偽りとためらい

立石 雫

文字の大きさ
37 / 101

第14章 二年次・12月(1)

しおりを挟む
第14章 二年次・12月

 月曜日が来て、火曜日が来て、水曜日が来て、木曜日が来た。その間、高志は努めていつもどおり授業に出て、たまに朝にバイトに入り、授業が終わった後に部活に出て帰宅した。学校やバイト先でやるべきことをやったり人と話したりしていると、少しだけ楽だった。一人になると、今まで経験したことのないほど深い後悔や自己嫌悪、絶望感に苛まれた。
『好きな人ができたの』 
 あの日、別れたいと言われて理由を聞くと、遥香はそう言った。
 夜に一人で自分の部屋にいると、毎晩そのことを何度も何度も思い出した。思い出すのをやめたいのに頭から離れなかった。眠ることで意識を失ってしまいたくても、眠ることができなかった。
 その日まで遥香は自分のものだったのに、そう信じて疑いもしていなかったのに、遥香のその言葉によってその瞬間、高志と遥香の絆が断ち切られた。その時の衝撃を、何故か自分の心は何度も何度も繰り返し思い出そうとし、可能な限りの生々しさで再現した。そうやって高志の記憶は何度でも高志を傷付けた。遥香の中でその絆は徐々に細く薄くなっていたのに、高志はそれに気付けなかった。どこかで気付いていたらこんなことにはならなかったのに。
 その時の衝撃は覚えているのに、その言葉を口にした時の遥香の表情は全く覚えていなかった。覚えているのは、ベンチに並んで座ったまま、いつの間にか高志の横で泣いていた遥香の姿だった。顔は見えなかった。嗚咽がかすかに洩れていて、その度に髪が少し揺れていた。
『……遥香』
 高志が肩に触れると、遥香が少しだけ顔を上げた。そのままつい抱き寄せようとして、少しだけ躊躇したら、遥香の方から高志の胸にしがみついてきた。思いがけず腕の中に帰ってきた自分の恋人の体を、高志は夢中で抱き締めた。
『遥香』
 腕の中で震えながら泣く遥香が、その身で今自分に求めているものを高志は知っていた。それを遥香が必要とするなら、自分は今もこの先も、いつだってそれを提供できた。自分の腕の中で安らげるのなら、このまま永遠に自分の中にいればいい。そこにはさっき失われたと思った絆があった。やっぱり今でもあった。こうして抱き締めていれば、遥香はこのまま自分の元に留まるだろうと思えた。遥香の髪に口付けて、そのまま顔を埋めた。
『……高志くん』
 しばらくして、遥香が身じろぎした。腕の中で少しだけ顔を上げた遥香に、高志は自然に唇を寄せた。遥香もそれを求めていると思った。
『……今までありがとう』
 しかし遥香はそう言うと、その腕で高志の胸をそっと押して身を離した。
 遥香からのその静かな拒絶に、高志は思考停止したまま、黙って腕の力を緩めた。
 遥香が再び高志の腕の中から出て行こうとしていた。そして今度はもう戻って来ることはないのだと分かった。 

 どうしてあの時自分で腕を離したのだろう。
 どうしてあの時キスしなかったのだろう。
 その最後の別れの瞬間を、後から考えて何度も後悔した。遥香の意思を尊重したが故の自分の行動は、しかし今考えれば致命的な誤りのように思われた。手を離しさえしなければ遥香は離れていかなかったのに。あの時キスしていれば。もう一度遥香の唇に触れて熱を伝えていれば。高志は遥香とのキスを思い出した。数えきれないくらい重ねた唇。湿った舌。息遣い。
 そして遥香の体を思い出した。声を、匂いを思い出した。今ならまだそこにあるかのように全部思い出せた。遥香の温もりも、柔らかさも全部。何度も抱いた体。その繊細で複雑な曲線、その動き、自分を呼ぶ声。突き上げる度に揺れる柔らかい膨らみ、自分を締め付ける中の熱――
「……っ」
 気が付けば、電気もつけないままの暗い自分の部屋のベッドの上で、呼吸を乱し、高志は自分の手で果てていた。横たわったまま、少しずつ落ち着いていく自分の呼吸だけを聞いていた。さっきまで思い出していた純粋に肉体的な記憶の生々しさは既に遠ざかり、この先もう二度とあの体を抱くことはできないのだという事実を何度目かで思い出す。高志は目を閉じて、絶望と孤独をやり過ごした。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

男子高校に入学したらハーレムでした!

はやしかわともえ
BL
閲覧ありがとうございます。 ゆっくり書いていきます。 毎日19時更新です。 よろしくお願い致します。 2022.04.28 お気に入り、栞ありがとうございます。 とても励みになります。 引き続き宜しくお願いします。 2022.05.01 近々番外編SSをあげます。 よければ覗いてみてください。 2022.05.10 お気に入りしてくれてる方、閲覧くださってる方、ありがとうございます。 精一杯書いていきます。 2022.05.15 閲覧、お気に入り、ありがとうございます。 読んでいただけてとても嬉しいです。 近々番外編をあげます。 良ければ覗いてみてください。 2022.05.28 今日で完結です。閲覧、お気に入り本当にありがとうございました。 次作も頑張って書きます。 よろしくおねがいします。

BL 男達の性事情

蔵屋
BL
漁師の仕事は、海や川で魚介類を獲ることである。 漁獲だけでなく、養殖業に携わる漁師もいる。 漁師の仕事は多岐にわたる。 例えば漁船の操縦や漁具の準備や漁獲物の処理等。 陸上での魚の選別や船や漁具の手入れなど、 多彩だ。 漁師の日常は毎日漁に出て魚介類を獲るのが主な業務だ。 漁獲とは海や川で魚介類を獲ること。 養殖の場合は魚介類を育ててから出荷する養殖業もある。 陸上作業の場合は獲った魚の選別、船や漁具の手入れを行うことだ。 漁業の種類と言われる仕事がある。 漁師の仕事だ。 仕事の内容は漁を行う場所や方法によって多様である。 沿岸漁業と言われる比較的に浜から近い漁場で行われ、日帰りが基本。 日本の漁師の多くがこの形態なのだ。 沖合(近海)漁業という仕事もある。 沿岸漁業よりも遠い漁場で行われる。 遠洋漁業は数ヶ月以上漁船で生活することになる。 内水面漁業というのは川や湖で行われる漁業のことだ。 漁師の働き方は、さまざま。 漁業の種類や狙う魚によって異なるのだ。 出漁時間は早朝や深夜に出漁し、市場が開くまでに港に戻り魚の選別を終えるという仕事が日常である。 休日でも釣りをしたり、漁具の手入れをしたりと、海を愛する男達が多い。 個人事業主になれば漁船や漁具を自分で用意し、漁業権などの資格も必要になってくる。 漁師には、豊富な知識と経験が必要だ。 専門知識は魚類の生態や漁場に関する知識、漁法の技術と言えるだろう。 資格は小型船舶操縦士免許、海上特殊無線技士免許、潜水士免許などの資格があれば役に立つ。 漁師の仕事は、自然を相手にする厳しさもあるが大きなやりがいがある。 食の提供は人々の毎日の食卓に新鮮な海の幸を届ける重要な役割を担っているのだ。 地域との連携も必要である。 沿岸漁業では地域社会との結びつきが強く、地元のイベントにも関わってくる。 この物語の主人公は極楽翔太。18歳。 翔太は来年4月から地元で漁師となり働くことが決まっている。 もう一人の主人公は木下英二。28歳。 地元で料理旅館を経営するオーナー。 翔太がアルバイトしている地元のガソリンスタンドで英二と偶然あったのだ。 この物語の始まりである。 この物語はフィクションです。 この物語に出てくる団体名や個人名など同じであってもまったく関係ありません。

邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ

BL
鍛えられた肉体、高潔な魂―― それは選ばれし“供物”の条件。 山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。 見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。 誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。 心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。

鎖に繋がれた騎士は、敵国で皇帝の愛に囚われる

結衣可
BL
戦場で捕らえられた若き騎士エリアスは、牢に繋がれながらも誇りを折らず、帝国の皇帝オルフェンの瞳を惹きつける。 冷酷と畏怖で人を遠ざけてきた皇帝は、彼を望み、夜ごと逢瀬を重ねていく。 憎しみと抗いのはずが、いつしか芽生える心の揺らぎ。 誇り高き騎士が囚われたのは、冷徹な皇帝の愛。 鎖に繋がれた誇りと、独占欲に満ちた溺愛の行方は――。

イケメンモデルと新人マネージャーが結ばれるまでの話

タタミ
BL
新坂真澄…27歳。トップモデル。端正な顔立ちと抜群のスタイルでブレイク中。瀬戸のことが好きだが、隠している。 瀬戸幸人…24歳。マネージャー。最近新坂の担当になった社会人2年目。新坂に仲良くしてもらって懐いているが、好意には気付いていない。 笹川尚也…27歳。チーフマネージャー。新坂とは学生時代からの友人関係。新坂のことは大抵なんでも分かる。

オッサン課長のくせに、無自覚に色気がありすぎる~ヨレヨレ上司とエリート部下、恋は仕事の延長ですか?

中岡 始
BL
「新しい営業課長は、超敏腕らしい」 そんな噂を聞いて、期待していた橘陽翔(28)。 しかし、本社に異動してきた榊圭吾(42)は―― ヨレヨレのスーツ、だるそうな関西弁、ネクタイはゆるゆる。 (……いやいや、これがウワサの敏腕課長⁉ 絶対ハズレ上司だろ) ところが、初めての商談でその評価は一変する。 榊は巧みな話術と冷静な判断で、取引先をあっさり落としにかかる。 (仕事できる……! でも、普段がズボラすぎるんだよな) ネクタイを締め直したり、書類のコーヒー染みを指摘したり―― なぜか陽翔は、榊の世話を焼くようになっていく。 そして気づく。 「この人、仕事中はめちゃくちゃデキるのに……なんでこんなに色気ダダ漏れなんだ?」 煙草をくゆらせる仕草。 ネクタイを緩める無防備な姿。 そのたびに、陽翔の理性は削られていく。 「俺、もう待てないんで……」 ついに陽翔は榊を追い詰めるが―― 「……お前、ほんまに俺のこと好きなんか?」 攻めるエリート部下 × 無自覚な色気ダダ漏れのオッサン上司。 じわじわ迫る恋の攻防戦、始まります。 【最新話:主任補佐のくせに、年下部下に見透かされている(気がする)ー関西弁とミルクティーと、春のすこし前に恋が始まった話】 主任補佐として、ちゃんとせなあかん── そう思っていたのに、君はなぜか、俺の“弱いとこ”ばっかり見抜いてくる。 春のすこし手前、まだ肌寒い季節。 新卒配属された年下部下・瀬戸 悠貴は、無表情で口数も少ないけれど、妙に人の感情に鋭い。 風邪気味で声がかすれた朝、佐倉 奏太は、彼にそっと差し出された「ミルクティー」に言葉を失う。 何も言わないのに、なぜか伝わってしまう。 拒むでも、求めるでもなく、ただそばにいようとするその距離感に──佐倉の心は少しずつ、ほどけていく。 年上なのに、守られるみたいで、悔しいけどうれしい。 これはまだ、恋になる“少し前”の物語。 関西弁とミルクティーに包まれた、ふたりだけの静かな始まり。 (5月14日より連載開始)

処理中です...