霊和怪異譚 野花と野薔薇

野花マリオ

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鐘技怪異談集全18話

18話「MMOの休日」

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【1】

 オンラインRPG『Re:ZERO FRONTIER』。通称「リゼフロ」。

 週に一度、運営によって強制的に訪れる“休日”——それがメンテナンス日だ。
 全サーバー一斉停止、ログイン不可。中毒者には試練、社畜には癒し、学生には空白。

 だが、俺——大学生の火村タクトには、“別の習慣”があった。

 メンテ明けまでの4~6時間を過ごす場所。
 それが、《ラーメン処 オアシス》。

 ひっそりとした路地裏。錆びた看板と、年季の入った暖簾。
 何より特徴的なのは、入り口の張り紙。

「営業日:リゼフロメンテ当日」

 それだけ。
 不定期に思えるが、ゲーマーなら誰でもわかる。「今日はオアシス、やってる日」だと。

「お、やってる」

 暖簾をくぐると、ラーメンの匂いと、かすかに聞こえるゲームのSEのような音。
 いつもの仲間も、そこにいた。

 ⸻

【2】

 カウンター奥、やや猫背の姿勢でスマホをいじっているのはアヤメ。
 リゼフロでは回復職の天才ヒーラー、リアルではサバサバ系OL。
 男勝りの口調だが、課金額は月に家賃レベルというガチの重課金者。

 その隣、見慣れた黒縁眼鏡——リョウ。
 元ギルドマスター、戦術厨。リアルでは脱サラ後の配信者志望、今はほぼ無職。

「あ、タクト来たじゃん。遅いぞ」
「メンテ入った瞬間、来るのが礼儀だろ」

 俺は苦笑して席についた。店主は無言で冷たい水を出してくれる。

 この店のルールは単純だ。
  • 注文しなくてもラーメンが出てくる
  • メンテが明けるまで外には出られない
  • 代金は“忘れる”こと

 それが、数年前からネットの掲示板で囁かれていたこの店の“噂”だった。

 実際、その通りなのだ。注文もしていないのに、俺たちの前に湯気を立てる器が置かれる。

「これ、たしか“幻界味噌ラーメン”だな」
「またレアメニュー出たな、運いいじゃんタクト」

 ゲーム内の料理スキルに出てきたメニューにそっくりな盛り付け。

「やっぱ変だよな、この店」

 アヤメの一言に、誰も反論しなかった。

【3】

 メンテ明けまであと3時間。
 ラーメンも食べ終え、俺たちはそれぞれの“暇つぶし”に入っていた。

 アヤメはスマホでスキンの売買相場を確認し、
 リョウは自作の攻略メモに付け足しをしている。
 俺はただ、ぼーっと天井を見ていた。

 そのとき、何かが引っかかった。

「……時計、止まってる?」

 店内の壁掛け時計。針は11:18でピタリと止まっていた。

 スマホを見る。表示は11:18。

「あれ? 俺、入店したのって10時過ぎだよな。そんなに早く食べたっけ?」

「ううん、時間……進んでない」

 アヤメの声が小さくなった。

 リョウが店内を見回しながら、眉をひそめる。

「それに……外、暗くね?」

 ガラス越しの景色。
 明るいはずの昼間なのに、外は夜のように濃い闇に包まれていた。
 街灯も、建物も、車の音も……一切ない。

 俺たちはゆっくり顔を見合わせた。

「なあ……これ、ゲームの中じゃないよな?」
「まさか、“ラーメン店型インスタンス”?」
「バカ言うな。現実だよ、これ……だよな……?」

 ざらりと背中を冷たいものが這い登る。

 何かが、おかしい。

【4】

「誰か、時計いじった? 充電切れとか?」

 アヤメが不安そうに立ち上がる。
 リョウはスマホを再起動するが、ロック画面に映るのはやはり、11:18。

「GPSが……動かない。電波、圏外?」

「いや、これ……GPSの“座標”が……“0,0”になってる」

 沈黙。
 俺たちは、いま“地球上のどこにもいない”ことになっていた。

 ゴクリ、と誰かの喉が鳴った。

「ちょっと、外……出てみる?」

 俺がそう言うと、3人とも立ち上がった。
 しかし、店の自動ドアは無反応だった。引いても、叩いても、びくともしない。

「閉じ込められてる……?」

 パニックの空気が、じわじわと喉を締めてくる。
 アヤメがガラスに向かって叫んだ。

「誰かいますか!? 開けてください!!」

 そのときだった。

「なあ、リョウは?」

 俺が気づいて振り返ったとき、彼の席は空っぽだった。
 座っていたはずの椅子の上には、湯気の消えかけたラーメンだけが残っていた。

 スマホも、眼鏡も、カバンも——すべてが消えていた。

「うそ……でしょ?」

 アヤメが震える声でつぶやいた。

 そして、壁掛け時計が——

 11:19へと、カチリと動いた。

【5】

「ねえ、どういうこと……?」

 アヤメの声はすでに震えていた。
 俺もまた、手のひらがじっとり汗ばんでいた。

 リョウが消えたあと、時計の針は1分進んだ。

 たった1分で、彼は“いなかったこと”になった。
 椅子の跡すら曖昧に、ラーメンの湯気すら記憶の幻のように。

「……この店、最初から“現実”じゃなかったのかもな」

 アヤメがぽつりと言った。

「ログアウトできないMMOみたいに、閉じ込められた世界」
「メンテ日はログアウトできない。なら、この空間が“維持される”としたら……」
「むしろ、現実のほうが一時停止してるのかも」

 俺たちは、試した。

 ・スマホは繋がらない
 ・ドアは開かない
 ・ラーメンだけは、いつまでも温かい

 そして、リョウが座っていた場所には、再びラーメンが補充されていた。

「……誰かが来る」

 アヤメが言った。

「“プレイヤー”が補充されていく。席が空いた分、次の客が来る……そういう仕様なんだ」

 俺たちは、その“ゲーム的発想”が冗談にならないと直感していた。

 ⸻

【6】

 11:20。

 また一分、時計が進む。

 そして、俺の手が透明になり始めた。

「……タクト?」

「俺か……次は、俺か」

 ふと、目の前のラーメンに目をやった。

 今まで気づかなかった。
 スープの表面に、自分の顔が映っていない。

「やっぱりな……もう、俺はいないんだ」

 身体がすっと軽くなる。
 世界から切り離されていくように、意識が遠のいていく。

 でもそのとき——

「タクト、ダメ!!」

 アヤメの声とともに、なぜか彼女が俺の腕を掴んでいた。

 その触覚が、唯一“現実”に繋ぎとめる鎖だった。

 けれど、俺の足はすでに床を離れていた。

 そして、カウンターに残された器には——また新しいラーメンが置かれていた。

 ⸻

【7】

「いらっしゃい。メンテ中は混みますよ」

 暖簾をくぐった若者たち。
 ゲーマーらしいリュックに、ステッカーだらけのスマホケース。

 彼らは何も疑わず、店に入る。

 4席あったカウンターは——いつの間にか、5席に増えていた。

 壁の時計は、また11:18を指していた。

 奥の厨房の片隅。

 誰にも見えない席で、誰かがラーメンを啜っている。

 湯気の奥から、笑い声が聞こえる。

 それは、いつまでも終わらない——
 MMOの休日。

 MMOの休日 完

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