神様、どうか

鳴哉

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【完結】旦那様の心が知りたいのです

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 青くなって赤くなって、どうやらこれは私の昨晩の神様へのお祈りのせいかも、と思い当たる。私が落ち着いたように見えたのか、お義母様はゆっくりと話しかけてくれた。

「シエラ。まずは謝罪をさせて。私たちは言葉が足りなさ過ぎたわ。ごめんなさい」

 お義母様の隣で同じようにお義父様まで頭を下げる。

「あの、謝っていただくようなことなど何も」

「とにかくこれだけは言わせて。私たちは、貴女のことを心から歓迎しています」

 自分の胸が温かくなるのを感じた。私は疎んじられている訳ではない?

「いろいろと伝えたいことがまだあるのだけれど、まずはカスターと話をして。まさか、あの子まで貴女に何も伝えられていないとは思っていなかったの」

 溜息をつくお義母様。その隣で、引退したとはいえ屈強な体躯のお義父様が、ぼそっと「我がビエント家の者は、その、感情表現が下手糞過ぎるのだ」と言って項垂れた。そのシュンとした風情が何故かカスター様に重なった。



 カスター様を探しながら、邸内を彷徨う。3ヶ月も過ごしているのに、この広い館ではまだ迷ってしまう。自分の不甲斐なさに溜息を溢した時、階下の中庭に広い背中を見つけた。見間違いようのないその姿に声をかけようとして、言葉に詰まる。
 何て声をかけたらよいのか。何も考えずに来てしまったことに気付く。

 私の考えたことが全て聞こえていて、カスター様はそれに「耐えられない」と出て行かれてしまったのだ。さぞ、お怒りになっていることだろう。

『いつも以上に冷たい顔で睨まれでもしたら、もう私無理かも』

 頭の隅に『離縁』の文字が浮かび、窓枠にかけた手に思わず力が入った。
 その時、カスター様が急に周りをきょろきょろと見回した。何かを探すような視線が、私の姿を捉えて止まる。探していたのは私?

 こちらに向けられた顔は、いつもの無表情ではなく、酷く焦っているようだ。その口が何かを叫ぶように開かれ、止まり、そしてまた開かれる。
 結婚した今でも毎日素敵だとは思っているけれど、初めて見る焦った表情でさえ格好良い。

『はあ、格好良過ぎ』

『こんな素敵な方、私とはとても釣り合わないわよね』

『アプローチするご令嬢たちに全く靡かない高潔なところに憧れてはいたけれど、結婚すれば例えこんな私でもその視界に入れてもらえるなんて、そんな都合の良い話があるはずなかった』

『女性がそもそもお嫌いなのかしら。世の中には男性がお好きな男性もいらっしゃるというし。あ、もしかしたら、既にお相手の男性が? 同性同士の婚姻は、我が国ではまだ認められていないから、お飾りの妻が必要だったんじゃない?』

『そうよ! だから、私と結婚を!』


「ちょっと待てっ!!」

 私の思考が暴走している間に、顔色を赤くしたり青くしたりしていたカスター様が、私が結論に達したと思った瞬間に、階下から窓をよじ登ってきて叫んだ。

『すごいわ! 流石カスター様。2階の窓くらいなら易々と登ってしまわれるのね、素敵』

 思わず見惚れてしまった私の前で、カスター様は赤面している。不思議に思って首を傾げてから、ようやく私は思い出した。私の思っていることが聞こえるようになっていることに。

『……もしかして、私が素敵と思ったから、照れていらっしゃるの?』

 目の前のカスター様の顔がさらに赤くなる。

『まさか。こんなこと、言われ慣れていらっしゃるのに、そんなことある訳ないわ』

「……君に言われたことはないんだが」

 何だか拗ねたような口調でカスター様が言った。

『そうだったかしら。結婚してからも毎日顔を合わせる度に思っていたのだけれど、口に出してはいなかった? でも、こんなこと私に何度も言われても、ウザいと思われそうだし』

「どうして、妻から褒められて嫌がると思うんだ。……てっきり、君は俺のことに興味がないのだと思っていた」

『嫌じゃないの? それに、興味がないのはカスター様の方では』

 驚いて背の高いカスター様を見上げると、視線が合った。いつもの堅い表情でない彼とは何とか目を合わせることができた。疎んじられていると実感するのが怖くて、いつもすぐに視線を逸らしてしまっていたから。

 今日、目を逸らしてしまったのは、カスター様の方だった。

「……悪かった。俺の感情の出難い顔と言葉足らずのせいで、君が俺の方を見てくれなかったり話しかけにくくなったりしているのだと気付いていなかった」

『感情の出難い顔? 言葉足らず? 私を疎んじていた訳ではなかったの? なら、離縁は望んでおられない?』

 私の中で次々に疑問が湧いてくる中、急にカスター様に手を握られた。

「離縁などしない!」

 その必死さを感じる言葉と行動に、私の胸の中にじわじわと温かいものが広がっていく。でも、わからないことが多くて、私はどう考えてよいのか、わからなくなった。

 カスター様が、一度目と口を閉じ、覚悟を決めた表情で私を見た。

「俺は臆病なんだ」

『カスター様が臆病? 辺境伯としても騎士としても名を馳せる武人であるカスター様が?』

 思いもよらない台詞に、私の頭の中はまた疑問符だらけになる。

「臆病者だ。君にどう思われているのか分からなくて、嫌われるのが怖くて、身動きがとれなくなるような、意気地無しなんだ」

「夜会で君を見初めて、婚約を申し入れた。受けてもらえて嬉しい反面、俺と面識のない君にとっては、ただの政略的なものだと受け取られているのだろうと思うと、怖くなった。せめて、嫌われないよう、疎ましく思われないよう、俺の想いを隠してきた。結婚してから、ゆっくり距離を縮めればいいと思っていた。それが、君を遠ざける結果になるなんて思ってもみなかった」

 こんなに長く話してくれるカスター様は初めてだった。ビエント家の男性は、10秒以上続けて話せない掟でもあるのかと思っていたくらい、長い会話をしたことがなかったのに。

 それは私への想いを隠すためだった。

『私を見初めていただいていた? 夜会ではほとんど壁の花を務めていた私を? 嘘でしょう? それではまるで、私とカスター様は両想いみたいじゃない』

 私の手を握っていたカスター様の手が不自然に震えた。
 また私は失念していた。私の心の中が、目の前のカスター様に駄々漏れであることを。

 私とカスター様の顔が同時に紅潮する。私の思考は一瞬で自分でもよくわからないくらい、めちゃくちゃになった。

『両想い? それって、カスター様が私のこと、す、好きってことでいい? え? じゃあ、離縁されない? じゃあ、どうして今まで閨を共にされなかったの? というか、私まだここにいてもいいの? まだ、カスター様の妻でいられるってこと?』

 目の前のカスター様が、ぐ、と息を止め、大きく息を吐いてから、私を正面から見据えた。一目でわかる感情の籠った瞳は、ただでさえ麗しい顔面と相まって、私の思考を一瞬にして真っ白にした。

「君の気持ちを知ってからでは、公平ではないかも知れないけれど、やり直しをさせて欲しい」

 彼は私の手を片手で捧げるように持ち、跪いた。

「シエラ。貴女を心から愛しく想っている。どうか、俺と、本当の、お互い想い合う夫婦となってもらえないだろうか」

 これは、プロポーズ!

 思わず泣いてしまいそうなほど、嬉しい。……既に結婚している、というのはさておき。
 婚約から結婚、そして今までとても不安だったけれど、それを全て帳消しにするくらい嬉しい。

『もちろん、お受けします!』

 私はカスター様に、私なりの精一杯の笑顔で笑いかけた。

 そうしたら、彼はちょっと困ったように笑う。その顔も初めて見るもので、私は言葉を失ってしまった。

「できれば、その、心の中じゃなくて、声に出して言ってもらえないだろうか」

 そう言われて、私はようやく今自分が全く声を出していなかったことに気付く。

 元々、話をするのは得意ではない方だ。夜会などで会話に積極的に関われず、平凡な見た目と相まって、壁の花となっていた。
 婚約してからも、変われなかった。カスター様の気持ちを知りたいと思っていても、私の方から必要最低限のことしか、話しかけることもできなかった。

 いつの間にか、必要以上に声に出すのを怖がっていた。嫌われるのが怖くて。臆病なのは私も同じだった。

 意を決して、小さく咳払いする。勇気を出して。カスター様のように。

「カスター様、……貴方を、心からお慕いしております。どうか、これからもよろしくお願いいたします」

 顔から火が出るような熱さを感じながら、何とか口にする。言えた! 

 その達成感を感じると同時に、腕を引かれた。私の赤い顔は、カスター様の胸で覆い隠された。激しく打つ心音は、私のものだろうか。もしかしたら彼のものだろうか。

「ありがとう。こんな情け無い男を受け入れてくれて。やはり、シエラは私の女神だ」

 いやいや、それは言い過ぎ。恥ずかしさで思わず胸を押し返そうとするけれど、びくともしない。

「距離を詰める切掛が全く掴めないでいるうちに、まさか離縁を考える君の心の中が聞こえてくるようになるなんて思わなかったから、本当にどうしようかと思った」

 感極まったような声が頭の上から降ってくる。さらに腕の力は強くなり、私の貧相な体では耐え難くなってきた。
 カスター様、ちょっと力緩めて欲しいっ。

 でも、力は緩むことはない。私はある可能性に気付く。もしかして、もう私の心の中の声は聞こえなくなった?
 試しに心の中で叫んでみる。

 カスター様、離してください!

 でも、彼は私を抱擁したままだ。もしかして聞こえているけれど聞き流してたりする? そう疑って、何度も心の中で叫んでみたけれど、彼は反応しなかった。
 聞こえていないのなら、声に出すしかない。当たり前のことに思い至った。

「あのっ、苦しいです! 離れていただけませんか?!」

 厚い胸板に阻まれぬよう、大きな声で言ったのだけれど、逆に腕の力は強くなった。

「聞こえてますよね? カスター様?!」

 さらに声を張り上げると、肩口から「聞こえない」と駄々をこねるような声。

「嫌だ。俺を拒む声など聞こえない。絶対もう離さない」

 彼の頭がまるで甘えるかのように肩に擦り付けられる。
 180度方向転換した私への態度に、私はどうしていいかわからず、抵抗を諦めるのだった。



 それからカスター様の提案で、婚約期間からやり直すことにした。
 義務的なものだと思い込んでやり過ごしたお茶会やデートを、今度は心から楽しむことができた。
 ただ、カスター様の態度の変わりようは予想を超えるものだったのだけれど。

 私をエスコートする際の、優しい笑顔に甘い囁き。まるでお姫様のように甘やかされて、こういったことに不慣れな私はどうすればいいのか躊躇ってしまう。それさえも「可愛い」と言われてしまう始末。あの堅い表情は幻だったのかと思えてしまう。

 流石に結婚式はやり直せなかったけれど、もう一度婚礼衣装を着せてもらった。カスター様は、「前回は綺麗過ぎて直視できなかった」と謝って、今度はちゃんと目を合わせて「綺麗だ」と褒めてくれて、とても嬉しかった。
 神様の前ではなかったけれど、改めて誓いの口付けをした。心が通じているとこんなに心持ちも違うのかと、自然に笑顔が溢れた。カスター様も微笑んで、それから何度も繰り返し口付けてくれた。
 まさか、そのまま寝室に運ばれ、初夜のやり直しをすることになることまでは想像できていなかったけれど。



 この世界の神様は、時折ちょっとした奇跡を起こしてくれる。
 それは、願った者の願いどおり、とはいかないのだけれど。
 だけど、私の悩みは解消されて、今、私はとても幸せだ。

『ありがとうございました』

 私は少し大きくなり始めた自分のお腹に手をあてながら、心の中で神様にお礼を伝えたのだった。





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