東京ネクロマンサー -ゾンビのふーこは愛を集めたい-

神夜帳

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第4章 主人公

第39話 贖罪 ①

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 ①

 金森駅からバスで15分ほどいったところに金森区役所があった。
 建物の一階の外壁にあたる部分は全てガラス張りになっていて、広々とした建物をより一層開放感を感じさせる。
 1階部分は売店や、キッズスペース、休憩スペースが主になっていて、来館者がお洒落な本棚にある本を自由に手に取って読むことができるようになっている。
 その本棚の配置も実に凝っていて、原宿など都心にあるブックカフェですと言われても納得しそうなセンスあふれる空間となっていた。区役所という看板がなければ、図書館に見えてもおかしくない。
 エスカレーターか階段で登った2階は、様々な事務手続きをするカウンターが並んでいて、整理券を配る機械や印紙の自動販売機、書類を書く立ちデスクが並んでいる様は、まさに区役所といった感じである。

 ネクロ野郎と呼ばれる男は、木々に囲まれているがゆえに、まるで森の中にポツンとあるように見えるその建物の中にふーこと共に入っていった。
 空はどんよりと暗雲がたちこめていて、太陽は真上に位置しようというのに日の光は僅かで、今すぐにでも雨が降りそうな陰鬱な様子である。


 俺は、ため息をつきながら心ここにあらずな感じで、区役所の壁に貼られた行方不明者情報を一つ一つ見て回る。
 ふーこに関連する情報はないか、それこそ、クリティカルにふーこの情報があればという想いであるが、いまいち集中できていない。
 昨夜の愛の様子を回想して、今夜も愛がふ―この姿で現れたとき、どうすればいいのだろうか? そういったもんもんとしたものに頭の半分以上を支配されてしまっている。
 今日の朝、リビングに行くと愛は昨夜のことなどなにもなかったかのように、いつもの愛の姿でにこりと微笑み、準備した朝食をふるまってくれた。
 昨夜のことにあまりにふれないので、千鶴をとっちめてやろうと思ったが、それすら憚れるような気まずい空気を感じた。ちらりと助けを求めるように千鶴に視線を送ってみたが、千鶴はこちらを見ることなく、ぼそっと「あんたと愛の問題」と呟くと、もくもくとご飯を食べて、さっささとどっかに行ってしまった。
 あれだけのことがあったのに、普段と全く変わらない様子を見せられる……女って怖い。

 はぁ……。

 つきたくなくてもため息をついてしまう。
 すぐ隣にいるふーこの顔を見るのも気まずく感じる。
 ふーこに人間の感情はないとしても、そして、ふーこは俺のことを男として愛していないとしても、なんだか浮気をしてしまったような、なんとも居心地の悪い想いが胸をむかむかさせる。

 いやいや、まだ何もしていないし。
 胸を触っただけだし。

「……あぁぁあああああああああああ!!!」

 ちょっと前まで感じたことのない感情の波に頭の処理が追い付かず、腹のうちからこみあげてくる正体の解らない衝動に身を任せて叫んでみる。
 ちょっとは、スッキリしたような気がした瞬間に……。

 ガタッ!

 背後で大きな物音がした。

 すかさず、ククリナイフを手に取って、柱の陰に身をひそめ、物音の方へ意識を集中する。
 整然と並べられた休憩スペースのテーブル群のなかで、一つだけわずかに位置が乱れているテーブルがあった。

 それを、しばらくじっと見つめていると、さっと何かがテーブルの陰から飛び出す。

「誰だっ!!!!」

 俺が大声で威嚇すると、若い女の震えた声がホールに響いた。

「あ、あなたこそ誰ですか、か、か!? 急に大声を出したら驚くじゃないですか!」

 青いニットに白いスキニーパンツを身に着けた、ぱっと見30代前半くらいの女性がビクビクした様子で立っていた。上品な茶髪のミディアムヘアーは、手入れをしていないのかボサボサと乱れた様子で、顔色は悪く、身体はスレンダーといえば聞こえはいいが、食べていないのか骨ばっている。

 


「誰だ? どこから来た?」

 怯えた様子を見せてはいるが、次の瞬間に手榴弾を投げてくる可能性だってある。
 相手の行動を封じる意味で、わざと低い声で威圧し、注意深く距離をちょっとずつ詰めていく。
 俺が女に近づくと共に、ふーこはいつものように臨戦態勢にはいり、女を八つ裂きにしようと赤い瞳をギラギラと輝かせている。

 女がガタガタと震えだし青ざめる唇から必死に何かをわめきだす。

「こ、こわくなんかないんですから! えぇえぇ、これでも地獄は一杯見てきたんですからっ! 私が!!! 母として!!!! ゆーくんを守ってみせるんだからっ!!!!!!!」
「ゆーくん? 子連れなのか?」
「ゆ、ゆ、ゆーくんをどうするつもり! あっわかった! 食べるんでしょ! ゾンビなんて連れて!!! ゾンビに食べさせるんでしょ!? だめよ!!! だめだめ!!! それだったら、私が食べられてあげるからそれで許して!!!!」
「はぁ?」

 混乱している様子の女をどうしたものかと思っていると、女の後ろの本棚の陰から5歳くらいの子供が飛び出して来て聞き覚えのある声で言った。

「お姉さん! その人、知ってる人だよ! 大丈夫! 天国の人じゃないけど、悪い人じゃないよ! たぶん!」

 タカクラデパートで千鶴の裁判の時に見かけた男の子だった。
 5歳児らしい黒いショートカットに、赤と白のボーダーのトレーナーにジーンズと黒いスニーカー姿。

「あぁ、お前は、タカクラデパートにいた天国のガキ」
「ガキじゃないです。星宮光輝(ほしみや こうき)です!」
「そうなんだ。こうきくん?」

 俺が男の子をこうきくんと呼んだと同時に、いや、やや被り気味に女がヒステリックに叫ぶ。

「違います! この子はユーくんです!!! 高天悠真(たかま ゆうま)なんです!!」
「はぁ? そういうあんたは?」
「私は、高天恵(たかま めぐみ)! この子の母親です!」
「はぁ……」

 なんで食い違うんだよと困った様子で男の子を見ると、男のも少し泣きそうな顔でつぶやいた。

「僕は、ユーくんじゃないよ。こうきだよ……」

 しかし、恵はそれを憐れむような表情で光輝を見るとしゃがんでぎゅっと抱きしめて切実そうに言う。

「いいの。そう思い込まなければならないような目にあわせて本当にごめんね。私は母親失格よね。ごめんねごめんね。ゆっくり思い出してくれればいいから……」

 抱きしめられ恵の控えめな胸に押しつぶされる光輝の顔は、まさにわかりやすいくらい困惑といった様子で曇っていて、タカクラデパートでの利発的な様子からみても、恵の方が狂っているのがなんとなく察せられた。

「ふーこ、もういい。この二人を襲う必要はない。というか、襲うな」

 隣で臨戦態勢のふーこの赤い瞳をじっと見つめて命令する。
 すると、ふーこはすっと身体の緊張を解いたが、新しい女が現れ俺に近づくのが嫌なのか、無表情ではあるが、なんとなく不満気だ。

「お前ら、天国の人間だろう。なんでこんなところにいる? こっちは俺のテリトリーのはずだ。勝手に入るなと言ったはずだが」

 俺の疑問に申し訳なさそうに光輝が答える。

「お兄さん。ごめんなさい。僕ね。お母さんを探しているんだ。それと、この人は息子を探しているの」
「違うわ! 私がわからないの!? ゆーくん!?」
「ごめん。お姉さん、ややこしくなるからちょっと黙ってて」
「ゆーくん!!!」

 恵はぽろぽろと涙をこぼしながら切なそうに光輝を見つめた後、般若のような表情で何かを糾弾するような視線を俺に向けてくる。
 八つ当たりもいいところだ。

「あー? うん。まぁ、それぞれ人探しなのか。奇遇だなぁ。お兄さんも人探しなんだよ」
「そうなんだ。お兄さんは誰を探しているの?」
「お兄さんのそばにいるゾンビの女の子の正体を探しているんだ」
「お兄さんの恋人じゃないんだ?」
「あぁ、ゾンビになってから知り合ったからね」
「そうなんだ。じゃあ、僕も手伝おうか?」
「いや、いいよ。危ないし。まだまだゾンビがいなくなったわけじゃないし、そもそもここは安全回廊からは外れているぞ。よく無事だったね」
「うん。隠れながらこっそりと歩いてきた!」
「うんうん。って、すごいな。天国からは随分と距離もあるはずなんだけど」
「それは、このお姉さんが色々してくれた。途中から見つけた車で来たんだ」
「あぁ、そう。車で……。それで、これからどこに行くんだ?」
「僕ね、金森町にお家があるの。だから、お家に帰ってみたいんだ。もしかしたら、お母さんがいるかも!」
「そうか……」

 もし、男の子の実家に母親がいたとして、それは人間なのだろうか……。

「天国の人たちには言ってあるのかな?」

 俺が優しく可能な限り優しい声色で尋ねると、光輝は少し顔をうつむかせて申し訳なさそうに言った。

「言ってない……。止められるし……」
「うん。そうだね。じゃあ、帰ろうか?」
「いやだ! あとちょっとなんだ! だからお願い! 僕を家まで連れてって!」
「えぇ……」

 めんどくせぇ……。
 そう思って恵の方をちらっと見る。
 恵は俺の視線に気づくと、おずおずと口を開いた。

「あの、もしかして、あなたはネクロ野郎と呼ばれている人ですか……?」
「そうだな。そう呼ぶ人がほとんどだな」
「なんでも、人間の女に相手にされないから、その腹いせで死体やゾンビとセックスしているって……」
「いや、酷い誤解だな。俺は死体には興味がない。人間の女に相手にされないわけでもない、俺が人間の女では勃たないだけだ。ゾンビとセックスは合ってるけどな」
「ひぃ。こ、好みの女を見つけると、襲ってゾンビにするんでしょ!?」
「しないよ!? というか、できないよ!?」
「女の死体を肉団子にして食べるとか!?」
「ゾンビは食べたことあるけど、別に人間を食べたことはないよ!?」
「なんでも、敵を降参させるために、敵の女を少しずつバラバラにしてみせたとか……」
「うーん。似たことはしたけど」
「ひぃ!」
「そんなこと言ったら、平野だって、敵をダルマにしてコレクションしてたからね!」
「小学校の先生だったあの優しい平野さんがそんなことするわけないじゃないですか!!!」
「えぇ……」
「どうするんですか!? 私達のこと殺すんですか!? 不法侵入したから殺すんでしょ!?」
「はぁ……」

 なんだか、面倒になってきたな。
 見なかったことにして殺して埋めてしまおうかな。

 半分本気でそう思った時、ふとふーこの目を見ると、赤い瞳の中で何か金色の粒子がちらちらと舞っているように見えた。
 何かを観測しているのか? 一体何を?

 ふぅ。

 俺は息を大きく吸って、身体の奥から嫌な気を全部吐き出すような心持で、深く深くため息をつく。
 ため息をついている時、ふと、愛の顔が目に浮かんだ。
 子供を見つけて殺して埋める。
 果たして、愛はそれでも俺を好きでいてくれるだろうか。
 気まずい空気の中でずっと生活していかなくてはいけなくなるのではないか。

「いいや、なんでここで愛の顔が浮かぶんだ?」

 自分でも首をひねってしまう。
 愛に好意をストレートにぶつけられたからといって、愛に対して好意を持ってしまったのだろうか。
 だとしたら、なんとも現金なことか。
 好きだとわかったから好きになるんて、なんだか、振られない保険を手に入れて、簡単に得られる果実に飛びつこうとしているみたいだ。

 俺の様子に、ふーこを含めて3人がきょとんとした様子で俺を見つめている。

「いや、俺は、天国の連中とは良い友人関係でありたいと思っているんだ。無論、こちらを支配しようと侵入してくるなら叩き潰す。でも、そうでないなら……。安全回廊を共同で作ったのを知っているだろう? それならわかるよね?」

 すると、光輝は明るい表情に変わって言った。

「お兄ちゃん! なんだかあの時と比べると人間らしくなったね! なんかあったの!? でも、そしたらちょっと見逃してくれない? 本当にここからそう遠くないんだ。たぶん」
「……はぁ。わかった。というか、どうしてじゃあここにいたんだ?」
「それはね……」


 区役所の入り口とは反対、建物の裏側に車が止まっていた。
 エンジンもかからない様子で、色々いじってみたが、どうもバッテリーは上がっているし、そもそもガス欠、さらにエンジンオイルも漏れていて、もう走れそうにはなかった。
 恵が落ち込んだ様子で俺に言う。

「途中まで順調だったのよ。でも、ゾンビが行列になって歩いているのを見つけて……。それを避けようと、荒れた道を遠回りしながら走ってたら、ここで力つきちゃって……」
「そりゃ、4WDでもない普通の車で無茶すればな。障害物も多くて走れない道も多かっただろう。よく車でここまでこれたな」
「ちょっと、無茶したわ……」

 恵が遠い目をしている。
 いかれた女が無茶をしたというのだから、それは本当に映画さながらの無茶をしたのだろう……。

「で、お前んちどこなんだよ?」

 俺が光輝に話を振る。

「あの、狸が出る林の近くだよ」
「あぁ、じゃあ、こっからバイクで30分くらいか」

 うーん。そうだなぁ。
 空を仰ぎ見る。
 太陽はまだ真上にいる。時計をちらりと見ると11時30分。
 これなら、別に子供の家に行ってから天国へ送り届けてもまぁ、日が落ちる前には帰って来れるだろう。
 恵をバイクの後ろに乗せて、ふーこに光輝を抱えて走らせれば……。

 ここでさらっと流してしまった情報が頭の中で警告を発する。

「待て。ゾンビが行列になって歩いていただと?」
「うん」
「えぇ」

 二人が首を縦に振り、恵が答えた。

「なんだか同じ方向へぞろぞろと足並みそろえて歩いていたわ」
「どっちの方へ?」
「それが……」

 二人の話を聞いてみると、どうも光輝の家と思われる場所、ここから西へ30分ほど車かバイクで走ったところにゾンビ達も向かっているようだったという。
 ゾンビが群れをなして同じ方向へ向かって移動するとすれば、獲物を追いかけている時くらいしか想像ができないが、ゾンビならば、5分もすれば自分が何をしているのかわからなくなって、群れは自然解体されるものだが……。

「また、変なゾンビがいるんじゃないだろうな……」

 一瞬、澪の顔が脳裏に浮かぶ。
 仕留めることができなかった澪。
 澪の叫びは昔の愛と同じで、ゾンビを寄せ付けるが、愛の力とはけた違いだ。
 宮本を抱きかかえて逃走した後、耳をつんざく澪の絶叫が聞こえてきたのは記憶に新しい。
 もしかしたら、ずっと遠方からもゾンビを呼び寄せることができるのかもしれない。
 とはいえ、ゾンビ達が同じ方向へずっと歩いている説明にはならない。
 新たな新鮮なゾンビがこの町に集まってきてはいるかもしれないが。

「まぁ、いい。どうせ悩んだところで……。光輝は、止めたって行くんだろう?」
「うん!」
「しゃーない。じゃあ、急ぐぞ」
「え、連れて行ってくれるの?」
「乗り心地に文句を言うなよ」

 それから、恵を俺のバイクの後ろにのせ、光輝はふーこが抱きかかえて移動することになった。
 バイクで60㎞は出して走る俺の横を、本気を出したふーこがバイクを追い抜くのではないかといった速度で並走してくる。抱きかかえられている光輝は少し気持ち悪そうだ。

「まぁ、酔うよね。上下に揺れるし」

 少し、気の毒に思ったが車がつかえない以上こうするしかない。

 瓦礫だらけの家々を走り抜け、拠点としているマンションへ通じる道を通り抜け、目的地へ向かって西へひた走る。

 風の轟音に紛れて、恵の声がした。

「え!? なんか言ったか!?」

 俺が聞き返すと、後ろに座っていた恵は俺の身体に自身を密着させ、俺の耳元に口を近づけ言った。

「あなた、子供いるの?」
「いや、いないけど?」
「子供はいいわよ。とっても幸せな気持ちなれる。本当に宝物よ。可愛いの。とっても。それこそ、食べちゃいたいくらいに」
「言わなかったか? 俺はゾンビにしか勃たたないんだよ」
「本当に? 男のモノなんて刺激があればたつんじゃないの?」
「意外と男は繊細なんだよ。結婚してたのに知らなかったのか?」
「知らないわよ。男の身体のことなんて」
「そうかい」
「つまりはあなたって、EDってこと?」
「ずばずばいうね。ゾンビとはセックスできているからEDとは違うんじゃないかな」
「そう。ゾンビって、その隣で走ってるあの子?」
「……まぁ」
「人を襲わないゾンビって噂では聞いてたけど、実際に見ると目が赤いだけで人間みたいね。本当にゾンビなの?」
「体温がが33度で、コンクリートは簡単に粉々にして、素手で人間の身体をバラバラに引きちぎれて、今だって、時速60㎞でずっと走ってる。それが人間に見えるか?」
「それはそうね」
「あんた意外とまともなんだな」
「え?」
「狂ってるのかと思ってたが、普通にこうやって会話できる」
「おかしいのはあの子よ。あの子は確かにゆーくんなの。いつの間にか自分を光輝だと思い込んでいる。光輝なんて子いたことないのに」
「そうか……。その割に家の位置とか具体的だったな。その家には昔住んでいたのか?」
「聞いたこともないわよ。なんでそんな場所が気になるのかしら。きっと、誰かから聞いた話とかがごちゃごちゃになってるんだわ」
「タカクラデパートで会った時は、そういう印象はなかったけどな」
「そうなの?」
「あんたは、いつから天国にいるんだ? タカクラデパートでの出来事は知っているのか?」
「知らないわ。私はここ1週間くらいかな。天国に来たのは」
「ん? 光輝はその前から天国にいたぞ?」
「そうなの。生き別れていたのよ。天国で会えて本当に良かったわ」
「……なぁ。本当にあんたの子供なのか?」
「そうよ。自分が産んだ子を見間違えるはずないでしょう? あの子は、生き別れている間に、きっと色々酷いものを見せられて、そうよ。きっと二重人格になってしまったんだわ」
「……二重人格ねぇ……」
「あっ、見て!!!!」

 恵が突然叫んで指であるポイントを指し示す。
 つられて指の先に視線を送るが、バイクというものは視線の方へ車体が曲がる乗り物である。そうずっと見ているわけにもいかない。ちらっちらっと見つめるが、恵が指で指し示しているものがなんなのかわからなかった。

「あぁ、見て! ほら! あそこの家の窓!!!! ユーくんよ!!!! ゆーくんがいるわ!!!!!」
「はぁ? お前の息子は今、そこでふーこに抱きかかえられている光輝じゃないのかよ!?」
「ほら見て!!!! あそこだって!! とめて!! 止めてってば!!!! 止めろぉ!!!! くそやろぉおお!!!!!!」

 恵がバイクの後ろで暴れ出す。
 オフロードバイクはひらひらと柔軟に曲がれる機動性があるが、その分後ろ暴れられると簡単にバランスが崩れてしまう。思わず減速して止めると、恵は転げるようにバイクから降りて指で指し示した方向へ走り出した。

「おい! どこへ行くんだ!! 光輝はどうするんだ!?」

 しかしこちらの制止は全く聞こえていない様子で、目の前にある道を駆けていく。
 恵が走っていく方向へ目を走らせると、100m以上先に白い2階建ての一軒家が全盛期のまま建っていて、2階の掃き出し窓には、確かに光輝と同じくらいの子供の後ろ姿が見て取れる。

「子供? ゾンビ? いや、しかし。子供のゾンビは……」

 ゾンビ化する際のショックに、多くの老人や子供は耐えられず死んでしまう。
 そのため、老人や子供のゾンビは酷く珍しい。珍しいがいないわけではない。

「くそがぁ! ふーこは光輝を守ってろ!」

 俺もバイクから降りて、恵を追いかける。
 狂っていた。
 一瞬、思いのほかまともじゃないかと、光輝の方がおかしいのかとちょっと思ってしまったが、やはり狂っていた。
 本当に狂っている人間は、一見普通に見えるから注意が必要だ。
 短い時間じゃわからない。長く付き合うと、ちょっとずつずれが見えてくる。
 わかりやすく、ひゃっはーしている奴など、本当の狂気ではない。

 向かう先の一軒家までの間に、十字路が2つ。
 一つ目の十字路に恵が差し掛かった時、角からにゅっと女の腕が伸びてきた。
 腕は血まみれで、ところどころ皮膚が剥がれ、切り傷も無数にあり、ひじのところは骨スラ見えている。

 ゾンビだ。

 恵は女のゾンビに肩を掴まれ、振り払おうと必死に身をよじっている。
 ゾンビの穴だらけの顔にある大きな口が、そんなに開くのかというくらい大きく開かれ、恵の首筋に齧りつこうと顔を沈めようとしている。

「させるかぁ!」

 手に持っていたククリナイフで女のゾンビの首をはねる。
 前は骨にひっかかってしまい、綺麗に首をはねるのが難しかったというのに、このところ簡単にはねることができるようになってきた。一体、どういうことだろうか。

「あぁ、もう! 邪魔しないでよ!」

 恵は自身を省みることなく、首の無くなったゾンビに悪態をついて、そのまま進もうとするが、十字路の左右にはゾンビがみっしりと群れていた。

「なんでここだけ!? こんなにゾンビがいるんだ!?」

 ククリナイフを持つ手に力が入る。
 ぞわっとした何かが首筋を駆け抜け、髪の毛が逆立つのを感じた。
 愛や千鶴の顔が脳裏に浮かぶ。

「ふーこ!」

 ふーこの名前を叫ぶと、ふーこは建物の陰に光輝を置くと、空を跳んだ。
 正確には、地面を足で蹴って跳躍して、空中からゾンビの群れに向かって足を突き出し着地する。
 一匹のゾンビがふーこの足に踏みつぶされ、そのまま、ふーこは手を、脚を、本能のままに左右に、時に、華麗に待っているかのように振る舞って、敵をバラバラにしていく。

 ふーこが右手をゾンビの腹に突き刺して、そのまま背骨を砕き、中の腸を引きずり出す。
 ゾンビ達は、ふーこを襲う気配は無い。
 共食い以外で、仲間を襲う様子はないゾンビからすれば、一方的に虐殺されているだけにすぎない。
 ふーこは引きずり出された腸をがりっと口で咀嚼するが、美味しくなかったのか掃き出し、そのままぽいっとゾンビをその辺に放り捨てる。
 そのまま、俺に近づく女ゾンビを、かたっぱしからバラバラにしていく。

 ふーこが右腕を振れば、上半身と下半身が泣き別れたゾンビが空を舞い、左腕を振ればゾンビの首が地面にぼとりと落ちていく。
 地面を蹴って、ゾンビに体当たりしたかと思えば、そのまま地面に組み敷いて、首筋を首がちぎれて落ちるまで貪り喰い、千鶴がせっかく見繕ってくれた可愛い桃色のワンピースは、鮮血に染まっていく。

「すまない。ふーこ。任せる!」

 俺はそう言って、走っていく恵を追いかけた。
 その際、ふーこの表情をちらりと見たが、女ゾンビを任せて、女を追いかける俺が面白くないのか。
 珍しく、眉が不機嫌そうだった。

 だんっ! だんっ!

 ふーこが地面にマウントしたゾンビに両手を拳にして、だだをこねる赤子のようにそれを叩きつけ、叩きつけられたゾンビは潰れたトマトのようにぐちゃぐちゃにひき肉になっていく。

 冷や汗のようなものが俺の背中をつーっと流れていくが、仕方がない。
 背後からは、ふーこが暴れ狂う轟音が鳴り響くが、振り返る余裕もない。
 俺はひたすら走って恵に追いついた。

「おい! なにをしている! 死にたいのか!!」
「だって!!! あそこにゆーくんがいるのぉ!!!!!」

 そう言っている間にも、他の女のゾンビが恵や俺を食べようと寄ってくる。

「落ち着けって!」

 俺は恵の肩に手をやって制止しながらも、寄ってくるゾンビを片手間にククリナイフの錆にしていく。

「見えないの!? あの子が?! それでも、あんたあの子の父親!?!?」
「違うが!?」

 恵は相当に混乱しているようだった。
 というより、元々狂気に染まっていたのだろう。
 タカクラデパートで愛が巨大ゾンビに捕まった場面が思い起こされる。

「俺は、愛を……。見捨てようとした……。今、俺は恵を……どうしたらいい?」
「あなたねぇ!! 役に立つ気がないのなら、ちょっとのいてて!!!」

 恵は俺の手をはねのけると、件の家に向かって走る。

 俺は……。
 狂っている。
 助けても狂っている。
 助けても恐らく何のリターンもない。
 それどころか、失うだけの可能性が大きい。

 見捨ててしまおうか?

 ほんの1時間ちょっと前に出会ったばかりの狂った女。
 別に見捨ててしまっても何も問題はない。
 光輝の母親でもなさそうだ。

 愛の顔が浮かぶ。

 愛のやわらかな胸の感触が蘇る。

 このまま見捨てて……。
 何もなかったことにして、今夜愛に出会うのか?
 俺を好きだと言ってくれた人に、胸をはって出会えるのか?

 愛を見捨てようとしたように、今度は本当に見捨てて帰る。

 不意に愛の声が脳裏に響いた。

『あなたのことが好きです。本当に』

 この終末世界で、生き残るためには残酷な決断をしていかなくてはいけない。

 何の価値もない人間のために命をはるなんて……。
 そんなことをしなくても、責める人間はいないはずだ。

 だが……。

 いつか千鶴が言った。愛を見捨てては自分の大事なものを失う気がしたと。

 価値がないから捨てる。

 愛はあのとき価値がなかった。
 見捨てようとした。

 でも、今、俺のことを好きだと言ってくれる存在になった。
 家で俺の手伝いをして、俺達の生活を優しく微笑んで守ってくれる存在になった。

 今、恵を見捨てると、まるで、愛を見捨てるような気がする。

「あぁああああ!!!! ちくしょうがあああああああああああああああ!!!」

 俺は走る。
 脚に力を入れて、肺一杯息を吸って、そして、吐いて。
 走って、走る。

 まるで、獰猛な狼になったような気分で、走って恵の前に躍り出ると、恵に近づく全てのゾンビをそのククリナイフという牙で、斬り裂き、バラバラにし、道路を真っ赤に染め上げ、蹴散らした。
 俺が斬り裂いて、空に跳ね上がったゾンビ達の、首や、手や、内臓が、時間差で血の雨を俺に降らしてくる。

 俺は血の雨にうたれ、髪を、ジャケットを赤く染めながら、気持ちが一つになっていく。

「あぁ、くそ。俺はともでないくず野郎だ。ふーこも、愛も好きだ。女として好きだ」

 とんだ二股糞野郎である。

 でも、千鶴なら「この世界なら別にそれでもいいんじゃない?」と笑って許してくれそうである。

 恵は、血に全身を赤く染めながら、にやにやと笑う俺にドン引きをして、くしくもその場にとどまってくれている。
 自分でも驚くような驚異的な機動をしたせいか、肺が苦しいを通り越して、激痛である。
 脂汗がだらだらと全身を流れていく。

 そこに、十字路を殲滅し真っ赤にそまったふーこが合流する。
 ふーこの後ろから光輝も安全を確認して走り寄る。

 可愛い桃色のワンピースが鮮血に染まったふーこを見て、「ほら、俺も真っ赤っかだ」と微笑んだ。
 すると、ふーこも俺の真っ赤な様子を見て、わずかに口の端をゆがめた。
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完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

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