「クズ夫と愛人にざまぁを。嫁が選んだのは“義父”でした」

木桜 春雨

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6 「息子のいない家で、嫁が俺のためにバッグを作った」

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 息子夫婦の家での同居が始まった。
 正直、最初は窮屈な日々になると思っていたが、正幸は、思っていたほど息苦しさを感じていなかった。
 今は、息子は出張中で家にいない。
 里奈との二人暮らしだ。
 最初のうちは、正幸もさすがに身構えていた。
 世間で言われる、扱いに困るような存在にはなりたくない。
 そう思えば思うほど、余計なことを言わないように気を張っていた。
 だが、生活が始まってみると、 予想していたほど、気を遣う場面はなかった。
 一度、映画に行ったせいもあるのだろう。
 正幸は、里奈に対して、それまで知らなかった一面を見た気がしていた。
 流行りの恋愛映画や涙を誘うような作品が好きなのだと、勝手に思い込んでいた。
 だが、実際には、警察や傭兵が登場する派手なアクション。
 韓国の映画、血の匂いが漂うような、クライムもの。
 正幸は、意外だなと思いながらも、それを面白がっている自分に気づいた。
 人は知っているつもりで、案外、何も知らないものだ。
 そう思うと、肩の力が、少しだけ抜けた。

 仕事で帰りが遅くなった日は、正幸は自室で簡単に食事を済ませる。
 逆に、里奈が鍋や煮物を作る日は声をかけてくることがあった。
 その前に、短いメールが届くこともある。
 出張が延びたことで、二人で食事をする機会は、確実に増えていた。
 同居して、二人一緒に食卓を囲んでいる。
 それだけのことのはずなのに、正幸は、その時間を苦に感じていない自分に気づく。
 気を遣いすぎることもない、無理に会話をつなぐ必要もない。
 食事が終われば、それぞれの部屋に戻る。
 その距離感が、ちょうどよかった。
 
 優一の出張は延びていた。
 里奈は、一人でいることに寂しさを感じないのだろうか。
 正幸は、ふとそんなことを考えた。
 「実は、今、注文が入っていて、ちょっと忙しいんです」
 里奈の忙しい、という言葉の意味が分からず、正幸は首を傾げた。
 彼女が外に働きに出ている様子は、見たことがない。
 「実は手作りで、いろいろ作っているんです。フリマのイベント、ネットでも販売したりしていて」
 軽い調子だったが、その内容に、正幸は思わず聞き返した。
 「……作ってるって? 何を」
 里奈は、少し照れたように笑う。
 「趣味なんです。 手芸で、小物をいろいろ」
 「ブログに写真を載せていたら、“欲しい”って言ってもらえるようになって」
 正幸は、意外だと思った。
 趣味があること自体ではない。
 それを続けて、誰かに求められる形にしているところが、だ。
 「……どんなものなんだ」
 自分でも驚くほど、素直な声が出た。
 「見せてもらっても、いいか?」
 里奈は一瞬きょとんとしたが、 すぐに「はい」とうなずいた。

 しばらくして戻ってきた里奈はテーブルの上に色々なものを並べた。
 キーホルダー、ペンケース、サコッシュやスマートフォンのケース、バッグまである。
 布製だが、既製品では見たことのない柄と配色、革で縫い付けられたイニシアル。
 これが素人の作った品なのかと正幸は驚いた。
 縫い目は揃い、角の処理も雑さがない。
 里奈は趣味ですよと言った。
 だが、正幸には趣味の延長とは思えなかった。
 手がかかっている、片手間というには丁寧に作られている。
 「里奈さん」
 正幸は、手にしていたバッグから視線を上げて言った。
 「持ち運びしやすいバッグ、作れたりするか?」
 里奈は不思議そうな顔だ。
 「台本を入れるバッグ、市販のものは、妙に重かったり、サイズがしっくりこなかったりして探していたんだ。」
 里奈は一瞬驚いたように目を瞬かせたが、すぐに真剣な表情に変わった。
 「台本用のバッグ、ですか」
 少し考えてから、ゆっくりと言う。
 「サイズと素材、それと好きな色を教えてもらえれば、作れると思います」
 正幸は、その即答に、わずかに目を見開いた。
 できるかどうかを先に考えるのではなく、条件を確認する――その姿勢が、すでに作り手のものだと思った。
 「最近は、台本もタブレットを使うって聞きますけど」
 里奈は、思い出したように続ける。
 「テレビで、若い俳優さんが言ってたんです」
 正幸はうなずいた。
 「紙のところもあるし、タブレットのときもあるな」
 その言葉に、里奈はそうですかとうなずいた。
 「じゃあ、紙もタブレットも両方入って、でも、軽いものがいいですね」
 思案する表情は、楽しそうでもあった。
 その様子を見ながら、自分が今、お願いをしているのだと改めて実感していた。
 世話を頼んでいるのではない、生活の延長でもない。
 ひとつの仕事を彼女に託そうとしていると思った。

 その日、里奈は正幸に声をかけた。
 テーブルの上に広げられたのは、色違いの布地、ボタン、留め具、持ち手の素材や皮など色々な材料だ。
 「中に仕切りをつけた方がいいでしょうか。あと、ペンとか、小物用のポケットもあったほうが便利ですよね」
 言葉は途切れず、だが、どれも思いつきではなかった。
 「台本って、厚さが違いますよね。数冊入ることを前提に、サイズを調整したほうがいいと思うんです」
 次々に出てくる具体的な提案に正幸は言葉を失っていた。
 これまで、自分の荷物は、入ればそれでよかった。
 カバンを選ぶときに、用途を細かく考えたことなどなかった。
 「使うのは、正幸さんですから」
 里奈は、当たり前のことのように言った。
 「せっかく作るなら、使いやすいものがいいですよ」
 正幸は理解した、彼女は物を作っているのではない。
 使う人間を想像しながら、形にしようとしているのだ。
 「タブレットも入れるなら、本のカバーみたいな形も考えたんですけど、サイズが色々あると思うので」
 そう言って、角の部分を指でなぞる。
 「ここは、革で補強しようと思ってます」
 正幸は、静かに息を吐いた。

 一週間ほどで、里奈のバッグは完成した。
 形はシンプルで、色合いも抑えられている。
 年配の男が持っていても、目立ちすぎることはない。
 だが、安っぽさはない。
 シックな色合いの革が、光を吸うように落ち着いている。
 その一角に、革で切り抜かれた漢字が縫い付けられていた。
 英語のイニシアルではない。
 それを見た瞬間、これは自分のものだと思った。
 「革細工の工房にお願いしたんです」
 里奈は、少しだけ照れたように言った。
 「イニシアルだと単純です、これなら、間違うこともないと思って」
 正幸は、しばらく返事ができなかった。
 装飾ではない、見せるための工夫でもない。
 持つ人間を想定し、使われる場面を考えたうえで選ばれた、実用のためのものだ。

 その日、スタジオでの収録が終わり、帰り支度をしていたときだ。
 若い俳優が、ふと正幸の手元に目を留めて声をかけてきた。
 「正幸さん、そのバッグ、どこで買ったんです?」
 一瞬、正幸は言葉に詰まった。
 まさか、他人の目にとまるとは思っていなかった。
 「既製品じゃないよ」
 青年は、その言葉に驚いたようだ。
 「そうなんですか?ちょっと、見せてもらってもいいですか?」
 差し出すと、青年はバッグを受け取り、縫い目や仕切りを驚くほど真剣な表情で眺め始めた。
 「これ、イニシャルじゃなくて、漢字なんですね」
 素直な驚きの声だった。
 「いいですね、これ、欲しがる人、いますよ、絶対」
 その一言に、正幸は驚いた。
 褒められたのは自分ではないと分かっている。
 それでも――胸、奥が、ふっと軽くなる。
 正幸はバッグを受け取りながら、自分が嬉しいと感じていることに気づいた。
 
 その日、仕事の帰り道で正幸はふと足を止めた。
 何か礼をしたほうがいいと思ったのだ。バッグの代金とは別に、気持ちだけでも返したかった。
 大げさなものではなく、彼女の負担にならない程度のものがいい。
 里奈は高価な装飾品を身につけるタイプではないし、必要な家電も型落ちを選ぶ。そういう人だ。
 だからこそ、受け取りやすいものを——と考えたとき、視界の端にケーキ屋の灯りが入った。
 正幸は店へ向かった。

 閉店間際のせいか、ショーケースはほとんど空だ。
 残っていたのは、苺のショートケーキとアップルパイだけ。
 外れではないだろうと思った。苺が苦手な人は多くない。りんごも、里奈の食卓によく出ていた。

 家に戻ると、里奈は驚いた顔をした。
 受け取った箱をそっと開けると、ふわりと甘い香りが広がる。
 「苺のショート、アップルパイ……美味しそう」
 声だけでなく、表情までぱっと明るくなる。

 「正幸さんは、苺とりんご、どちらが好きですか?」
 「いや、俺はいい」
 遠慮しようとした。だが里奈は迷いなく言った。
 「半分ずつにしましょう。美味しさ、二倍になりますよ」
 返す言葉を失った。
 誰かとケーキを半分こする——そんなこと、いつ以来だろう。
 珈琲を淹れ、テーブルの向かいでフォークを手にする。
 ただそれだけなのに、胸のあたりが少しそわそわした。
 里奈は当たり前のように、気負いのない笑顔でケーキを口に運ぶ。
 その自然さに引っ張られるように、正幸もフォークを取った。
 悪くない。
 そう思った自分に、正幸は小さく苦笑した。
 
 その夜、里奈のスマホに優一からメッセージがと届いた。
 「出張、少し延びそうだ」
 
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