一人が腐ったヤツでな…… この有り様だ……」
言葉を無くして怒りが沸き上がる。僕からヒマワリの笑顔を取り上げたヤツらには死の制裁をくれてやる。
「セリーナさま……」
何て言えばいいのだろう。かける言葉が見付からない。スネークは頼りにならないし、僕のボキャブラリーは貧困だし……
「セリーナさま…… セリーナさまは絶対に幸せになります! 間違いないです! ここまで頑張った人が幸せにならないなんて、それこそ間違いです! それが分からない男がいるなら、僕が幸せにします! 絶対です!」
もう少し国語の勉強を頑張れば良かった。格言を読むとか、恋愛マンガを読むとかしておけば良かった。
「……ありがとう」
細く囁く様な言葉は、僕の国語辞典の購買意欲を駆り立てた。
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