恋が落ちる時

八月一日

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ぷにぷにほっぺと21時のココア

苑田遥の場合

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1年後輩に、麻野ひかりという女の子がいる。
朝の、光。
なんと清々しい響きだろうと、新入社員を紹介する社内広報誌を見て思った。

実際の彼女は、まぁ確かに清々しい性格をしていた。
男だろうと上司だろうと、違うと思ったらちゃんとノーを言うし、先輩だろうとちょっとお巫山戯が過ぎるとすぐに冷めた目で見てくる。
でもきつい訳でもなくて、笑ったり怒ったりくるくる変わる表情を見るのが楽しかった。

でも最近の彼女は、顔から表情がなくなりつつあるように思う。

今日使う資料できてる?どこ入ってんだっけ

今度の企画のために作られたチームのスレッドに、今朝も早くからメッセージが上げられた。

1つ下の後輩Aから、その子の同期入社である後輩Bに向けたメッセージに、後輩Bが浮かべるであろう表情を想像してしまい、人がごったがえす駅のホームで思わず吹き出してしまった。
1人で笑いだした不審者に、周囲が気味悪げに顔を上げて俺を見つけると、そのうちの何人かの目に好奇心が浮かぶ。

そちらを1ミリも見ないようにして、俺は顔から表情を消した。


会社に着くと、後輩Bが後輩Aを叱っていた。

「藤吉が忙しいのも頑張ってるのも、私だってちゃんと知ってる。でも、とりあえず、毎日、ちゃんと、寝ろ。」

「麻野様、本当に面目次第もございません。」

後輩Bの麻野の怒りに、後輩Aの藤吉は可哀想なほど小さくなっている。

何故彼女は、そんなに強く彼に睡眠を促す事態になっているのか。訳が分からなすぎて思わず笑いが漏れる。

その気配で俺に気づいたのだろう。彼等が振り返った。

「おはよう、藤吉ちゃん麻野ちゃん。朝から何喧嘩してるの?」

10代後半から身につけたオネェ言葉で話しかけると、麻野ちゃんの口が聞いてくださいと言わんばかりに開かれる。

「藤吉が、今日使うレジュメ全部シュレッダーかけちゃったんです!」

彼女の目の前には、印刷したてのまだ暖かい資料が積まれていた。


事の次第は、こうである。

藤吉は昨日も残業で、どうしても今日の会議資料に目を通せられなかった。
そこで彼は朝一番に出社して、会議資料を麻野の机から引っ張り出し、自席に戻る。そこで机の上の汚さに絶望し、とりあえず捨てられそうなものを適当にまとめてシュレッダーへ持っていった。欠伸を噛み殺しながら、大量の資料をシュレッダーに食べさせていく。ゴミの処理も終わり、彼が席に戻った時にはあら大変。
今から目を通すはずだった資料が忽然と姿を消していたのである。

「ミステリー作家もびっくりね」
「古いです」

ばっさりと切られる。しかしそれが何のオマージュかわかる時点で麻野もおかしいと思うが口には出さない。

そんなこんなで、藤吉は麻野に助けを求め、会議が始まる15分前にホッチキスを手にする羽目になったのだ。

そんな2人の手伝いをし、残り2人のメンバーも合流したことであまり慌てることなく会議室に向かうことが出来た。
因みに残り2人は俺の1個上の先輩で、2人は呆れたあと散々藤吉を笑い、麻野の兎にも角にも寝ろという助言に、深く同意していた。

俺達が選んだテーマは、「いつも"kokokara" 毎日が新しいワタシ」である。
全国の主要都市で、誌面で取り上げた商品などを並べたポップアップストアの展開を提案した。
雑誌の読者層を意識し、20代後半から30代の働く女性に贈りたい、朝食にピッタリのディッシュやコーヒーから、夜のバスタイムをラグジュアリーにするためのグッズなど、気持ちをリセットできて気分が上がりそうなアイテムを20個ほど起案した。

「これ、出来たら面白いけど現実的じゃないよね」

上司の反応は、期待していたものとは違った。

「発想はいいよ。でも、在庫をあんまり抱えてない店やその都市に店舗を構えてない店も多いよね。そこのフォローはどうするの?うちが全部被ってあげる?」

例えば蚤の市や、ハンドメイドの作家を募ったイベントなどは、諸費用は基本的にその出店者側が持つことになる。
しかし、俺たちが今回企画したのは、自分たちがそれぞれのブランドから商品を仕入れて店を開く、言わば期間限定のセレクトショップのようなものだ。上司の言葉通り、仕入れに関しても考えが足りてなかったが、出店場所はどこにするか、開催期間は、什器やレジなどのレンタル品はどうするか、会場のイメージや在庫の管理、移送費と人件費に広告費など、調べて考えないといけない課題は山ほどある。

「紙面に載せるために、現地で写真取ってインタビューするだけならそんなこと考える必要ないけどな。自分たちが販売する側に回るんなら考えが甘い。」

最後にサラッと概算のみ記していた俺たちは、圧倒的にマーケティングが足りていなかった。

「そこまで考えてもってこい。何年やってんだ。そりゃ出来たらすごいけど、金に物言わせないと作れないなんて、そんな企画を求めてるんじゃない。やることは幻想的に、予算は現実的に、だ」

その一言を最後に、第三回目の会議が終わった。
三回目にして初めて全てのチームが没とは言われなかった。が、ダメ出しは山のようにくらい、結局は全面的な見直しを求められる結果となった。

「麻野ぉ、疲れたぁ」

机に伏して、最近は愚痴も言わなくなってきた彼女を見上げる。

先輩方は、あれは全没になった時のために自分らに残した余白だったのだから、次までに埋めればいいよ。そこまで毎回完璧にして没になったらそれこそ心が死ぬでしょ、と笑い飛ばされた。
確かにその通りだ。しかし、しんどいものはしんどい。没にしないならもうちょっと褒めて欲しい。

自分の愚痴も聞いて欲しかったが、隣に座る彼女も何か聞かせてくれないかなと思って、弱音を上げてみせたのに、彼女はにべもない態度を崩さない。

「苑田パイセン元気だして行きましょ。このくらいでいちいち凹んでたら、先輩の低反発ハートもすぐにペシャンコになっちゃいますよ」
「麻野ちゃんは強いわねぇ」
「女は往々にして強くならざるを得ないですからね」

そう言って彼女は、まるで兜の緒を閉めるように、肩に流れていたセミロングの髪を、黒いゴムで束ねた。



「先輩ってほんとに綺麗な顔してますよね」

いつだったか、休憩時間に2人で近くのカフェに行ったことがある。
麻野があそこのココアが絶品だから一度飲んでみろと引っ張って連れていかれたのだ。それを飲んでいた時、麻野にまじまじと顔をのぞき込まれた。

昔からこの顔のせいで損をすることが多かった。
10人いれば9人はアイドルに居そうと答えるこの顔立ちは、祖母の血が濃く出ている。祖母はドイツの生まれで、その昔貿易商に勤めていた祖父とどこやらかで知り合い、惹かれ合い、その後に結婚して1男1女を儲けたのだそうだ。

その流れを汲んで、俺の顔にくっついた鼻は高く、細い顎にくっきり二重の顔立ちは、昔からとにかく女性ウケが良かった。

「苑田くん、一緒の班になろうよ」

小学校の修学旅行の班決めで、俺の席に女子が数人で押し寄せてきた。

先生が「一班で5~6人な。じゃぁ決まったら先生のところに言いに来いよ」と言うやいなや、皆よりも一拍早く立ち上がり真っ直ぐにこちらに駆け寄ってきたのだ。
俺が女子というものにはっきりと嫌悪感を抱いた瞬間である。
今までも声をかけられることはあったが、こちらのことも考えず、他者を排しようと動いた彼女たちが、気持ち悪くて怖いと、そう思った。

「遥はオレと一緒の班になるんだから、そんな全員は入れてやれねーよ」

大群を押しのけて来てくれたのは、今でも仲のいい池端保利と大坪千景だった。

ほら散ったちったと女子を追い払ってくれる。

保利と千景の態度に、女子は不機嫌を隠さなかったが、あまり騒ぐと怒られるのは良く分かっていたようだ。

「もう、行こ」

誰かがそう言ってくれるのを待っていたかのように、彼女らは特に文句も言わずに離れていった。

「モテんのも、良いもんじゃないな」

眼鏡のせいか、秀才と呼ばれるほど勉強ができるせいか、千景が大人びた感想を寄越した。
その言葉に大きく頷き、モテる男は辛いぜと何故か保利が小さく零した。今でも疑問である。

そんな2人がいてくれたから、俺は擦れずにすんだのだ。本当に2人には感謝している。

しかし中学からは背も伸び、青年へと成長して輪をかけて女子に騒がれるようになったため、俺は話し方を変えた。
人間は異質なものには警戒して近寄らなくなる。
かくして、俺は人前での話し方がオネェになったのだった。

「あら、惚れちゃった?」

最初は自分でも違和感しか無かった喋り方も、十余年もすれば嫌でも板に着く。

「いえ。そんなんで好きになるほど甘っちょろい女じゃないですよ」

彼女のそのことばに、浮かべた笑顔がピシリと固まった。
どんな反応を期待していたのか、自分が持つ彼女への気持ちを嫌でも思い知らされる。

「でも、先輩は中身もそのお顔に恥じないくらいイケメンなので惚れざるを得ないですね」

ふわっと零された笑みに、心臓が大きく跳ねたことで、きっと俺は変な表情になったのだろう。彼女はものすごく慌てて言い繕ってきた。

「ちょっと先輩!冗談ですって!」

冗談。
冗談と言ったか。

「しぇんぱいなにしゅるんでしか」

悪いことを言うお口はここかと、小さい顔に着いた両側のほっぺを片手でぶにっと挟む。
その頬に押されてタコのように飛び出した唇が、なんともブサイクで、それ以上に愛おしく見えた。

「お仕置よ」

ぷにぷにぷにとその頬の感触を心ゆくまで楽しんで手を離すと、彼女は解放された両頬を労わるように両の手で包んで、恨めしげにこちらを見上げてきた。

「乙女の顔を強制的にブスにする罪は重いんですよ」

その瞳には薄らと涙が浮かび、睨んでいるというか上目遣いで見上げられているような構図だ。
思わず歪んだ口元を慌てて隠した。

この鈍い後輩をこちらに振り返えらせるには、どうすればいいのか。

俺はまだ手をこまねいている。



キリのいいところで、ブルーライトカットの眼鏡を外し、ブリッジが当たっていたところを指で揉む。
おじいちゃんみたいなその仕草に、自分でしておいて気分が沈んだ。

春の空はもう暮れていて、隣接するビルが放つ残業の明かりが視界に眩しく映った。

隣の麻野は、先程までうつらうつら船を漕いで居たのだが、今は完全に電池が切れたのか積まれた資料を枕にすよすよと眠っている。
もうみんな帰ってしまったのをいい事に、彼女の頬を人差し指で押す。彼女は抗議するように眉間に皺を寄せた。

ちゃんと押し返してくる、ハリのある肌を一時楽しんで、俺は書き置きを残しオフィスを出た。

春でも日が落ちると肌寒い。
コートも羽織らず急いで出てきてしまったものだから、足早に会社近くのカフェを目指す。

その後逃げ出そうとした彼女を、漸くつかまえられるなんて想像もせずに。


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