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第4章 主人公
第37話 抑えきれない想い
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砂金愛は、ふーこにそっくりな恰好をしてネクロ野郎と呼ばれる男の寝室のドアをノックした。
ノックしてからドアがガチャリと音をたてるまでの数秒間ですら、無限の時間のように感じられて、緊張で身体は強張って、背中は冷や汗のような嫌な汗がじわりじわりと噴き出てくる。
やがて、ドアが開かれて、自分の姿を見て、間抜けにぽかんと口を開いて自分を見つめる男の表情が、いつも見る能面のような表情の印象とはかけ離れていて、思わずおかしくて噴出しそうになる。
「は?」
男は目を点にして短く音を発すると、きょろきょろと後ろでベッドに横になっているふーこと愛の間を何度も首を振って確認する。
その挙動不審な様子が、これまた可笑しくて強張った身体はほぐれて緊張が解けていくのがわかる。
私は、後ろでクスクス笑っているであろう千鶴の悪戯っ子な笑顔を脳裏で描きながら、ネクロさんに精一杯、にこっと微笑んでみせた。
そうは言っても、口の端はプルプルと震えていたに違いない。
ネクロさんがふーこちゃんと、周辺のゾンビを追い払って、バリケードで塞いで、安全な道、安全なエリアを作ってくれたことで、私と千鶴はちょっとずつ、ちょっとずつ集めていた。
ふーこちゃん仮装グッズを――
ふーこちゃんの髪型に印象の似た茶髪の癖っ気のあるウィッグは、あの癖を再現したものがないので、千鶴がうまいことやってくれた。赤いカラーコンタクトはなかなか無かったが、安全エリアギリギリにあった大型雑貨店で見つけた。私とふーこちゃんは顔立ちは似ているが、目は私の方がやや釣り目だ。
部活でバレーをやっていたころは、先輩から生意気そうな目つきだとなんど絡まれたことか。
それを、千鶴がメイクでどうにかしてくれた。
じっくりと細部を確認されれば違いはわかってしまうが、ぱっと見は随分似たように思う。
男受けしそうな清楚な感じの白いワンピースを身に着けて、彼の元へ……。
しかし……。
「もしかして、愛か?」
彼が私だと見抜く。そりゃそうだ。だって、このマンションには4人しか住んでないのだから。
千鶴じゃなければ、私だろう。
「……うん……」
口がうまくまわらない。
ふーこちゃんのお陰で、頭の濃い霧は晴れていき、恐ろしくて仕方が無かった叫び声は聞こえなくなっていった。
しかし、口はうまくまわらない。うまく話せない。
頭の中では、こんなに普通に喋っているのに、考えているのに、それを表に出そうとすると途端に口は動かなくなる。
ナニカの後遺症なんだろうか……。
「びっくりしたよ。ふーこがもう一人いるのかと思った」
そう言って、彼は優しく微笑んだ。
いつもふーこちゃんにだけ見せる優しそうな微笑みが、今自分に向けられている。
なんだか、身体がかっと熱くなって、顔が真っ赤になっていく感覚が湧いてきて、恥ずかしいという感情がワンテンポ遅れてやってくる。
「……こういうの……好きかと……思って……」
まわらない口をなんとかゆっくり必死に動かして言葉を紡ぐ。
彼は、たどたどしくて、恐らくイライラしてしまうだろう私の言葉、一つ一つを表情を変えずにじっくりと待って聞いてくれた。
「うーん。まぁ、正直好きだけど。愛がそんなことをしなくても、愛だって十分可愛いよ」
「え……うん……」
顔がどんどん赤くなっていく気がして、思わず顔をうつむかせた。
「もしかして、千鶴が思いついたどっきりか?」
「え……あぁ……」
色々なことを彼に伝えたいのに、私の口はまどろっこしくて自分でもいらいらする。
そうだと思って、スマホを取り出した。
彼の目の前で手早くフリック入力して送信する。
インターネットが使えなくはなったけれど、同じLAN内にいる端末同士ならメッセージは送れるだろう。
ピコっ
短い電子音が彼のズボンから鳴り、彼もスマホを取り出して画面を見た。
『口うまく動かないから、もしかしたらこっちの方が早いかも』
彼が画面を見たであろう数秒の間の後言う。
「まぁ、これでいいなら別にいいけど、どうしたんだ急に?」
私は彼の顔を見るのが恥ずかしくて、ひたすら画面を凝視しながら必死にフリック入力した。
『ふーこちゃんと繋がっていた時があるからかな。なんか、ふーこちゃんと自分がだぶるの。だから、ちょっとこの格好してみたの。元々、ふーこちゃん可愛いなって思ってたし、私、女の子っぽい恰好今まであんまりしたことなかったから、やってみたかったの』
「そうか。いいんじゃないかな。その姿も可愛いと思うよ。ふーこにそっくりでなんか不思議な感じだけどな。ふーこが二人いるみたいだ」
『ねぇ、ちょっと話さない?』
「うん? リビングに行くか?」
リビングでニヤニヤしている千鶴の顔が浮かび、どうしようと頭の中で色々なことがグルグルと渦巻く。
たぶん、千鶴ならそのまま押し倒してしまえというんだろうな。
いつまでも俯いていて目を見ないのも失礼だ。
思い切って、顔を上げる。
目の前にイケメンといって差し支えない整った綺麗な顔がある。
その顔は、優しそうに私を見ている。
今、この瞬間は私だけを。
途端に、ふーこちゃんとリンクしていたころの感覚が蘇ってくる。
あの鋼のように引き締まった身体に包まれて、あの唇が、首筋、耳、そして胸やお腹にキスをする。
心臓がばくばくと動悸のように激しく打ち鳴らし始める。
華奢そうながら、確かに男の子の手が、身体のあちこちを撫で、揉み、そして女のそこへ指を……。
もし、これが漫画やアニメなら、私の頭から湯気のエフェクトが立ち上って、やがて、やかんが湯をわかしたかのように、ピーっ! と辺り一面に勢いよく湯気をまき散らしたことだろう。
お風呂でのぼせたかのように、だんだんと胸がいっぱいいっぱいになってきたと共に、だんだんと気持ちが悪くなってくる。さーっと血が頭から足元まで下ったかのようになって、景色がぐるぐると回り始める。
「大丈夫か?」
その一言で、私はふらついて彼の胸元に飛び込んでしまった。
「おい! どうした!?」
自分の頬に彼の硬い男らしい胸板の感触が布地越しに伝わってきて、やがて彼の腕が私を包んでくれたのが伝わってきた。景色がぐるぐる回る中、思わず小さな幸せを感じてしまう。
もはや、フリック入力どころではなく、手からスマホはするりと、そして、ゴトンと音を立てて床に落ちた。
「千鶴に何か強い酒でも無理やり飲まされたのか?」
そう言うと彼は、私を軽々とお姫様抱っこをして寝室のダブルベッドに、ふーこちゃんの隣に、私を横たえた。
「全く。千鶴のやつは……おい、千鶴!」
彼が千鶴に文句を言おうと部屋を飛び出そうとしたから、私はぐるぐる回る景色を見ながら、必死に腕を伸ばして彼の腕の袖口をつまんでひっぱった。
「……違う……違うから……」
「えぇ? なにぃ?」
彼が困っていると、遠くから千鶴の大声が聞こえてきた。
「あんたねぇ。私達を背負うって、向き合うって決めたんでしょー! だったら、愛ともちゃんと向き合いなさいよ!」
「えぇ……?」
彼が困惑の声を漏らす。
それはそうだ。急にふーこちゃんの格好で現れて、急にへにょへにょになって倒れこんでるんだから、それで向き合えと言われても、何と? と思うだろう。
私の隣にはくぅくぅと可愛い寝息をたてて眠る本物のふーこちゃん。
女の私から見ても、びっくりするくらい美人さんで、ゾンビだからなのか透き通るような白い肌、そして回復力のせいなのか、シミ一つないのは、本当に羨ましい。
愛らしい目に、長いまつ毛。私のように付けまつ毛でどうにかというものではない。天然のまつ毛。
均整の取れた流れるようなスレンダーな体型のくせに、お尻は小ぶりだけど胸はしっかり主張している。
ずるい。
ゾンビだけど、ずるい。完璧すぎる。
なにより、美しいのに、可愛いさもあるのがずるい。
そんな私からすれば、私なんて神のように美しい存在を真似た偽物でしかない。
ベッドに横並びになったことで、彼がふーこちゃんと私を見比べられるようになってしまったことが、なんだかみじめに感じて、じわじわと目の縁に涙が溜まってきたように思う。
「本当にどうしたんだ? 何か言いたいことがあるなら……」
彼がベッドの横にある椅子に座りながら、私の頭を撫でて言った。
フリック入力しようにも、スマホはドアのところに落ちている。
私は撫でてくれていた彼の手をとって、私の頬に擦り付けて言う。
「……うまく……口がまわら……ないの。だから……察して……感じて……?」
完全な存在の横にいる、まるでダメダメな不完全な存在。
この世界に神様がいるなら、随分と残酷だ。
目の縁に溜まってきた涙は、やがて、はらりと頬をつたわり、彼の手を少し湿らせた。
困った表情のまま、ぴくりぴくりと眉や眉間の皺、口周りの筋肉が動く彼。
何かを必死に考えてくれているそんな様子が見て取れる。
彼の感情が、思考力が、今だけ全て自分のために使われていることに幸せを感じながら、彼の次の言葉を待った。
「……いつもありがとう」
彼が悩みに悩んで捻りだした言葉は感謝の言葉だった。
「愛があの時、倒れている姿を見たとき、自分でもびっくりするくらい頭に血が上った。何かドラマがあったわけでも、きっかけがあったわけでもない。でも、気がついたら愛が思った以上に自分にとって大きな存在になっているのに気づいた。ただただ、一緒に生活をして、いるのが当たり前になって、家事も積極的に手伝ってくれて、千鶴と違って、安定して色々やってくれるのは、思った以上に安心感があった。愛が、俺と千鶴のやりとりを、可愛く微笑んで見つめてくれている、なんだか、こんななし崩しで始まった生活だが、悪くないなと思ったんだ」
彼はそこまで一気にまくしたてると、ふぅとため息をひとつ。
そして、じっと私を見つめてゆっくりと言う。
「ごめん。タカクラデパートで君がやられそうになったとき、正直、助ける価値があるのかと一瞬思ってしまった。だけど、今は本当に3人を背負うつもりでいる。だから……。そんなことをする必要はないんだ。もし、追い出されるような心配をしているのなら、そんな必要はないってわかってくれ。何か俺の態度が愛を不安にさせたとしたなら、申し訳ない」
彼はそう言って、私に頭を下げた。
違う。
そうじゃない。
彼は、私が不安に駆られて、彼の好感度を稼ごうと必死になっていると思っている。
そうじゃない。
でも、もう一人の私が頭の中で冷たい声で言う。
『あなたのその感情は偽物なの。本当は全部ふーこちゃんのための感情なの。ふーこちゃんの感覚を疑似体験したからなのよ。言い換えれば、乙女ゲームを遊んでいて、ヒロインの出来事を自分のものと思い込んでしまうのと同じよ。本当にそれでいいの? あなたの本当の感情はなにもないのよ? もし、平和な世界で彼と出会っても、あなたは彼のことを好きにならないわ』
――そうね。きっとそうだと思う――
『よかったじゃない。彼を好きにならなくても、追い出したりしないって。奴隷のように性的に奉仕しなくてもいいのよ。ちょっと家のことをやっているだけで、生きていけるの。だったら、それでいいじゃない』
――うん。普通に4人で仲良く暮らす。それが一番良いのかも――
『さぁ、そのウィッグをとって、メイクも落として、ありのままのあなたで生きなさい』
――それでも――
――例え、偽物でも。勝手な思い込みが始まりだとしても――
彼の匂いが好き。
彼の彫刻のような肉体が好き。整った顔が好き。
稀に見せる優しい微笑みが好き。
こんな世界でも生き抜ける力強さが好き。
ふーこちゃんと向き合おうとしている彼が好き。
彼が欲しい。
もうこれは、理屈じゃない。
感情とか頭で考えられるものじゃない。
身体が欲しがっている。
彼そのものを。
例え、ふーこちゃんを裏切ったとしても……。
私は、彼が好きだ。
これが、動物的な本能により好きなのか、男女の愛なのか、それはわからない。
でも……。
私は、彼の手を自分の胸に押し当てた。
ふーこちゃん程大きくない私の胸を、彼の手がふわりと私の胸を押し形を変えさせる。
ドキドキと心臓は高鳴り、顔は真っ赤に。
涙はぽろぽろと零れて、かすれる声で言葉を絞り出した。
「……好きです……あなたのことが……本当に……」
彼が手に入るのなら、私はふーこちゃんの偽物でも、何にでもなろう。
彼が好きそうなことはなんでもしよう。
結局、理屈じゃない。
考えるより先に身体が動く。
あぁ、8種類の愛だっけ? これは何になるのだろう……。
ノックしてからドアがガチャリと音をたてるまでの数秒間ですら、無限の時間のように感じられて、緊張で身体は強張って、背中は冷や汗のような嫌な汗がじわりじわりと噴き出てくる。
やがて、ドアが開かれて、自分の姿を見て、間抜けにぽかんと口を開いて自分を見つめる男の表情が、いつも見る能面のような表情の印象とはかけ離れていて、思わずおかしくて噴出しそうになる。
「は?」
男は目を点にして短く音を発すると、きょろきょろと後ろでベッドに横になっているふーこと愛の間を何度も首を振って確認する。
その挙動不審な様子が、これまた可笑しくて強張った身体はほぐれて緊張が解けていくのがわかる。
私は、後ろでクスクス笑っているであろう千鶴の悪戯っ子な笑顔を脳裏で描きながら、ネクロさんに精一杯、にこっと微笑んでみせた。
そうは言っても、口の端はプルプルと震えていたに違いない。
ネクロさんがふーこちゃんと、周辺のゾンビを追い払って、バリケードで塞いで、安全な道、安全なエリアを作ってくれたことで、私と千鶴はちょっとずつ、ちょっとずつ集めていた。
ふーこちゃん仮装グッズを――
ふーこちゃんの髪型に印象の似た茶髪の癖っ気のあるウィッグは、あの癖を再現したものがないので、千鶴がうまいことやってくれた。赤いカラーコンタクトはなかなか無かったが、安全エリアギリギリにあった大型雑貨店で見つけた。私とふーこちゃんは顔立ちは似ているが、目は私の方がやや釣り目だ。
部活でバレーをやっていたころは、先輩から生意気そうな目つきだとなんど絡まれたことか。
それを、千鶴がメイクでどうにかしてくれた。
じっくりと細部を確認されれば違いはわかってしまうが、ぱっと見は随分似たように思う。
男受けしそうな清楚な感じの白いワンピースを身に着けて、彼の元へ……。
しかし……。
「もしかして、愛か?」
彼が私だと見抜く。そりゃそうだ。だって、このマンションには4人しか住んでないのだから。
千鶴じゃなければ、私だろう。
「……うん……」
口がうまくまわらない。
ふーこちゃんのお陰で、頭の濃い霧は晴れていき、恐ろしくて仕方が無かった叫び声は聞こえなくなっていった。
しかし、口はうまくまわらない。うまく話せない。
頭の中では、こんなに普通に喋っているのに、考えているのに、それを表に出そうとすると途端に口は動かなくなる。
ナニカの後遺症なんだろうか……。
「びっくりしたよ。ふーこがもう一人いるのかと思った」
そう言って、彼は優しく微笑んだ。
いつもふーこちゃんにだけ見せる優しそうな微笑みが、今自分に向けられている。
なんだか、身体がかっと熱くなって、顔が真っ赤になっていく感覚が湧いてきて、恥ずかしいという感情がワンテンポ遅れてやってくる。
「……こういうの……好きかと……思って……」
まわらない口をなんとかゆっくり必死に動かして言葉を紡ぐ。
彼は、たどたどしくて、恐らくイライラしてしまうだろう私の言葉、一つ一つを表情を変えずにじっくりと待って聞いてくれた。
「うーん。まぁ、正直好きだけど。愛がそんなことをしなくても、愛だって十分可愛いよ」
「え……うん……」
顔がどんどん赤くなっていく気がして、思わず顔をうつむかせた。
「もしかして、千鶴が思いついたどっきりか?」
「え……あぁ……」
色々なことを彼に伝えたいのに、私の口はまどろっこしくて自分でもいらいらする。
そうだと思って、スマホを取り出した。
彼の目の前で手早くフリック入力して送信する。
インターネットが使えなくはなったけれど、同じLAN内にいる端末同士ならメッセージは送れるだろう。
ピコっ
短い電子音が彼のズボンから鳴り、彼もスマホを取り出して画面を見た。
『口うまく動かないから、もしかしたらこっちの方が早いかも』
彼が画面を見たであろう数秒の間の後言う。
「まぁ、これでいいなら別にいいけど、どうしたんだ急に?」
私は彼の顔を見るのが恥ずかしくて、ひたすら画面を凝視しながら必死にフリック入力した。
『ふーこちゃんと繋がっていた時があるからかな。なんか、ふーこちゃんと自分がだぶるの。だから、ちょっとこの格好してみたの。元々、ふーこちゃん可愛いなって思ってたし、私、女の子っぽい恰好今まであんまりしたことなかったから、やってみたかったの』
「そうか。いいんじゃないかな。その姿も可愛いと思うよ。ふーこにそっくりでなんか不思議な感じだけどな。ふーこが二人いるみたいだ」
『ねぇ、ちょっと話さない?』
「うん? リビングに行くか?」
リビングでニヤニヤしている千鶴の顔が浮かび、どうしようと頭の中で色々なことがグルグルと渦巻く。
たぶん、千鶴ならそのまま押し倒してしまえというんだろうな。
いつまでも俯いていて目を見ないのも失礼だ。
思い切って、顔を上げる。
目の前にイケメンといって差し支えない整った綺麗な顔がある。
その顔は、優しそうに私を見ている。
今、この瞬間は私だけを。
途端に、ふーこちゃんとリンクしていたころの感覚が蘇ってくる。
あの鋼のように引き締まった身体に包まれて、あの唇が、首筋、耳、そして胸やお腹にキスをする。
心臓がばくばくと動悸のように激しく打ち鳴らし始める。
華奢そうながら、確かに男の子の手が、身体のあちこちを撫で、揉み、そして女のそこへ指を……。
もし、これが漫画やアニメなら、私の頭から湯気のエフェクトが立ち上って、やがて、やかんが湯をわかしたかのように、ピーっ! と辺り一面に勢いよく湯気をまき散らしたことだろう。
お風呂でのぼせたかのように、だんだんと胸がいっぱいいっぱいになってきたと共に、だんだんと気持ちが悪くなってくる。さーっと血が頭から足元まで下ったかのようになって、景色がぐるぐると回り始める。
「大丈夫か?」
その一言で、私はふらついて彼の胸元に飛び込んでしまった。
「おい! どうした!?」
自分の頬に彼の硬い男らしい胸板の感触が布地越しに伝わってきて、やがて彼の腕が私を包んでくれたのが伝わってきた。景色がぐるぐる回る中、思わず小さな幸せを感じてしまう。
もはや、フリック入力どころではなく、手からスマホはするりと、そして、ゴトンと音を立てて床に落ちた。
「千鶴に何か強い酒でも無理やり飲まされたのか?」
そう言うと彼は、私を軽々とお姫様抱っこをして寝室のダブルベッドに、ふーこちゃんの隣に、私を横たえた。
「全く。千鶴のやつは……おい、千鶴!」
彼が千鶴に文句を言おうと部屋を飛び出そうとしたから、私はぐるぐる回る景色を見ながら、必死に腕を伸ばして彼の腕の袖口をつまんでひっぱった。
「……違う……違うから……」
「えぇ? なにぃ?」
彼が困っていると、遠くから千鶴の大声が聞こえてきた。
「あんたねぇ。私達を背負うって、向き合うって決めたんでしょー! だったら、愛ともちゃんと向き合いなさいよ!」
「えぇ……?」
彼が困惑の声を漏らす。
それはそうだ。急にふーこちゃんの格好で現れて、急にへにょへにょになって倒れこんでるんだから、それで向き合えと言われても、何と? と思うだろう。
私の隣にはくぅくぅと可愛い寝息をたてて眠る本物のふーこちゃん。
女の私から見ても、びっくりするくらい美人さんで、ゾンビだからなのか透き通るような白い肌、そして回復力のせいなのか、シミ一つないのは、本当に羨ましい。
愛らしい目に、長いまつ毛。私のように付けまつ毛でどうにかというものではない。天然のまつ毛。
均整の取れた流れるようなスレンダーな体型のくせに、お尻は小ぶりだけど胸はしっかり主張している。
ずるい。
ゾンビだけど、ずるい。完璧すぎる。
なにより、美しいのに、可愛いさもあるのがずるい。
そんな私からすれば、私なんて神のように美しい存在を真似た偽物でしかない。
ベッドに横並びになったことで、彼がふーこちゃんと私を見比べられるようになってしまったことが、なんだかみじめに感じて、じわじわと目の縁に涙が溜まってきたように思う。
「本当にどうしたんだ? 何か言いたいことがあるなら……」
彼がベッドの横にある椅子に座りながら、私の頭を撫でて言った。
フリック入力しようにも、スマホはドアのところに落ちている。
私は撫でてくれていた彼の手をとって、私の頬に擦り付けて言う。
「……うまく……口がまわら……ないの。だから……察して……感じて……?」
完全な存在の横にいる、まるでダメダメな不完全な存在。
この世界に神様がいるなら、随分と残酷だ。
目の縁に溜まってきた涙は、やがて、はらりと頬をつたわり、彼の手を少し湿らせた。
困った表情のまま、ぴくりぴくりと眉や眉間の皺、口周りの筋肉が動く彼。
何かを必死に考えてくれているそんな様子が見て取れる。
彼の感情が、思考力が、今だけ全て自分のために使われていることに幸せを感じながら、彼の次の言葉を待った。
「……いつもありがとう」
彼が悩みに悩んで捻りだした言葉は感謝の言葉だった。
「愛があの時、倒れている姿を見たとき、自分でもびっくりするくらい頭に血が上った。何かドラマがあったわけでも、きっかけがあったわけでもない。でも、気がついたら愛が思った以上に自分にとって大きな存在になっているのに気づいた。ただただ、一緒に生活をして、いるのが当たり前になって、家事も積極的に手伝ってくれて、千鶴と違って、安定して色々やってくれるのは、思った以上に安心感があった。愛が、俺と千鶴のやりとりを、可愛く微笑んで見つめてくれている、なんだか、こんななし崩しで始まった生活だが、悪くないなと思ったんだ」
彼はそこまで一気にまくしたてると、ふぅとため息をひとつ。
そして、じっと私を見つめてゆっくりと言う。
「ごめん。タカクラデパートで君がやられそうになったとき、正直、助ける価値があるのかと一瞬思ってしまった。だけど、今は本当に3人を背負うつもりでいる。だから……。そんなことをする必要はないんだ。もし、追い出されるような心配をしているのなら、そんな必要はないってわかってくれ。何か俺の態度が愛を不安にさせたとしたなら、申し訳ない」
彼はそう言って、私に頭を下げた。
違う。
そうじゃない。
彼は、私が不安に駆られて、彼の好感度を稼ごうと必死になっていると思っている。
そうじゃない。
でも、もう一人の私が頭の中で冷たい声で言う。
『あなたのその感情は偽物なの。本当は全部ふーこちゃんのための感情なの。ふーこちゃんの感覚を疑似体験したからなのよ。言い換えれば、乙女ゲームを遊んでいて、ヒロインの出来事を自分のものと思い込んでしまうのと同じよ。本当にそれでいいの? あなたの本当の感情はなにもないのよ? もし、平和な世界で彼と出会っても、あなたは彼のことを好きにならないわ』
――そうね。きっとそうだと思う――
『よかったじゃない。彼を好きにならなくても、追い出したりしないって。奴隷のように性的に奉仕しなくてもいいのよ。ちょっと家のことをやっているだけで、生きていけるの。だったら、それでいいじゃない』
――うん。普通に4人で仲良く暮らす。それが一番良いのかも――
『さぁ、そのウィッグをとって、メイクも落として、ありのままのあなたで生きなさい』
――それでも――
――例え、偽物でも。勝手な思い込みが始まりだとしても――
彼の匂いが好き。
彼の彫刻のような肉体が好き。整った顔が好き。
稀に見せる優しい微笑みが好き。
こんな世界でも生き抜ける力強さが好き。
ふーこちゃんと向き合おうとしている彼が好き。
彼が欲しい。
もうこれは、理屈じゃない。
感情とか頭で考えられるものじゃない。
身体が欲しがっている。
彼そのものを。
例え、ふーこちゃんを裏切ったとしても……。
私は、彼が好きだ。
これが、動物的な本能により好きなのか、男女の愛なのか、それはわからない。
でも……。
私は、彼の手を自分の胸に押し当てた。
ふーこちゃん程大きくない私の胸を、彼の手がふわりと私の胸を押し形を変えさせる。
ドキドキと心臓は高鳴り、顔は真っ赤に。
涙はぽろぽろと零れて、かすれる声で言葉を絞り出した。
「……好きです……あなたのことが……本当に……」
彼が手に入るのなら、私はふーこちゃんの偽物でも、何にでもなろう。
彼が好きそうなことはなんでもしよう。
結局、理屈じゃない。
考えるより先に身体が動く。
あぁ、8種類の愛だっけ? これは何になるのだろう……。
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