東京ネクロマンサー -ゾンビのふーこは愛を集めたい-

神夜帳

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第4章 主人公

第40話 贖罪 ②

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 ①

 ネクロ野郎と呼ばれる男が恵の騒動に巻き込まれる前夜。
 天国と自分達が読んでいる領域のある家の寝室で、平野と御子柴が生まれたままの姿で愛し合っていた。
 ベッドを激しく軋ませ、ぎぃぎぃとスプリングの悲鳴が鳴り響き、平野が体位を変えようとしても、御子柴は怪我したばかりだからと制止して上からどかずに自分の腰を前後に、時に上下に振り続ける。
 平野が悔しそうな表情を浮かべ、御子柴はその表情を熟れた上等なワインを味わっているかのような酔いを感じながら楽しんだ。

 獣のような御子柴の営みは、やがて、自分の中にいた平野の陰茎が脈動するのを感じて終わりを告げた。
 まだまだ味わいたいという想いがありながらも、ふとあることが気になって艶のある声で平野の耳を撫でた。

「ねぇ、平野はなんで小学校の先生になろうと思ったの?」

 御子柴が自分の大きな胸を平野の身体におしつけながら聞く。
 ベッドがギシっとわずかに軋んだ音を出し、そのしたたかな柔らかさと重さが寝ている平野の胸にのしかかる。

「兎が焚火に身を投げる話を知っているかぁ?」

 平野が自分の首筋や頬にこれでもかと口づけをする御子柴の頭を撫でながら、視線は中空を見つめて言う。

「なにそれ?」
「まぁ、仏教の話になってしまうんだがなぁ……。大昔にな。帝釈天っていう、まぁ、神様みたいなやつがいてな。そいつが老人の姿になって、施しを求めるんだわぁ。その日がそういう日だってあらかじめ知っていたカワウソ、犬、猿、兎は、食べ物を事前に用意しようと奔走してなぁ。カワウソ、犬、猿は、無事用意できたんだがなぁ。兎がよぉ」
「用意できなかったの?」
「あぁ。それで兎はどうしたと思う?」
「うーん? どうだろう。謝った?」
「焚火を起こさせてな。自分を食べてくれと、自ら火の中に飛び込んだだわ」
「あらま」
「結局、神の力みたいなもので、火は熱くなくてなぁ。兎は無事だったんだが……」
「よかったわ」
「俺は、この話を初めて聞いたとき、何だか知らないけれどよぉ。妙に腑に落ちるというか、自分の存在というものをよぉ、こー、なんというか、うん。これだという納得感があったんだわぁ」
「うーん?」
「飢えている人に、自分の身を捧げる……。そういう人たちが当たり前になったらよぉ。世の中はよくなると思わねぇか?」
「でも、みんなそうなったら、世の中は平和になっても人類は生き残れず滅びちゃうんじゃない?」
「そうだなぁ。そうなんだ。結局、そういった綺麗なものに憧れてもよぉ。俺はご覧の有様だしなぁ。人間ってのはよぉ。やっぱり、自分にないものに憧れるんだわ。フハハハハ」
「そんなこともないんじゃない?」
「おぅ?」
「だって、平野は優しいもの」
「うーん? 聞いてなかったのかあの時? 俺は人間をダルマにして楽しむようなやつだぜ?」
「それは、相手が敵の時だけでしょ?」
「まぁ、そうだがぁ……」

 御子柴は平野の唇を割って自分の舌を突き入れ、唾液を交換しつくすと、ぱっと顔を離し、慈愛あふれる優しい微笑みで平野を見つめる。
 熱を帯びた男女の営みのためか、御子柴の額や首筋からは汗が玉になって流れ落ちて、それは煌々と輝くシーリングライトの明かりに照らされ、きらり、きらりと輝いては流れて落ちた。

「さ、もう1回戦よ!」

 御子柴は目をギラリと輝させ、ぺろりと自分の舌で自分の唇を一舐めすると、平野の全身をくまなく口づけをしていく。


 ②

 白い今時の普通の一軒家。
 家を囲っていたであろうコンクリートの塀は崩れて落ちて、たくさんの人の足跡が玄関のドアには向かわず庭へと向かっている。
 ネクロ野郎と呼ばれている男は、物音にすぐに対応できるように耳を澄ませながら、慎重に玄関のドアへと歩み寄っていく。
 男の後を続いていく3人。恵は、研ぎ澄まされた刃のような雰囲気を纏わせた男に恐れを抱き、心のままに叫びながら家の中へ押し入りたい衝動を抑えた。
 男の手がドアノブへとかかる。

 俺がゆっくり静かにドアノブを回し、ドアをひいてみるがびくともしない。
 念のために押してもみるが、ドアはぴくりとも動く気配がない。
 しっかりと施錠され、侵入者をしっかりと拒んでいる。
 大量の足跡が庭へと続いているのを見て、ククリナイフをしっかりと握り直し、そっと建物の陰から少し顔を覗かせて庭へと視線を投げる。

 ゾンビはいない――

 しかし、割れたガラス片が草の生えていない茶色い庭中に散っていて、どんよりとした曇天のせいか、鈍く光を反射させている。
 そっと、庭に躍り出ると、縁側の掃き出し窓は無残に変形してなぎ倒されていて、中に見える和室は真っ赤な何かが大量に付着していた。

 真っ赤な大量の血らしきものを見て、恵が気持ちを抑えきれなくなったのか半狂乱の様子で叫んだ。

「ゆーくん!!! ゆーくんがぁ!!!!!」

 俺を押しのけて、ガラス片をじゃりじゃりと音を立てながら家の中へ押し入っていく恵。

「おい! 中はまだ!!」

 二階の窓に見えた子供が生きている人間とは思えない……。

「お兄ちゃん! ゾンビが!!」

 光輝の叫び声が続いて聞こえて、声の方を振り返れば、身体の至るどころが穴だらけになって骨が露出している瀕死の女ゾンビが陰からゆらゆらと揺れながら現れて、こちらへとゆっくり足を進めてくる。

「なんだ? 何かがおかしい」

 女ゾンビはこちらに歩み寄っては来るが、その目はこちらを見つめてはいない。
 ゾンビの視線の先を追ってみれば、家の中だけを見つめている。
 ふーこの方に振り返れば、ふーこはその女ゾンビを攻撃する気配を見せず、ぼーっと立っている。
 いつもであれば、俺に近づく女ゾンビはすぐにバラバラにしようとするのに……。

「なんなんだ一体!」

 ククリナイフの刃をゾンビの首に滑らせる。
 ぼとっと落ちる女ゾンビの首。

 しかし、身体は両腕を前に伸ばし、手は何かを掴もうと必死にもがいている。

 ぞくっ。

 まさにそんな表現がぴったりくるゾワゾワした悪寒が、腰から背中にかけて走り抜ける。

「くそっ!」

 首がないままゆらゆらうごめくそれを蹴りつけて地面に倒す。
 地面でも蠢くそれをオゾマシイという感情でさっと見切りをつけて、恵のあと追って家に入る。

 電気が消えているうえに曇った空のせいで、どんよりと薄暗い室内。
 視線をさっと左右に走らせ、階段のありそうな場所へ走る。

 ぎしぎし

 埃っぽくて、かび臭い空間。
 階段の一段一段が足をのせるたびに、崩れるんじゃないかというくらいの軋み音を響かせる。
 壁には赤い手形がびっしりついていて、階段にも何かを引きずったような赤い跡が走っていた。

 この先で何を見させられることになるんだろうか。

 階段を登りきろうとした頃から、段々と恵の後ろ姿が見え始め、登り切ったとき、手で口を抑えて涙をぽろぽろとこぼしながら床にへたりこんでいる恵の姿があった。

「……どうした?」

 恵が見ている先に視線を走らせる。

 そこには……。

 目眼目目眼目眼目目眼目眼目目眼目眼目目眼目眼目目眼目眼目目眼目眼目目眼目眼目目眼目眼目目眼目眼目目眼目眼目目眼目眼目目眼目眼目目眼目眼目目眼目眼目目眼目眼目目眼目眼目目眼目眼目目眼目眼目目眼目眼目目眼目眼目目眼

 たくさんの赤い瞳が山のように転がっていて、その中心に女ゾンビが数体横たわっている。
 横たわっている女ゾンビの山の上に、5歳くらいの子供が座り込んで……。

 食べていた。

 ゾンビを。

 子供はこちらの存在に気が付くと、赤い2つの瞳を向けながら、無邪気に笑った。

 ゾンビの共食い……。条件、未だに不明。

 キャハッ!

 赤ん坊の笑い声のような声が聞こえたと思えば、まさに赤ん坊だった。
 赤ん坊のゾンビが、5歳児と同様に横たわっている女ゾンビを貪り食っている。

 キャハハハ!
 ウキャキヤ!

 あちらこちらから赤ん坊の笑い声が聞こえてくる。

 ぞわぞわと、身体の中から毛虫が湧いて体中を這いまわって自分の肉を噛み切られている……そんな悪寒が走り抜ける。

「やばいやばいやばい!!! なにがやばいかわからんが!! なんかやばい!!!!!」

 俺は、恵の襟首を掴んで怒鳴った。

「おい! 逃げるぞ! なんかわからんがやばい!!!!」

 しかし、恵はそんな俺の手をひっかいて、身をよじって、振り払うと子供の方へ走っていく。

「もどれ!!」

 ちくっと何かが足首に刺さったような痛みが走って、足元に視線を落とす。

 キャハッ!

 目を赤く輝かせた赤ん坊が無邪気な微笑みを浮かべながら、俺の足首に噛みついている。

 ぞわぞわぞわ

 すぐにククリナイフを逆手に握り直して、赤ん坊のゾンビに首筋を刺そうとするが、赤ん坊の微笑みから愛の笑顔がなぜか連想される。

 ゾンビとはいえ、赤ん坊の姿をしたものを躊躇なく殺す男でいいのだろうか……。

「あぁあああああ! くそぉおお!」

 俺はそれを蹴り飛ばす。
 気が付けば、ふーこが俺の隣に音もなくいた。
 光輝も能面のような顔でふーこの陰に隠れている。

「ふーこ?」

 ふーこはゾンビに目もくれず恵を、その赤い瞳でじっと見つめている。
 当の恵は、両手を広げて5歳児らしきゾンビへとゆっくり歩み寄る。

「ゆーくん……。お母さんよ。わかる? ごめんね。ごめんね。そうよね。最初からこうであったら良かったのよね」

 やがて、恵は子供のゾンビをしゃがんで抱きしめる。
 抱きしめられたゾンビは、恵の首筋に噛みついた。
 じわじわと赤い血が恵の青白い肌を濡らしていく。

 恵の着ていた青いニットをその血で赤黒く染め始めたころ、その血の匂いに誘われたのか赤子のゾンビも這い寄って恵の身体にかぶりつく。

「あぁ……痛い。でも、嬉しい。我が子にこの身を捧げる……。あぁ、これでいいんだわ」

 痛みにこめかみに皺を寄せながらも、恵の瞳は恍惚な様子を浮かべる。

 一体何を見させられているのか???
 なんだこれは???
 一体何なんだ???

「わが身を赤の他人の子供に捧げる……。無償の愛だとでも言いたいのか!!??」

 俺は叫んだ。
 お腹の中、奥底から、何か毛虫のようなものが這いあがってくるような気色の悪い嫌悪感に苛まされ、それを吐き出したい一心で叫んだ。

「ふーこ! こんなものを見るなぁ!!! こんなものがアガペーであってたまるかぁ!!!!!」

 俺はズンズンと歩を進めて恵に近づくと、恵に噛みついている赤子を引きはがそうとする。
 しかし、顎の力はさすがゾンビであり、なかなか引きはがせない。

 やがて、ゾンビが齧りついたところは肉を引きちぎられ、赤々とした恵の裂けた肉が生々しく目に入ってくる。
 肉を引きちぎり口の中の肉を咀嚼しているゾンビ、つまり、恵の身体から一時的に口が離れた赤子のゾンビを放り投げていく。

 キャハハハ!

 天井からもボトボトと子供のゾンビが落ちてきて、恵に齧りつこうとする。

「おい! いい加減にしろ! さっさと行くぞ!!」

 俺が恵の首根っこを捕まえて、引きずり出そうとするが、恵は必死にその場にしゃがみこんで動こうとしない。

「やめてください! いいんです! 私はここで食べられるんです! 食べられなきゃダメなんです!!!!」
「光輝はどうするんだ!? さっきまでお前が自分の子供だといった子だぞ!!!!」
「知りません! わかりません! 私はここで食べられて死ぬんです!!!」
「自殺の手伝いをするつもりはないんだ!!!!」
「放っておいてください!! 私の命は私のものです!!!」

 埒が明かない様子に辟易して、俺は自分はもう仁慈は尽くした。もう見捨てても胸をはれるだろうと、本当に見捨てることを考え始める。

 しかし……。

 その時、光輝の上擦った泣くような叫びが部屋中に響いた。

「お母さん!!! お母さん!!! 僕を見捨てないでよ!!!!」

 光輝の叫びが恵の耳に届くと、恵ははっと我に返った表情を見せ光輝の方を振り返る。

「ゆーくん! やっぱりゆーくんなの!? お母さんまた間違えたの!? ごめんね! ごめんね!」

 そう言って、恵は光輝へ走り寄り抱きしめた。

「ほら! 逃げるぞ!! いい加減!!!」

 俺は、恵を引っ張り上げてお姫様抱っこのように抱きしめると、階段をそれこそ滑り落ちるように駆け降りた。
 どたどたと4人が縁側へ向かい、そこから地面に投げ出すように転げ落ちる。

「なんなんだ一体! 冗談じゃない!!」
「うっ……」

 俺は地面を背に寝ころんで、恵は血まみれになりながら俺に覆いかぶさっている。
 トランス状態が解けたからか、痛みが襲ってきたようで痛々しそうに呻き続ける。
 ところどころ肉を噛みちぎられてしまったがために、恵の青いニットも白いトラウザーも赤黒い血に染めて、それでもなお、首筋や胸、わき腹、腕や足首の傷からダラダラと血を流し続けた。

「これは、いったん家に帰るしかないかな……」

 拠点としているマンションへ搬送することを考え始めたとき、家の玄関の方から女ゾンビが3体のそのそと現れた。

「あーもう!」

 俺は迎撃態勢に入ろうとしたが、現れた女ゾンビ達は全くこちらを見ることもなく、こちらを捕食しようと腕を上すことなく、一心不乱にふらふらと縁側の方へ進んでいく。
 あまりの様子のおかしから、俺達はそのゾンビ達の様子をじっと静かに息を殺して見つめていた。

 やがて、女ゾンビ達は縁側を超えて家に押し入って、さきほど俺達が転げ降りてきた階段をゆらゆらと身体をゆらしながら、やがて四つん這いになって腕と足を使って登っていく。

「ゾンビが……。あの子供のゾンビに、自ら食べられに行っているというのか?」
「おにいちゃん。もう行こう? お姉さんが死んじゃう」
「あぁ……」

 俺は恵をふーこに背負うように命令して、光輝をバイクの後ろに乗せる。

 今日はもう帰ろう……。

 なんだか、もう愛の優しい微笑みを早く見たい。


 ③

 元々、拠点マンションからそう遠くない位置での出来事だったために、ネクロ野郎と呼ばれる男達は午後3時前には部屋に帰ってくることが出来た。
 血まみれになった知らない女を抱きかかえて、タカクラデパートでちらりと見ただけの幼い子供も随伴して現れた家主に、千鶴も愛もさすがに驚きを隠せなかったが、恵の応急処置で家中を駆け巡り驚いている暇はなかった。
 全てが一段落したのは、夕飯を済ませ寝室のベッドに寝かせた恵にご飯と抗生物質を口の中にねじこんでからだった。

 寝室のベッドに寝かせた恵が、傷が痛むのか、それとも傷から派生した感染症に苦しんでいるのか、時折、辛そうな呻き声を上げる。
 独りで生きていただけに、簡単な応急処置はできた。本当に簡単で、どうにも血が止まらない箇所は火で熱したもので焼いてしまったし、縫合できるところはしたが、外科医並みの治療が施せたわけではないので、明日の朝、天国へ連れていくか、天国から石持を連れてくるしかないだろう。
 ベッドの横に、愛が座って看病していて、俺も愛の隣に座った。

「……熱が……下がらな……いの……」

 愛が心配そうにか細く囁く。

「仕方がない。素人なりにできることはやった。後は抗生物質と本人の体力を信じるしかない」
「そう……ね……」
「あぁ……。医者ってやっぱり必要だな……」
「……うん……」
「天国の連中とうまくやっていくしかないか……」
「……でも……それだと……千鶴が……」
「……なんとかする。なんとかするよ」

 そんな会話をしていると、恵が涙をこぼしながら瞼を開けてこちらを見た。

「ゆー……くん……は?」
「向こうの部屋でゲームしてるよ。元気になって安心させてやれ。母親なんだろ?」
「うん。ありがとう……」
「はぁ。落ち着いてくれて助かったよ」
「私ね……」

 それから恵は、天井を見つめながらポツポツと語り始めた。

「昼間……あなたに子供は可愛いって言ったよね?」
「あぁ」
「ごめん。あれ嘘」
「嘘? 自分の子供が可愛くなかったのか?」
「私は、妊娠が分かった時、大好きな夫との間に子供が出来て、本当にうれしかった。これは本当。でもね、お腹が大きくなっていくうちに想ってしまったの」
「なにを?」

 ゆっくりと恵が俺の方に顔を向けて、見開いた目で言った。

「このお腹にいるのはなんだろうって」
「は?」
「お腹の中で自分の子供が大きくなっていく、お腹が大きくなっていく、それは頭でわかっていた。知っていた。誰でも知っていると思う。でもね、実際に自分のお腹が大きくなっていったら、妙な生々しさが気持ち悪くて、大きく膨らんだお腹がとても醜く見えてね。本当に自分の可愛い子供が入っているんだろうか? って思った」
「はぁ……」
「お腹の子が大きくなっていて、お腹を蹴るようになった時、きっとみんなはそれを喜んだと思うんだけど、いや、喜ぶべきだったと思うんだけれど、私は……なんだかエイリアンが中にいるような。寄生虫が育っているようなそんな気持ち悪さに吐きそうになっていたの」

 ちらりと横に座っている愛を見ると、真剣なまなざしで少し切なそうな表情でじっと話を聞いていた。
 恵はぽろぽろと涙をこぼしながら言う。

「きっと、みんな宝物だと思って大切に大切にその時を待つんでしょう。でも、わたしは身の毛がよだつ想いをずっと抱えていた。自分は、きっと欠陥品なんだ。母親になっちゃいけなかったんだって思って、途中、何度堕胎しようと思ったことか。でも、おろすことも許されないくらい成長してしまったことに、自殺を考えるくらい絶望したの」

 泣きながら訴える恵に、男の俺は何一つ共感してあげることはできない。ただ、黙って肯くことしかできなかった。

「あぁ、可愛いって思わなきゃって、楽しみだって思わなきゃって、何度も何度も思いこもうとしたけれど、お腹の中にいるナニカは異物感しかなくて、なんて酷い母親だろうって、何度も何度もトイレで吐いたわ。夫は、そんな私の様子を見て、妊娠はメンタルが不安定になるから、みんなそうなるからって、慰めてくれたけど、お腹が大きくなることのない夫から言われるのが、なんだかとっても苛立たしくて、随分と当たり散らしてしまったわ」

 ふぅと恵はため息一つ。

「その時がきて、激しい痛みとうねりの中、お腹の中のものが出てくるという時、まわりに罵詈雑言を投げつけながら、どうか人間の子供が生まれてきますようにって祈った。だって、本当にエイリアンが飛び出してきそうって思ったんだもの」
「でも、ちゃんと人間の子供が生まれたんだろ?」
「えぇ。生まれたわ。でも、ちっとも可愛くなかった。顔をくしゃくしゃにして、まるで醜い猿みたいだった」
「産まれたばかりはみんなそうだろ」
「みんなもそう言った。だれも私の味方をしてくれなかった。やがて、私は、私の大切な人を敵にした自分の子供を酷く憎んでしまった」
「……うん」

 恵は顔を両手で覆って泣き出す。

「我が子を憎む母親なんていないから! あってはならないからっ! だから、私は背筋がぞっとする想いをしながら、ずっとずっと、この子は私の可愛い天使。大切な大切な我が子って思いながら、思い込みながら、育ててきた!! 夫から! 親から!!! もっと可愛がってあげなさいよって言われるたびに、トイレで吐いて! それでも育ててきた!!!」

 恵が覆っていた両手を顔からどかして、ゆっくりと俺の方へ顔を向ける。
 目はかっと見開かれていて焦点は合っていない、それでいて目以外はまるで陶器の人形を思わせるほど青白く表情が無かった。
 恵の唇がだんだんと震えだし、ゆっくりと一音一音吐き出した。

「だから……奪ったんでしょ?」

 何も返す言葉が見つからず、俺は黙り込んで恵の次の言葉を待った。

「あの日、ゾンビがあふれた日。夫はゾンビになって、私は子供を抱えて夫から逃げて外に飛び出した。でも、外もゾンビがいっぱいで……

 あぁ!!! お母さん! 助けて!!! お母さん!!! そう、あの子はそう言ったのに!!!!!

 わたしは、あの子を囮に逃げだした。

 逃げて逃げて、町中をゾンビが少ない方へ必死に走って……。途中、自衛隊の人に助けられて……。

 ふとしたとき、車のサイドミラーに映った自分の顔を見て絶望したの……」

 一瞬の間。

 しーんとした寝室の空気を、かすれた恵の声が震わせていく。

「笑ってた。私の顔。嬉しそうに笑ってたの……」

 空気が重い。
 愛はいつの間にか、静かに泣いていた。

「それからずっと、あの子を探しているの。ずっと。そして、ようやく見つけたの」

 愛が口を手で押さえて、泣き声をあげないようにそれでいながら、苦しそうに前かがみになって泣いている。
 俺は、能面のような顔をしていたことだろう。

 恵はまた、天井に顔を向けて中空をじっと見つめる。

「だからね。今度こそあの子を愛しつくすのよ」

 そして、恵は目をつぶった。

「せっかく我が子と会えたんだ。くたばってくれるなよ」

 俺がカラカラの喉からなんとか言葉を捻りだす。

「えぇ。もう眠るわ」

 バタンっ

 俺は、いたたまれなくて寝室を出た。
 なんだか、もう一人の自分を見ているようだった。
 他人が蟻程度にしか感じられなかった俺。
 もし、俺が恵だったらもっと酷い状態になっていたんじゃないだろうか……。

 少し間をおいて、愛も寝室から出てきた。
 二人して沈んだ様子で、リビングのソファに座りこんだ。

 別の部屋から千鶴と光輝の楽しそうな話し声が聞こえてくる。
 ふーこも千鶴に引っ張られて、同じ部屋にいる。
 ふーこも妙にあの子供に打ち解けているような気がする。不思議だ。

 愛の肩が俺の肩に触れて、腕が布越しに触れ合う。
 誰かが何かを言うわけでもなく、触れ合った手の指から感じる熱は、更なる熱を求めて、自然と指を絡め合った。
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