勇者と狼の王女の結婚

神夜帳

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後編

第4話 優しい手 (全年齢)

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魔力を使い果たし眠るマリーをお姫様抱っこで抱きしめながら、僕達の新居へと歩みを進める。
式場から家に向かう道々では、たくさんの赤い花を抱えた幅広い年齢層の女性が立っていて、そのうちの1人の妙齢の女性が歩み寄り、しっとりとした笑顔と共に花をマリーの頭に、髪飾りのように添えて行った。

何かこの町の女性に伝わる儀式なのだろうか?よくわからなかったが、僕は笑顔で会釈した。
すると、会釈された女性たちは、ニコニコと手を振ると足早にその場を去っていく。
ミーハーな人達につけられるかと思ったが、皆、気を利かせて僕たちを見ると足早に去っていった。

やがて、僕達の新居が道の向こうに見えてくる。

庭付き2階建ての一戸建て、勇者の家として見れば簡素な、いかにも西洋なデザインながら、1Fと屋上にお風呂がある豪華仕様。
僕がこの町に着てまず思ったのが、汚い!ということだった。
上下水道が未整備だったから仕方がなかったのかもしれないが、僕の世界の中世ヨーロッパと同じで、衛生観念は無いに等しく、町の住人はお風呂は滅多に入らないわ、糞尿は適当なとこに垂れ流すわ…僕には耐えられなかった。
勇者の肩書をフルにつかって、住人をちょっとずつ説得し、ドワーフのガイザルとその一党とタッグを組み、上下水道の整備とトイレとお風呂の普及を頑張った。

魔法の力ってこういう時に本当に便利だ。

元の世界だったら、たくさんの人間と重機が必要な一大プロジェクトも、僕の魔法とガイザルの土木工事技術が合わさり、また、冒険で得た様々な財産を惜しげもなく使ったお陰で半年もしないで町を生まれ変えさせることができた。

その後、ガイザルを王国に推薦して、王国中に上下水道とトイレ、お風呂の完全普及を目指す一大プロジェクトを担ってもらっている。
今頃、どこまで進んだことか…。

僕とマリーが新婚旅行に行く頃には、どこに行ってもトイレとお風呂がちゃんとある国になっていて欲しい…。

しかし、おや?家の入口に誰かが立っている。

日本のアニメに出てくるようなものではなく、まさに働くための実用的なクラシカルなメイド服に身を包み、髪は真っ黒な艶のある髪をハーフアップで編み込んでいる。
ところどころ傷があるが整った顔に、ちょっと圧を感じてしまうかもしれないきりっとした釣り目の印象を薄めるためか、大きな丸眼鏡をかけていて、眼鏡の奥からは鋭い眼光が放たれている。

「わたくし、長年、姫様の侍女として働かせていただいておりました、メーシェと申します」

そう言って、深々と僕に頭を下げた。頭の耳も大きな尻尾も微動だにしない。
彼女の後ろには、木箱が4箱ほどと、やたら良い匂いのする紙の箱が置かれている。
マリーの衣類や生活用品、そして式場で食べ損ねた食事を包んで持ってきてくれたようだ。

…さすが、黒狼族…足が速い。

「勇者様、姫様をベッドに横にしていただきましたら、しばらくリビングでお待ちいただけますか?」

メーシェが玄関で、大きな丸い眼鏡の位置をくいっと直しながら言った。

「あっ、はい」

歩くときに、やや左足をひきずるようにしており、黒狼族の国では、戦いで負傷して戦士としてはリタイアした者を、積極的に世話係りにしているのだろう。
玄関には、マリーの衣類や生活雑貨、その他もろもろ嫁入り道具などが山になって置かれていたため、荷物を中に運び込むのに手を貸そうとしたが。

「勇者様。これは、わたくしの仕事でございます。わたくしの最後の仕事でございます。どうかお手を触れないよう、お願い申し上げます」

そう言って、深々と頭を下げられてしまい、足を引きずる彼女がよたよたと、1Fのリビングや、2Fの寝室へ荷物を運び込む姿を見ながら、手伝えない歯がゆさを感じつつも、彼女の誇りを、尊厳を傷つけてはならないと…マリーをベッドに寝かせてからは、リビングのソファに座ってじっと耐えた。

メーシェから、マリーと逢うお許しを得られたのは、夜の8時になったころだった。

「勇者様、姫様がお目覚めになられました。荷解きと整理もあらかた終わりましたので、わたくしはこれで引き上げさせていただきます」

そう言って、深々と頭を下げるメーシェ。

「そう。ありがとうございました」

そう言って、僕も深々と頭を下げると、ちょっと震えるような声でメーシェが言った。

「勇者様。姫様の尊厳を尊重いただきまして、誠にありがとうございました。黒狼族と人間では色々と文化の違い、価値観の違いがあるかと思いますが…どうか…姫様を幸せにしてあげてください…」

最後の方は、泣いていた。
マリーとメーシェの間でどんな物語があったかはわからないが、深く信頼しあった主従関係だったことがうかがえる。

メーシェは頭を下げたまま、大粒の涙をぼろぼろこぼして床を濡らすと、涙目のまま顔を上げて、ニコっと爽やかに笑った。
今は、最初の鋭い眼光は無い。

「価値観の違いから、時には泣かせてしまうかもしれませんが…決して不幸にはしません。絶対にそばを離れません」

「勇者様は実直なお方ですね」

メーシェは僕の答えに満足したのだろうか?もしかしたら、「絶対に幸せにします!」と言って欲しかったのかもしれないが、今はこれが素直な僕の気持だった。
マリーを愛する、それは間違いない。だが、幸せは僕一人では作れない。マリーとは大きな価値観の違いが眠っているかもしれない。
それは時に傷つけあうかもしれないが、マリーと向き合って、二人で一緒に幸せを作ろうとしなければ、決して幸せは訪れない…そんな気がする。
僕一人が絶対幸せにすると言ったところで、独り相撲感はなはだしく、恐らくうまくいかない…なんだかそう思える。

メーシェが帰っていき、二階の寝室のドアを開けると、マリーが床で正座していて、僕を見ると三つ指で頭を下げた。
白い生地の所々に細やかな青い小さな花が意匠された、日本で言うところの浴衣のようなものを身にまとっている。

釣られて僕もマリーに手が触れられる距離まで、歩み寄ったところで正座した。

マリーがぎょっとした表情を一瞬浮かべてから。

「旦那様、今日の結婚式…台無しにしてしまい真に申し訳ございませんでした。自分でも…なんであそこまで暴走したのか…よくわかりません…。ともかく、決闘にも負けたのですから、これからは、旦那様に身も心も尽くしてまいります…」

そう言って、マリーは再び頭を下げた。

僕は、床につけているマリーの手を上から握った。

「マリー。僕を見て」

ハッとした表情で頭を上げ、僕の瞳を見るマリー。狼の耳はぺたんとふせていて、もふもふとした立派な尻尾は力なく床に垂れている。

美しい宝石のような青い瞳は、今にもこぼれそうなくらい涙がいっぱいたまっているけれど、それが光に照らされてきらめき、まるでちりばめられたダイヤモンドのようだった。

「マリー。君は、とても強くて…美しくて…マリー。君は、僕の生涯最高の好敵手だ。君は僕に次ぐ戦士であることは間違いない。君のことが一つ知れてとっても嬉しい」

僕がそう言ってにこっと笑うと、マリーはいよいよ涙をぼろぼろとこぼした。狼の耳はぴんと立って、尻尾はわさわさと動き始める。

「嬉しいです。私を戦士として認めてくれて。最強の勇者のあなたから、好敵手だとまで言われて…本当に嬉しいです」

僕の手のひらかマリーのしっとりとした手の感触が伝わってくる。もっと味わいたくて、彼女の手を持ち上げて指を絡めて握り直した。

「旦那様の手…優しい手ですね。私は、魔王を倒した勇者はもっとでっかくてごつごつした筋肉隆々の男かと思っていました…」

「それは、ご期待に沿えず申し訳ない。でも、僕、強かっただろう?」

「はい…とても…」

そう言って、マリーも少し強く僕の手を握った。

涙はやんでも潤んだ青い瞳。
赤く小さな唇からマリーの息遣いが漏れている。

それを僕の口で塞いでしまいたくなったところで…。

ぐうううううううう。

と、二人のお腹が鳴った。

『あはははははははは』

二人で笑った。大声で笑った。
なんとしまらない。
でも、良い意味で緊張が解けた気がする。

でも、そりゃそうだ。
考えてみれば、昼もろくにご飯を食べていないまま、今やすっかり夜だ。
お互い死力も尽くした。
そりゃ、お腹も減るだろう。

二人で手を繋いで1Fのリビングへ降りると、氷の精霊の分体が頑張ってくれている冷蔵庫の中のものをあさって、メーシェが入れていってくれたであろう披露宴で食べ損ねた料理を二人で食べた。
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